大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成元年(合わ)166号 判決

〈判決目次〉

主文

理由

(認定した事実)

第一 被告人の身上経歴等

一 被告人の身上経歴と家庭環境

二 被告人の性格等

第二 本件一連の犯行に至る経緯

一 被告人の収集癖

二 被告人の性的関心

三 自動車の購入

第三 Aの誘拐、殺害及び死体損壊(A事件)

一 犯行に至る経緯

二 罪となるべき事実

第四 Bの誘拐及び殺害(B事件)

一 犯行に至る経緯

二 罪となるべき事実

第五 Cの誘拐、殺害及び死体遺棄(C事件)

一 犯行に至る経緯

二 罪となるべき事実

第六 Dの誘拐、殺害、死体の損壊及び遺棄(D事件)

一 犯行に至る経緯

二 罪となるべき事実

第七 Eのわいせつ目的誘拐、強制わいせつ(E事件)

一 犯行に至る経緯

二 罪となるべき事実

(証拠の標目)

(争点及びこれに対する当裁判所の判断)

第一 争点

第二 当裁判所の判断

一 本件捜査及び審理の経過(概要)

1 本件捜査の経過(概要)

2 本件審理の経過(概要)

二 客観的な証拠等によって裏付けられる事実

1 被告人の生育歴等

(一) 被告人の身上経歴、家族関係

(二) 被告人の身体障害

(三) 被告人の学業及び職業意欲

2 被告人の家庭内での態度、交友関係、対人関係等

(一) 家庭内での態度

(二) 交友関係等

(三) 対人関係

3 被告人の逸脱行動、動物虐待、家人らに対する暴行等

(一) 被告人の逸脱行動等

(二) 動物に対する虐待等

(三) 家人らに対する暴行等

4 被告人の趣味、収集癖と性的関心

(一) 趣味

(二) 収集癖と性的関心

(三) 性的発育

5 犯行状況等

(一) Aの誘拐殺害等

(二) Bの誘拐殺害

(三) Cの誘拐殺害等

(四) A、Cの両親に対する犯行の告知

(五) Dの誘拐殺害等

(六) Eの誘拐強制わいせつ

6 報道の録画

三 被告人の供述の要旨

1 被告人の捜査官に対する供述の要旨

(一) 生育状況

(二) 動物の虐待

(三) ビデオテープの収集

(四) 万引き等

(五) 性的関心と女児等の写真撮影

(六) Aの誘拐殺害状況等

(七) Bの誘拐殺害状況等

(八) Cの誘拐殺害状況等

(九) A、Cの両親に犯行を告知した状況

(一〇) Dを誘拐殺害するまでの間に女児等の写真を撮影したこと

(一一) Dの誘拐殺害状況等

(一二) Eを誘拐した平成元年七月二三日、その直前に女性や女児らの写真撮影をしたこと

(一三) Eを誘拐して裸にした状況

(一四) 心境等

2 被告人の公判廷における供述の要旨

(一) 第一回公判期日における本件各公訴事実に対する認否

(二) 第一五回ないし第一八回公判期日の被告人質問における供述(弁護人からの質問)

(1) 生育状況等

(2) A事件

(3) B事件

(4) C事件

(5) D事件

(6) E事件

(7) 取調べについて

(三) 第一九回公判期日の被告人質問における供述(検察官からの質問)

(四) 第三五回公判期日の被告人質問における供述

四 被告人の取調べ状況について

1 Y警部補の取調べ

2 Z警部の取調べ

3 Y証言およびZ証言に対する被告人の公判廷における供述の要旨(第三五回公判期日)

五 被告人の捜査官に対する供述と公判廷における供述の信用性の検討

1 前記第二、二において認定した各事実並びに同事実等から推認される本件各犯行の動機・目的、態様、計画性及び自己顕示・捜査かく乱等の意図について

(一) 本件各犯行の動機・目的、態様、計画性及び自己顕示・捜査かく乱等の意図について

(1) 本件各犯行の動機・目的について

(2) 本件各犯行の態様について

(3) 本件各犯行の計画性について

(4) 自己顕示と捜査かく乱等の意図

(二) 本件各犯行の動機・目的、態様、計画性及び自己顕示・捜査かく乱等の意図と、被告人の捜査官に対する供述及び公判廷における供述との整合性

(1) 被告人の捜査官に対する供述との整合性について

(2) 被告人の公判廷における供述との整合性について

2 被告人の捜査官に対する供述と公判廷における供述の信用性について

(一) 被告人の捜査官に対する供述によって本件被害者の遺骨等の証拠物が発見されていること

(二) 被告人の捜査官に対する供述には、体験した者でなければ語り難いと思われる内容が多く含まれていること

(三) 本件各犯行の自供の経緯が自然であること

(四) 被告人の捜査官に対する供述内容、供述経過等から、被告人が捜査官の意向に合わせるままに供述したのではなく、自らの判断で供述したことをうかがい知ることができること

(五) 警察における取調べ状況について

(六) まとめ

六 罪となるべき事実の認定について

七 被告人の刑事責任能力について

1 精神鑑定の内容

(一) 簡易鑑定

(二) 保崎ら共同鑑定

(三) 内沼・関根鑑定

(四) 中安鑑定

2 検察官及び弁護人の意見

(一) 検察官の意見

(二) 弁護人の意見

3 検討

(一) 内沼・関根鑑定と他の精神鑑定との基本的な立場の相違について

(二) 本件一連の犯行における被告人の行動の了解可能性について

(三) 本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等について

(四) 被告人の犯行当時及び現在における精神状態について

(1) 保崎ら共同鑑定について

(2) 中安鑑定について

(3) 内沼・関根鑑定について

(4) 簡易鑑定について

(5) 弁護人の意見について

(6) 結論

4 被告人の刑事責任能力について

(結論)

(法令の適用)

(量刑の理由)

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(認定した事実)

第一  被告人の身上経歴等

一  被告人の身上経歴と家庭環境

被告人は、昭和三七年八月二一日、東京都西多摩郡五日市町小和田〈番地略〉において、有限会社新五日市社(以下「新五日市社」という。)の商号で印刷業を営む傍ら「秋川新聞」の編集発行をしている父Kと、家事及び新五日市社の印刷の仕事を担当していた母Lの長男として出生し、地元の幼稚園、五日市町立○○小学校、同町立○○中学校を経て、昭和五三年四月××大学付属△△高等学校に入学した。被告人は、同高校での成績が不振であったことから、××大学等への進学を断念し、昭和五六年四月※※大学短期大学部画像技術科に入学し、昭和五八年三月同短期大学を卒業した。その後、叔父の紹介で、同年四月から東京都小平市小川町所在の乙野印刷株式会社(以下「乙野印刷」という。)に就職して印刷工として働いたが、稼働意欲に乏しく社内での強調性にも欠けていたことから、昭和六一年二月乙野印刷からの退社を余儀なくされ、同年七月ころ、自動車の運転免許を取得すると、同年九月ころからは、新五日市社において、同社で印刷した新聞の折り込み広告を新聞販売店に配達するなどの仕事に従事するようになった。

被告人は、両親、妹N、同M、父方祖父母らと同居していたが、祖母は脳いっ血で倒れて昭和五六年七月一八日に五日市町所在の社会福祉法人紫水園に入園し、祖父は昭和六三年五月一六日脳いっ血で死亡したため、本件各犯行当時、被告人は両親及び妹と同居して生活していた。被告人の家庭では、祖父母の夫婦仲が悪く、被告人の両親の夫婦仲も悪かった。被告人の父Kは、PTAの会長を勤めるなど社交的な面を有していたが、仕事に打ち込み、帰宅時刻も遅く、妻子に対しては常日ごろ自分の考えを押し付けるなど一方的な態度で接することが多かった。他方、母Lは、被告人が中学生のころから、父Kの女性関係を疑うなどし、これに原因して父Kが母Lに暴力を振るうなど夫婦げんかが絶えず、母Lが被告人に愚痴をこぼすことも多かった。被告人と妹二人は、母屋の北側の渡り廊下で接続した別棟のそれぞれ壁で仕切られた一室ずつを与えられて寝起きしていたが、被告人が高校に入学した以後は、父Kが被告人の部屋を訪れることはほとんどなく、一方、被告人も通学のため朝早く家を出て帰宅も遅くなったりしたことから、父Kと被告人との会話も少なくなっていった。母Lも新五日市社の印刷の仕事が忙しく、被告人宅では家族がそろって食事を共にするなどの家族団らんの機会に乏しかった。

二  被告人の性格等

被告人は、生来両側橈骨尺骨が癒合しており、両手の手のひらを上に向けることができないという障害を有していた。被告人は、幼稚園のころ、両手の障害に気付いて一人思い悩み、他人の目を気にするようになったこともあって、性格は内向的となり、一人で過ごすことを好むようになっていった。小学生のころまでは家庭内で明るい面をみせたりすることもあったが、家庭外では特定の限られた友人とのみ交遊し、小学校内では強調性に欠けるなどの様子が見られた。被告人の内向的な性格は、中学、高校と進学するに従って次第に強まっていき、学校内では目立たない存在で、交友範囲も狭く、大学に進学したころ以降は、特定の友人と交際することはあったが、妹Nを含めた家族とも打ち解けて話しをすることがなくなっていき、乙野印刷に就職した後も、職場に溶け込むことなく、同僚や上司との交流も乏しい状態で、新五日市社で働くようになってからも、同様の状態であった。こうした被告人の内向的、非協調的な性格から、被告人の趣味も、漫画を読んだり、テレビ番組をビデオテープに録画して収集したり、パズルに熱中したりするような一人部屋に閉じこもって楽しむ傾向のものが目立ち、乙野印刷を退社して時間に余裕ができるとビデオテープの収集にのめり込み、新五日市社の仕事にも身が入らなかった。

多面、被告人は、小学校のころまでの間に、近所の畑の芽をむしったり、近所の玄関のガラス窓を石で割ったりして、苦情を招き、猫などの小動物に乱暴をするなどの行動がみられ、新五日市社で働くようになってからも猫や飼い犬をいじめるなどしていた。また、被告人は、自己中心的で周囲への配慮に欠け、他からの干渉を嫌い、乙野印刷で働くようになったころ、母Lが被告人の部屋の整理をしたことに腹を立てて同女を激しい口調で責めたり、乙野印刷で掃除人がワックスがけをしていた際、制止を無視して土足で入り、掃除人に、「ここは俺の席だ。」と食ってかかったりし、新五日市社で働くようになった後は、ささいなことから同社の従業員らに暴言を浴びせたり、家人に乱暴したりし、限られた友人との交遊等においても一方的な態度が目立っていた。

第二  本件一連の犯行に至る経緯

一  被告人の収集癖

被告人は、中学生のころから、ビデオテープの収集を趣味とするようになったが、次第にそれが高じて習癖となり、とりわけ乙野印刷を退職して時間に余裕ができると、ビデオテープの収集を趣味とする者らで構成するビデオサークルクラブに加入するなどしてビデオテープの収集にのめり込む状態となっていた。被告人は、漫画などのテレビ番組を録画して収集することが多かったが、その中には性的興味を売りものとする番組や恐怖映像を扱ったものも含まれており、ビデオレンタル店から少女性愛的なものなどを入手することもあった。また、被告人は、多数の漫画誌や雑誌等をも収集していた。

二  被告人の性的関心

被告人は、両手の障害を原因とする強い劣等感を持っており、自ら女性との交際を求めようとすることは余りなかったが、他方、女性に対する性的関心は強く、中学生のころから、雑誌の水着姿の女性の写真等を見ながら自慰行為をするようになり、その後、前記短期大学在学中の昭和五七年秋ころからは、自らカメラやビデオカメラで、テニスをする女性のパンティが見える姿を撮影したり、さらには少女や幼女らのパンティが見える姿を撮影したりするようになり、これらを見ながら自慰行為をしていたほか、父親の部屋で男女の性交場面がそのまま写っている写真を見付けて自室に持ち込んだりし、後記Aを誘拐する直前の昭和六三年七月には五日市町内のレンタルビデオ店から二回にわたりアダルトビデオを四本借り出していた。

また、被告人は、売春をする女性を嫌っていて性交体験がなかったが、女性の裸体や性器を直接見て知りたいとの強い欲望があり、昭和五九年夏には、民家の庭先で行水をしている女児に近付き、その裸や陰部の写真撮影に成功すると小さい女の子は恥じらいがないからその性器を見たり触ったりすることができるかも知れないと思うようになっていた。

三  自動車の購入

被告人は、新五日市社で働くようになった後の昭和六一年一二月、被告人専用の自動車として、ニッサンラングレー(以下「ラングレー」という。)を購入し、仕事や遊びに使用するようになって、その行動範囲を拡大させたが、ラングレーの後部座席ドア左右及び後部の窓ガラスにこげ茶色のフィルムを張り、外部から車内を見通すことができないようにしていた。

第三  Aの誘拐、殺害及び死体損壊(平成元年九月二九日付け追起訴状記載公訴事実。以下「A事件」という。)

一  犯行に至る経緯

被告人は、前記のとおり、幼女らの性器等を見たりしたいと考え、その機会に恵まれることを望みながら、幼女らを探し求め、ラングレーを乗り回すなどしていたが、昭和六三年八月二二日午後三時過ぎころ、ラングレーを運転して、埼玉県入間市春日町〈番地略〉入間ビレッジに至り、同ビレッジ八号棟に設置された駐車場にラングレーを駐車して降車すると、同ビレッジ七号棟東側まで歩いて行き、更に同ビレッジ内を貫通する市道幹一四号線を通り、七号棟の西側方面に向けて歩いていた際に、同道路に設置されている同市春日町二丁目一四番六〇号先歩道橋を同ビレッジ七号棟側から一人で上りかけているA(昭和五八年一二月一九日生。当時四歳の女子。)を認めた。

Aは、両親、姉、二人の兄と共に入間ビレッジ〈略〉号棟〈略〉号室に居住し、同県狭山市鵜の木所在の幼稚園に在園していたが、同日、幼稚園が夏休みであったことから、兄らと共に入間ビレッジ内のプールで遊んだ後、いったん帰宅して着替えてから、一人で入間ビレッジ四号棟に居住する友人方へ向かう途中であった。

二  罪となるべき事実

1 被告人は、前記のとおり、かねてから、幼女ならその性器を見たり触ったりできるのではないかと思っていたことから、Aの周囲に人の姿が見当たらず、同女が一人だけでいたのを確認すると、同女を誘拐して同女の性器を見たり触ったりしようと決意し、前同日午後三時過ぎころ、前記歩道橋を、同女が上がろうとしている階段とは反対側の階段から上っていって、歩道橋の上で同女に近付くと、同女の面前に腰をかがめ、笑顔で、「お嬢ちゃん、涼しい所に行かないかい。」などと声を掛け、さらに、「今来た方でいいんだよ。行かないかい。」などと同女に付いて来るように促し、先に立って歩道橋を七号棟方向に下り、同女を前記駐車場に駐車したラングレーの所まで誘導し、同車の助手席のドアを開け、同女に、「こっちから、涼しいよ。」などと声を掛けて同女を助手席に誘い入れた。被告人は、運転席に乗り込むと、同日午後三時三〇分過ぎころ、車を発進させ、クーラーとラジオをつけて、ラジオの選局ボタンを指し、同女に、「ボタンに触ってもいいよ。」などと言って同女をあやしながら、国道一六号線、東京都青梅市を経て秋川街道に入り、東京都西多摩郡日の出町、同郡五日市町を通り、小峰峠を越えて東京都八王子市に入り、同日夕刻ころ、同市上川町一四一番地東京電力株式会社新多摩変電所駐車場に至った。被告人は、さらに、同女に対し、「今度は電車に乗ろうね。」などと声を掛けて、同女を車から降ろすと、同所から徒歩で坂沢川に沿って日向峯に続く林道を進み、同林道入口から約一二〇〇メートル離れた東京都西多摩郡五日市町戸倉字日向峯二三一一番ハの山林内まで連れ去り、もって、未成年者である同女を誘拐した。

2 被告人は、Aをラングレーの助手席に乗せて前記日の出町を走行中、同女に顔を見られているところから、同女を解放すれば被告人の犯行であることが発覚してしまうと考え、この上は同女を人目のない場所に誘い込んで殺害するほかないとの気持ちを抱き始め、殺害するのに適当な場所を探しながら、前記第三、二、1記載の山林内に同女を連れ込んだが、同日午後六時三〇分ころ、右山林内において、同女に休もうと声を掛け、並んで右山林の斜面に腰を降ろした際、同女がしくしく泣き出したため、このまま放置すると山林を通り掛かる人がいれば同女の泣き声を聞き付けるかも知れないと思い、この場で同女を殺害しようと決意し、同女の前方に回り込んで両手で同女の頚部をつかむと、そのまま同女をあお向けに押し倒し、その上に覆いかぶさるようにしながら、同女の頚部を両手で力一杯絞め付け、その場で同女を窒息死させて殺害した。

3 被告人は、Aの両親に同女の骨を届けて同女の死を知らせようと考え、平成元年一月中旬ころ、前記第三、二、2記載の殺害現場に赴き、その場に散乱していた同女の頭がい骨等目についた骨を拾って前記五日市町の被告人方に持ち帰り、同年二月上旬ころ、被告人方裏庭において、黒色ビニール袋に入れたAの死体である頭がい骨等を棒でたたいて割り、さらに被告人方前畑内において、右頭がい骨等に油類を掛けるなどして焼き、もって、同女の死体を損壊した。

第四  Bの誘拐及び殺害(平成元年一〇月一九日付け追起訴状記載公訴事実第一の事実。以下「B事件」という。)

一  犯行に至る経緯

被告人は、前記第三、二、1、2のとおりAを誘拐して殺害した翌日、再び殺害現場に赴いて同女の死体の性器をもてあそび、かつ、その様子をビデオカメラで撮影し、自室で右ビデオテープを再生して自慰行為のために用いるなどしていたが、この成功に味を占め、同様の機会に恵まれることを望み、幼女らを探し求め、ラングレーを乗り回すなどしていたところ、昭和六三年一〇月三日午後三時ころ、ラングレーを運転して、埼玉県道飯能・名栗線を同県飯能市街に向かって走行し、同県飯能市大字下赤工四四二番地の二飯能市立原市場小学校付近に至り、同小学校の通用門先の道路脇にラングレーを止め、車内で自宅から持参した缶ジュースを飲んでいたとき、同小学校の前に立っているB(昭和五六年七月二四日生。当時七歳の女子。)を認め、さらに、同女が右道路を飯能市街方面から名栗村方面に向かって歩いてきたのを認めた。

Bは、両親、兄、姉と共に同市大字下赤工〈番地略〉に居住し、同市立原市場小学校一年に在学中であったが、同日午後一時五五分ころ、下校し、同日午後二時一五分ころ帰宅して、その後一人で遊びに出ていた。

二  罪となるべき事実

被告人は、Bの周囲に人の姿が見当たらず、同女が一人だけでいたのを確認すると、同女を誘拐し、人目に付かない場所でその性器をもてあそぶなどしたいと思うと同時に、同女を連れ去る限りは解放するわけにはいかないので、いずれは同女を殺害しようと考えた。

1 被告人は、Bを誘拐しようと企て、前同日午後三時ころ、ラングレーのエンジンを掛けたまま、車から降りて同女に近付いていくと、前記原市場小学校通用門先路上において、同女に対し、「道が分かんなくなったので教えてくれるかい。」などと声を掛け、さらに、「僕が知ってる道の所まで車に乗って教えてくれないか。」などと言って、道案内を頼むかのように装って同女をラングレーの所まで誘導し、助手席のドアを開けて同女を誘い入れた。被告人は、運転席に乗り込むと、同日午後三時過ぎころ、車を発進させ、飯能市大字原市場字柳瀬一七五番地一先で名栗方面に反転して成木街道を青梅市に向かい、ラジオをつけると、選局ボタンを指し、同女に、「押してもいいよ。」などと言って同女をあやしながら、同市から秋川街道を通り、日の出町、五日市町を経て、同日夕刻ころ、前記第三、二、1記載の東京電力株式会社新多摩変電所駐車場に至り、同所にラングレーを駐車させた。被告人は、さらに、同女に対し、「今度は電車に乗ろうね。」などと声を掛けて、同女を車から降ろすと、同所から徒歩で坂沢川に沿って日向峯に続く林道を進み、同林道入口から約一二〇〇メートル入った林道わきから山林を約一二〇メートル南下した東京都西多摩郡五日市町戸倉字日向峯二三一八番の山林内まで連れ去り、もって、未成年者である同女を誘拐した。

2 被告人は、同所で、車内から持参した新聞紙を広げて地面に敷き、同女に「ここで休もう。」と言って、同女と並んで座ったが、同女が、「いつ帰るの。」と言って新聞紙の上にあお向けに寝転んだのを機会に、もう夕刻であり、これ以上時間をおくわけにはいかないから殺すのは今だと決意し、同日午後五時ころ、その場で、いきなり、同女の両足をまたいで覆いかぶさり、同女の頚部を両手でつかんで力一杯絞め付け、その場で同女を窒息死させて殺害した。

第五  Cの誘拐、殺害及び死体遺棄(平成元年一〇月一九日付け追起訴状記載公訴事実第二の事実。以下「C事件」という。)

一  犯行に至る経緯

被告人は、前記第四、二のとおりBを誘拐して殺害した後、その死体の性器をもてあそぶなどしたが、その後、再び同様の機会に恵まれることを望み、幼女らを探し求めて、ラングレーを乗り回すなどしていたところ、昭和六三年一二月九日午後四時三〇分ころ、ラングレーを運転して、埼玉県川越市大字古谷上〈番地略〉川越グリーンパークB一号棟わき(川越市立古谷東小学校校舎西側)に至り、車内で自宅から持参した缶ジュースを飲んでいたとき、車内のバックミラーで、後方約一五メートル付近を同車の方に向かって一人で歩いて来るC(昭和五九年一月一〇日生。当時四歳の女子。)を認めた。

Cは、両親及び妹一人と共に川越グリーンパーク〈略〉号棟〈略〉号室に居住し、同県朝霞市内の幼稚園に在園していたが、同日幼稚園から帰宅した後川越グリーンパーク内の友人宅で遊び、同日午後四時三〇分ころ、右友人宅から自宅へ帰る途中であった。

二  罪となるべき事実

被告人は、Cの周囲に人の姿が見当たらず、同女が一人だけでいたのを確認すると、同女を誘拐し、人目に付かない場所でその性器をもてあそぶなどしたいと思うと同時に、同女を誘拐する限りは解放するわけにはいかないので、いずれは同女を殺害しようと考えた。

1 被告人は、Cを誘拐しようと企て、前同日午後四時三〇分ころ、前記川越グリーンパークB一号棟わきにおいて、ラングレーの運転席ドアを開けて車の外に出ると、同女に近付いていき、ラングレーの後方当たりで、同女に、「あったかい所に寄っていかない。」などと声を掛け、同女をラングレー助手席前に誘導してドアを開け、「手を気を付けてね。」などと話し掛けて助手席に誘い入れた。被告人は、運転席に乗り込むと、同日午後四時三〇分過ぎころ、車を発進させ、同女に、「どこに行ってきたの。」と声を掛けたり、ラジオをつけて、「ラジオをいじってもいいんだよ。」と言うなどして同女をあやし、「一回りして帰ろうね。」などと言いながら、国道一六号線を西進し、同市脇田新町三番四号先脇田新町交差点を直進して同市大字今成五四七番地先今成交差点を左折し、県道川越日高線を西進し、同県入間郡日高町大字台一四番地六先鹿台橋西交差点を直進して国道二九九号線に入り、同町大字久保一〇五番地三先久保交差点を経て正丸峠トンネルを通り、同日午後七時ころ、同郡名栗村大字上名栗字新田一二八九番地一五「埼玉県立名栗少年自然の家」駐車場まで連れ去り、もって、未成年者である同女を誘拐した。

2 被告人は、前同駐車場にラングレーを駐車させた後、車内灯をつけて同女と共に後部座席に移り、自ら上着を脱ぐようなしぐさをしながら、同女に、「おふろに入ろう。」と言って、上着を脱いでみせたところ、同女が自分で着衣を取って全裸となったので、ラングレーのダッシュボードからカメラを取り出し、ストロボを使用して、同女の陰部を中心に写真を撮影していたところ、突然同女が泣き出し、ときどき、「ごほん、ごほん」とせき込みながら次第に泣き声が大きくなってきたため、この上は、この場で同女を殺害しようと決意し、同日午後七時過ぎころ、後部座席でせきをしている同女の前方から、その頚部をいきなり両手でつかんで絞めながら同女をあお向けに押し倒した上、馬乗りになって覆いかぶさり、同女の頚部を両手で力一杯絞め付け、その場で同女を窒息死させて殺害した。

3 被告人は、その後、同女が息を吹き返しては困ると考え、あらかじめ助手席シートの下に置いておいたビニールひもで同女の死体の両手両足を縛った上、同様助手席シートの下に置いておいたガムテープを死体の口に張り付け、シートカバー代わりにしていたシーツで死体を包むとラングレーのトランクに運び入れ、同日午後八時ころ、車を発進させて青梅方面に向かい同駐車場から約五〇〇メートル走行したところ、同郡名栗村大字上名栗字新田一二八九番地二先の道路右側側溝にラングレーの右前輪を脱輪させて走行不能となったところから、同女の死体をその付近の山林に遺棄しようと決意し、同日午後八時ころ、トランクの中から同女の死体を運び出すと、同所から約八メートル離れた雑木林の中に死体をあお向けにして置き去り遺棄した。

第六  Dの誘拐、殺害、死体の損壊及び遺棄(平成元年九月二日付け起訴状記載公訴事実。以下「D事件」という。)

一  犯行に至る経緯

被告人は、平成元年六月六日午後九時ころから、ラングレーを運転し、新五日市社で印刷した新聞折り込み広告を東京都西多摩郡五日市町等の新聞販売店五か所に配達した後、午後からは仕事を休んで友人とドライブしようと考え、五日市町内等の友人宅に出掛けたが、友人らはいずれも不在の様子であった。そこで、被告人は、東京都秋川市内の電気店に寄った後、これまでに何回か東京都江東区有明二丁目五番一号所在の都立有明テニスの森公園内テニス場でテニスをしている女性を写真撮影したり、同年五月に同公園近くの同区東雲二丁目四番所在の都営東雲二丁目アパート内の同区立東雲小学校の校庭で小学校の女児らをビデオ撮影したことがあったことから、同公園へ行ってテニスをしている女性のパンティが見える姿を写真撮影したり、同アパート付近に行って幼女らのパンティが見える姿を写真撮影しようと思い付き、同日午後一時ころ、秋川市内を出発し、青梅街道、新宿通り、晴海通りを経て、同日午後五時ころ、東京都江東区東雲二丁目付近に至った。被告人は、同所付近を走行中、東雲小学校に隣接する都営東雲二丁目アパート群が視野に入った際、東雲小学校周辺で幼女らのパンティが見える姿を撮影するか、うまくいけば、一人で遊んでいる幼女らを車で誘拐し、人目に付かない所で殺害して、その性器をもてあそんで写真撮影することができるかも知れないなどと考え、前記都立有明テニスの森公園に行くのを中止し、都営東雲二丁目アパートと東雲小学校との間の道路にラングレーを乗入れた。そして、同アパート周辺の道路を走行して、逃走する際に必要な道路状況をは握した上、東雲小学校東側の道路わきにラングレーを止め、自宅から持参した缶ジュースを飲み、気持ちを落ち着かせるなどした後、同アパート四号棟東側階段下にラングレーを移動して駐車し、カメラを持って車から降り、一人で遊んでいる幼女らを探しながら、同アパート四号棟西側にある江東区立東雲公園まで歩いて行き、同公園内のベンチに腰を掛けて引き続き幼女らを探していたところ、同日午後六時ころ、一人で同公園東側入口付近で遊んでいたD(昭和五八年六月二一日生。当時五歳の女子。)を認めた。

Dは、両親及び弟と共に同区東雲〈番地略〉都営アパート〈略〉号棟〈略〉号室に居住し、同都営アパート四号棟一階にある同区立東雲第二保育園に在園中であったが、同日午後五時少し前ころ帰宅した後、友人宅へ遊びに行くといって外出し、同保育園近く等で一人で遊んでいた。

二  罪となるべき事実

被告人は、Dの周囲に人の姿が見当たらず、同女が一人だけでいたのを確認すると、同女を誘拐して殺害しようと決意し、

1 同女の後を追って、同アパート四号棟の通路に入り、物陰から、同棟一階の東雲第二保育園入口付近にいた同女の様子をうかがい、他の女性がDに話し掛けたりするのを見守っていたが、その女性も立ち去ってDが一人になったのを確認した上、同日午後六時過ぎころ、同女に近付き、同保育園入口付近において、同女に対し、「写真を撮らせてね。」などと声を掛け、その場で手にしていたカメラで同女の写真を撮影するなどした後、さらに、「向こうで撮ろうね。」などと言って、同女を同アパート四号棟東側階段から同棟外周の歩道に連れ出し、前記場所に駐車しておいたラングレーの所まで誘導し、「今度は車の中で撮ろうね。」と言って同車助手席内に誘い込み、運転席に乗り込むと、直ちに車を発進させ、同区東雲二丁目四番一号東雲臨時駐車場を経て、同女を車に乗せた場所から約八〇〇メートル離れた同区東雲二丁目四番東京都住宅供給公社東雲都橋住宅一号棟南側プレハブ倉庫前路上まで連れ去り、もって、未成年者である同女を誘拐した。

2 被告人は、前記第六、二、1記載のプレハブ倉庫前路上にラングレーを駐車させ、同女に対し、「靴を脱げば後ろに行ってもいいんだよ。」などと声を掛け、同女と共に後部座席に移動し、周囲に気を配りつつ、同女に、「毎日お父さんに車に乗せてもらうの。」などと話し掛けるなどした後、同日午後六時二〇分ころ、その場で同女を殺害しようと決意し、指紋が付かないように、あらかじめ助手席シートの下に置いておいたビニール手袋を両手にはめ、後部座席にあお向けに寝転んだ同女の上に覆いかぶさり、同女の頚部を両手で力一杯絞め付け、その場で同女を窒息死させて殺害した。

3 被告人は、Dが息を吹き返しては困ると考え、あらかじめ助手席の下に置いておいたガムテープを取り出して同女の死体の口に張り付け、同様助手席シートの下に置いておいたビニールひもで同女の死体の両手首を後ろ手に縛り、シートカバー代わりにしていたシーツで死体を包んでラングレーのトランクに入れると、来た道を戻って、同日午後九時ころ、帰宅し、同日午後一一時ころ、死体をトランクから取り出して自室へ運び入れたが、同月八日、死体からの臭気が強くなり始めたため、死体を遺棄しようと考えるに至り、当時埼玉県下で敢行したAらに対する幼女連続誘拐殺害等の事件についての捜査が被告人の身近に及んでおらず、マスコミが極めて残酷な犯人であると報道していたところから、Dの死体の頭部、両手首、両足首をバラバラに切断して、身元が判明しにくい胴体の部分を埼玉県下の人目に付きやすい場所に捨てることにし、その犯人もAらに対する幼女連続誘拐殺害等事件と同じで埼玉県下に居住する者の仕業だと思わせて、警察の目を県内に向けさせるため、同日午後一一時過ぎころ、被告人方居室において、死体であるDの頭部、両手部及び両足部をのこぎり等で切断して損壊した上、同月一〇日午後零時ころ、埼玉県飯能市大字宮沢字高根沢一七〇番一の一宮沢湖霊園内の簡易便所北側に右胴体部を、同日午後零時ころ、東京都西多摩郡五日市町小和田字御嶽山五二七番のイの杉林内に右頭部、両手部及び両足部をそれぞれ投棄し、もって、同女の死体を損壊して、遺棄した。

第七  Eのわいせつ目的誘拐、強制わいせつ(平成元年八月七日付け起訴状記載公訴事実。以下「E事件」という。)

一  犯行に至る経緯

被告人は、平成元年七月二三日、ラングレーを運転して東京都世田谷区北烏山五丁目一八番一五号所在の朝日生命久我山総合運動場に赴き、同日午前中から午後三時ころまでの間、同運動場で開催された関東ジュニアテニス選手権大会でプレー中の女性選手のパンティの見える姿等をビデオカメラ等で撮影した。その後、被告人は、同日午後四時三〇分ころ、東京都八王子市美山町二四九番地菱美産業株式会社事務所前を、ラングレーで通り掛かった際、同所の手洗い場で手足を洗っているE(昭和五七年九月四日生。当時六歳。小学一年生。)及びその姉I(昭和五五年三月一七日生。当時九歳。小学四年生。)姉妹の姿を認め、周囲に人の姿が見当たらないのを確かめると、同事務所近くに車を止め、カメラを首から下げ、黄色のサマージャンパーを手に持ち、にこにこしながら同女らに近付き、「おじさんカメラマンだけれど、写真を撮らせてくれない。」、「バケツに足を突っ込んで撮らせてね。」、「今度しゃがんでくれる。」などと声を掛けた上、同女らにバケツの中で腰をかがませ、スカートの奥の太ももやパンティが見える姿勢を取らせて、数枚の写真を撮影した。被告人は、同女らに、「おじさんて、かっこいいおじさんでしょう。」、「おじさん、おもしろいでしょう。」などと言い、さらに、「どこかほかの所へ行って写真を撮ろう。公園の奥の方へ行ってみよう。」などと声を掛け、同女らを同所から、日枝児童遊園を経て山込川上流方向に約一二〇メートルの地点まで連れ歩いて川原に降りる適当な場所を探したが、適当な場所が見当たらなかったことから、いったん、前記菱美産業株式会社事務所付近まで戻った。

二  罪となるべき事実

被告人は、前記菱美産業株式会社事務所前の道路の向こう側に橋のてすりのようなものが見えたことから、同所付近が沢になっているのではないかと思い、沢に下りて妹のEの全裸の写真を撮影し、自己の性的欲望を満たす目的で、同女を誘拐しようと企て、同事務所付近で、姉のIに対して、「お嬢ちゃんはここに残って。」などと声を掛けて同女をその場に残し、妹のEに「川の方へ行ってみよう。」などと言葉巧みに申し向けて、同女を誘い、同女を連れて、同事務所前の道路から水路に下り、「水や泥のある所は平気。おぶってやろうか。」などと言って同女を背負うなどして、同女を約五〇メートル離れた同町二六一番地先付近の菱鉱建材株式会社第三石場排水路まで連れ去り、もって、同女をわいせつ目的で誘拐した上、同日午後四時三五分ころ、周囲に木が茂り見通しの悪い同所の水が流れていない川床において、同女が一三歳未満であることを知りながら、同女に対し、「裸になってね。」などと申し向け、その着用していたワンピースを手でたくし上げて脱がせるなどして同女を全裸にした上、所携のカメラを構え、「足で石を蹴りなさい。」などと言って、同女に殊更左足を上げさせるなどの姿勢をとらせて、一三歳未満の婦女に対しわいせつの行為をした。

(証拠の標目)

凡例 「員面」 司法警察員に対する供述調書

「検面」 検察官に対する供述調書

「検証調書(平3・3・26)」 平成三年三月二六日付け検証調書

「員面(63・12・24)」 昭和六三年一二月二四日付け員面(年の記載のないものはいずれも平成元年である。)

証拠の標目の末尾に「甲1」「乙1」「物1」等とあるのは、それぞれ証拠等関係カード中の検察官請求証拠番号を指し、「書①」等とあるのは、本件訴訟記録中の書証綴りの冊数(「書①」は書証綴り第一冊)を指す。

〈以下省略〉

(争点及びこれに対する当裁判所の判断)

第一  争点

一  被告人は、捜査段階において、本件各犯行を自白し、犯行に至る経緯、犯行動機及び犯意、犯行態様、犯行後の行動につき、その時々の細かな心理状態をも織り交ぜながら、具体的かつ詳細に供述しているが、公判段階に至り、捜査段階の供述は警察の威圧的な取調べにやむなく合わせただけで自ら進んで述べたものではないなどと言い、A事件、B事件、C事件及びD事件につき、いずれも誘拐の犯意及び殺意を否認し、「独りぼっちの子と出会って波長が合い、共感を抱いて、自分の手に気付いていない悩みのない甘い世界に入った。幼い自分になって、感覚的にテレビの世界に入ったような気持ちになった。そこにドライブという筋書のない物語があって、私が主人公の運転手で、その子が同じ意思を持った親切なわき役。声を掛け、車まで歩いて行った。子供のころ、川遊び客からすいかやジュースを盗んだときの懐かしいスリルな感じ。かくれんぼう気分もある。一緒にドライブをした。その後、その子がぐずり出し、裏切られ、おっかなくなって、私を襲わせないでと強く求めたけれど、どんどんおっかなくなって、あと分からない。ねずみのような顔をした者に取り囲まれた。」などと述べ、Dの死体の両手部及び両足部の投棄を否認し、「両手部は私が裏庭で焼いて食べた。」などと述べ、また、E事件につき、わいせつ目的誘拐の犯意を否認し、「私は、自己の性的欲望を満たす目的で誘拐しようと企てたことはないし、わいせつ目的で誘拐したこともない。裸になってねと言ったことはない。」と述べた上、本件各犯行につき、「全体を通して言えることは、私はさめない夢を見てその夢の中でやったような感じがしています。」と述べている。

そして、弁護人も、被告人の右供述を前提に、A事件、B事件、C事件およびD事件につき、いずれも誘拐の犯意及び殺意を争い、Dの死体の両手部及び両足部の投棄を争い、E事件につき、わいせつ目的誘拐の犯意を争った上、本件各犯行当時、被告人は、高校時代(どんなにおそく見積っても乙野印刷退職前)に発病した精神分裂病(単純型)にり患しており、事物に対する弁識能力は相当程度に存していたが、その弁別に従って行動する(あるいは行動を抑止する)能力を全く失っていたか、あるいはその弁識したところに従って行動する能力において、通常人に比して著しく減退した状態であったから、心神喪失ないし心神耗弱である旨主張している。

二  これに対し、検察官は、被告人の捜査段階における供述の信用性は極めて高く、これに反する被告人の公判段階における供述は到底信用できないとし、被告人の捜査段階における供述を前提とした上、被告人には本件各誘拐、殺人等の犯意が認められるし、本件各犯行の動機及び行為は、被告人に固有の人格に基づく人格相応のものとして了解できるものであり、本件各犯行時、被告人には、思考障害、感情障害、人格の荒廃は認められず、規範意識が保持されていたことも明らかであって、被告人は、行為の是非善悪を弁識し、その弁識に従って行動する能力を有していたから、被告人には完全責任能力があった旨主張する。

三  右のとおり、本件の主たる争点は、第一に、被告人の捜査段階における供述と公判段階における供述の信用性であり、被告人の本件各誘拐の犯意や殺意の有無等を含め、捜査段階における供述と公判段階における供述のいずれが被告人の本件各犯行時の体験に近いものとして述べたものであるのかということであり、第二に、被告人の本件各犯行当時における精神状態はどのようなものであったのか、そして、被告人の刑事責任能力をどのように判定するかということである。

第二  当裁判所の判断

一  本件捜査及び審理の経過(概要)

1 本件捜査の経過(概要)

関係各証拠によれば、本件捜査の経過(概要)は次のとおりであることが認められる。

(一) 平成元年七月二三日、被告人はEに対する強制わいせつの事実で現行犯人として逮捕され、警視庁八王子警察署留置場に留置されて取調べを受け、E事件を認め、同年八月七日、同事件により東京地方裁判所八王子支部に起訴された。

(二) 同月九日、被告人は、警視庁八王子警察署において警視庁深川警察署派遣警視庁刑事部捜査第一課警部補Yの取調べを受け、Dの殺害を自供し、同月一〇日、引き当たり捜査の結果、被告人の自供どおり、東京都西多摩郡奥多摩町梅沢字石神一九八番一の杉林内から下顎骨のないDの頭がい骨が発見されたことから、同月一一日、D事件で通常逮捕され、警視庁深川警察署留置場に留置されてY警部補らの取調べを受け、同年九月二日、D事件により東京地方裁判所に起訴された。

(三) 被告人は、右のとおりD事件で逮捕され、警視庁深川警察署においてY警部補の取調べを受けた際、同年八月一三日、A及びCの殺害を自供し、同月一五日にはBの殺害を自供した。同年九月六日、被告人がBを殺害した場所として捜査官を案内した東京都西多摩郡五日市町戸倉字日向峯二三一八番の山林内からBの遺骨及び衣類が発見された。

(四) 被告人は、同月八日、A事件で通常逮捕され、埼玉県警察狭山警察署留置場に留置されて、同警察署派遣同県警察本部刑事部捜査第一課Z警部らの取調べを受け、同月一三日、被告人がAを殺害した場所として案内した東京都西多摩郡五日市町戸倉字日向峯二三一八番の山林内からAの骨等が発見され、同月二九日、A事件により東京地方裁判所に起訴された。

(五) 被告人は、同月二九日、B事件及びC事件で通常逮捕され、引き続き狭山警察署留置場に留置されて取調べを受け、同年一〇月一九日、B事件及びC事件により東京地方裁判所に起訴された。

(六) 同年九月二日のD事件による起訴に先立ち、同年八月二四日、医師徳井達司による被告人の精神衛生診断(簡易鑑定)が実施されたが、診断結果は、「精神分裂病の可能性は全く否定はできないが、現在の段階では人格障害の範囲と思われる。」というものである。

2 本件審理の経過(概要)

(一) 平成二年三月三〇日の第一回公判期日において、被告人及び弁護人は、A事件、B事件、C事件及びD事件につきいずれも誘拐の犯意、殺意等を争い、E事件につき誘拐の犯意、わいせつ目的等を争い、弁護人は、被告人の犯行時の心理状態及び精神状態と責任能力が重要な問題になる旨主張した。

(二) 当裁判所は、その後、検察官請求書証及び証拠物の取調べ並びに捜査官らの証人尋問等を実施したが、平成二年一一月二八日の第九回公判期日において検察官及び弁護人双方請求の被告人の精神鑑定を採用し、同年一二月二〇日、鑑定人として慶応義塾大学医学部教授保崎秀夫、同助教授浅井昌弘、同講師仲村禎夫、東京都立大学人文学部助教授馬場礼子、東京都精神医学総合研究所副参事皆川邦直、慶應義塾大学医学部助手作田勉を選任の上、被告人の本件各犯行時及び現在における精神状態について鑑定を命じた。平成四年三月三一日付けで右鑑定人六名連名の「甲山春夫精神鑑定書」と題する書面が提出され、当裁判所は、同年四月二七日の第一〇回公判期日において同鑑定書を証拠として採用するとともに、第一〇回ないし第一二回公判期日において保崎鑑定人の証人尋問を、第一三回公判期日において馬場鑑定人の証人尋問を実施した。右保崎鑑定人らの鑑定結果の骨子は、被告人は本件各犯行当時極端な性格的偏り(人格障害)はあるが精神病様状態にはなく、物事の善し悪しを判断しその判断に従って行動する能力は保たれていたというものである。

(三) 当裁判所は、第一五回ないし第一九回公判期日において被告人質問を実施し、平成四年一二月一一日、弁護人請求の被告人の精神鑑定を採用し、同月一八日、鑑定人として帝京大学文学部教授医師内沼幸雄、東京大学医学部助教授医師関根義夫、同中安信夫を選任の上、被告人の本件各犯行時及び現在における精神状態について鑑定を命じた。平成六年一一月二二日、内沼及び関根両鑑定人連名の「被告人甲山春夫精神鑑定書」と題する書面が、同年一二月一九日、「中安信夫鑑定人の意見」と題する書面が提出され、当裁判所は、平成七年二月二日の第二〇回公判期日において右各鑑定書を証拠として採用するとともに、第二一回ないし第二五回公判期日において内沼鑑定人の証人尋問を、第二六回ないし第二八回公判期日において中安鑑定人の証人尋問を実施した。内沼及び関根両鑑定人の右鑑定結果の骨子は、被告人は本件各犯行当時反応性精神病状態にあり、善悪是非の弁識能力もその弁識に従って行為する能力も若干減弱していた(心神耗弱に相当する。)というのであり、中安鑑定人の右鑑定結果の骨子は、被告人は本件各犯行時精神分裂病(破瓜型)にり患しており、是非善悪の弁識能力はほとんど完全に保たれていたが行為に対する制御能力の一半に欠けるところがある(広く心神耗弱に相当するが、免責される部分は少ない。)というものである。

(四) 当裁判所は、前記各鑑定書及び鑑定人の証人尋問の結果を踏まえ、第二九回ないし第三一回公判期日において、被告人の取調警察官であったYおよびZ並びに当初E事件につき東京地方裁判所八王子支部において被告人の国選弁護人として選任されていたa弁護士の各証人尋問を実施し、第三二回及び第三三回各公判期日において再度保崎鑑定人の証人尋問を、第三四回公判期日において関根鑑定人の証人尋問を実施し、平成八年七月一七日の第三五回公判期日において被告人質問を実施するなどしてほぼ証拠調べを終えた(第三六回公判期日において検察官の論告求刑が行われ、第三七回公判期日において弁護人の最終弁論が行われた。)。

二  客観的な証拠等によって裏付けられる事実

そこで、ひとまず、被告人の捜査官に対する供述を離れ、客観的な証拠等(前記各精神鑑定の過程において鑑定人らが収集した関係者の供述等は除く。)によって裏付けられる事実を概観すると、次のとおりである。

1 被告人の生育歴等

(一) 被告人の身上経歴、家族関係

(1) 被告人は、昭和三七年八月二一日、東京都西多摩郡五日市町小和田〈番地略〉の自宅において新五日市社の商号で印刷業を営む傍ら「秋川新聞」の編集発行をしている父K(当時三二歳)と、家事及び新五日市社の印刷の仕事を担当していた母L(当時二八歳)の長男として出生し、地元の幼稚園、小中学校(○○小学校、○○中学校)を経て、昭和五三年四月、××大学付属△△高等学校に入学し、昭和五六年三月に同校を卒業後、同年四月に※※大学短期大学部画像技術科に入学し、昭和五八年三月に同短期大学を卒業した。その後、叔父の紹介で、同年四月から東京都小平市小川町所在の乙野印刷に就職して印刷工として働いたが、昭和六一年二月に同社を退社し、同年七月ころ自動車の運転免許を取得すると、同年九月ころからは、新五日市社において、同社で印刷した新聞の折り込み広告を新聞販売店に配達するなどの仕事をするようになり、同年一二月には被告人専用の自動車としてラングレーを購入し、仕事及び遊びに使用するようになった。

(2) 被告人の出生時は、両親、父方祖父母及び叔父叔母らが同居していたが、その後、叔父叔母らが独立する一方、昭和四〇年三月九日に妹Nが、昭和四五年五月二〇日に妹Mが出生した。また、祖母ハナは昭和五五年ころ脳いっ血で倒れ、自宅療養を経た後、昭和五六年七月一八日に五日市町所在の社会福祉法人紫水園に入園し、祖父太郎は昭和六三年五月一一日脳いっ血で倒れ、同月一六日に九〇歳で病死した。なお、被告人の出生時、被告人の子守りや雑用をさせるため精神遅滞のある男性が雇われ、昭和五七年ころに退職するまで被告人方に住み込んでいた。

(3) 被告人は、小学校高学年ころから、母屋の北側に渡り廊下で接続した別棟で寝起きするようになり、本件各犯行当時、被告人の両親は母屋で寝起きし、被告人と妹二人は、右別棟のそれぞれ壁で仕切られた一室ずつを与えられて寝起きしていた。

(4) 被告人の家庭では、祖父母の夫婦仲が悪く、被告人の両親も夫婦仲が悪かった。被告人の父Kは、PTAの会長を務めるなど社交的な面を有していたが、仕事に打ち込み、帰宅時刻も遅く、妻子に対しては常日ごろ自分の考えを押し付けるなど一方的な態度で接することが多かった。他方、母Lは、被告人が中学生のころから、父Kの女性関係を疑うなどし、これに原因して父Kが母Lに暴力を振るうなど夫婦げんかが絶えず、母Lが被告人に愚痴をこぼすことも多かった。また、父Kは、被告人が高校に入るまでは受験勉強に気を遣うなどして被告人との会話もあったものの、被告人が高校に入学した以後は、被告人の部屋を訪れることもほとんどなく、一方、被告人も通学のため朝早く家を出て帰宅も遅くなったりしたことから、父Kと被告人との会話も少なくなっていった。母Lも新五日市社の印刷の仕事が忙しく、被告人宅では家族がそろって食事を共にするなど家族団らんの機会に乏しかった。

(二) 被告人の身体障害

(1) 被告人は、生来両側橈骨尺骨部が癒合しており、前腕での回内・回外ができず、肩関節、手関節の動きで代償しているが、左側が橈尺骨の交差が強く、左六〇度回内、右三〇度回内しかできない。

(2) 両親は、被告人の手の障害に気付き、被告人が四歳のとき、医師の診察を受けさせたが、普通生活に支障はなく、手術をして治しても再び癒合してしまうなどと言われてそのままにした。

(3) 被告人は、本件各犯行に至るまでの間において、表立って両親に対し手の障害についての悩みを訴えるなどしたことはなかった。

(4) 新五日市社の印刷工場の工場長として勤務し、幼少時から被告人と接していたSは、被告人が三、四歳のころ、母Lから被告人の手の障害を教えられていたが、日常生活では被告人の手の障害が目に入らず、被告人の本件各犯行に関し新聞が被告人の手の障害を報じるまで忘れていたもので、被告人が小さいころ手の障害を理由にいじめられたとか学校に行くのを嫌がったとかいうことを聞いたことがなかった。

(5) 近所で菓子屋を営むTは、品物や代金の授受の際、被告人の手の動きがなんとなくぎこちなかったことに気付いていたが、幾分動作が鈍い程度という印象であり、隣家のUは被告人の手の障害に気付いておらず、手の障害が近所のうわさになったことはないようである。

(6) 小中学校の同窓生で、比較的被告人と交友関係のあったQは、小学生のころは被告人の手の障害に気付いておらず、中学一年の時に被告人のスプーンの持ち方が変だったことから被告人に聞いて教えられた。なお、Qは小学生のころも、他の友達も被告人の手の障害に気付いていない様子であったし、中学一年のころも、クラスのほとんどの者は被告人の手の障害を知らなかったと思うし、そのことを言う者もいなかった旨述べている(〈証拠略〉)。

(7) ○○小学校で第四学年から第六学年まで被告人を担任した教諭は、被告人の手の障害には気付いていたが、そのことで被告人がいじめられたことは聞いたことがなかった。

(8) ××大学付属△△高等学校の第一学年及び第三学年の各担任教諭は被告人の手の障害に気付いていなかった。

(9) 大学時代の親しい友人であるPも被告人の手の障害には気付いていなかった。

(三) 被告人の学業及び職業意欲

(1) 被告人は、小学生のころは、算数でよい成績を上げることがあったものの、他の教科は総じて平均的ないしやや振るわないことが多く、中学生のころは、英語、数学などよい成績を上げ、受験勉強に努力して××大学付属△△高等学校に合格した。しかし、高校の通学に長時間を要し、帰宅後は疲労から寝ていることも多く、一年生のころから成績が振るわなくなり、そのため××大学への進学をあきらめ、将来家業を継ぐことを前提に父親が探した※※大学短期大学部画像技術科に推薦入学したが、大学における専門技術の習得も不十分であった。

(2) 大学卒業後就職した乙野印刷においても印刷技術の習得の意欲や仕事に対する熱意は乏しく、結局退職に追い込まれ、退職後も自室にこもってテレビのビデオ録画等に夢中になるなどすぐには家業を手伝おうとせず、新五日市社の工場に出るようになって以後も仕事に対する熱意は乏しく、工場を抜け出して自室でのテレビのビデオ録画等に時間を割いたり、無断でラングレーで外出したりしていた。

2 被告人の家庭内での態度、交友関係、対人関係等

(一) 家庭内での態度

(1) 被告人は、無口で、幼少時から、家で一人でこつこつとやるのを好んでいたが、小学生のころまでは、ひょうきんな面を見せたり、それなりにはしゃいだり、自分の作った物を家人に見せたり、面白いテレビ番組があると家人に声を掛けて一緒に楽しもうとしたりすることもあり、妹Nを連れて外に遊びに出掛けたりすることもあった。

(2) 中学生のころは、妹Nの勉強をよく見たりすることもあり、高校生のころも、Nとの会話も普通にあったが、大学に進学したころから、Nとも会話が少なくなり、家族と打ち解けて話をすることもなくなっていった。妹Mとはもともと会話が余りなかった。もっとも、両親が夫婦げんかをしたときには、母Lの話を聞くという一面もあった。

(3) パズルやクイズに熱中すると部屋にこもりきりになり、他のことに興味を示さない極端な態度が見られ、けんかをしたときに相手の言い分を絶対に受け入れないようなところがあって、大学に進学したころからその傾向が強くなった。

(4) 社交性に乏しく、自宅に電話がかかってきても出ようとせず、来客があっても応対に出ようとしなかった。

(5) 食べ物の好き嫌いが多く、母Lに文句を言う一方で、他の家族のことを考えず、冷蔵庫の中のものを食べてしまうことがあった。

(6) 長ずるに及んで、後述のように家人に対し暴力を振るうようにもなった。

(二) 交友関係等

(1) 被告人は、幼少時、家の中で一人で遊ぶことが多く、幼稚園でも、他の園児らの中に入らず一人でいることが多かったが、小学生のころまでは、いとこらがくると先頭になってみんなを案内したり、自宅近所の女の子を含む遊び友だちと野外で活発に遊ぶこともあり、遊び友達には無口で陰気との印象を与えてはいなかったようであるが、交友相手は特定の友人に限られるなど交友範囲は狭かった。

(2) 被告人の小学生時の学校生活については、○○小学校の児童指導要録の所見欄には、第一学年は、「おとなしく、余り大勢の友達と遊ばない。時々、ひとりで思いがけないいたずらをする。」、第二学年は、「給食のおかずは、よく残す。友だちもふえ、よく遊ぶようになったが、室内での遊びが多い。」、第三学年は、「明るくほがらかである。多勢の友だちと遊ぶことはなく、いつも二、三人で遊ぶことが多い。」、第四学年は、「話をおわりまで注意深く聞かずに失敗することが多い。一対一のときは、よく手伝いをするが、グループ間では、やや協力性に欠ける。」、第五学年は、「まだ、よく聞いて行動できない。明るい性格であるが、みんなの前でははきはきできないところがある。」、第六学年は、「明るく、ほがらかな性格になり、友だちが増えた。はずかしがりやなため、礼儀に欠ける。自分の考えをはっきり言えない。ときどき、みんなのやることと、ちがうことをやることがある。」と記載されている。そして、第四学年から第六学年までを通じて被告人を担任した教諭は、右所見中の「明るい性格」との記載は、積極的に楽しそうにはしゃぐということではなく、それまでに比べて周りの者と話をするようになったということであり、「みんなのやることとちがうことをやることがある。」との記載は、例えば、みんなで写真を撮るというときに、よく聞いていなくて一人よそ見をしていたということで、要領が悪いという意味である旨説明し、被告人につき、マイペースでおとなしい児童であり、笑顔もあって全く暗い児童ではないが、あいさつがはっきりせず、喜怒哀楽を余り外に出さず、間違ったことをして諭されるときちんと応答せず、顔でちょっと笑って過ごし、友だち付き合いが上手でなく、グループの中でうまく付き合っていけない印象があり、卒業後友人関係ができていくか心配なところがあったと述べている(〈証拠略〉)。

(3) 被告人は、中学生のころも、交友相手は特定の者に限られ、交友範囲は狭かった。被告人の中学生時の学校生活については、○○中学校の生徒指導要録の所見欄には、第一学年及び第二学年は、「おとなしく目立たない。漫画のシリーズものや漫画新聞を創作するなど地味な活動家」と記載され、第三学年は、「相変わらず無口で人と話し合うことも少ない。好きなことはよくやるが、嫌いなことには手をつけない極端な性格がある。」と記載されている。

(4) 高校生のころも被告人の交友範囲は狭く、学校生活については、××大学付属△△高等学校の生徒指導要録の所見欄には、第一学年ないし第三学年を通して、「特記事項なし。」と記載されている。被告人に対する各学年の担任教諭の印象は、目立たない生徒であるという点で共通しており、第一学年の担任教諭は、クラブ活動に参加せず、内気でおとなしく、あいさつをせず、可もなく不可もなく、目立ったところも悪いところもなく、親しい友人もいなかったし、二学期に成績が下がったのでこのままでは××大学に入れないと告げたところ、感情を表さず、ただ分かりましたと答えるだけで、三学期には進路について意思表示ができなかった旨述べ(〈証拠略〉)、第二学年の担任教諭は、サークル活動に参加せず、授業を終えればすぐ帰宅し、可も不可もない性格で、そんな生徒がいたなという感じである旨述べ(〈証拠略〉)、第三学年の担任教諭は、印象が薄く、目立たず、無口でおとなしく、クラスの中で孤立しており、友達が少なく、自分の考えをはっきり言葉に出して言わないが、取り立てて奇妙というわけではなく、特に暗いとか陰気との印象はなく、精神的な異常も感じなかった旨述べる(〈証拠略〉)。

(5) 大学生のころは、同じ画像技術科の学生であるPとお互いの家を行き来するなど親しく交際し、トランポリンをしたり、他の友人を交えて映画を見に行ったりし、二年生のころには、同人と一緒に著名カメラマンを囲むNHKの視聴者参加の番組に参加したり、また、同人と一緒に、東京都三鷹市所在の井の頭公園で知り合った女子高校生との交際を試みるなどしたことがあったが、気に入らない相手には近付かず、自分の思っていることを完全に相手に話すことができず、友人らと遊んでいるときに溶け込めない様子であった。

(6) 乙野印刷に勤務中は、同社社員のうち、漫画などを見せ合って話をする相手が一人あったほかは親しく交際する者はいなかった。

(7) 乙野印刷を退職して家業である新五日市社の仕事をするようになった後、車の運転免許を取ったと言って小中学校の同窓生であったQを訪ねて行って同人との交際が復活し、そのころ同人を通じて知り合ったRとも交際するようになり、同人らと一緒にトランプをしたり、ドライブをしたりした。もっとも、Qらとの交際の中では被告人の一方的な態度が目立ち、被告人の方からQらを強引に遊びに誘う一方で、Qらから誘われたときは自分の都合で断ったり、Qから食事などをおごってもらう一方で、被告人の方からは食事などをおごろうとはしなかったり、被告人がQからビデオデッキを買った際、最初代金の一部しか支払わないままビデオデッキを持っていってQを怒らせたり、トランプをしていても自分さえ勝てばいいというような態度が見受けられたりした。また、Qらと交際していても、これといった会話があるわけではなく、自分から積極的に腹を割って話そうとすることはなかった。ただ、被告人は、海外旅行のパンフレットを所持しており、金がたまったら行きたいとの希望をQに話していたことなどがあるようである。

(8) また、新五日市社の仕事をするようになった後、Pとの交際も復活し、一緒にコミックマーケットに行ったり、テニスの試合を見に行ったり、ドライブをしたりし、平成元年ころ、被告人がコミックマーケットで自ら編集した「アイドルスターCM集602」と題するパンフレットを販売した際、Pにその手伝いを頼み、報酬を渡したこともあった。

(9) 被告人は、中学二年生のころ、同級生の女子にハートを描いたはがきを出したことがあり、大学生のころには同じ学科の女子学生と通常の会話もしており、前述のとおりPと一緒に女子高校生との交際を試みるなどしたこともあるが、全般的に女性との交流は乏しく、被告人が特定の女性と交際していた形跡はうかがわれない。

(三) 対人関係

(1) 被告人は、幼少時から隣人らと日常のあいさつが満足にできず、長じても同じ有様であった。

(2) 乙野印刷に勤務中、職場に溶け込むことなく、同僚や上司との交流は乏しい一方で、上司から勤務態度について注意された際、頭にきたような態度で怒りを顔に表したことが何度かあったり、掃除人がワックスがけをしていた際、制止を無視して土足で入り、掃除人に「ここは俺の席だ。」と言って食って掛かったりしたことがあった。

(3) 新五日市社で働くようになってからも、工場長のSやパート従業員らにあいさつをすることもなく、会話も乏しく、一人で行動する一方で、昭和六一年一二月ころ、新五日市社で年賀状の整理をしていて、Sから整理の仕方について文句を言われ、大変な剣幕で同人に食って掛かったり、そのころ、同人と向かい合って作業をしていた際、同人が空せきを繰り返すと、「さっきからなにをやってんだよ。」などと声を荒げたり、昭和六三年初めころ、ひよどりの毛をむしってSやパート従業員のVに、「食えるかな。」と聞き、Sから食えないと言われた後、SとVがちょっと気味が悪いねと話しているのを聞きつけて、「俺のことを言っているだろう。」と怒鳴ったり、工場内でVと偶然に目が合ったとき、「なんだよ。」と怒鳴ったりし、また、被告人が初心者マークを付けて運転していたころ、自宅前でラングレーを溝に脱輪させ、父親らがこれを引き上げたとき、見ていた新五日市社の手伝いの老人に、「見ているやつは向こうへ行っちまえ。」と怒鳴ったりするなど短気な面が見られた。

(4) 昭和六二年八月ころ、ラングレーに乗車中故障し、けん引を依頼した財団法人日本自動車連盟の車にけん引され運転している際、同けん引車に追突する事故を起こし、当初は被告人が全額損害を賠償する旨の念書を作成したが、その後、右自動車連盟の代表者宛に、事故の責任は全面的に同連盟にあるとし、部下にどのような指導をしているのかなどと責める内容のかなり長文の手紙を出すなどした。

(5) 昭和六三年一二月、そのころ被告人が加入していたビデオテープの収集を趣味とする者らで構成するビデオサークルクラブの一つである「VTRメイツ」から、被告人には自分の欲しい作品はどんどん入手し、人の頼みはできるだけ断るという態度があるとの理由で除名処分を受けている。

3 被告人の逸脱行動、動物虐待、家人らに対する暴行等

(一) 被告人の逸脱行動等

(1) 被告人は、幼少時、夕方親に黙って遊びに出掛け、親がその所在を探すことがあった。

(2) 小学生のころまで、木登りをして空中回転で降りたりするなど野外で活発に遊ぶこともあったが、そうした中、被告人が地元の自治会館の梅の木に登って実をもいだとか、近所の畑の芽をむしったとか、近所の家の玄関のガラス窓を石で割ったとか、被告人の投げた石が近所の少女の頭に当たったとかいうことで、被告人の親元で隣人から苦情がくることがあった。

(3) 妹Mが生まれた当時、寝ているMの枕元を飛び越えて遊ぶことがあった。

(二) 動物に対する虐待等

(1) 被告人は、小学生のころまで、猫に乱暴したり、蛇を見付けて弱るまでいじめたり、生きている蛙を串刺しにして焼いたり、蛙の足を焼いて食べたり、蜂の子をいって食べたり、車に衝突して気絶した雀を拾ってきて、毛をむしったりしたことがあった。

(2) 昭和六二年ころから平成元年にかけ、冷蔵庫の裏に入り込んだ猫を鎌を使って引きずり出そうとしたり、新五日市社の工場の中で犬に猫を追い回させたり、飼い犬のペスの首に輪ゴムを数本巻き付け、そのまま放置して負傷させたり、パチンコで鳥を取ってきては毛をむしったりしたことがあった。

(三) 家人らに対する暴行等

(1) 被告人は、昭和五八年夏ころ、母Lが被告人の部屋に入って掃除をし、ビデオテープの位置を変えるなどしたことに対し、同女を激しい口調で責めるなどしたことがあった。

(2) 昭和六二年ころ、祖父を車に乗せて詩吟の会場まで送る途中、祖父からいったん通り過ぎた路地に入るように言われて腹を立て、手で祖父の胸を払って痛みを生じさせたことがあり、その後、祖父が父Kに「春夫に殺されるかも知れない。」とこぼしたことがあった。

(3) 昭和六二年春ころ、妹Mから風呂をのぞいたなどと言われて同女を殴るなどし、同女が鼻血を出すなどしたことがあった。

(4) 昭和六三年五月一五日ころ、妹Nから車の運転が下手だなどと言われ、同女の髪の毛をつかんで殴るなどの乱暴を加えたが、そのかなり前にも同女の髪の毛を引っ張るなど乱暴したことがあった。

(5) 昭和六三年五月二二日、自宅で、父Kを中心にして父方の叔父叔母らが祖父の遺品の形見分けをしていた際、母Lが形見分けから除外されているなどと被告人に愚痴をこぼしたことから、右形見分けの場に飛び込んで、「みんな出て行け」などと怒鳴ったことがあった。

(6) 昭和六三年七月三日、車で母親を美容院に迎えに行く約束になっていたのにすぐ行こうとせず、父親らから促され、その際、妹Nが代わりに迎えに行こうと言い出したのに腹を立て、応接間のガラスを割ったことがあった。

(7) 昭和六三年一一月九日、自宅で、父方の義理の叔父から、「春夫ちゃんえらいね。工場で仕事をしてるんだってね。」と言われ、「笑いながら人に物を聞いて失礼じゃないか。俺の代になったらおまえを家には寄せない。」などと怒って席を立ったことがあった。

(8) 昭和六三年一二月一八日ころ、父Kが前日の新聞配達の際に預かった現金を車の中に置き忘れ、父Kからその所在を問われた母Lが被告人に右現金の所在を聞いた際、車の中に置いてあると答えたが、そのとき父Kがすぐに車の所へ行って現金の所在を確かめようとしなかったことに腹を立て、ここにあると言って同人の頭部を車のドアに打ち付け、さらに部屋に戻りこたつにあたっていた同人を足蹴にするなどしたことがあった。

(9) 平成元年二月ころ、母Lを車に同乗させていた際、同女から、「知恵遅れと言われると困るから一生懸命仕事をやって欲しい。」などと言われ、腹を立てて同女の右手を殴打したことがあった。

4 被告人の趣味、収集癖と性的関心

(一) 趣味

被告人は、幼少時からテレビや漫画等を見て過ごすことが多く、怪獣もの等子供向けの内容のものを好むほか、怪獣、妖怪、悪魔等を題材にした神秘的、空想的なものに強い関心を示していた。また、小学校高学年ころからはパズルにも興味を持つようになり、大学生のころにはパズルの専門誌に投稿することもあった。

(二) 収集癖と性的関心

(1) ビデオテープの収集等

① 被告人は、中学生のころに実父のビデオデッキを自室に持ち込んでテレビ番組を録画するようになって以降、ビデオテープの収集が趣味となり、次第にそれがこうじて習癖となり、乙野印刷を退職した昭和六一年ころにはビデオテープの収集を趣味とする者らで構成するビデオサークルクラブに加入して、全国の会員らとの間で、収集したビデオテープの情報交換をしたり、代わりに地方のテレビ番組の録画をしてもらったりするようになり、また、多数のビデオレンタル店の会員になるなどし、E事件で逮捕された当時には収集したビデオテープは合計五七八七本の多数に上っていた。

② 被告人が収集したビデオテープは漫画などテレビ番組を録画したものが大半といってよいが、その中には性的興味を売りものにする番組や恐怖映像を扱った番組も少なくなく、レンタルビデオ店等から入手したと思われる少女性愛的なものやバラバラ殺人等を題材にした恐怖映像を扱ったものも数十本程度含まれている。

③ 被告人は、多数の漫画誌や雑誌等を所持していたが、その中には性的興味を売りものにするものや少女性愛的なものも少なくなく、また、男女の性交場面等がそのまま写っている写真も所持していた。

④ 被告人は、後記A誘拐殺害の直前である昭和六三年七月、東京都西多摩郡五日市町内のレンタルビデオ店から二回にわたりアダルトビデオ四本を借り出している。

⑤ 被告人の自室から押収されたビデオテープのうち四五本につき、前記五日市町のレンタルビデオ店から、昭和六三年七月初旬以降に盗まれた物であるとの被害届が提出されている。

(2) 少女らの写真撮影等

① 被告人が所持していた前記ビデオテープの中には、テニスをする若い女性や少女の下半身、催し物会場等でのミニスカート姿の若い女性の下半身、川で水遊びをしている女児らの水着姿、バトントワリングをする少女の姿等をねらって撮影したビデオテープが一八本含まれている。

② 被告人は、テニスをしている女性や少女らを写した写真約三〇〇枚やネガフィルム多数を自室に保管していたが、撮影日時が本件各犯行前のものであることが判明しているものは次のとおりである。

ア 昭和五九年夏ころに東京都福生市内の民家の庭先で全裸で行水をしている女児二人の陰部の部分を中心に写真撮影をしたネガフィルムを自室に保管していた。

イ 昭和六二年四月中旬に東京都江東区有明二丁目五番一号所在東京都立有明テニスの森公園内テニス場で開催されたサントリージャパンテニス大会で女性選手の後方からパンティが見える姿をねらうなどして写真撮影をしたネガフィルムを自室に保管していた。

③ なお、被告人は、昭和六〇年八月下旬ころ、自宅近くの秋川の川原で水着姿で水遊びをしていた小学校三年生の女児らに写真を撮らせて欲しいと言って近付いたが、断られたことがあり、また、昭和六一年ころ、テニスをしている女性や自宅近くに住む六歳くらいの女児らを写真撮影し、同年四月二七日、「山田」の偽名で五日市町内の酒店に現像等を依頼したが、出来上がったネガフィルム等を受領に行かなかったことがある。

(三) 性的発育

被告人が中学生のころ、被告人の敷布団カバー等に精液が付着していたのを母親が見ている。

5 犯行状況等

(一) Aの誘拐殺害等

(1) 誘拐殺害

被告人は、昭和六三年八月二二日午後三時過ぎころ、埼玉県入間市春日町〈番地略〉入間ビレッジ七号棟付近において、同ビレッジ内の友人宅に遊びに行こうとしていた幼稚園児のA(当時四歳)に声を掛けてラングレー内に誘い入れ、その場から同車で東京都八王子市上川町一四一番地東京電力株式会社新多摩変電所駐車場に至り(被告人が捜査官に述べる走行経路によれば、走行距離は約三五キロメートル。)、さらに、同所から徒歩で東京都西多摩郡五日市町戸倉字日向峯二三一一番ハの山林内まで(約一・二キロメートル)連れ去り、右山林内において、同女を殺害した。

(2) 死体のビデオ撮影

被告人は、翌二三日、東京都杉並区高円寺南四丁目二六番一六号芦野ビル二階レンタルビデオ店「ビデオレンタルアップル高円寺」に行き、ビデオカメラ、バッテリー等を借り、これを持って再び前記Aの殺害現場に赴き、その場で、持参したシーツをAの死体の下に敷き、ビデオカメラを死体の足元に固定した上、両手指で性器を押し広げてちつ内部がよく見えるようにし、ドライバーや自己の指を挿入し多数回の抽送、旋回等を繰り返すなどしてその場面を撮影し、あるいは、粘液にぬれたその指をビデオカメラに近付けてその様子を撮影し、そのビデオテープ及びその一部の複製を自室に保管していた。なお、被告人は、同日、右ビデオカメラ等を「ビデオレンタルアップル高円寺」に返却した。

(二) Bの誘拐殺害

被告人は、昭和六三年一〇月三日午後三時ころ以降、埼玉県飯能市大字下赤工四四二番地の二飯能市立原市場小学校付近路上において、小学一年生のB(当時七歳)に声を掛けてラングレー内に誘い入れ、その場から同車で東京都八王子市上川町一四一番地東京電力株式会社新多摩変電所駐車場に至り(被告人が捜査官に述べる走行経路によれば、走行距離は約三七キロメートル。)、さらに、同所から徒歩で東京都西多摩郡五日市町戸倉字日向峯二三一八番の山林内まで(約一・二キロメートル)連れ去り、右山林内で同女を殺害した。

(三) Cの誘拐殺害等

(1) 誘拐、裸体の写真撮影、殺害

被告人は、昭和六三年一二月九日午後四時三〇分ころ、埼玉県川越市大字古谷〈番地略〉川越グリーンパーク団地内において、幼稚園児のC(当時四歳)に声を掛けてラングレー内に誘い入れ、その場から同車で同県入間郡名栗村大字上名栗字新田一二八九番地一五「埼玉県立名栗少年自然の家」駐車場辺りまで(被告人が捜査官に述べる走行経路によれば、走行距離は約五一キロメートル。)連れ去り、駐車させたラングレーの後部座席で全裸の同女の陰部を中心に写真を撮影した後、同女の頚部を圧迫して窒息死させた。

(2) 死体遺棄等

① 被告人は、同女を殺害後、右駐車場の東側を流れる横瀬川の川原等に衣類等を放置したが、放置された衣類等は、右駐車場の南側の周囲をガードレールに囲まれた部分の東南角付近を起点にすると、靴下(左右)及び布製巾着が右ガードレール外側のごく近接した地点に、ジャンパースカートが九メートル、ブラウスが一二・三メートル、毛糸のパンツ(白色パンツ在中)が一一・二五メートル、シュミーズが一四・八六メートル、セーターが一七・五メートル、靴(左側)が二七・六メートル、ジャンパーが一三メートルそれぞれ離れた地点にあって、これらの重量や形状にも照らせば、いずれも右起点付近から投棄されたものであることをうかがわせる状況にあるといえる。

② 被告人は、ビニールひもで同女の死体の両手両足を縛り、ガムテープを同女の口付近に張り付けた上、これをラングレーで運搬中、前同日午後八時ころ、同駐車場から約五〇〇メートル走行した距離にある同郡名栗村大字上名栗字新田一二八九番地二先の道路右側側溝に車の右前輪を脱輪させ、走行不能となったため、同所から約八メートル離れた雑木林の中に死体をあお向けにして置き去りにした。

③ 被告人は、前記Cの陰部の写っているネガフィルム六枚及びプリントされた写真七枚を被告人方北側物置屋根北面の波形トタンと野地板の間に隠匿した。

(四) A、Cの両親に対する犯行の告知

(1) F宛はがきの郵送

被告人は、電子複写機による新聞紙の文字の拡大コピーや被告人が加入していた日本総合ビデオクラブ会員名簿の文字のコピーを利用して、「埼玉県入間市春日町〈番地略〉 入間ビレジ団地 〈略〉号棟 F」などと記した紙片一枚及び「魔が居るわ 香樓塘安觀」と記した紙片一枚を作成し、官製はがきの表面に前者を、裏面に後者を張り付けた上、昭和六三年一二月一六日ころ、発信人匿名のまま、右はがきを川越市内の郵便ポストに投かんし、同月一九日、F方に配達させた。

(2) H宛はがきの郵送

被告人は、電子複写機による新聞紙の文字の拡大コピー等を利用して、「埼玉県川越市古谷上 川越グリーンパーク〈部屋番号略〉 H 様」と記した紙片一枚及び「C かぜ せき→のど→楽→死」と記した紙片一枚を作成し、官製はがきの表面に前者を、裏面に後者を張り付けた上、昭和六三年一二月一九日ころ、差出人匿名のまま、埼玉県入間市内の郵便ポストに投かんし、同月二〇日、H方に配達させた。

(3) Aの死体損壊と遺骨入り段ボール箱をA宅前に置いたこと

被告人は、前記Aの殺害現場から同女の頭がい骨等を被告人方に持ち帰って被告人方前畑内でこれを焼き、また、電子複写機による活字の拡大コピーを利用して「A 遺骨 焼 証明 鑑定」と記した紙片一枚を作成してこれにAの殺害当時に同女が着用していた半ズボン、パンツ、サンダルを撮影したインスタント写真を透明粘着テープで張り付けた上、右焼いた頭がい骨等の破片及び右の紙片等を段ボール箱に入れ、平成元年二月五日から同月六日にかけての深夜、右段ボール箱を前記入間ビレッジ〈略〉号棟〈略〉号室のG方玄関ドア前に置いた。

(4) A事件の犯行声明文の郵送

被告人は、殊更角張った字体を用いて、「犯行声明」と題し、「Aちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。」との書き出しで、「手の届かない子供を今日一日は自分のものにしようとの思いから、入間ビレッジ内の横断歩道橋でAに声を掛けて自動車内に誘い込み、とある川まで連れ去ったが、子供を産むことができないのに目の前に自由な子がいるという自分にとっての不自然さがぶり返し、このまま家には帰せないという思いと今なら誰も見ていないとの思いから、Aの顔を川の水の中に沈めて殺害し、死体を夏草の茂みの中に置いて逃げた。やがて、Bちゃん、Cちゃんの事件が起きたが、私の事件に触発された誰かが面白半分に起こしたものと思う。テレビでCちゃんの父親が早く見付かってよかったと話しているのを見て、遺体を発見されそうな場所へ運ぼうと思い、現場へ行ってみたところ、思いも掛けずAちゃんが骨だけになっていたので驚いていったん逃げ出したが、骨なら箱に入ると思い直し、骨を焼き、拾った骨を箱に入れた。葬式をあげて欲しい。警察発表には誤りがあり、あの遺骨は本当にAちゃんのものである。身勝手ながら、私は捕まりたくないが、このようなことはもう決してしない。」(以上要旨)等と記載した犯行声明文を書いて電子複写機でそのコピー二部を作成し、それぞれにAの顔部分のインスタント写真を一枚ずつ透明粘着テープで張り付けた上、右同様の字体で、表面宛先欄に「中央区築地5丁目3番2号 朝日新聞社 東京本社 社会部様」、裏面差出人欄に「所沢市 今田勇子」と記載した定形封筒一通及び表面宛先欄に「埼玉県入間市春日町〈番地略〉 入間ビレジ〈略〉号棟 〈略〉号室 F様」、裏面差出人欄に「所沢市 今田勇子」と記載した定形封筒一通に右犯行声明文のコピーをそれぞれ封入して青梅市内の郵便ポストに投かんし、同月一〇日、朝日新聞東京本社社会部に、同月一一日、F方にそれぞれ配達させた。

犯行声明文に張り付けてあったAの顔部分のインスタント写真二枚は、いずれもその一部に青緑色系の発色があり、また、うち一枚の左側部に上下に走る黒い帯が認められるところ、埼玉県警察本部刑事部鑑識課技術吏員が被告人の所持していたテレビとビデオデッキを使用し、ビデオテープを再生した上、その画像をコダック製インスタントカメラ(富士写真フィルム製インスタントフィルム使用)で撮影して得られた写真とその特徴が共通しており、かつ、青緑色系の発色は被告人のテレビの調整のずれ又はブラウン管内部の劣化の影響とみられる。

(5) A事件の告白文の郵送

被告人は、前同様殊更角張った字体を用い、大学ノートに「告白文」と題し、「御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。」との書き出しで、「子宮等の事情で子宝に恵まれない方々に対し偏見をもたらせたことをおわびする。子供が産めないという理由で子供を殺すはずがない。私は、自分の不注意による不慮の事故で五歳になるたった一人の子供を亡くし、無念の一言でそのまま布団に寝かせているうち遺体が変化し、においも強くなり、家の床下に埋めた。私はあの団地で顔見知りであり、Aちゃんとも顔見知りだから、Aちゃんは私に付いてきた。私の子供の遊び相手として送るため、Aちゃんを殺害し、床下に埋めた私の子供の隣にAちゃんの骨を埋めた。遊び相手は一人でたくさんだから、Bちゃん、Cちゃんについては私は関係がない。やがて、群馬の方で子供の骨が発見され、明子ちゃんのものだとして葬式が出されたことを知り、私の子供の骨をA宅で葬式をしてもらって正式に墓に入れようと思い、私の子供の骨とAちゃんの骨を焼いて混ぜ、段ボール箱に入れて送った。私は、できることなら、神に逆らってでも、あと一五年は捕まりたくないと思っている。」(以上要旨)等と記載した告白文を書いて電子複写機でそのコピー二部を作成し、右同様の字体で、表面宛先欄に「東京都中央区 築地5丁目3番2号 朝日新聞社 東京本社 社会部様」、裏面差出人欄に「所沢市 今田勇子」と記載した定形封筒一通及び表面宛先欄に「埼玉県入間市春日町〈番地略〉 入間ビレッジ〈略〉号棟 〈略〉号室 F様」、裏面差出人欄に「所沢市 今田勇子」と記載した定形封筒一通に右告白文のコピーをそれぞれ封入して、平成元年三月一〇日ころ、これらを東京都西多摩郡瑞穂町内の郵便ポストに投かんし、同月一一日、朝日新聞東京本社社会部及びF方にそれぞれ配達させた。

(6) なお、A宅玄関前に置いた前記段ボール箱、F宛はがき、犯行声明文、告白文からは被告人の指紋は検出されていない。

(五) Dの誘拐殺害等

(1) Aの両親に対する犯行の告知後Dの誘拐殺害に至るまでの間に被告人がした女性や女児らの写真撮影

この間に被告人が写真等を撮影したことが判明しているものは次のとおりである。

① 平成元年春ころ、友人と前記東京都立有明テニスの森公園内テニス場に行き、テニスをしている女子選手のパンティが見える姿をねらってビデオ撮影や写真撮影をした。

② 平成元年五月二一日、都営東雲二丁目アパート一号棟裏の野原で木登りなどをして遊んでいた小学校四年生の女児二人及び男児一人に近付き、木登りをしていた女児に「木登りうまいね。写真撮らせてくれる。」と声を掛けて同女の写真を撮った後、「広い遊び場はある。学校には入れる。」と聞き、同女らに案内をさせて、江東区立東雲小学校の校庭に入ると、自ら鉄棒で逆上がり等をやってみせたり、砂場で幅跳び等をやって見せ、「できる。」と声を掛けて同女らに同様の動作をやらせるなどし、女児のスカートの下のパンティが見える姿等を中心に、ビデオ撮影や写真撮影をし、その間、「撮らせて上げよう。」などと言って同女らにビデオカメラを扱わせたりし、また、撮った写真は子供展示会に出すなどと嘘を言うなどし、右ビデオテープや写真等を自室に保管していたが、その中には、女児がブリッジをしていてスカートの下のパンティが見える姿を撮影した写真と女児の上半身部分を撮影した写真とを透明粘着テープで張り合わせたものや、女児のスカートの下のパンティが見える姿の写真に透明粘着テープが付着したものもあった。

③ 平成元年六月一日、東京都昭島市田中町三丁目四番一号昭島市立田中小学校付近で、ざりがにを採っている小学三年生の女児六人に近付き、「珍しいな。ざりがにはすぐ死んじゃうから写真を撮ってあげる。見せて。」などと言って、同女らの所持していたバケツ等の中からざりがにを取り出して路上に置き、ざりがにの写真を撮るかのように装いながら、路上にしゃがんでざりがにを見ている同女らのスカートの下のパンティが見える姿等を写真撮影し、引き続き、「学校の鉄棒で逆上がりをしてみない。」などと同女らを誘って同小学校校庭に行き、回旋塔、鉄棒、ジャングルジムで遊ぶ同女らのスカートの下のパンティが見える姿等を写真撮影し、その後、同校庭で、ブランコに乗って遊んでいる小学校二年生や幼稚園の女児らのスカートの下のパンティが見える姿等を写真撮影し、さらに、同校庭南側植え込みの陰に四歳の幼稚園女児を誘い込み、パンティを脱がせるなどして同女の陰部の写真を撮り、ネガフィルムを保管していたが、新宿駅西口の写真店にスライド作成を依頼したところ、拒否された。

(2) Dの誘拐殺害等

① 誘拐殺害

被告人は、平成元年六月六日午後六時過ぎころ、東京都江東区東雲二丁目四番都営東雲二丁目アパート四号棟東側路上において、保育園児のD(当時五歳)に声を掛けてラングレー内に誘い入れ、その場から同車で同所付近の路上まで走行して(警察官の調べにおいて被告人の述べる走行距離によれば約八〇〇メートル。)連れ去り、駐車させた同車内で同女を殺害した。

② 死体のビデオ撮影等

ア 被告人は、Dの死体をラングレーで運搬し、自宅に向かったが、その途中、前同日午後七時四五分ころ、東京都杉並区高円寺南四丁目二六番一六号芦野ビル二階レンタルビデオ店「ビデオレンタルアップル高円寺」に立ち寄り、ビデオカメラ等を借り受け、同日午後九時ころ、帰宅した。

イ 帰宅後、死体をトランクから取り出して自室に運び入れ、全裸の死体を白いシーツを掛けた電気こたつ台の上にあお向けに乗せ、死体の陰部周辺の汚れをぬぐい取ると、陰部の両側にガムテープを張るなどして陰部を広げ、ちつ内部がよく見えるようにし、陰部にクリーム様のものを塗り、ボールペン、ドライバーや自己の指を挿入し多数回の抽送、旋回等を繰り返すなどしてその場面をビデオカメラで撮影し、あるいは性器の部分等を写真撮影した。そして、撮影したビデオテープを自室に保管し、フィルムは未現像のまま被告人方北側物置屋根北面の波形トタンと野地板の間に隠匿し、同月七日午後九時ころ、右ビデオカメラ等を「ビデオレンタルアップル高円寺」に返却した。

③ 死体損壊等

ア 被告人は、自室において、死体であるDの頭部、両手部及び両足部をのこぎり等で切断した上、右胴体部を埼玉県飯能市大字宮沢字高根沢一七〇番一の一宮沢湖霊園内の簡易便所北側に放置し、右胴体部は、平成元年六月一一日午前一一時ころ、墓参りのため同霊園を訪れた者によって発見された。

イ 被告人は、右頭部をいったん東京都西多摩郡五日市町小和田字御嶽山五二七番のイの杉林内に投棄したが、その後再び右頭部を自宅に持ち帰り、頭がい骨を水洗いするなどした上、右頭がい骨を東京都西多摩郡奥多摩町梅沢字石神一九八番一所在の通称吉野街道わき山林に捨て、さらに、右下顎骨及び頸椎骨の一部を同町河内字麦蒔戸三六四番所在の山林に捨てた。

(六) Eの誘拐強制わいせつ

(1) Eの誘拐等に至る直前に被告人がした女性や女児らの写真撮影

① 被告人は、平成元年七月二三日、ラングレーを運転して東京都世田谷区北烏山五丁目一八番一五号所在の朝日生命久我山総合運動場に行き、同日午前中から午後三時ころまでの間、同運動場で開催された関東ジュニアテニス選手権大会でプレー中の女性選手のパンティが見える姿等をねらってビデオ撮影や写真撮影をした。

② 引き続き、東京都三鷹市北野四丁目一〇番一〇号北野地区公会堂広場において、遊んでいた同市立北野小学校二年生の女児二人に近付き、「写真を撮らせてね。」と声を掛け、同広場の盆踊りの台付近等で同女らを写真撮影した後、同女らを同広場のすみの物置の陰に連れ込むと、しゃがませるなどして同女らのスカートの下から見えるパンティ姿などを写真撮影した。さらに、二人のうちの一人に「盆踊りの台の上で待っていてね。」と言ってその場から遠ざけ、一人にした小柄な方の女児に対し、「スカートを上げなさい。」と言い、拒否されると、「皆やってんだよ。さっきのお姉ちゃんだってやったんだよ。」と言って、傍らの葉をちぎって同女の両手に持たせ、同女のパンティに手を入れて脱がせようとしたが、同女から手をたたかれて拒否された。そこで、「やらなければおじさんがやるよ。」と言ってズボンのベルトを外したが、同女が泣き出そうとしたため、あきらめてその場から立ち去った。

(2) Eの誘拐強制わいせつ

① 被告人は、その後、前同日午後四時三〇分ころ、東京都八王子市美山町二四九番地菱美産業株式会社事務所前を、ラングレーで通り掛かり、同所の手洗い場で手足を洗っている小学一年生のE(当時六歳)及びその姉の小学四年生のI(当時九歳)姉妹の姿を認め、同事務所近くに車を止めると、カメラを首から下げ、黄色のサマージャンパーを手に持ち、にこにこしながら同女らに近付き、「おじさんカメラマンだけれど、写真を撮らせてくれない。」、「バケツに足を突っ込んで撮らせてね。」、「今度しゃがんでくれる。」などと声を掛けた上、同女らにバケツの中で腰をかがませ、スカートの奥の太ももやパンティが見える姿勢を取らせて、数枚の写真を撮影した。被告人は、同女らに、「おじさんて、かっこいいおじさんでしょう。」、「おじさん、おもしろいでしょう。」などと言い、さらに、「どこかほかの所へ行って写真を撮ろう。公園の奥の方に行ってみよう。」などと声を掛け、同女らを同所から、日枝児童遊園を経て山込川上流方向に約一二〇メートルの地点まで連れ歩いて川原に降りる適当な場所を探したが、適当な場所が見当たらなかったことから、いったん、前記菱美産業株式会社事務所付近まで戻った。

② 被告人は、前記事務所付近で、姉のIに対して、「お嬢ちゃんはここに残って。」などと声を掛けて同女をその場に残し、妹のEに「川の方へ行ってみよう。」などと言って、同女を誘い、同女を連れて、事務所前道路から水路に降り、「水や泥のある所は平気。おぶってやろうか。」などと言って同女を背負うなどして、同女を約五〇メートル離れた同町二六一番地先付近の菱鉱建材株式会社第三石場排水路まで連れ去った上、同日午後四時三五分ころ、周囲に木が茂り見通しの悪い水が流れていない川床において、同女に対し、「裸になってね。」などと申し向け、その着用していたワンピースを手でたくし上げて脱がせるなどして同女を全裸にした上、所携のカメラを構え、「足で石を蹴りなさい。」などと言って、同女に殊更左足を上げさせるなどの姿勢をとらせるなどした。

③ Iは、妹が被告人に連れて行かれて見えなくなったので、心配になって父親のJに知らせに行き、同人は、急いで前記菱美産業株式会社事務所付近に行って駐車してあったラングレーのプレートナンバーを確認した上、前記水路の方へ行き、Eが全裸で立ち、被告人がカメラを向けているのを目撃した。Jは、逃げ出した被告人に対し、「車のナンバーを覚えているからだめだ。」と怒鳴り、Eに服を着せてラングレーの駐車してあった所へ引き返すと、被告人が出てきて、「許して下さい。」、「警察だけは勘弁して下さい。」などと言ったが、被告人を捕まえ、警察官に引き渡した。

6 報道の録画

被告人は、E事件で逮捕された際、本件各犯行に関するテレビ報道を録画したビデオテープを所持していたが、その数は、五〇巻を超える多数に上る。

三  被告人の供述の要旨

次に、被告人の捜査官に対する供述及び当公判廷における供述の各要旨をみることにする。

1 被告人の捜査官に対する供述の要旨

被告人は、捜査段階において、本件各犯行を自白し、犯行に至る経緯、犯行動機及び犯意、犯行態様、犯行後の行動につき、その時々の細かな心理状態をも織り混ぜながら、具体的かつ詳細に供述しているが、その要旨は次のとおりである(なお、取調べは、① 警視庁八王子警察署におけるE事件の取調べ、② 警視庁深川警察署におけるD事件の取調べ、③ 埼玉県警察狭山警察署におけるA事件、B事件、C事件の各取調べの順に行われている。)。

(一) 生育状況

(1) 自分は、地元の幼稚園、小、中学校を経て、××大学付属△△高等学校に進学したが、余り成績がよくなかったため××大学に進学することができず、将来は父の後を継いで家業の印刷をやってもいいと思い、※※大学短期大学画像技術科に進学した。同短期大学を卒業後、昭和五八年四月、叔父の紹介で小平市にある乙野印刷に就職した。これは、父が家業を継がせるため自分を修行に出したものと思う。同社では、印刷課、刷版課、製版課で働いたが、昭和六一年二月ころ退職して、家業に従事するようになった。自宅印刷工場での印刷機の操作、秋川新聞の配達、新聞の折り込み広告の配達が主な仕事である。

(2) 自分は、物心が付いたときから、金銭的な不自由は感じないで育った。小学校から大学まで、成績は中位だったと思う。得意科目は数学で、苦手科目は社会であり、英語はどちらかといえば好きで、国語、体育は普通である。小学校低学年のころは両親に勉強をみてもらい、中学から高校受験までの半年くらいは家庭教師に勉強をみてもらった。

(3) 自分の人生の中で社会生活上の先生はいなかった。祖父から教わったのは将棋、びわの実の取り方くらいであり、祖父はどちらかというと身勝手な人だった。祖母はやさしい感じのする人である。母はやさしい反面、自分がくやしいことがあると子供に八つ当たりするタイプである。父は、本当の父親だが、自分にとっては義理の父のような感じの人である。自分が逆らわないことをいいことに何事も命令調で押し付けるからである。

(4) これまで病気で入院したことはない。学校で悪いことをしたとか、成績が悪いとかで両親に迷惑を掛けたことはほとんどないし、人と争い事をしたとかいうことで両親に迷惑を掛けたこともない。人に知られずに済んだ自分がした悪いことというのは、幼い女の子にいたずらしたことのほかは、ビデオテープの万引きくらいである。だから、小さいころから親に迷惑を掛けないよい子に見えていたと思う。

(5) 自分は、両手の手のひらを上の方に向けることができず、幼稚園のころそのことに気付いた。他の人のように手のひらを上に向けて、「ちょうだい」をすることができなかった。小学生のころ、どうしてなのか両親に聞いてみたが、気にするなと言うだけで答えてくれなかった。体育は嫌ではなかったが、手のひらを返したりするお遊戯は嫌だった。外見からは分からないので、他人は私の手の不自由には気が付いていなかったが、自分自身は、手の不自由が気になり、中学生のころ、身体障害という言葉を辞典でひいてみて奇形という意味であることが分かり、悩んだ。手のひらが上を向かないことと握力が少し劣る以外は日常生活に不自由はなかったが、他人に知れるのではないかといつも他人の眼を気にしてしまい、そのような気持ちが私を内向的にした。人に話せば、その口から他の人に伝わると思っていたので、自分から手の障害を人に話して理解してもらおうとは思わず、学校の先生にも話さなかった(なお、被告人は、警視庁深川警察署におけるD事件の取調べにおいては、手の障害について、こんな手にしたのは親のせいだと純粋に親を恨み、幼稚園や小学校で手の障害を理由にいじめられるなど地獄の苦しみであったが、自分をいじめた者の名前は言いたくないなどと述べている。他方、これに先行する警視庁八王子警察署におけるE事件の取調べにおいては、男で一番上でかわいがってもらい、特に不自由なく育てられ、不満を感じたこともないし、性格は明るい方で、友達付き合いも普通にある旨述べていた。)。

(6) そのうち、中学生のころから、漫画本を読んだり、テレビを観たり、テレビ漫画をビデオテープに録画して観たりして一人で楽しむようになった。小説とか文学はほとんど読んだことがなく、知識のほとんどは漫画である。妖怪の出てくるもの、見ていてこわいと感じるもの、ホラー映画やホラー雑誌も好きで、人と付き合うより漫画やテレビと付き合う方が好きである。幼稚園のころ親せきの子から怪物や妖怪や悪魔などの話を聞いて興味を持ち、そうしたものについて書いてある本を買って読んでいろいろ空想したり、絵を描いたりしていた。

(7) 高校生のころからパズルに興味を持ち、「ホットドッグプレス」という雑誌のパズルの解答に応募したり、大学生のころには自分で問題を考えて投稿し採用されたりした。そのころ、右雑誌でパズルの解答を仕分けするアルバイトをしたこともあった。

(8) 中学生のころの男の友達は二、三人いるが、自分が車を買ったころからたまにドライブをするくらいで、余り親しく付き合ってはいない。

(9) 両親や祖父母は余り干渉しなかった。家庭内で、両親や祖父母から世の中のことや人生のこと等について話をされたことはほとんどない。学校の先生やそれ以外の人に相談したりアドバイスを受けたこともない。

(二) 動物の虐待

(1) 小学生のころから、野良猫やよその猫をいじめており、これまでに十数匹の猫を川の中に放り込んだ。猫は猫かきで泳ぐが、泳ぎ疲れるとおとなしくなってそのまま流れていき、おぼれてしまう。飼い犬をけしかけて、猫を木に登らせ、下から猫に石を投げ付けて落としたこともあった。猫が落ちた後、少しの間身動きできないこともあった。自宅工場の中に猫を閉じ込めて飼い犬を放し、猫を追い掛けさせてかみつかせたこともある。また、猫を自宅台所のオーブンレンジの中に入れて温めたこともある。昭和六三年夏ころには、自宅台所に入ってきた猫を見付けて冷蔵庫の後ろに追い込み、魔法びんの中の熱湯を掛け、冷蔵庫の下で苦しんでいる猫の首に鎌の刃をひっかけて引きずり出そうとし、その首を切って殺したこともあった。猫の口の中に棒きれを突っ込んで殺したこともあった。

(2) 小学生のころ、にわとりを大きい石でつぶしたことがあった。

(3) 自分一人でやっていたが、自分がなぜこのようなことをやりたくなるのか自分でもよく分からない。

(三) ビデオテープの収集

自分は、中学生のころからテレビで放送する漫画等をビデオテープに録画して観る趣味を持つようになり、その後、ビデオレンタル店の会員となって、店から借りたビデオテープをダビングしたりしてビデオテープを集めた。また、昭和六一年ころ、「VTRメイツ」というビデオサークルの会員になり、地方のテレビ番組を録画してもらったり、会員仲間でビデオテープを交換したりした。好きなものは漫画であるが、大人になるに従い、女性がテニスをしている画像も録画するようになった。自室にビデオデッキを四台(VHS式、ベータ式各二台)と、二九インチの大型テレビを持っている。

(四) 万引き等

(1) 子供のころ、秋川に水遊びに来た人たちが冷やしていたジュースやすいかを盗んだことがあり、中学生や高校生のころには、レコードやカセットテープを万引きしたことがあった。

(2) また、ビデオに凝るようになってからは、一か月の給料のほとんどをビデオテープを買うのにつぎ込んでも足りないと思うことがあって、ビデオレンタル店やビデオテープを売っている店に行ってビデオテープを万引きするようにもなった。Aちゃんを誘拐する直前ころの昭和六三年七月から八月中旬ころまでの間には、五日市町内のビデオレンタル店で生テープや画像の入ったテープを数十本万引きしたことがあった。万引きの際には、気付かれないかと緊張して胸がどきどきし、気付かれずに盗んで店を出たときには成功したという満足感があって、スリルそのものだった。

(五) 性的関心と女児等の写真撮影

(1) 一〇歳くらいまでは女の子の友達もいたが、中学生や高校生のころから、手の障害のことがあって、ガールフレンドは無縁だと思って努めて女の子を気にしないようにしてきた。学校で遺伝を習ってからは、自分が結婚しても子供が同じような異常になるかも知れないと思い、子供がかわいそうだと思って結婚をあきらめた。

(2) しかし、他の男性と同様性欲はあるので、中学生のころから、雑誌の女性のビキニ姿やテニスのパンチラ写真を見ながら女性の性器を想像してマスターベーションをしていた。また、マスターベーションに使うため、ストップ機能のついたビデオデッキを買った。

(3) 昭和五七年(短期大学二年生)の秋ころ、自分でもテニス場に出掛け、女性のテニスルックのパンチラ写真等を撮るようになった。好みの女の子でなければ顔を写さないというわけではないが、ブスは顔を写さなかった。撮った写真は友達に貸したり、一度使うと飽きたり、いつまでも持っていると親に見付かることも考えられるため、燃やして処分し、新しく写真を撮りに行ったりしていた。また、幼稚園児や小学校低学年女児のパンチラ写真等も撮るようになった。そのころ、父親の部屋で外人女性の性器や男女のセックス場面がまともに写っている写真を見付け、自室に持ち込んだ。

(4) 初めて女の子の性器の写真を撮ったのは、乙野印刷で働いていた昭和五九年夏ころで、会社からJR五日市線で帰宅途中、熊川駅手前で、電車の窓から、庭先に置いたビニール製のプールで六歳くらいの女の子二人が全裸で行水をしているのを見付け、熊川駅で途中下車し、持っていたカメラで遠くから撮影した後、家人がいない様子だったので、近付いて行き、いろいろ話し掛けて女の子の性器の写っている裸の写真を撮った。女の子たちは恥じらいなく、写真を撮らせてくれた。

(5) また、秋川に水遊びにくる女の子が水着に着替えるため裸になるところを盗み撮りしたりもした。本当は大人の女性の性器等の写真も撮りたいと思ったが、それは難しいことなので、恥じらいのない小さい女の子のパンチラや性器の写真を撮るようになった。

(6) こうして、自分で撮った写真を見ながら大人の女性の性器などを思い浮かべてマスターベーションをするようになった。

(7) これまでソープランドやストリップ劇場へ行ったことはない。お金で男性を相手にするような女性は病気を持っている危険が高いので、このような女性と性交する気にはなれず、性交の経験もなかった。そのため、女性の性器の中がどうなっているのかを知らず、常々、女性の性器の中を見たいとか、知りたいとか思っていたが、大人の女性の性器を見ることが難しいのは分かっていた。

(8) ところが、熊川駅の近くで小さな女の子の性器を写真撮影してからは、小さい女の子なら恥じらいがないので、写真だけでなく、うまくいけば、性器を見たり触ったりすることもできると思うようになった。女性の性器の中に指を突っ込んでみたいと思っていたが、小さな女の子の性器に指を突っ込めばとても痛がって泣き叫ぶと思っていたので、生きている女の子の性器に指を突っ込むことはできないと思っていた。

(六) Aの誘拐殺害状況等

(1) Aの名前等を知った経緯

A事件のテレビ報道等を繰り返し見てビデオテープに録画もしているので、自分が女の子を連れ去って殺害したのが昭和六三年八月二二日の月曜日であったことはよく覚えているし、女の子がAという名前で年齢が四歳であること、連れ去った団地が入間ビレッジという名称であること、A宅が同ビレッジ〈略〉号棟〈略〉号室であること、また、同ビレッジ七号棟の後ろに八号棟が建っていることなどもテレビ報道等で知った。

(2) Aを車に誘い込むまでの状況

① 昭和六三年八月二二日は、具体的にどんな仕事をしたのか覚えていないが、五日市町の魚屋の「魚太」が当時まだ営業をしていたならば、午前中にその広告ちらしを印刷し、五日市町等の新聞販売所に配達したと思う。その後、午後一時ころ、ラングレーで出掛け、川越市の「ロジャース川越店」でビデオテープを買うなどし、午後二時三〇分ころ、同店を出て五日市町に向けて三〇分くらい走行し、青梅市に抜ける近道を通ろうと、国道一六号線をそれてわき道に入ったが、道に迷い、そのうち小便がしたくなり、公衆便所を探していると、進行方向左手に団地(入間ビレッジ)が見えたので、公衆便所があると思い、入間ビレッジの七号棟と小学校のグラウンドの間の道に左折して入り、八号棟裏にラングレーを止めた。

② 車を降りて公衆便所を探したが見付からず、八号棟を回って歩き、団地の横の木のある辺りで立ち小便をした後、七号棟前道路を歩いていた午後四時前後ころ、前方の小学校グラウンド端にある横断歩道橋の階段を上ろうとしている女の子(A)を見付けた。近くには誰もおらず、Aちゃんが一人でいるのを見て、この子を連れ去れば性器を見たり触ったりすることができると思った。そのように思うと万引きのときの胸がどきどきするスリルが思い出されて、今なら盗めると思った(なお、被告人は、検察官の調べにおいて、右のように供述した後、Aちゃんの性器を見たり触ったりしたいと思ったのはAちゃんを殺した日の翌日であると訂正して欲しい旨述べているが、他方、警察官の調べにおいては、Aちゃんを見たとき殺して性器を見たり触ったりしたいと思った旨述べるなどもしている。)。

③ そこで、反対側の階段から横断歩道橋を上り、ちょうど横断歩道橋を上りきった辺りにいたAちゃんに近付くと、Aちゃんの前にしゃがんで目の高さが同じになるようにし、笑い掛けて、「お嬢ちゃん、涼しい所に行かないかい。」と声を掛けたところ、Aちゃんは最初キョトンとした顔をしていたが、更に「今来た方でいいんだよ。」と声を掛け、立ち上がって、「行かないかい。」と言って、Aちゃんが来た方向に歩き出すと、Aちゃんが後を付いてきた。先に立って階段を下り、ときどき後ろを振り向きながら、Aちゃんの歩く速度に合わせて、五メートルくらいの間隔をおいて歩いて行った。間隔をおいたのは、人に見られたとき、自分がAちゃんを連れているという感じを与えないようにとの考えからである。

④ 小学校のグラウンドと七号棟との間の道に入ると、小学生くらいの男の子が何人か小学校のグランドの石垣にボールを投げていたので、顔を見られたくないと思い、下を向いて歩いて行った。通り過ぎるときにはボールの音は止んでいた。もし誰かがAちゃんに声を掛けたら、あきらめてAちゃんとは関係がない素振りで立ち去ろうと思っていたが、誰も声を掛けず、Aちゃんも付いてきたので、人に見られているのではないかという不安や緊張感で胸がどきどきする一方、うまくいくぞとわくわくした気分であった。後にテレビ報道でその付近に自転車に乗った女性がいたことを知ったが、そのときは気付かなかった。

⑤ 八号棟裏に止めておいた車の所まで行ったとき、よくAちゃんが付いてきたなと思った。助手席のドアを開け、「こっちから、涼しいよ。」と声を掛けると、Aちゃんは黙って助手席に乗り込んだので、助手席のドアを閉め、運転席に乗り込んだ。ほっとするとともに人に見られたら捕まると怖くなり、早く人目に付かない所に行こうと思い、Aちゃんに「じゃ、行くよ。」と声を掛けて発進し、団地を後にした。Aちゃんはキョトンとした顔をしていた。

(3) 走行中の状況

① 団地を後にした後、車のクーラーとラジオをつけ、ラジオの選局ボタンを指して、Aちゃんに、「ボタンを触ってもいいよ。」と言うと、Aちゃんは黙って選局ボタンを押して遊んでいた。車を走らせながら、Aちゃんに、「寝ててもいいんだよ。お昼寝するんでしょ。」と声を掛けると、Aちゃんは、「うん」と返事をした。まもなく激しい雨が降ってきたので、Aちゃんが車から降りたいと言わないだろうから、雨が自分に味方をしたと思った。一時間くらい走って国道一六号線に出たので、更に走行して青梅街道に入り、秋川街道から日の出町に入った。

② 自分は、結婚して子供を持つことをあきらめていたので、走行中、Aちゃんをビデオカメラで撮影すれば、Aちゃんの姿を自分のものにできるとチラッと思った。祖父の死亡後、祖父の生前の姿を撮影したビデオテープを再生して見て、まだ生きているような気持ちになったことがあったので、そう思った。そこで、ビデオカメラを借りに行こうと思ったが、Aちゃんを連れて行くわけにもいかないので、あきらめた。

③ こうして、日の出町辺りを走っている時、Aちゃんに顔を見られているのでこのまま帰すわけにはいかないから、Aちゃんを五日市と八王子市の境辺りの山中に連れて行って、殺して性器を見たり触ったりしようと思った。Aちゃんが生きているときに性器をいじったり見たりしたかったが、騒がれるのでだめだろうと思った(なお、前記第二、三、1、(六)、(2)、②のとおり、被告人は、検察官の調べにおいて、右のように供述した後、Aちゃんの性器を見たり触ったりしたいと思ったのはAちゃんを殺した日の翌日であると訂正して欲しい旨述べている。)。

④ 五日市町から小峰峠を通って東京電力の変電所裏の駐車場のような所に車を止めた。

(4) 山道を歩いて殺害場所まで行った状況

① 車を止めたところ、途中で寝ていたAちゃんがいつのまにか目を覚ましていた。運転席から降り、助手席のドアを開けて、Aちゃんに、「今度は電車に乗ろうね。」と声を掛けると、Aちゃんが黙って車から降りてきた。Aちゃんの二、三メートル先をAちゃんに合わせてゆっくり歩き、山道に入った。Aちゃんは後を付いてきたが、そのうち、Aちゃんが「おしっこ。」と言ったので、「いいよ。」と返事をすると、Aちゃんはその場で半ズボンとパンツを下げてしゃがみ、用を足した。

② その後再びAちゃんの先に立って山道を歩き、Aちゃんを連れ込んで殺害するのに適当な場所を探していると、三、四〇歳くらいの男性に出会った。その男性から、「どこに行くんですか。」と予期しない言葉を掛けられ、一瞬返事に詰まったが、前に友人と遊びに来たときの記憶で、「今熊バス停の方」と答えた。男性は、口の中でもぞもぞ言ったので、変なことを言ってしまったかなと思ったが、このまま話をしていてはAちゃんを誘拐してきたことがばれてしまいそうに思い、そのまま、歩き出したところ、Aちゃんも付いてきたのでほっとした。

③ 更に歩いて行き、車から降りてから二、三〇分くらい歩いた辺り付近で、小便がしたくなり、山道から二〇メートルくらい林の斜面に入った所で小便をした。Aちゃんも付いてきていた。そこは、なだらかな斜面で、立木と立木の間が少しあって広く、二人並んで腰を下ろせそうな場所で、木や草の茂みにさえぎられて山道から見えないようになっていた。まだ下の方に降りて行けそうであったが、ここまでくるのに緊張で胸がどきどきしていたので、この場に腰を下ろして少し休もうと考え、Aちゃんに、「休もう」と言って、斜面に腰を下ろすと、Aちゃんも左横に腰を下ろした。

(5) Aを殺害した状況

① 一休みした後でAちゃんを殺すのにもっと適当な場所を探そうと考えていると、Aちゃんがしくしく泣き出した。このまま放置しているともっと大きな声で泣き出すかも知れないし、山道を通り掛かる人がいれば気付かれてしまうと思い、ここでAちゃんの首を両手で絞めて殺そうと考えた。そこで、立ち上がって、Aちゃんの前に行き、しゃがんで両手をAちゃんの首に近付けると、Aちゃんがびっくりた表情をしたが、そのまま両手でAちゃんの首をつかんだ。そのとき、Aちゃんはびっくりしたような恐れたような表情で見てきたので、恨んでいるように思えて、目をそらし、顔を見ないようにしてAちゃんをそのままあお向けに押し倒し、覆いかぶさるようにしながら、体重を両手の親指に掛けるようにしてAちゃんの首を力一杯絞め付けた。Aちゃんは、ウウーッとうめき声を上げ、両足をバタバタさせ、身をよじってもがいたが、そのまま絞め続けた。自分としては随分長い間絞め続けたと思う。

② そのうち、Aちゃんがおとなしくなったので、死んだと思い、首から手を離すと、Aちゃんはぐったりして動かなかった。Aちゃんの恨んでいるような目を思い出したくないので、死に顔はできるだけ見ないようにした。殺害したのは、辺りがもう少しで薄暗くなるという感じであったので、午後六時三〇分前後ころだと思う。

③ 初めて人を殺して急に恐ろしくなり、Aちゃんが生き返ったら困るという気持ちがわいてきて、Aちゃんの死体の性器を見たり触ったりしようという気持ちがどこかにいってしまった。そこで、Aちゃんの体温を下げて生き返らないようにしようと考え、半ズボン、パンツを脱がせた。サンダルはAちゃんが足をばたつかせたときに既に脱げていた。Tシャツも脱がせようとして胸の上までまくり上げたが、両わきの下につかえて脱がせられなかったのでまくり上げたままにし、半ズボンなどを付近に投げ捨て、急ぎ足で車の所へ戻った。

④ 午後七時三〇分前後ころ、家に逃げ帰り、のどがからからに渇いていたので、台所の冷蔵庫の中からジュース類等を手当たり次第がぶ飲みした。自室に戻ったものの、興奮して落ち着けず、入浴したりテレビを見たりしたが、番組は覚えていない。その夜はなかなか寝付けなかった。

(6) Aの死体をビデオカメラで撮影した状況

① 翌朝、起床すると、気持ちが落ち着いていたので、Aちゃんの死体の性器を見たり、触ったりして女性の性器がどのようになっているかを知りたいと考え、また、自分が性器を触っている様子をビデオテープに撮影しようと思った。撮影をしておけば、後で楽しめるし、誰も持てない宝物だと思った。

② そこで、午前九時ころ、自宅を出て、武蔵五日市駅からJRで高円寺駅へ行き、自分が会員になっている駅から徒歩二、三分のビデオレンタル店「アップル高円寺」でビデオカメラ一式(VHS式)を借りて帰宅し、カメラにノーマルのビデオテープをセットし、ハイグレードのビデオテープ一本、ドライバー一本、白色かピンク色のシーツ一枚と一緒にバッグに入れて携帯した上、ラングレーで小峰峠から東京電力変電所の裏まで行き、ラングレーを駐車させ、徒歩でAちゃんの死体の所へ行った。人に見られていないか、Aちゃんが自力で動いていないかと不安であった。

③ しかし、死体は殺したときと同じあお向けのままの状態で横たわっていた。これから性器を触りながらビデオ撮影をすると思うと緊張で胸がどきどきした。周辺を見回すと、半ズボン、パンツ、サンダルが落ちていたので拾い集めてバッグの中に入れた。そして、まず、午後二時三〇分前後ころ、バッグからビデオカメラを取り出し、約三〇秒間、Aちゃんの死体の全身を撮影した。その後、Aちゃんの顔の左やや上方の位置にレンズを顔の方に向けたままビデオカメラを置き、バッグからシーツを取り出して死体の下に敷くと、死体の足元の倒木の根元に性器に向けてビデオカメラを設置し、ハイグレードのビデオテープと入れ替え、死体の性器の様子、指やドライバーを性器に突っ込んで出し入れしたりしているところを撮影した。性器の周りに赤いはん点ができていて、からすがつっついたのかと思った。死体が冷たく固くなっていたので、生きている人間とは違うと思い、余り興奮しなかった。人が来たら大変だとの思いがあったので、一〇分くらい撮影してやめ、死体の下からシーツを取り出して死体の上にかぶせ、帰宅した。ビデオカメラ一式はその日のうちに「アップル高円寺」に返却した。

④ その夜、自室で撮影したビデオテープ二本を再生してみたところ、ノーマルのビデオテープにはAちゃんの死体の全身のほか死に顔がほとんどアップで写っていた。死体の下にシーツを敷いたとき、オートフォーカスのビデオカメラを録画状態のまま死体の顔に向けて置いていたため写ってしまったと思った。Aちゃんの死体の顔をほとんど正面から撮りたくないと思っていたのでびっくりしたが、せっかく写したビデオテープなので保管しようと思った。ハイグレードのビデオテープには性器を触っている場面がはっきり写っていた。このビデオテープを再生して見ながらマスターベーションをしようとしたが、死体を触っていたときの冷たい感じが思い出されて余り気持ちがよくなかったので、成人女性のパンチラ写真を見ながらマスターベーションをし、最後にビデオに写っている死体の性器を見て女性の性器の中に射精している様子を思い浮かべて射精した。

⑤ この二本のビデオテープは自室の棚の奥にしまっておいた。性器を写したビデオテープはその後特に自分が見たい所だけをベータ式のビデオテープにダビングした。その後も何回か見ている。

⑥ また、半ズボン、パンツ、サンダルは自宅裏の物置二階のわらの入っている木の箱に隠し、焼き捨てようと思っているうち忘れてしまった。ドライバーは後に印刷工場から出る燃えないゴミと一緒に集積所に出して捨てた。

(7) Aの死体を確認しに行った状況

Aちゃんの死体にシーツを掛けてかえって人目に付くのではないかと不安になり、翌週か翌々週の日曜日、死体の所まで行ったところ、まだシーツが掛かったままで、近づくと嫌なにおいがした。足元の所のシーツをめくってみると、皮膚は少し黒ずんで少し膨れていたので、顔は気持ち悪いだろうと思い、それ以上は見ることなく、シーツを掛けておいても人に見付からないだろうと思って、そのままにして帰った。

(8) 祖父の声を聞こうとAの死体を撮影したビデオテープを飾って祈ったこと

祖父死亡後まもなく叔父叔母らが骨とう品を分けようとしていたことがあり、祖父がかわいそうだと思っていた。そこで、祖父が遺産をどのように分けようと考えていたのかを知りたいと思い、子供のころに読んだ本に悪魔に頼み事をするときいけにえの代わりに死体の写真を飾ってもよいと書いてあったことにヒントを得て、Aちゃんの死体を撮影したビデオテープを部屋に飾って呪文を唱えたりしたが、祖父の声は聞こえてこなかった。

(9) テレビ報道を見たこと

Aちゃんを誘拐して殺害した後、自分がAちゃんと一緒にいるところを見られているのではないかと不安になってテレビのニュースを見るようにした。二、三日後、テレビで警察官が入間ビレッジの近くの入間川などを探しているのを見て、まだ自分が誘拐して殺害したことに気付いていないと思い、ほっとした。

(七) Bの誘拐殺害状況等

(1) Bの名前等を知った経緯

B事件のテレビ報道等を見ていたので、自分が小さな女の子を連れ去って殺したのが、昭和六三年一〇月三日の月曜日であることをよく覚えているし、この女の子の名前がBで年齢が七歳であること、Bちゃんを見掛けた場所が役場のような建物の前であったが、この建物が原市場小学校であることもテレビ報道等で知った。

(2) Bを車に誘い込むまでの状況

① 昭和六三年一〇月三日は、五日市町の魚屋「魚太」が当時営業していたならば、午前中、その新聞折り込み公告を印刷して新聞販売所に配達したと思う。その後、午後一時か二時ころ、ラングレーで家を出て、「ロジャース川越店」へ向かったが、ドライブがてら、青梅市から成木街道に入り、名栗村に出て、右折し、広い道を飯能市街に向けて走った。成木街道を通って名栗村に出て、原市場小学校の前を通って飯能市の街中に出る道は、同年九月初めころ、母親を同乗させ、伯母夫婦の車に付いて飯能焼の窯元に来たことがあり、その後、窯元で母親らと別れて一人で「ロジャース川越店」に行ったことがあって、知っていた。

② 途中、役場のように見える建物(原市場小学校)の手前約二、三〇メートル付近で車を止め、持参したジュースを飲んだ。何気なく周りを見ていたところ、原市場小学校の前に六、七歳の女の子が立っているのが目に止まった。そのうち、その子が見えなくなったが、一分もたたないうちに、再び、年も服装も同じ女の子(Bちゃん)が原市場小学校の前に立っているのに気付いた。Bちゃんは、そのうち、名栗の方に向けて歩き始めたが、周りに誰もいないことがわかり、Bちゃんを連れ去ろうと思った。そう思うと、緊張で胸がどきどきして何ともいえないスリル感がわいてきた(警察官の調べでは、Aちゃんの死体は殺した翌日見たり触ったりしたため、性器のわきに赤いはん点ができていたり、死体が固くなって冷たい感じもして余り気持ちよくなかったので、今度はそうではない性器を見たり触ったりしたいと思っていた旨、あるいは、Bちゃんを見たときこの女の子を連れ出して山の中で殺して性器をいたずらしたいという気持ちになってしまった旨述べるなどもしている。)。

③ 車を約一〇メートル前進させて止め、エンジンを掛けたまま車から降りて、歩いて来るBちゃんに近付き、「道が分かんなくなったので教えてくれるかい。」と声を掛けた。Bちゃんがちょっとキョトンとした顔をしたので「僕が道を知っている所まで車に乗って教えてくれないか。」と声を掛けると、Bちゃんがうなずいて近付いてきた。自分が車の方に歩き始めると、Bちゃんも右の方に並ぶようにして付いてきたので、助手席のドアを開けると、Bちゃんが黙って助手席に乗り込んだ。そこで、急いで助手席のドアを閉め、運転席に乗り込んだ。人に見られなかっただろうかということばかりが気になっており、すぐに車を発進させたが、その時刻は午後三時前後ではなかったかと思う。

(3) 走行中の状況

① いったん飯能市街に向けて走り出したが、余り慣れていない道なので、事故でも起こしたらBちゃんを誘拐したことがばれてしまうのでまずいと思い、一、二分走ってすぐUターンして名栗村の方に向かった。カーラジオをつけ、選局ボタンを指さして、「押してもいいよ。」と言ったところ、Bちゃんは、選局ボタンを押したりしながら、ラジオの番組を聞いて笑ったりしていた。車に乗せてもらったのがうれしそうだった。名栗村に向けて走行し、途中で左折してしばらく走ってトンネルを抜け、成木街道を青梅市に向かった。人に見られるのではないかと不安で、早く人目に付かない山の方に行きたいと思った。

② Bちゃんに顔を見られているし、引き返すわけにはいかないと思い、青梅市から日の出町に向かう途中の秋川街道を走っているとき、Bちゃんを八王子市の山の方に連れて行って殺そうと思った。しかし、その後、Aちゃんを殺した山の方が道をよく知っていると思い直し、小峰峠を通って東京電力変電所の所まで行き、裏手空き地に車を止めた。

(4) 山道を歩いて殺害場所へ行った状況

① Bちゃんは途中で眠っていたが、車を止めたときには目を覚ましていた。Bちゃんに、「降りて休もう。」と声を掛け、助手席ドアを開けてBちゃんを降ろした。休むために敷物を敷くように見せ掛けようと思い、シートカバー代わりに助手席と後部座席に掛けておいたシーツ二枚をスポーツバッグに入れて背負い、両手が手ぶらよりもかっこうがつくと考えて読売新聞の朝刊を一部手に持ち、高圧線を電車の送電線であると思わせるかのように高圧線の方に目をやりながら、はしゃぎ回っているBちゃんに「今度は電車に乗ろうね。」と声を掛けた。

② 山道に向かって歩き始めると、Bちゃんが黙って後を付いてきた。誰にも会わなければいいと不安だったが、その気持ちを悟られないようにのんきそうにしてみせ、Bちゃんはハイキングにでも行くような感じでいかにも楽しそうに付いてきた。途中で、Bちゃんに、「電車に乗る所は山を越えて向こうだよ。」と言うと、Bちゃんは、「ふうん。」と言っていた。

③ 二、三〇分歩いて、とうとうAちゃんを殺した場所に入った辺りまで来て、それ以上進んでいけばどこに出るか分からないと心配になった。それ以上先に行ったことがなかったし、Aちゃんを連れて歩いていたときは人に出会ったので、先に進んで行くと人に出会うのではないかと不安になった。そこで、Bちゃんに、「下に行ってみよう。」と声を掛け、山道からそれて斜面の林に入って行き、Aちゃんの死体のある場所を避けて、五、六メートル進み、そこから少し急になった斜面を左の方にカーブする感じで五、六〇メートル降りると、広く平らになった場所に出た。

(5) Bを殺害した状況

① ここなら誰も入ってこないと思い、この付近でBちゃんを殺そうと思った。Bちゃんはハイキング気分で割合大きな声で何かしゃべっていた。Bちゃんの声や姿を誰かに見られないかと気が気ではなく、新聞紙を地面に敷き、「ここで休もう。」と声を掛けてBちゃんを新聞紙に座らせると、自分もその右側に座った。Bちゃんに、「山だから涼しいんだよ。」と声を掛けたが、いつ殺そうかと思い、胸がどきどきしていたし、Bちゃんのはしゃぐ声が割合大きかったので、誰かに聞こえはしないかと気が気ではなかった。

② 五分くらいして、Bちゃんが、「いつ帰るの。」と言って新聞紙の上にあお向けに寝転がった。もう夕方だしこれ以上時間をおくわけには行かないから殺すなら今だと思い、立ち上がると、Bちゃんの両足をまたぎ、のどをつかもうと両手を前に突き出しながら覆いかぶさろうとしたところ、Bちゃんがびっくりしたような目をした。Aちゃんを絞め殺そうとしたときの恨むような目を思い出し、目をそらし、のどをみて両手で首をつかみ、両手の親指に体重を掛け、顔をそむけて力一杯絞め続けた。Bちゃんは初めのうちは両脚をバタバタさせたり、少し両手を動かしたりしてもがいたが、そのうちぐったりした感じになって動かなくなった。その後も首を力一杯絞め続けた。Bちゃんの首を絞め続けた時間ははっきり分からないが、自分では五分くらいは絞め続けたと思う。Bちゃんが動かなくなったので死んだと思い、両手を離した。Bちゃんを殺したのは、午後五時ころではないかと思う。

③ その後、Bちゃんが生き返らないようにするためと性器を見たり触ったりするためにBちゃんの上着、運動靴、半ズボン、パンツを脱がせて裸にし、Bちゃんの身体がまだ暖かいうちにその柔らかい性器を触ってみようと思い、左手指で性器を開いて、右手中指を性器の中に突っ込み、深さを確かめたりしながら三〇秒くらい性器を触っていると、Bちゃんの死体の両足が突然ビクビクと動いた。死んだとばかり思っていたBちゃんの死体の足が動いたので気味が悪くなり、これ以上性器を触る気がしなくなって、スポーツバッグから取り出したシーツ二枚を死体にかぶせ、Bちゃんの上着、運動靴、半ズボン、パンツと敷いていた新聞紙を持ってその場を離れた。Bちゃんの衣類等は山道に戻る途中の斜面付近でバラバラに投げ捨て、新聞紙は日付から殺した日が分かってはまずいと思い持ち帰って焼き捨てた。

④ 山道に出た後、急いで変電所の方に向かったが、変電所の一〇メートルくらい手前で、六、七台のオートバイの一団と擦れ違ったので、右腕で目をこするようなかっこうで顔を隠した。車の所に戻ったときには辺りは暗くなりかけていた。その後、小峰峠を通って帰宅したが、帰宅後、のどがかわいていたので冷蔵庫からジュースか牛乳を出して飲んだ。人を殺してきたことで胸がどきどきして落ち着かなかった。

⑤ Bちゃんを殺害したのが夕方だったので、写真撮影やビデオ撮影をするとしてもその翌日になるが、そうするとAちゃんのときのように死体が固くなったり、赤いはん点が出ていたりして気持ちが悪いだろうと思い、Bちゃんの死体の性器を写真撮影したりビデオ撮影したりする気持ちが起きなかった。

(6) テレビ報道を見たこと

その後、Bちゃんを誘拐して殺害した後も幼女が行方不明になったとのテレビ報道があったがその報道もすぐに終わってしまった。

(八) Cの誘拐殺害状況等

(1) Cの名前等を知った経緯

C事件のテレビ報道等を見ていたので、自分が小さな女の子を連れ去って殺害したのが昭和六三年一二月九日の金曜日であったことはよく覚えているし、女の子の名前がCで年齢が四歳であること、Cちゃんを連れ去った団地が川越グリーンパークという名称であることもテレビ報道等で知った。

(2) Cを車に誘い込むまでの状況

① 昭和六三年一二月九日の午前中、五日市町のガソリンスタンドで給油した後、新五日市社で印刷した日の出町のスーパー「サンマート」の新聞折り込み公告をラングレーで新聞販売所に配達した。午後一時三〇分ないし午後二時ころ、家を出て、ラングレーで「ロジャース川越店」に行き、ビデオテープを三〇本くらい買い、その後、そのまま帰宅せず、少し休憩しようと思い、国道一六号線を大宮方向に二、三〇分くらい走った川越の街外れのたんぼ道の方へ行って、車を止めて五分くらい休憩した。ところが、農家の人らしい人が通ったりして落ち着かなかった。自分は、小学生のころから、人と擦れ違ったときにその人が自分のことを何か言っているのではないかとか人が二、三人向こうで話しているだけで何か自分のことを話しているのではないかなどと気になってしまうところがあった。

② 別の場所で休憩しようと思い、車を走らせて行くと、小高い丘のようなものが見えてきたので、しばらく走って左折し、更に右折すると団地(川越グリーンパーク)の建物が見えてきた。川越グリーンパーク内に入って団地内の道路を走り、他の車が駐車してある道路わきにラングレーを止めて、二、三〇分くらい仮眠した。

③ 目を覚ますと辺りが少し薄暗くなりかけていたので、国道一六号線に出て帰宅しようと思い、車を走らせたが、国道一六号線に抜けるような道路に出ることができず、団地内を走り回っているうち、缶ジュースでも飲もうと思い付き、小学校のグラウンド正面前を過ぎた辺りに車を止め、エンジンを掛けたまま車内で持参してきた缶ジュースを飲んだ。ジュースを飲みながら車内のミラーを何気なく見たところ、車の後方から五、六歳の女の子(Cちゃん)が一人で歩いて来るのに気が付いた。振り返ると、Cちゃんが一人で歩いて車の方に近付いて来るのが見え、近くには誰もいなかったので、声を掛けてこの場所から連れて行くことができるのではないかと思った。AちゃんもBちゃんも一人でいたとき人に見られないで連れ去ることができたので、Cちゃんも同じように連れ去ることができると思った。そう思うと、Cちゃんに声を掛けて怪しまれないだろうかとか、人に見られないだろうかと思って、胸がどきどきし、何ともいえないスリル感がわいてきた。万引をするとき人に見られないだろうかと思ってハラハラするときのスリルと同じだった。Cちゃんを連れ去って何をしようとかは考えておらず、誰にも見られず連れ去ることができれば勲章だと思った(なお、警察官の調べでは、Cちゃんを見付けたとき、山の方に連れ去って殺して性器をいじろうと思った旨述べるなどもしている。)。

④ 運転席のドアを開けて車の外に出ると、誰かが近付かないかと注意しながら、Cちゃんが歩いて来る方に向かって歩き、車の後方辺りで、胸がどきどきするのを押さえながら、Cちゃんに、「暖かい所に寄っていかない。」と声を掛けた。Cちゃんは最初キョトンとした顔をしたが、すぐに意味が分かったらしく、こっくりうなずいたので、内心しめたと思ったが、助手席に乗せるまでうまく付いてきてくれるかとか誰かに見られなければよいがなとか思って余計胸がどきどきした。

⑤ Cちゃんの少し前を歩いて車の助手席のドアを開けると、Cちゃんはすぐ後を歩いて来て、助手席に乗ろうとしたので、「手を気を付けてね。」と声を掛けると、Cちゃんはこっくりうなずいて助手席に乗り込んだ。しめたと思ったが誰かに見られたらまずいと思い、すぐに助手席のドアを閉め、運転席に乗り込んでラングレーを発進させた。Cちゃんをラングレーに乗せたのは午後四時三〇分ころだったと思う。

(3) 走行中の状況

① 車を走らせ、川越グリーンパークに入って来た道を戻って行き、そろそろ団地から離れようとするところ、Cちゃんに「どこに行ってきたの。」と声を掛けたところ、Cちゃんは、後ろの方を指さして「あっち」と言った。Cちゃんの気を紛らせようと思い、カーラジオをつけて、「ラジオをいじってもいいんだよ。」と言ったところ、Cちゃんは、ラジオの選局ボタンを押して遊んだり、ラジオを聴いたりしていた。

② しばらく走行し、国道一六号線に出た前後ころ、Cちゃんに、「一回りして帰ろうね。」と声を掛けたところ、Cちゃんは、「うん」と言った。Cちゃんはおとなくし助手席に座っていた。

③ 国道一六号線に入って車が混み始め、「ロジャース川越店」の手前に来た。左折すれば八王子方面であるが、辺りが暗くなってきていたので、今からCちゃんをAちゃんやBちゃんのように八王子と五日市の境の山に連れて行くのは遠過ぎて、暗くなっていて山道を歩くことができないと思った。そこで、埼玉県の西の方の山に行こうと思い、「ロジャース川越店」前の交差点を直進した。車が多いので、対向車の運転手がCちゃんを知っていることはないだろうかとか、信号待ちのとき歩行者でCちゃんを知っている人がフロントガラスの方を見ないだろうかとか、Cちゃんを連れ去ったことに気付いて車で追い掛けて来ることはないだろうかとか不安だった。

④ そのまま進行すると、T字路に突き当たったが、ヒーターをつけて暖かくしていたので、このT字路の手前辺りからCちゃんが眠そうにうとうとしており、風邪を引いていたようで、ときどき「ごほん、ごほん」とせきをしていた。T字路を左折すると、追い越し禁止の道路で車が混み、スピードを出すことができず、Cちゃんがいなくなったことに気付いて連絡が回っているのではないかと不安で、早く山の方に着かないかとばかり思っていた。事故を起こさないように慎重に運転していたので、Cちゃんの様子を気にする余裕が余りなかったが、Cちゃんはうとうとと眠っていた。

⑤ 以前、友人のQと埼玉県の西の正丸峠辺りをドライブしたことがあり、正丸峠には、飯能市の方から国道二九九号線を通って行けばよいことも知っていたので、Cちゃんを正丸峠の辺りに連れて行こうと思った。そのまま直進し、道が左右に分かれている所を左に進んで行くと国道二九九号線に入っていたことに気付いた。Cちゃんを乗せてから二時間近く走ったころ、登り坂で、そのうちトンネルに差し掛かったので、正丸峠付近に来ていることが分かった。Cちゃんは泣いたり騒いだりせず、ときどき小さく「ごほん、ごほん」とせきをするだけだったので、車内の暖かさでうとうとしていたのではないかと思う。

⑥ トンネルを抜けて少し進むと道が分かれており、青梅・名栗という表示のある方へ左折して進行した。温度を調節しようとヒーターの調節つまみに手を伸ばしたとき、ダッシュボードに妹Nの赤いカメラを入れていたことを思い出し、Cちゃんが裸になったらその写真を撮ろうと思った。熊川駅の近くで女の子の性器の写真を撮ったことがあり、Aちゃんの死体の性器の写真を撮ったこともあるが、死体の性器の写真より生きている女の子の性器の写真を撮りたかった。性器の写真は人が余り持っておらず、自分が写したということで自分しか持っていないので宝物になるし、後でその写真を見ながらマスターベーションができると思った。そこで、車内をもっと暑くしようと思い、ヒーターの調節つまみを「強」にした。

⑦ 坂になった道路を一〇分くらい走った左手に駐車場のような広場があったので、車を乗り入れ、一番奥のすみまで進み、ガードレールの所に頭を突っ込むようにして車を止めた。

(4) Cの性器を写真撮影した上、同女を殺害した状況

① エンジンは掛けたまま、ヘッドライトを消し、車内灯をつけた。Cちゃんは目を覚ましており、車内は裸になっても寒くないほどの暑さだった。Cちゃんに、「後ろの席に行こう。」と言うと、Cちゃんが運転席と助手席の間を通って後部座席に移ったので、運転席のドアを開け、後部座席に乗り込んだ。そして、自分で上着を脱ぐかっこうをしながら、Cちゃんに「お風呂に入ろう。」と言って、上着を脱いで見せると、Cちゃんは本当にお風呂に入るのだと思ったらしく、後部座席の上で着ていた衣服を脱いですっかり裸になった。

② ダッシュボードからカメラを取り出し、六、七枚分空写しをした後、Cちゃんに「写真を撮ってから入ろうね。」と言ってカメラを見せると、Cちゃんがこっくりとうなずいた。そこで、Cちゃんの性器がよく写るように、「このようにしてごらん。」などとかっこうをして見せて、ポーズを付け、Cちゃんの性器を指で押し広げたりして一〇枚くらい写真撮影した。

③ そうしていたところ、右手の坂になった道路を車が一台下って行き、Cちゃんが突然しくしく泣き出したので、これ以上写真を撮るのをあきらめたが、Cちゃんの泣き声がだんだん大きくなり、ときどき「ごほん、ごほん」というせきをしながら、「ウウーッ、ウウーッ」というような声を上げて泣き出した。Cちゃんがもっと大きな声で泣き出したら通り掛かった車の運転手に気付かれるかも知れないと思い、ここでCちゃんを殺そうと思った。そこで、カメラを置いて、両手を伸ばし、「ごほん、ごほん」とせきをしているCちゃんの首を正面からつかんだ。Cちゃんはびっくしりたような顔をした。Cちゃんの首を両手でつかんで絞めながら上から下へ押さえ付けると、Cちゃんの体は後部座席のシートをすべってあお向けになったので、Cちゃんに覆いかぶさるようにして絞め続けた。Cちゃんの首をつかんだとき、Cちゃんの目がこれからのことを悟って恨んでいるように見えたので、その顔を見ないように顔をそむけながら両手で絞め続けた。Cちゃんは、ウーッと言って両足をバタバタ動かしたが、そのうち両足を動かさなくなり、ぐったりした。その後もしばらくCちゃんの首を両手で絞め続けていた。Cちゃんの首を絞め続けた時間ははっきりしないが、四、五分くらいは絞め続けていたと思う。Cちゃんがぐったりしたので死んだと思い、その首から両手を離した。Cちゃんを絞め殺したのは午後七時ころから午後七時三〇分ころまでの間だったと思う。

④ Cちゃんがぐったりして動かなくなったところ、プーンと大便のにおいがしてきた。Cちゃんの首から手を離し、Cちゃんの左足を後部座席のシートから床の上に降ろした後、お尻の方を見たところ、大便を漏らしていた。また、少しおしっこを漏らした跡もあった。それを見て汚いと思い、助手席ドアと後部座席左側ドアの窓ガラスを開けて空気を入れ換えた。そして、Cちゃんの衣類とポケットティッシュでシートの上の大便とお尻の肛門辺りの大便を拭き取った。その衣類とポケットティッシュは後部座席の窓から車外に投げ捨てた。

(5) Cの死体を捨てた状況

① Cちゃんの死体をどこに捨てようと考えたが、Cちゃんが生き返っては困ると思い、助手席シートの下に置いていた白色のビニールひもでCちゃんの両手首を後ろ手に縛り、両足を縛った後、布製ガムテープを口に張り付けた。そのとき、Cちゃんの口から少し灰色の液が出ているのに気が付いた。その後、後部座席のシートカバー代わりに使っていた白色シーツを後部座席の死体にかぶせて死体が見えないようにし、さきほど車の窓から投げ捨てたCちゃんの大便をふき取った衣類とポケットティッシュを拾い、ガードレールのある所から外に投げ捨てた。そして、後部座席の床から拾い上げたCちゃんの衣類や靴を抱え、車の左横付近からガードレールをまたいで駐車場の外に出て、その付近から投げ捨て、更に車の前の方に歩いて行き、林の方に少し入って奥の方に一つずつ力一杯投げ捨てた。

② その後Cちゃんの死体の上にかぶせたシーツで死体を包み、トランクの中に入れた。死体はずっしりと重かったことを覚えている。死体を捨てに行くことなどが心配であったことやCちゃんが大便を漏らして臭かったことから、死体の性器を触ったりしなかった。車内が大便のにおいで臭かったことやヒーターで暑くなり過ぎていたことから、車のドアを開け放して空気を入れ換え、後部座席に置いておいた芳香剤をダッシュホードに置いたりして大便のにおいを紛らそうとした。

③ こうして、車内から大便のにおいが消えたと思ったので、Cちゃんの死体を捨てに行こうと思い、駐車場を出て、坂になった道路を上の方に向かって進み始めた。駐車場を出たのは午後八時ころと思う。

④ どこかわき道に入る所があれば、入って行って死体を山の中に捨てようと思い、時速二〇キロメートルくらいで進行したが、人を殺した後で胸がどきどきしていたのと死体を積んでいて事故を起こしたら死体が見付かってしまうかも知れないと思うと気が気でなく、落ち着かない気分で運転していた。

⑤ 駐車場を出て、二、三分経ち、四、五〇〇メートルくらい進み、右に大きくカーブして更に左にカーブしている所で、突然車の右前ががくっと下がり、右前輪が溝にはまったと思った。ライトを付けたまま車から降りて見ると、右前輪が道路右側の溝に落ちているのが分かった。通り掛かった車の運転手が車を引き上げるのを手伝ってやると言ってトランクでも開けられたら死体を見付けられると思い、誰か人が来ないうちにCちゃんの死体を捨てようと思った。そこで、トランクを開けてCちゃんの死体をシーツを包んだまま抱え出し、右肩に担いで道路右側の山の中に入っていった。暗く、左手で木のようなものにつかまりながら登ったが、七、八メートルくらい先で斜面が急になってこれ以上奥へは行けなくなったので、死体をその場に降ろし、シーツを外すと、木の根元と思われる所に手探りであお向けの感じで置いた。辺りが暗かったので、死体を置いた場所がどのような場所かはっきり分からなかった。シーツを持って車に戻り、シーツをトランク内にしまった。

⑥ 死体を捨てたことで少し落ち着き、右前輪を引き上げようと、てこ代わりの木の棒を探して道路右側の山の中に入ったが、適当な棒は見付からなかった。その時、前方から走行してくる乗用車のヘッドライトが見え、四、五メートル手前に停止し、二〇歳代の男が二人降りてきて近付いて来た。自分が車の前に行くと、二人のうち一人が、「どうしたんですか。」と声を掛けてきたので、「こんなときどうしたらいいんですか。」と聞くと、一人が脱輪の様子を見て何か話した様子であった。この人たちが手伝ってくれれば右前輪を溝から引き上げられると思い、トランクの中からジャッキを取り出した。すると、脱輪の様子を見ていた方の男が何か言いながらラングレーの運転席に乗り込み、ハンドルを切ってタイヤを溝の両側のコンクリートにくっつけてバックで車を出そうとしたので、もう一人の男と前方から車を押そうとした。一度エンストしたようであったが、運転席の男がすぐにエンジンを掛けてバックで右前輪を溝から上げてくれたので、車に手を掛けた程度で押さないうちに右前輪が道路に上がった。ほっとして、二人の男に礼を言ってジャッキを自分の車に積み、青梅・名栗方面に向けて走り出した。

⑦ その後、名栗村から成木街道を通って青梅市内に入り、日の出町を通って午後九時半ころ自宅に戻った。その夜、石けんとぞうきんで後部座席のCちゃんの大便が付いていた所をきれいにふいた。Cちゃんの死体を包んだシーツはその後自宅前畑で焼き捨てた。

⑧ その夜、Cちゃんの性器を写した写真のフィルムをカメラから取り出し、しばらくした後、具体的には思い出せないが東京都内の写真屋で、適当な名前で、現像とプリントをしてもらった。一〇枚くらいプリントしてもらい、その写真を見ながら一回マスターベーションをした。顔がはっきり写っているものはまずいと思い、そのネガと写真を焼き捨て、そのほかのネガと写真は自宅裏物置の二階の屋根裏に隠しておいた。

(6) テレビ報道等を見たこと

① Cちゃんを殺した翌日の一二月一〇日、Cちゃんがいなくなったというテレビ報道があったが、事故か事件かという話であり、自分のやった事件だと気付かれていないのでよかったと思った。

② その後、Cちゃんの死体が発見された近くで不審な脱輪車があったとの報道がされ、Cちゃんを殺した翌日に死体が発見されていたら、車を引き上げる手伝いをしてくれた二人に見られているので、自分がCちゃんを殺して死体を捨てたことがばれると思ったが、死体が発見されたのが六日後だったので、あの二人が神経質な人でなければ私のことを気にとめないだろうとか、あの二人が余計なことに首を突っ込まなければよいがとか思っていた。脱輪車についてもラングレーであるとまでの報道はなかったので、すぐに自分に結び付くことはないだろうと思っていた。

(九) A、Cの両親に犯行を告知した状況

(1) 事件のテレビ報道に注目した状況

Cちゃんを誘拐して殺害した直後から埼玉県下で連続して三人の幼女が行方不明になったという番組がテレビで盛んに放送されるようになった。そこで、報道から捜査の進展状況を知りたいと思って注意して見るようにし、また、自分の事件の報道番組であるので記念になると思い録画するようになった。そして、自分の起こした事件のテレビ報道をビデオに録画し、まとめてダビングして再生して見るということを繰り返していた。

(2) F宛にはがきを郵送したこと

① 昭和六三年一二月一五日にCちゃんの死体が発見されたと報道された直後、Aちゃんの母親がAちゃんがいなくなったことに大変なショックを受けてAちゃんの生死を案じていることを知り、かわいそうになって、Aちゃんがまだ生きているという気休めを書いて送ろうと考えた。

② そこで、自宅印刷工場のコピー機で数社の新聞の文字を拡大コピーしてこれを切り張りし、テレビ報道で知ったFさんの住所氏名宛名書き部分と、「魔が居るわ」という文面の部分とを作成し、差出人が中国人であると思わせるため、ビデオ仲間の名簿から香港の人の住所の文字をコピーして拾って、「魔が居るわ」の文面の下に並べ、これらを更に拡大コピーして普通のはがきの表裏に張り付け、余分な所をカッターで切り落として整形し、川越市内のポストに投かんした。作業の際には指紋が付かないように手袋をした。

③ 「魔」には「Aちゃん」と「中国の人さらい」の意味を込め、「居るわ」には「Aちゃんが中国で元気に暮らしている。」という意味と「中国人の人さらいが居る。」という意味を込めて、「魔が居るわ」という文を考えた。また、「魔が居るわ」の文字を並べ換えれば、「入間川」と読めるので、その意味も込めた。こうして、「中国の人さらいが入間川まで来てAちゃんをさらっていったがAちゃんは中国で元気に暮らしている」という意味を込めた。

④ 中国人なら日本人と髪や肌の色が同じで顔付きも似ているので日本人をさらってもおかしくないし、テレビで中国残留孤児の中に戸籍がはっきりしないために結婚できない人がいるとの放送を見たことがあったので、そのような結婚できず子供がほしくても子供のいない残留孤児から中国の人さらいが頼まれてAちゃんをさらったことにすればよいとの考えが浮かび、「魔が居るわ」という文を考え付いた。いたずらではなく、Aちゃんの両親の気休めになればよいと思ってしたことである。

(3) H宛にはがきを郵送したこと

① テレビの事件報道の中に、Cちゃんの父親が「Cは死んでいても見付かってよかった。」と泣きながら話しているシーンがあったので、Hさんの気休めになるように、Cちゃんを楽に死なせてやったことを知らせてやろうと思った。

② そこで、新聞と本から、「C」、「かぜ」、「せき」、「のど」、「楽」、「死」の文字がある部分を拡大コピーし、それぞれの文字の部分を切り取って、白紙に右から順番に張り付け、「→」を付け加えて、「C」→「かぜ」→「せき」→「のど」→「楽」→「死」と記し、普通のはがきくらいの大きさにコピーした。Hさんの住所と名前も新聞から拾って拡大コピーし、その部分を切り取って白紙に張り付けた。「様」の文字は本から拾って拡大コピーした記憶である。これも普通のはがきの表書きくらいの大きさにコピーした。これらをそれぞれはがきの裏表に張り付け、余分な所はカッターナイフで切り取った。このはがきをつくるときは指紋が付かないように軍手をはめた。このはがきは、Cちゃんの死体が発見されたとの報道のあった三、四日後か四、五日後に入間市内のポストに投かんした。入間市内で投かんしたのは犯人が埼玉県の人間であるかのように見せ掛けるためであった。

③ Cちゃんを殺すとき、Cちゃんが風邪を引いてせきをしてのどが苦しそうにしていたので、「苦しそうだったが、すぐ首を絞めて殺したので楽に死なせたよ」と理解してもらう意味であり、Cちゃんが風邪を引いていたことは親や医者などのごく限られた人と犯人のほかには知らないはずだから、「かぜ」「せき」の文字を入れておけば、犯人が本当の事を書いて出したことがHさんに分かると思った。

④ このはがきは犯行声明文や告白文を郵送した後テレビで取り上げられたのを見ているが、Fさん宛はがきについてはテレビ報道は見ていない。

(4) Bちゃんの両親宛にはがきを出さなかった理由

このときは、Bちゃんの住所がよく分からなかったのではがき等は出さなかった。

(5) Aの遺骨入り段ボール箱をA宅玄関前に置いたこと

① Fさん宛のはがきのことが報道されなかったので、気休めにはならず、いたずらと思われたのだと思った。Aちゃんの半ズボンを隠しておいたことを思い出したので、Aちゃんには着替えをさせているので誘拐時の衣類はいらないとの意味を込め、半ズボン、パンツ、サンダルを小包にしてA宅に送ろうと考えたが、郵便局員に顔を見られるとまずいと思い直し、これらの写真を郵送しようと考えた。「真が生るわ」と書いたものを一緒に送れば、「魔が居るわ」のはがきの差出人と同じ者が差し出したと分かってもらえるし、Aちゃんが生きているという意味にとってくれると思った。

② そこで、現像に出さなくてもよいように父親のコダックインスタントカメラで撮影しようと考え、平成元年一月初めころ、五日市町の写真店「スヌーピー山崎」でインスタントカメラのフィルム一〇枚入りのもの二パックを買い、カメラが一見して古かったので電池を新しく買って入れ替えてもらった。しかし、フィルム等を買ってすぐに衣類等の写真を撮影し、A宅に送った場合、警察の捜査で発覚する恐れがあると思い、日時の経過を待つことにした。

③ テレビの事件報道を繰り返し見ていたが、その中に、Cちゃんの父親が「Cは死んでいても見付かってよかった。」と泣きながら話しているシーンがあったり、AちゃんやBちゃんの両親がとてもショックを受けて悲しんでいる報道があったりしたが、そのうちに、もうAちゃんやBちゃんが死んでいるということをAちゃんやBちゃんの両親に教えた方がよいのではないかと思うようになった。

④ そこで、AちゃんやBちゃんが死んでいることを知らせるためには遺骨を届ける方がよいと思うようになり、また、遺骨を両親に返し、少しでも悲しみを和らげようと思い、平成元年一月中旬ころ、散歩を装うために飼犬のペスを連れ、ラングレーで小峰峠から東京電力の変電所裏に行き、ラングレーを駐車させ、徒歩で骨を拾いに行った。まず、Bちゃんの骨から拾おうと考え、Aちゃんを殺した場所より奥に入って斜面を五、六〇メートル降りた平らになっている林の中という記憶で、林の中に降りてみたが、木が切り倒されたように倒れていて、辺りの様子が異なるように思い、Bちゃんを殺した場所がよく分からず、しばらく探しているうち、二枚のシーツがボロボロになって丸まって落ちているのに気付き、その付近を探してみたが、Bちゃんの骨が見当たらず、木が切り倒されたように倒れていたので、ひょっとしたら誰かがこの林の中に入って来てBちゃんの骨を見付けて持っていってしまったのかもしれないと思った。こう思うと、誰かに見られているのではないかとますます不安になり、Aちゃんの骨も探さなければならないので、それ以上Bちゃんの骨を探すのをあきらめ、ボロボロのシーツを拾って黒色ビニール袋に入れてバッグに入れた。

⑤ 次いで、この林を出て少し急な斜面を登って行き、Aちゃんの死体を置いておいた場所に行った。Aちゃんの死体はそれほど探し回らなくても見付かった。Aちゃんの死体は白骨になっており、頭がい骨の前の方に髪の毛が少し付いていた。その他の骨は頭がい骨から斜面の下の方に約一・五メートルの範囲に散らばっていたので、頭がい骨のほか、見付けることができた骨を拾い、ボロボロになったシーツとTシャツの切れ端と一緒に持参していた黒色ビニール袋に入れ、バッグに入れて持ち帰り、いったん自宅裏物置の二階のわらを入れておく木箱内に隠しておいた。なお、殺害現場からの帰途、山道でハイキングふうの四〇歳ないし五〇歳くらいの男性と出会っている。

⑥ ところが、今度は、Aさん宅に骨を届けるのはどうかと考えてしまい、再びAちゃんの衣類等の写真を送ろうと思った。そこで、二、三日後、自宅の裏庭でAちゃんの半ズボン、パンツ、サンダルのインスタント写真を一枚撮影し、一パックの残りのフィルム九枚はカメラから取り出して焼き捨てた。

⑦ こうして、Aちゃんの衣類等の写真を準備したが、またいたずらと思われるのではないかと考えが変わり、写真を自室に隠した。半ズボン等は焼き捨てた。

⑧ Aちゃんの遺骨をいつまでも隠しておくわけにはいかないと思っていたところ、平成元年一月下旬か二月初めころになると報道も静かになったので、夜ならAさん宅に遺骨を届けることができると思った。人が死んだ場合は火葬が普通であり、骨を焼けば、小さくなるしにおいもなくなって届けやすくなると考え、同年二月初めころ、焼いているところを人に見られたとき人骨と思われないように予め黒色ビニール袋に入ったままの頭がい骨等を自宅裏物置前で棒切れで一、二回叩いて割り、祖父の古家具やごみ、持ち帰ったシーツ等と一緒に自宅前の畑のごみ焼き用の穴に入れ、印刷工場で使っている油を掛けるなどして焼き、スコップで灰と一緒に段ボール箱に入れた後、翌日、自宅にあった文字や絵柄の描かれていない段ボール箱に移し替えた。この段ボール箱がビデオ仲間からビデオテープの送付を受けたときのものであったことは取り調べを受けて思い出した。

⑨ そして、自宅工場にあった辞書二、三冊から文字を拡大コピーして、「A 遺骨 焼 証明 鑑定」との文面をB5判の紙に作り、「Aちゃんの本物の遺骨を焼いた証明です。鑑定すれば分かりますから葬式をしてやって下さい。」という意味を込めた。「A」「証明」「鑑定」は辞書から熟語を拾ってコピーしたが、「遺骨」は「遺」と「骨」の文字をコピーして組み合わせた。最初、「遺体」という文字を辞書から拾ってコピーしたが、死体を焼いたのではなく骨を焼いたので「遺骨」にしなければいけないと思い、「骨」をコピーして「遺体」の「遺」と組み合わせた。さらに、Aちゃんの遺骨であることを信じてもらおうと、Aちゃんの半ズボン等の写真を左上にセロテープで張り付け、遺骨入り段ボール箱に入れた。これらの作業の際には指紋が付かないように手袋をした。このときの辞書は焼き捨てた。

⑩ 平成元年二月五日午後一一時ころ、遺骨入り段ボール箱をバッグに入れ、ラングレーで入間ビレッジへ行き、翌日午前零時ころ、段ボール箱をAさん宅玄関ドア前に置いた。このときも指紋がつかないように手袋をはめていた。

⑪ 結果的に世の中を騒がせたが、騒がせるつもりでしたものではない。葬式を出してもらいたいと考えたから、見付かる危険があったのにAさん宅まで遺骨入り段ボール箱を届けたのであり、焼いた骨を残さないように灰まで入れて届けた。

(6) 犯行声明文を郵送したこと

① 遺骨入り段ボール箱をAさん宅前に置いた後、テレビ報道を予想して注目していたところ、平成元年二月七日、狭山警察署長が段ボール箱に入っていた歯がAちゃんのものと違うとの発表をしたことを知ってびっくりし、段ボール箱に入れた遺骨がAちゃんのものであることを訴えようと、声明文を書いて郵送することを思い付いた。

② 平成元年二月七日午後九時ころから翌朝まで、普通の横けい線のノートを縦見開きにして、シャープペンシルで普段とは字体を変え、縦書きで六ページに犯行声明文を書き、ページ全部をノートから切り離さず、ノートの特長が分からないようにするためこの六ページの左右の余白をカッターナイフで切り落とし、ページを見開きにしたまま裏側にノートのとじ目の所まで白紙を差し込んで、余白が写らないようにして印刷工場のコピー機でコピーをし、六ページの犯行声明がB4の用紙三枚に縦書きにコピーされたものを二部作成し、更に用紙のサイズを分からなくするため、コピーされたものの左右の余白等を切り落とした。これらの作業の際には指紋が付かないように手袋をはめた。中学生のころから普段と違う字を書いたりしていたので、字体を変えて書くことは容易であった。

③ 内容は、体験事実と創作とテレビ報道を参考に想像したところがある。Aちゃんが兄と一緒にプールで遊んでいたことやポストの所で兄と別れたこと等は、Aちゃんを誘拐してから一七日が経過した後の、四チャンネルの「おもいきりテレビ」という番組の中で小林完吾が出演した時の番組の内容を録画したものを参考にして書いた。

④ 犯人を子供のいない四〇歳くらいの女性という設定で創作し、封筒の差出人欄には「所沢市 今田勇子」と書いた。「今田勇子」は「今だから言う。」というごろ合わせと、「勇子」という名前が女の名前に読めること、「勇」の「マ」を取れば「男」になること、「今田」の「今」が「A」の「今」と同じであること、「勇」から取った「マ」を「今田」の「田」の右側につければ「A」の「野」に似た文字になることから考え付いた。住所を所沢市にしたのは、犯人が埼玉県の住民であるように見せ掛けるためである。

⑤ さらに、犯人が差し出したものであると信じてもらうため、Aちゃんの死体を撮影したビデオテープを再生し、その顔部分を静止画像にして、前に買ったフィルムの一パックを使い、インスタントカメラで一枚撮影して少しテープを送ってもう一枚撮影し、その背景を切り落とした上、これらを二部作成した声明文の各一枚目にそれぞれセロテープで張り付けた。

⑥ そして、犯行声明文をお年玉年賀はがきの四等の景品の封筒に入れて朝日新聞社及びAさん宅に郵送した。朝日新聞社にも郵送したのは、犯行声明文の内容が報道されて世の中の人もそれを信じてくれるだろうと考えたからである。青梅市内で投かんしたのは、所沢に行く道を知らず、事故でも起こして気を失い、犯行声明文を読まれでもしたら犯人であることが分かってしまうと考えたことのほか、所沢以外の場所で投かんすれば、それだけ犯人がどのような生活を送っているか分からず捜査が混乱すると思ったからである。原文は焼いた。

⑦ Aちゃんの死体の顔が写っていたビデオテープは、ひょっとして誰かに見られてはまずいと思い、その後他のテレビ番組を録画するかして消した。取調べの当初、Aちゃんの顔写真は車の中で眠っているところを撮影したとうそをいったが、殺害後その顔をビデオ撮影したことが分かると悪質だと思われると考えたからである。Fさん宛の写真と朝日新聞社宛の写真とでは写っているAちゃんの顔の角度が違うと追及され、うそを言い通すことができなかったので、本当のことを述べた。

(7) 告白文を郵送したこと

① 警察は、その後の鑑定で段ボール箱に入っていた歯も骨もAちゃんのものと断定した旨の発表をしたので、安心してその後は犯行声明文を書こうとは考えていなかったが、平成元年三月上旬にAちゃんの葬式を出すとのテレビ報道があり、そのとき、段ボール箱に入っていた骨がほぼ一体分であるが足りないという趣旨の報道があった。自分としてはAちゃんの骨を全部拾い集めて焼き、残さず返したつもりであったので驚くと同時に足りないということを知った両親が悲しんでいるだろうと思った。骨は全部拾ったつもりであったし、もう一度山へ行って拾ってきても今度届けに行けば捕まると思ったのでできなかった。そこで、今度は、両親の怒りをかき立て、犯人を憎ませて悲しみを薄れさせようと考え、朝日新聞社及びAさん宅に告白文を郵送しようと考えた。

② 犯行声明文の原本等は焼いてしまっていたが、テレビ報道の資料でその内容を知ることができ、犯行声明文と関連付けて告白文を書いた。報道内容に対する答えも書いた。内容のほとんどは創作である。犯人に対する怒りをかき立てるため、嫌みやからかいを表現した。告白文に引用した群馬県の事件はテレビ報道をヒントにしたものであり、自分のやったことではないので関心も薄く、行方不明の女の子の名前を「明子」と誤って思い込んでいてそう書いたが、正しくは「朋子」であることは取調べで教えられて初めて分かった。「一五年は捕まりたくない」と書いたのは、死んだ子を五歳と設定したので、一五年後つまり成人までは捕まりたくないと言う意味であり、殺人の時効の一五年と一致することは知らなかった。

③ 告白文の作成方法は犯行声明文と同じで、犯行声明文のように字体を変えて書いた。犯人以外の者がいたずらで出したと思われないように三枚目の裏にAちゃんの顔の絵を描いてセロテープで張り、三枚の紙をホチキスで止めた。封筒の裏はセロテープで止めた。青梅街道から横にそれた場所で投かんしたのは、犯行声明文の投かんと同じ理由である。原文は焼いた。

(一〇) Dを誘拐殺害するまでの間に女児等の写真を撮影したこと

(1) Dちゃんを誘拐した団地と同じ団地内で女児を写真撮影したこと

平成元年五月二一日ころ、有明テニスの森近くの東雲団地に行ったとき、一号棟付近を歩いていて、木登りをしている女の子二人と男の子一人を見付け、「木の登っているところを写真に撮らせてくれる。」と声を掛けて、写真を撮り、「どこかこの近くに鉄棒がある所ないの。」と聞くと、三人が小学校の校庭に案内してくれた。校庭では何とかパンチラ写真を撮ろうと、逆立ちなどして見せてその真似をさせ、写真に撮ったり、ビデオカメラで撮影したりした。撮影したフィルムは偽名でスーパーマーケットで現像をしてもらった。このときの写真を二枚セロテープで張り合わせ、より悩ましくして、自室でマスターベーションに使った。

(2) 昭島市の田中小学校校庭等で女児を写真撮影したこと

① 平成元年六月一日、よくパレードがある八王子駅前に駐車場所の下見を兼ねて行こうと思い、国道一六号線から国道二〇号線を通り、八王子インター方向への道路を走っていると、橋の手前に来たので、川原で少し休もうと河原に降りる道を探すため左折したところ、見付からず小学校(取調べで昭島市田中小学校と教えられた。)に出てしまった。道路にラングレーを駐車して休んでいたところ、小便がしたくなり、小学校に行けばなんとかなるだろうと思って、小学校に行くと、七、八人の女の子等が校庭で遊んでいたので校庭のすみで小便を済ませると、無断で借りてきた妹Nのカメラを車から持ち出して校庭に戻った。女の子等に近付き、「写真撮らせてね。」とやさしい言葉を掛けて、ブランコに乗っている女の子やジャングルジムに登っている女の子のパンチラ写真を撮った。写真を撮るのはマスターベーションに使うためなので、できれば小さな女の子の陰部の写真が撮りたいと思っていた。

② そこで、一番歳下で五、六歳くらいに見える女の子に、「向こうの方で今度は撮ろうね。」と話し掛け、校庭のすみの植え込みまで連れて行き、うまく言ってパンツを脱がせ、しゃがませておしっこをさせるようなかっこうの写真を撮ったり、左手で陰部を開き中が見えるようにして右手でシャッターを押して何枚か写真を撮った。このフィルムは、新宿駅西口の「カメラのさくらや」に現像に持ち込んだが、焼き付けしてもらえず、ネガフィルムしかやってもらえなかった。

③ このとき、母親に買ってもらった愛着のあるセイコーのデジタル時計をなくしたので、時計から自分のことが分かるのではないかと不安であった。そこで、今度女の子を誘拐して殺害するときには首に指紋を残さないようにするため、自宅印刷工場から透明のビニール袋を持ち出し、ラングレーの助手席の下に入れておいた。

④ また、ビデオ仲間に録画を依頼するためにビデオテープを送る際や、小さな女の子の死体の両手足を縛ったり、口をふさいだりするのに使おうと、ラングレーの助手席のシートの下にガムテープやビニールひもを入れておいた。

(一一) Dの誘拐殺害状況等

(1) Dの名前等を知った経緯

平成元年六月六日自分が団地から連れ去って殺害した女の子の名前がDちゃんであること、その団地の名前が東雲団地であることなどは後のテレビ報道で知っている。

(2) Dを車に誘い込むまでの状況

① 平成元年六月六日午前九時ころから、ラングレーを運転し、新五日市社で印刷したサンマートの広告チラシを五日市町等の新聞販売店に配達した後、午後からは仕事を休んで友だちとドライブをしようと考え、五日市町の荒井商店でガソリンを入れた後、R宅に出掛けたが、同人の車がなかったので出掛けていると思い、今度はW宅に行ったところ、同人のバイクがなかったので出掛けていると思った。そこで、秋川市の電気店「Mマート」に行って安いビデオテープを探したが、なかったので車に戻って一休みし、どこに行こうかと考えた。

② そして、ラングレーの助手席のボックスに、平成元年二、三月ころ無断で持ち出し同年五月ころ入れて置いたNの赤いカメラが入っていることを思い出し、有明テニスの森へ行ってみよう、そこがだめだったら少し手前にある団地に行ってみようと思った。有明テニスの森は「ぴあ」という雑誌で知った所で、これまでテニスルックのパンチラを見たり写真に撮ったりするために友人のPと一緒に行ったことがあった。また、その手前の団地は、五月初めころと五月二一日ころの二回行ったことがあり、五月二一日ころに行ったときは、団地内の小学校の校庭で九歳くらいの女の子らのパンチラをビデオ撮影したことがあった。

③ 午後一時ころ、「Mマート」の駐車場を出て、青梅街道を通り、新宿通りを皇居に突き当たり、銀座に出て、青梅通りを通って、有明テニスの森に向かった。晴海通りを通り、右折して有明テニスの森の方へ行く道路に入るT字路の交差点を右折する所から行く手に高層アパートが見えてきた。あの団地に行けば、五月二一日ころのときのように小さい女の子のパンチラ写真が撮れるかもしれないし、うまくいけば、六月初めころに昭島市内の小学校で小さい女の子の性器の写真を撮ったときと同じような写真を撮ることができるかも知れないし、もっとうまくいけば、Aちゃんを誘拐したときのように、一人でいる小さな女の子に声を掛けて車に連れ込んで、人目に付かない所に連れて行って殺し、その性器を見たり触ったり、写真撮影をしたりすることができるかも知れないと思い、胸がどきどきしてきた。そのころ時刻は午後五時になっていたので、もうテニスをする人もいないかも知れないなどと考え、団地に行った。

④ まず、小さい女の子のパンチラ写真を撮っていて大人に見付かった場合にうまく逃げ出せるように、団地内や周辺の道路をゆっくり走行して様子を見た後、胸がどきどきした状態のままでは女の子に近付いたとき怪しまれたり、近くに大人がいるのに気付かなかったりしてはまずいと思い、団地内の小学校東側の道路に車を止め、自宅から持ってきた缶ジュースを飲み、気持ちを落ち着かせた。そして、同じ場所に長時間駐車していて不審に思われてはいけないと思い、車を団地の四号棟(テレビ報道で知った。)東側の道路に移動してしばらく休んだ。

⑤ 午後五時二、三〇分ころ、カメラを持って車から降り、逃げるときの道順を確認したり、小さな女の子を探したりしながら、団地内の道路や四号棟西側にある公園を歩き周り、公園にある便所で大小便をし、水飲み場で水を飲んだ後、公園内の三つ並んでいるベンチの真ん中のベンチに腰を掛けて適当な女の子がいないかと見ていた。水飲み場で六歳くらいの男の子が何人か水を掛け合って遊んでいた。そのうち、左隣のベンチに四〇歳くらいの女の人が座ったので、自分の顔の動きを気付かれないように右側のベンチに移動した。

⑥ すると、四号棟一階の吹抜け道路から出てきて公園との境の道路辺りまで来たり、また引き返したりを繰り返して公園の様子を見ている六、七歳くらいの女の子(Dちゃん)がいるのに気付いた。Dちゃんの近くには両親などもおらず、人通りもなかったので、Aちゃんのときと同じようにうまくいけばこの子を連れ去って人目の付かない所に連れて行って殺し、性器を見たり触ったり写真撮影をできるかも知れないと思った。そう思うと、子供のころのジュースやすいかを盗んだときのようなスリル感で胸がどきどきしてきた。

⑦ ベンチから立ち上がり、団地四号棟の吹抜けの通路に入り、物陰からDちゃんの様子をうかがった。Dちゃんは玄関(報道で保育園の玄関と知った。)の前で自転車に乗った八歳くらいの男の子と話していたが、男の子は何かを話した後公園の方に行ってしまった。Dちゃんは一人でうろうろして、時には玄関を出入りしていた。Dちゃんの様子を見ていたとき、五〇歳くらいの男の人が吹抜け通路の途中にある自転車置場辺りに来て自転車かバイクを見ていた。また、四号棟の敷地から東側道路に下りる階段の方から女の子が一人歩いてきたので、何気ないふりをしてその階段の方に歩いてその女の人と擦れ違った。こうして、Dちゃんの様子を見ていると、勤め人ふうのきちんとした服装の女の人が保育園の玄関前でDちゃんに「まだ帰らないの。」と話し掛けているのを見た。これを聞いて、Dちゃんはいつも一人で家に帰っているから親が迎えに来ないと思った。

⑧ 女の人が立ち去った後、午後六時ころか六時過ぎころ、Dちゃんに近付き、「写真撮らせてね。」と声を掛け、カメラをDちゃんに向けて一枚シャッターを切った。さらに、「向こうで撮ろうね」と声を掛け、四号棟の東側の道路に下りる階段の方に歩き出すと、Dちゃんが付いてきた。「しめた」と思い、Dちゃんの歩く速さに合わせるようにして七メートルくらい先を間隔を取りながら歩いて四号棟の東側道路に下りる階段を歩道へと下りて行った。歩道へ下りると、左手の方から四〇歳くらいと三〇歳くらいの女の人が二人歩いてきたので、このままDちゃんを車に連れて行くのはまずいと考え、歩道を左手に歩いて女の人と擦れ違い、四号棟の敷地の周りを歩いた。Dちゃんが付いて来るのをときどき確認しながら四号棟の周囲を一周した。

⑨ こうして、駐車しておいたラングレーの所までDちゃんを連れて行き、「今度は車の中で撮ろうね。」と言うと、Dちゃんが黙って助手席に乗り込んだので、助手席ドアを閉めると運転席に乗り込んだ。ほっとするとともに人に見付かってはまずいと思い、早く人目に付かない所に連れて行かなければならないと思った。Aちゃんを殺した山まで連れて行こうかとも思ったが、遠いし、渋滞にかかるだろうし、途中でDちゃんに泣き出されたら他人に怪しまれると思い、前に行ったことのある東雲団地の南の少し離れた所にある駐車場が思い浮かんだのでそこなら人目に付かないだろうと思い、ラングレーを発進させ、駐車場に向かった。

(3) Dを殺害場所まで連れ去った状況

① 車を運転しながら、Dちゃんに、「団地が近いからこの道は知っているでしょう。」、「お母さんはいつも家にいるの。」、「お父さんと車でしょっちゅうドライブするの。」などと話し掛けた。駐車場に入って車を止め、「ここへんには来たことがあるんですよ。」と話し掛けながら周囲の様子をうかがっていると、すぐに車が一台入ってきて駐車し、三〇歳くらいの夫婦のような男女が降りてきて、駐車場の出入口から出ていった。

② 気付かれずに済んだとほっとしたが、ここでは人が来て見られるのでDちゃんを殺せないと思った。そこで、すぐに発進させ、小学校の南側の道路に出たとき、左手にプレハブの物置のような建物があり、その前に車が二台駐車していて、左端に車が一台止められるスペースがあるのに気付き、その場所に車を乗り入れて止めた。

(4) Dを殺害した状況

① 右側の駐車車両の運転手が戻って来たりしてのぞいてきては困ると思い、Dちゃんをのぞきにくい後部座席に移そうと考えた。そこでDちゃんに、「靴を脱げば後ろに行ってもいいんだよ。後ろに行って跳ねてもいいんだよ。」と言った。Dちゃんは靴を脱いで運転席と助手席の間から後部座席に行ったので、自分も運転席から降りて後部座席に入った。

② 運転席のシートに尻を乗せて自分の身体でDちゃんを見られないように隠し、Dちゃんに、「毎日お父さんに車に乗せてもらうの。」と尋ねると、Dちゃんは違うというふうに首を横に振った。隣の車がDちゃんの父親の車ではないだろうなと不安になったので、「隣に止めてある車はお父さんの。」と聞くと、Dちゃんは、また違うというように首を横に振った。隣の車がDちゃんの知っている人の車ではないだろうなと不安になり、「そこん所に誰か知っている人の車ある。」と聞くと、Dちゃんは「知らない。」というような返事をした。母親が探しているのではないかと思い、「いつもおうちには一人で帰っているの。」と尋ねると、Dちゃんは、「うん」と答えた。また、母親がDちゃんの持ち物が放り出してあるのを見たら心配すると思い、「まりとか自転車をどこかに忘れていない。」と聞くと、Dちゃんは、「忘れていない。」と答えた。まだ、誰もDちゃんを探していないだろうと思い、「ここは余り遠くないからここからでも帰れるでしょう。」などと言うと、Dちゃんは、「うん」と言った。

③ このような話をしていると、Dちゃんは後部座席に座って跳ねたり、両手で座席シートをポンポンたたいたりしてだんだん安心した様子をみせてきた。これからDちゃんをどこに連れて行って殺そうか、いっそここで殺してしまおうか、ここで殺すと人に見られてまずいのではないかなどと考えたり、このまま帰してしまおうかなどという考えもちらっと浮かんだりして、考えがまとまらなかった。

④ 手に持っていたクールミントガムを取り出し、Dちゃんに、「これあげる。」と言うと、Dちゃんは片方の手のひらを上にしてちょうだいのかっこうをした。ガムを手渡しながら、自分がちょうだいができないことを思い出し、とっさに「ちゃんと手を出してもらえるね。」と言ってしまった。Dちゃんは、不思議そうな顔をしてこちらを見た。そのとき、自分が無意識に左手で右手の手のひらを外側に向かせようとしているのに気付いた。Dちゃんは、「おじさん、手が変」と言った。「いいの。」と言っても、Dちゃんは、「物をもらうときにはこうやるんだよ。」と言いながら手のひらを上にして差し出して見せた。Dちゃんは、「からい」と言ってガムを口から出し、後部座席のシートに座って跳ねたりあお向けに寝転がったりしていたが、「おじちゃんはできないからしないんだ。」と言って、指を口にくわえるようにしながら、テヘーと言う感じで笑った。さげすまれたように思え、小学生のころ手のことで馬鹿にされたことが思い出されてカッと頭に血が上った。これで、ためらいが吹っ切れ、Dちゃんに自分の特徴が知られてしまったので、このままDちゃんを帰せば自分のことがばれると思い、ここでDちゃんを殺してしまおうと思った。

⑤ 指紋が付かないように助手席の下に置いておいたビニールの手袋を取り出して両手にはめ、「そういうことを言う子はこうなっちゃうんだよ。」と言いながら、両手でシートにあお向けに寝ているDちゃんの首の方に両手を伸ばし、覆いかぶさるようにした。Dちゃんは怖がっている表情は見せなかったが、両手でDちゃんの首をつかむと、Dちゃんは急にびっくりしたような恐れるような表情になった。両手の親指をDちゃんののど元に当てて体重を掛けるようにして首を絞め付けると、Dちゃんはウグーッというようなうめき声を上げた。Aちゃんの首を絞めたときAちゃんがびっくりしたような恐れたような表情で私を凝視したので、Dちゃんからそのような目で見られたくないと思い、両目をつむってDちゃんの首を絞め続けた。Dちゃんは、両手で私の手首をつかみ、両足をバタバタさせて暴れたが、そのうち、Dちゃんの身体から力が抜けてぐったりとして動かなくなったので、死んだと思った。その後も生き返るといけないと思い、しばらく絞め続けた。絞め続けた時間は四、五分間くらいと思うが、ずいぶん長く感じた。Dちゃんを殺した時刻は時計を見たわけではないのではっきりしないが、午後六時二、三〇分ころと思う。

⑥ Dちゃんが死んだと思って首から手を離した途端、人が来るのではないかとか、人に見られはしなかったかとか不安になり、車外を見たところ人が来る様子はなかったが、人に見られたんではないかと不安で胸がドキドキした。Dちゃんが息を吹き返して声を出したらまずいと思い、助手席の下に置いていた紙製のガムテープを取り出し、Dちゃんの口に張り付けようとして、顔を見ると、Dちゃんは両目を見開いて一点を見詰めたような何とも言えない怖い表情をしていて唇の辺りに少し灰色の液体を出していた。ビニール手袋をした手でガムテープをつかんだところすべったので、右の手袋を外して素手でガムテープをつかもうとしたが、指紋がついてしまうとはっと思い直し、右手につかんだビニール手袋でガムテープ一巻をつかみ、手袋をした左手でガムテープを切り取り、右手につかんだビニール手袋で、Dちゃんの口にガムテープをはった。Dちゃんの死体を後部座席の足元に落とし、息を吹き返して口のガムテープをはがさないように両手首を後ろ手にしてビニールひもで縛った。また、両足首もビニールひもで縛った。このときは、手袋をしたままでは縛りにくいのでやむなく素手で縛った。そして、後部座席と助手席にシートカバー代わりに掛けていたシーツでDちゃんの死体を包み、付近に人がいないのを確認してトランクの中に入れ、その手前にクーラーボックスを置いた。

(5) Dちゃんの死体を自室に運び込んだ状況

① その後、ラングレーを発進させ、晴海通りに出て、来た道を引き返した。事故に遭わないように緊張して運転した。高速道路は日ごろ余り走ったことがなかったので、どきどきした気持ちで運転しては危険だと思い、来た道を引き返し、新宿から青梅街道に入り、青梅市から二ツ塚を通って五日市町に入った。暗くなってから親がDちゃんを探していると思ったが、去年だったかラングレーをいたずらで傷付けられ、駐在所に犯人を捕まえてくれと頼んだらまず破損届けを出すように言われたことがあったので、Dちゃんについてもまずいなくなったという届けを出してから探し、事件としての捜査が始まるのはそれからではないかと思い、五日市町に帰るまでに自動車検問で調べられることはないだろうと思っていた。東雲団地四号棟の保育園前でDちゃんを撮ったフィルムは顔が写っているので持っていてはまずいと思い、青梅街道の途中でカメラから抜き取って道路わきのくずかごに捨てた。

② 青梅街道を走って高円寺に近付いたとき、Dちゃんの死体の性器を撮影するビデオカメラを借りようと思い、午後七時半ころ、「アップル高円寺」に寄って、ビデオカメラを借りた。

③ 午後八時半から午後九時ころの間に自宅に帰り着き、自室に戻って平常心に戻ろうとテレビをつけて見たが、見た気にならなかった。気持ちが落ち着かないので台所に行き、冷蔵庫の中の水や牛乳をがぶ飲みし、ポテトチップスのようなお菓子を食べ、洋間のソファに座ったり、風呂に入ったりした。

④ 自室でテレビを観ているうち、ラングレーのスペアキーをなくしていたので、トランクの中の死体を見付けられるのではないかと不安になり、父親の部屋などから毛布やシーツなどを持ち出して自室に運び込んだ上、午後一一時ころ、ラングレーのトランクからシーツに包まれたDちゃんの死体を取り出して自室に運び込み、自室にシーツや毛布などを敷いてその上に死体を置き、更にシーツやこたつ掛けなどをかぶせて隠した。

(6) Dの死体をビデオカメラ等で撮影した状況

① Dちゃんの死体の性器をビデオで撮影するのはどこか人目に付かない山の中に止めた車の後部座席でやろうと思っていたが、ライトを「アップル高円寺」で借りてくるのを忘れていたことに気付き、自室でこれから死体の性器を撮影しようと思い、Dちゃんの性器がどうなっているかを想像して胸がわくわくしてきた。撮影したビデオテープや写真は自分だけの秘密の宝物になると思うと、撮影したいという気持ちで一杯になり、死体が気持ち悪いという感じが余りしなくなった。

② そこで、敷きっぱなしの布団を上げて隣室に移し、死体を包んでいたシーツを開いて死体の両手足を縛っていたビニールひもを裁ちばさみで切り、半袖Tシャツ、半ズボン、パンツを切って脱がせ、死体をタオルでふき、死に顔を見ないで済むようにシーツを頭からかぶせててるてる坊主のようにビニールひもで首の所を縛り、シーツを頭の上にたくし上げ、死体をシーツをかぶせて置いたこたつ台の上にあお向けに乗せ、両足を開いて性器が見えるようにした。このとき、性器がよく写るように死体の腰の下にビデオテープを重ねて二巻置き、バランスを取るため、肩の下にビデオテープ一巻を置いた。

③ そして、本を積み重ね、その上に死体の性器に向けてビデオカメラを設置した上、性器の中がよく写るように紙製のガムテープを性器の両わきに張り付けたり、陰部にクリームを塗ったりし、ボールペン、ドライバーや指を性器に入れてその様子を二〇分くらい撮影した。こうして撮影しておけば、ビデオテープを見て女性の性器を思い出せると思った。このビデオテープもAちゃんの性器を撮影したビデオテープと同じように、パンチラ写真等でマスターベーションをし始め、興奮したところで、ビデオテープを再生してその性器の中に射精することを想像しながら射精することに使おうと思っていた。Dちゃんの死体の性器に突っ込んだドライバー二本は六月八日か一五日に工場のインクの空缶などのゴミと一緒に出した。

④ それから、妹Nのカメラで死体の性器の写真を撮った。このフィルムは、自宅裏の物置小屋の屋根の波板とその下の板の間に差し込んで隠しておいた。ビデオテープは自室の棚の奥の方にしまっておいた。

⑤ その後、死体の性器を見ながらマスターベーションをしたが、死体で気持ちが悪いという思いがあったからか興奮しなかったので、テニスルックなどのパンチラ写真を見ながらマスターベーションをして新聞紙の上に射精し、女性性器の中で射精したと思い込みたかったので、その精液を指に付けてDちゃんの死体の性器の中に押し込んだ。

⑥ マスターベーションをした後、Dちゃんの死体の両手両足首をビニールひもで縛り、こたつ台の上にあお向けに乗せ、シーツを二、三枚掛けた。Dちゃんを殺した直後に見た死に顔は両目を見開いて一点を見詰めたような怖い表情をしていたので、頭をすっぽりシーツで包んではいたが、頭をこたつの下に垂らして顔の部分が見えないようにそのイメージを消そうとした。死体の首から下をタオルでふいて指紋を消しておいた。

⑦ 人を殺してしまったという思いで心が静まらないのと死体のそばで気持ちが悪いのとでその夜は眠れなかった。Dちゃんの着ていたTシャツ、半ズボン、パンツ、靴やビニール手袋、ビニールひも等は六月七日の朝自宅前畑で焼いた。

⑧ 翌七日は、普段どおり新五日市社の仕事をしたが、人を殺したことで落ち着かなかったので、仕事の内容は覚えていない。午後八時半ころ家を出て、午後一〇時ころ、「アップル高円寺」でビデオカメラを返し、帰宅後、Dちゃんの死体の性器を撮影したビデオテープを再生してマスターベーションをしたが、ビデオテープを見ただけでは興奮しなかったので、ほかのパンチラ写真を見ながらマスターベーションをして、興奮してからビデオテープを見てマスターベーションを続け、性器の中に射精したような気になった。

(7) Dの死体を切断した状況

① 六月七日夜ころから、Dちゃんの死体に近寄ると臭いにおいがするようになったので、妹Nの部屋から無断でヘアースプレーを持ち出し、死体の周りや部屋の中にまき散らした。その夜もなかなか眠れなかったが、前夜にくらべれば少しは眠れたと思う。

② 六月八日午前中、これ以上死体を部屋に置いておいたら腐ってもっとにおいが強くなり、家人に気付かれてしまうのでどこかに捨てなければいけないと思うようになり、死体を捨てるなら東京都内ではなく埼玉県にしようと思った。死体を埼玉県に捨てれば、埼玉県下で起きているAちゃんらの誘拐殺人の犯人がやったことだと世間では思い、犯人は埼玉の方の人間だと思うのではないかと考えた。報道では、Aちゃんの誘拐殺害の犯人は、死体を焼いて両親のもとに届けたり、犯行声明文や告白文を送るなど非情だと言われていたので、その犯人に似せるため死体の首や手足を切断してバラバラにして捨てようと思った。そして、胴体を埼玉県内に捨て、両手足と頭を埼玉県以外に捨てようと思った。頭は顔によって誰の死体かが分かるし、手は指紋によって誰の死体かが分かるし、足も指紋と同じような紋があるので誰の死体か分かるが、胴体だけであれば誰の死体か分からず、捜査が長引くし、捜査を埼玉県に引き付けておくことができると考え、胴体は簡単に発見できる場所に捨て、頭や手足は絶対に発見できない場所に捨てようと思った。

③ 六月八日の午前中に、物置から両刃ののこぎり(柄が木製で全体の長さが六〇センチメートルくらいのもの)と刃物(柄が木製かプラスチック製で柄の長さが一〇センチメートルくらいで刃の長さが一五センチメートルくらいのもの)を取り出し、父親の部屋等からシーツを持ち出し、台所の開き戸棚から黒色ゴミ用ビニール袋と軍手を持ち出し、それぞれ自室に運び込んだ。

④ 死体を切断するのは気持ちが悪いことだろうと思い、次第にその思いが強くなったが、自分が捕まらないようにするためには絶対に死体をバラバラにして胴体を埼玉県に捨てなければならないと思い、切断作業はいつかは終わるから切断しなければならないと自分に言い聞かせた。

⑤ 六月八日午後一一時過ぎころ、妹らと母親の部屋の電灯が消えているのを確認し、妹らと母親が眠っていると思った。父親は寝ているかどうか分からないが、部屋に来ることはないので、死体を切断しても気付かれないだろうと思った。部屋のテレビをつけて死体を切断する物音が漏れないようにし、毛布を隣室に移した後の部屋の床の花ござの上にシーツを敷き、その上に黒色ビニール袋を敷き詰め、Dちゃんの死体を下ろすと、死体をうつ伏せにして自分の左ひざの上に死体の胸を置き、本を積み重ねて黒色ビニール袋をかぶせたものの上に死体の頭を乗せた。首の前の方は切るときに皮膚がしわになって重なって切りにくいと思い、首の後ろの方から切ろうと思った。

⑥ まず、軍手をはめ、刃物で首の後ろの肉を切り始めたが、うまく切れず、刃を押したり引いたりするのに合わせて肉がその方向に動くのが気持ち悪くなったので、のこぎりに替えて、最初、刃の目の荒い方で切ろうとしたが、スムーズに動かず、目の細かい方で引いてみるとスムーズにできた。できるだけ切り口を見ないように顔をそむけて引いたのが、のこぎりを動かすたびに、グースッ、グースッと気味の悪い音がした。頭を切り離して黒色ビニール袋に入れ、胴体の切り口を包み込むように黒色ビニールをかぶせた。切断した際、少しは血が流れ落ちたと思うが、敷いたビニール袋が黒色であったので、よく分からない。

⑦ 次いで、ビニールひもで縛ったままのこぎりの細かい方の目で、記憶では左手首、右手首の順で切断し、その都度頭部を入れた黒色ビニール袋に入れた。足首はビニールひもで縛ったままでは切断できそうになかったので、はさみでひもを切った後、のこぎりの細かい方の目で、右左の順は思い出せないが、両足首を順次切断し、その都度頭部を入れたビニール袋に入れた。足首にひもが残って巻き付いていて一緒にのこぎりで切断したかも知れない。いろいろ角度を変えて引いた記憶である。

⑧ その後、足の方から黒色ビニール袋を履かせるようにし、上からかぶせたビニール袋と口を合わせてその上からシーツで胴体をくるみ、更にもう一枚シーツでくるんだ上、胴体の足の辺りをビニールひもで縛り、部屋のすみのビデオテープ等のすきまに立たせてその前にシーツを垂らし、電気こたつを置いて隠し、頭部等を入れた黒色ビニール袋も部屋のすみに置いてビデオテープを積み重ね、ビニール袋をシーツで覆って隠した。花ござにDちゃんと同じ血液型の血が付いていたということであるが、こうした作業のうちに付いてしまったものと思う。床に敷いたシーツや黒色ビニール袋は丸めて部屋のすみに置いておき、六月九日の朝自宅前畑で焼いた。

⑨ のこぎりと刃物に血のりと肉片が付いていたので、風呂場の排水溝でたわしで洗い、更に風呂場の流しで洗い落とし、物置に戻した。その夜は死体を部屋に隠したまま寝た。

(8) Dの死体を捨てた状況

① 胴体を埼玉県のどこに捨てようかと考えているうち、五月ころ友人のRと埼玉県の牧場にドライブに行った際、宮沢湖霊園入口という大きな看板を見掛け、自分の好きなタレントの宮沢りえと同じ名前であったことから印象に残っていて、そのことが思い出され、霊園なら深夜に捨てに行けば人に見られないと思った。また、自分の母親がLで好きなタレントの名前も宮沢りえだとのパズル的発想で、胴体を宮沢湖霊園に捨てようと決め、六月九日朝、地図で位置を確認した。

② 六月九日朝、死体を切断した際に使用したのこぎりと刃物をラングレーの助手席の下に置き、午後一一時ころ、母屋や妹らの部屋の電灯が消えているのを確認して、自分の部屋から死体の胴体を持ち出し、ラングレーのトランクに積んで自宅を出た。五日市のサマーランド近くの秋川沿いに車を止めて川原の草むらにのこぎりと刃物を投げ捨てた。

③ その後、青梅街道に出て、国道一六号線、二九九号線を経て、宮沢湖霊園に行き、入り口を入って、お墓に通じる曲がりくねった道を上って行くと右手に広場のような所が見え、その広場のような所をまっすぐ進んで行き、右側にトイレがある所を通り過ぎたが、トイレのそばに胴体を捨てようと思い、Uターンして車を止め、エンジンを切った。そして、軍手をはめ、トランクの中で、はさみでひもを切ってシーツを解き、胴体にかぶせていたビニール袋を外し、裸の胴体を抱えて、トイレの横の木の下に置いた。シーツに包んだ死体は腐ったようなにおいがしていたが、シーツを解き、ビニール袋から出したとき、強いにおいが鼻をついて思わず息を止めた。胴体を捨てたのは六月一〇日の午前零時過ぎころだったと思う。帰途、スコールのようなものすごい雨が降ったのを覚えている。ラングレーのトランクにDちゃんと同じ血液型の血が付いていたとのことであるが、トランク内でビニール袋から胴体を取り出したので、そのときに付いたものと思う。Dちゃんの胴体を捨てたときは、Dちゃんの死体を自室に運び込んだときより軽いはずなのに、重さが余り違わないように感じたが、人に見られるのではないかと胸がどきどきしてそのような重さを感じる余裕がなかったからだと思う。

④ 六月一〇日朝、死体の頭、両手両足首を自宅近くの御嶽神社に行く途中の林の中に捨てようと考えた。近所の人も余り行かない場所で、小さい木や草が生い茂っているので、頭など小さいものを捨てても見付かることはないし、自分は地元の人間だから人に見られても怪しまれないと思った。そこで、午後零時過ぎころ、死体の頭部等を入れた黒色ビニール袋をバッグに入れて持ち出し、ラングレーで御嶽神社に登る階段の近くまで行き、降車して徒歩で御嶽神社に通ずる石段を登り、中腹辺りの四、五人くらいが立てるスペースのある所に来たとき、ここで捨てようと思い、バッグを置いて軍手をはめた。バッグの中で頭を包んでいるシーツのひもを切り、別に持参した新しいシーツをバッグ内に突っ込んで頭を包んでいたシーツをつかみ出すと、頭を包んでいたシーツを下にしその上に新しいシーツをかぶせた。頭を包んでいたシーツには血が付いているだろうから、もし人が通り掛かったときに見られないように隠したのである。次いで、バッグの中のビニール袋から頭を取り出し、下の斜面になった林の中に投げ捨てた。頭は途中で木立にぶつかり、コーンという音がした。それから、バッグ内のビニール袋から両手両足首を順次取り出して下の斜面の林の中に投げる方向をバラバラにして投げ捨てた。このように昼間に捨てに行ったのは、夜懐中電灯を持ってこの辺りをうろうろすれば、かえって怪しまれると思ったからである。切断した死体を入れたビニール袋やそれを包んだシーツは死体を捨てた後自宅前畑で焼いた。

⑤ しばらくして、捨てた林の草や小さな木が刈られると頭や両手両足首が見付かってしまうと不安になり、頭は髪の毛が付いたまま捨てたので、発見されて髪の毛から誰の頭かが分かるとまずいと思った。遺伝に関係のあるDNN(正しくはDNAというのかも知れないが、自分はDNNと記憶していた。)の研究が進んでいて髪の毛から両親が分かるということを思い出し、頭の骨がDちゃんのものだと分かるのではないかと不安になった。そこで、六月二七日ころの午前九時前にDちゃんの頭の骨を拾いに出掛けた。散歩を装うためペスを連れ、ラングレーで御嶽神社に登る階段の所まで出掛け、降車して徒歩で頭を投げ捨てた林に下り、ペスを木につないで頭の骨を探した。落葉等でなかなか見付からず、一〇分くらい探してやっとの思いで見付けた。頭は顔を下にした状態でほとんど白骨になっていて、うじ虫が目の部分の中や地面の周りに何匹かおり、そばに赤かピンク色のぶどうのような髪飾りが落ちていたので拾ってバッグ内のビニール袋の中に入れた。そして、軍手をはめた手で後頭部の方の髪の毛をつかんで頭の骨を持ち上げようとしたが、つかんだ髪の毛が抜けてしまったので、髪の毛をバッグ内のビニール袋に入れ、両手で頭の骨を持ってバッグ内のビニール袋に入れた。首の骨がどうなっていたかは覚えていない。両手両足首も骨になっていると思ったが、小さいから探せないだろうし、指紋なども出ないから大丈夫だと思って探さなかった。ペスが逃げ出していたので、一人で戻ったが、車で帰宅途中、畑仕事をしていたXさんに見られ、後で変に思われないように、車の中から、「犬が逃げたんだが見掛けませんでしたか。」と話し掛けたところ、ペスが走って行った方向を教えてくれたので、その方へ行ってペスを見付けて帰宅した。

⑥ 帰宅すると、印刷工場には誰もおらず、Sさんや父親の車もなかった。そこで、工場の流し台で頭の骨から髪の毛をむしり取り、頭の骨についた皮などを亀の子たわしでゴシゴシこすって洗い落とした。頭の骨の中にうじ虫が何匹かいた。目や首の穴から頭の中に水道の水を入れてジャージャー洗い流した。そのとき、五〇歳過ぎの男の人が工場の出入口から入って来たのでびっくりして近くにあったウエスで頭の骨を包んで印刷機械の台の下に隠した。そして、客の相手をしたが、はがきの印刷を頼まれ、原稿をもらった。客が帰った後、再び頭の骨を流しで洗うと、あごの骨が外れてしまった。以前にAちゃんの遺骨の歯からその骨が誰のものか分かるということを報道していたことを思い出し、歯からこれがDちゃんの骨であることが分かるかも知れないと思い、上あごに付いている前の歯を四本くらい手で引き抜いた。しかし、髪の毛を一本残らず洗い落とそうと夢中で洗ったり、途中で客が来たりしてあわてていたので、歯を全部抜き取るのを忘れてしまった。こうして、頭の骨をウエスで包み、あごの骨と抜き取った歯を別のウエスに包んでいったん自宅裏の物置の二階に隠した。頭の骨に印刷用のインクが付いていたとのことであるが、このように頭の骨を洗ったときに付いたのかも知れない。髪の毛は自宅裏で新聞紙に包んで焼いた。

⑦ その日の午前一一時ころ、頭の骨をウエスで包んだもの、あごの骨と抜き取った歯をウエスに包んだものをバッグに入れてラングレーで出掛け、吉野街道に出て奥多摩を目指して走り、大きな駐車場とその先二、三〇〇メートルくらい先のレストランかおみやげ屋のような所の間に大きな石が二個くらいある所があり、そこから道路わきの急斜面を下った林の中の木の根元にウエスから出した頭の骨を置き、更にそこから三、四〇分くらい奥多摩湖沿いに走って、トンネルを一〇何個か抜けた辺りの駐車場から山道に入り、山の斜面の大きい木の根元にウエスから出したあごの骨と歯を捨てた。首の骨をあごの骨と一緒に捨てたことは、首の骨が現場から発見されたと聞かされるまで忘れていた。

(9) 供述変更の理由

① 調べの当初は、有明テニスの森に行った帰りに東雲団地に行ったとか、東雲団地へ行ったのはテニスルックのパンチラ写真を撮る目的だったとか、Dちゃんを自分の子供にできると思って誘拐したとか述べていたが、東雲団地に行った本当の目的やDちゃんを誘拐した本当の目的を知られるのが怖くてうそを言った。

② 調べの当初は、Dちゃんが東雲団地の四号棟から道路に下りる階段の下に一人で立っているのを見掛けて車に乗せたと述べていたが、たまたま見掛けて乗せたと言う方が罪が軽いと思ったからである。

③ 調べの当初は、Dちゃんを車に乗せた後、有明テニスの森の方へ行き、湾岸道路を走ってまた団地に戻ってきたとうそを言ったが、Dちゃんを車に乗せた時から殺すつもりがあったことを話すと罪が重くなると思ったからである。

④ 調べの当初は、Dちゃんの死体をラングレーのトランクに入れたまま一晩過ごし、翌六月七日に自分の部屋に運び込んだと話していたが、Dちゃんの死体の性器をビデオカメラで撮影したことが恥ずかしく話したくなかったからである。しかし、警察が部屋のビデオテープを全部押収してその内容を確認していることを知り、どうせ見付けられるなら、その前に自分の方から話そうと考え、ビデオカメラで撮影したことや六日の夜に死体を自分の部屋に運び込んだことを話した。

⑤ 調べの当初、Dちゃんの頭部を奥多摩の方に捨てたと述べ、両手足と一緒に自宅近くの山に捨てたと述べなかったのは、警察の調べで、最初に、死体の頭をどこに捨てたのかと聞かれて最終的に捨てた奥多摩の場所を教え、次に、手足をどこに捨てたのかと聞かれて自宅近くの山に捨てたと答えたため、頭も最初は手足と一緒に自宅近くの山に捨てたと言いにくくなり、また、頭の骨を洗ったと述べると証拠を消したとして悪い印象を持たれると思い、ますます言いにくくなったが、警察で頭の骨をどうかしたのではないかと聞かれ、もう隠せないと思い、本当のことを話した。

⑥ 調べの当初は、Dちゃんの頭部を切断して髪の毛を坊主刈りにしたとうそを言ったのは、髪の毛が頭の骨に付いていない理由をなんとかつじつまをつけて説明しようとしたためであるが、警察で頭の骨がつるつるしているのはなぜかと聞かれ、洗ったことを隠せなくなり、本当のことを話した。

(一二) Eを誘拐した平成元年七月二三日、その直前に女性や女児らの写真撮影をしたこと

(1) テニスの試合をしている女子選手をビデオ撮影等したこと

朝日生命のグランドで女子のテニスがあることを知り、一週間前から行く予定にしていた。当日、午前六時過ぎに起き、キャノンのカメラに三六枚撮りのカラーフィルムを入れ、一二枚撮りのフィルムを持ち、地元の山崎写真店から借りていた八ミリビデオカメラを持って、午前八時ころ、ラングレーで出掛けた。青梅市から青梅街道を走り、練馬から吉祥寺、三鷹方面に向かい、午前一〇時ころ朝日生命グランドのテニスコートに着いた。ビデオカメラで女子テニスプレーヤーの下半身等を撮影したり、カメラで撮影したりして、三六枚撮りのフィルムを使い切ったので、近くの店で三六枚撮りのフィルムを二本買い、フィルムを入れ替えて再び写真撮影をし、テニスコート付近に午後三時から三時半ころまでいた。

(2) 三鷹市北野で女児を写真撮影したこと

テニス場でテニスのパンチラ写真を撮影した帰途、道に迷い、午後三時ころ、三鷹市北野の北野地区公会堂広場前を走行中、広場には盆踊りのやぐらが組まれていて、二人の女の子が遊んでいるのが見えた。周囲に大人がいなかったのでパンチラ写真や陰部の写真を撮りたいと考え、入口付近にラングレーを止めて、キャノンイオスのカメラを持って近付き、「写真を撮らせて。」などと言って何枚か写真を撮った。その後、盆踊りのやぐらに紅白の幕が張ってあったので、「この中で撮ろうね」などと言って中に誘い、何枚か写真を撮った。二人の女の子のうち小さい方の子の陰部を写真撮影したいと思い、人目に付かない所を探したところ、広場のすみに物置小屋があったので、その物陰に二人を連れて行き、写真を撮った後、大きい方の女の子に対し、「お姉ちゃんは盆踊りの台の方で待っててくれる。」と言って追い払い、小さい方の女の子に「みんな下げて撮ったんだよ。」と言ってスカートを下げさせようとしたが、思うようにいかず、スカートの中に手を入れてめくり上げようとしたが、「嫌。」と言われて手を払いのけられた。そこで、自分が脱げば女の子も脱いでくれると思い、「じゃ、おじさんがやるよ。」と言いながらズボンを脱ぐまねをしたが、うまくだますことができず、あきらめた。

(一三) Eを誘拐して裸にした状況

(1) Eを誘拐した状況

① 平成元年七月二三日午後四時三〇分ころ、八王子市美山町方面の道路を走って五日市町に帰ろうとしていたとき、道路右側の木造の建物の前の手洗い場にいる七歳から九歳くらいの女の子二人(IちゃんとEちゃんの姉妹)を見付けた。その女の子たちの前を通り過ぎて三〇メートルくらい先で方向転換して戻り、自動販売機の前付近に車を止め、車から降りると、キャノンのカメラを首から下げ、黄色のサマージャンパーを手に持った。カメラマンがジャンパーを着ていたりすることもあるので、ジャンパーを手に持って行った方がカメラマンだと思って警戒しないだろうと思った。また、通りすがりの人に見られたときにただ女の子の写真を撮っているだけだと思わせる目的もあった。

② 手洗い場の所に行き、「写真撮らせてね。」と言って女の子たちに近付いたところ、女の子たちはこっくりうなずいたので、初めは立ったままのポーズ等で何枚か写真を撮った。それから、この女の子たちのスカートの奥のパンツを履いた部分や太ももの写真を撮ろうと思い、「バケツに足を突っ込んで撮らせて。」と言うと、最初に姉のIちゃんがバケツに足を突っ込んでくれたので、かがませて太ももの部分が見えるようにポーズをとらせて写真を一、二枚撮った。また、妹のEちゃんにも、「お嬢ちゃんの方も足洗ってくれないか。」と言って、やはり同じようにバケツに足を入れさせて写真を一、二枚撮り、「今度しゃがんでみてくれる。」と言ってしゃがませ、太ももやパンツが見えるようにして二、三枚写真を撮った。

③ さらにこの女の子たちを他の人に見られないような所に連れて行って裸にして写真を撮りたいと思い、「足でも洗ってたみたいだけど川でも行ってきたの。」と聞くと、姉のIちゃんが神社の方を指して、「川ならあっちの方にあるよ。」と言ったので、「涼しそうだから行ってみようか。」などと言った。Iちゃんは、Eちゃんと公園の奥の方に歩いて行き、細い川の方へ行った。二人を川の方に連れて行き、下からカメラでその下半身を撮ったり、川で二人を裸にして写真を撮ったりしたいと思い、川へ下りる所がないかを見ながら川に沿って設けられている金網の塀のわきを歩いて行ったが、適当な所も見付からず、引き返した。その途中、事務所のような所の前に落ちていた新聞紙を拾ったが、カメラだけを持って女の子らと一緒にいるよりも新聞紙を持っていた方が自然に見られると思ったからである。そして、最初の道路の所に出てきたが、道路の反対側に橋のてすりのようなものが見えたので、橋があってその下が沢になっているのではないかと思い、「お嬢ちゃんたち、こっちに行ったことある。」と聞くと、ないという返事だった。そこで、「そんなら行ってみようか。」と誘い掛けたところ、姉のIちゃんが首を横に振って行きたくないような返事をしたが、妹のEちゃんはうなずいたので、道路の反対側に歩いて行き、姉のIちゃんに、「お嬢ちゃんはまっててね。ここじゃ危ないから自動販売機の方に行ってなさい。」と言い、妹のEちゃんに、「行ってみようか。」と言って、道路から沢のようになっている下に降りて行った。

④ 妹のEちゃんは付いてきたので、「見に行ってみようか。」と言って上流の方に歩き始めたが、ぬかるみとなっていたので、「おんぶしてやろうか。」、「おぶさってきてね。」などと言って腰を下ろし、Eちゃんを背負って歩いて行った。段になっているような所があり、その手前で一度Eちゃんを背中から降ろしたが、登りづらいと思い、またおんぶして登ったように思う。

(2) Eを裸にするなどした状況

① 二〇メートル以上沢の上流を登って行くと、道路からは見えない所で、沢の高さが三メートルくらいあり、周りに木が繁っていて、沢に人がいても見えにくい所であった。少ししゃがんで目線が一緒になるようにし、新聞紙を置き、サマージャンパーをEちゃんの近くに置いて、「こっちに着替えてみたら」、「裸になったら」等と言った。Eちゃんは着ていたワンピースのボタンを外して脱ごうとしたので、手伝ってやろうと、ワンピースの胸の辺りのボタンを外そうとしたが外せなかった。そこで、すその方を持って上に持ち上げて脱がせ、脱がせたワンピースはそばに置いた。それから、「全部脱いで」と言うと、パンツを下げて脱ごうとしたので、カメラを向けてシャッターを押そうとしたが、その場所が暗かったため、シャッターが下りなかった。カメラのレンズを通して見ていると、女の子がパンツを脱ぐときパンツが片足の靴にひっかかったため、そのポーズも写真に撮ろうとシャッターを押そうとしたが、シャッターは下りなかった。

② 「水に入って何枚か撮ろうね」と声を掛け、沢の水の中に入らせてシャッターを押そうとしたがシャッターは下りなかった。見るだけでももうけものだと思って、どきどきしながら見ていたが、陰部がよく見えるように石垣を蹴るように言って足を上げさせたところ、陰部の割れ目も見えたので、シャッターを押そうとしたがどうしてもシャッターは下りなかった。

(3) Eの父親に捕まった状況

① そのうち、沢の下流の方から男の声が聞こえたので、残してきた姉のIちゃんが知らせに行ったかと思い、このままでは捕まってしまうと思って沢の上流の方に逃げた。後ろから男が何か怒鳴っていたが何を言ったか覚えていない。

② 上流の方に逃げ、沢から上がったが、車が置いてあるため、これ以上逃げることもできないと思い、車を置いてある方に歩いて行くと、Iちゃん、Eちゃん姉妹と父親らしい男がいたので、その男に「すいません。勘弁して下さい。」等と言ったが、ものすごく怒っていて、殴られ、カメラのフィルムを引っ張って破り取ってしまった。その後警察官が来て、引き渡された。

(4) Eちゃんの写真を撮った目的

写真を撮ること自体性欲を満足させようとする気持ちもあるが、その後もその写真を見ながらマスターベーションをして自分の性欲を満足させるために使いたいという気持ちもあった。

(一四) 心境等

(1) Aちゃん、Bちゃん、Cちゃん、Dちゃんを次々に連れ去って殺したが、もうこりごりである。何か自分の体の中にいつスタートし始めるかも知れない爆弾を抱えているみたいだった。いつスタートし始めるかも知れないということは、目撃者がいて警察に話し、自分に向けて警察の捜査が始まるかも知れないということである。もう同じことは味わいたくないという気持ちである。警察に捕まって留置場に入れられるのはこりごりであり、遺族にも顔向けできないし、家族からは縁を切られたようなわびしい気持ちである。親せきも心配している顔をしても内心はやっかいに思って疎遠にしたい気持ちで一杯じゃないのかとか、縁を切りたがっているんじゃないのかとか、自分が早く死ねばやっかい者が消えるし、遺産が転がり込むと期待しているんじゃないかと思っている。今したいことは、漫画とビデオを見ることであり、また、自転車に乗って広い所を走り回りたいと思っている。

(2) Aちゃんの死体の性器、Cちゃんの性器、Dちゃんの死体の性器を撮影したビデオテープ、写真のフィルム、プリントなどは裁判が終わった後返してもらいたいので所有権を放棄しない。宝物という気持ちもあるが、後で世間がとやかく言ったときに自分の言いたいことの裏付けとして持っていたい。たとえば、Cちゃんの写真は泣いた顔が写っていないので、Cちゃんが嫌がって泣いているのに脱がして写真を撮ったのではないということを納得してもらえる。Aちゃんのビデオテープには蝉の声が入っているので写した場所が山だと分かるから、山に連れて行く前にAちゃんを殺したのではないことを説明できる。アジトを持っていないことを説明するために自分の部屋で写したDちゃんのビデオテープを持っていたい。これまで正直に四人の誘拐殺人を話してきたが、裁判でも同じようにありのままを正直に話すつもりである。しかし、世間の人が井戸端会議などで甲山は証拠がないから口で適当なことが言えると言うのではないかと心配になるので、そのときの証拠にこれらのビデオテープや写真などを持っていたい。世間の私に対するわだかまりが解けなくて一生息の詰まった生活をするのは嫌だから。

2 被告人の公判廷における供述の要旨

被告人は、第一回公判期日において本件各公訴事実に対する認否をし、第一五回ないし第一九回公判期日及び第三五回公判期日において、被告人質問に対し供述しているが、その要旨は、次のとおりである。

(一) 第一回公判期日における本件各公訴事実に対する認否

(1) A事件

誘拐しようと企てたことはなく、殺意はなかった(死体損壊の事実については陳述なし。)。

(2) B事件及びC事件

いずれも誘拐しようと企てたことはなく、殺意はなかった(Cの死体遺棄の事実については陳述なし。)。

(3) D事件

誘拐しようと企てたことはなく、殺意はなかった。両手部及び両足部を投棄したとあるのは違う。両手部は私が焼いて食べ、両足部は、私が見たらなくなっていたので、家に住んでいる狸か近所の猫が持って行って食べたのではないかと思う。

(4) E事件

私は、自己の性的欲望を満たす目的で同児を誘拐しようと企てたことはないし、同児をわいせつ目的で誘拐したこともない。同児に裸になってねと言ったことはない。

(5) 事件全般について

全体を通して言えることは、私はさめない夢を見てその夢の中でやったような感じがしている。

(二) 第一五回ないし第一八回公判期日の被告人質問における供述(弁護人からの質問)

(1) 生育状況等

① 幼少時

ア 小さいころ好きだったテレビ番組は子供番組や怪獣ものである。お化けの話しは怪獣ほど好きではないが普通。

イ 自宅工場で活字をよくいじって遊んだ。家族で遊園地などへ行って楽しかったという思い出はある。漫画「おそ松君」の登場人物のまねをして、「シェー」のかっこうをした覚えもある。

ウ 家にいたOさんに世話をしてもらったり、一緒にテレビを見た覚えがある。Oさんはびっこでつえをついていた。本は読めなかったと思う。工場でOさんに本を読んで聞かせたことがある。Oさんに「はとぽっぽ」の歌を教わった。「ずいずいずっころばし」を歌ったりして一緒に遊んだ。一緒に遊んだのは、小学校か幼稚園のころまでである。

エ 幼稚園にはバスで通園したが、片道一時間くらいかかった。手が不自由だったので、幼稚園では、特に、遊戯、例えば「ぎんぎんぎらぎら」が嫌だった。

オ 手が不自由で、両手の手のひらを上に向けることができず、歩くと、両ひじの横が体にぶつかる。三歳か五歳くらいのとき手の不自由に気付いた。おつりがもらえないし、液体石けんを使うときに不自由するし、ラジオ体操がうまくできないし、スプーンを下から持てないし、大便をしたとき後ろからふくことができない。壁に手をぶつけたり、手を押し付けたりして直そうとした。いじめられたり奇形児扱いされるのが嫌だったので、手の不自由が人に分からないように行動していた。親に訴えたが、「父の人」、お父さんの方が笑い飛ばした。手の不自由について、同じ学年の男の方は直接暴力を振るってくるし、女の方は何か男を使ってやらせるとか、陰でひそひそ話とかせせら笑いとかをする感じだった。

カ 女の子が小用後、ふかないでパンツを上げているのを遠くから見たことがあり、あれで平気でいるので、ご飯が食べられなかった。

キ おばあさんは、片方のおっぱいがくぼんでおり、そういう裸を見たことがある。母や妹と一緒にお風呂に入った記憶はない。

ク おじいさんは、やさしい人で、スクーターの後ろに乗ったり、お祭や川原や山の畑に連れて行ってもらったりした。山へ行ったり、敷地内のかき、びわ、ゆずのもぎ方を教わったり、畑ですいか、とうもろこし、じゃがいも、菜っぱ、エンドウ豆とかいろんなものを取ったりした。長いホースを買ってきて、植木に水をやったり、井戸に入ったり、ねずみ取りを仕掛けたり、豚にえさをやったりした。また、クイズなどで昔の問題を教えてもらったり、一緒に解いたり、部屋の中では、トランプ、カルタ、百人一首、将棋、双六、福笑いとかをしたりした。おじいさんが集めていたカセットを聴いたり、一緒にテレビを観たりもした。おじいさんの依頼で外国人が来て庭に砂利を入れてもらったことがあり、おじいさんと一緒にいろいろ触ったりして喜んだ。おじいさんが畑でみみずを飲んだりしたのを見たこともある。

② 小学生のころ

ア ピアノを習ったことがあるが、手が不自由だったので嫌だった。テレビ番組は、ウルトラマンとかケンちゃんとかいったものが好きだった。父の人にテレビゲームを一台買ってもらった。怪獣博士と言われたことがある。

イ 木は余り太くなければ、比較的よく登ぼった。近くの梅の実を全部もいだということはない。畑の農作物の芽を全部摘み取ったということもない。石で遊ぶことはおじいさんに教わったが、女の子に石をぶつけたことはない。近所のガラスを石で割ったということは覚えがない。

ウ 漫画をちり紙交換に出されたことがあり、残念でしょうがなくて、じれったくてしょうがなかった。私の部屋に下の妹が入ったことから暴力を振るったということはない。

エ 飼っていた手乗り文鳥を踏みつぶして、埋めた後、骨を掘り返してなでたということがある。ほかの鳥も同じようにしたことがある。掘り返して、また大事がるという気持ちからした。

③ 中学生のころ

ア 手の不自由が嫌だった。

イ 一年生のころ、学習機器を父親から買い与えられたことがあり、一年か二年間くらい、塾に通った。

ウ 父親が買っておいたビデオデッキを自分の部屋に持っていって使ったことがあり、怪獣番組とか子供番組を見たことがある。

エ 同じクラスの女の子については、うざったいとか、怖いとか、わずらわしいとか思っていた。

オ 両親がけんかしていてうるさかった。

④ 高校生のころ

ア 男子校を選んだのは、人間の種類が一種類で済むからであり、××大学附属△△高等学校は父親が選んだ。

イ 朝六時に家を出て、自転車で五日市駅へ行った。通学電車の中で手のことが気になったりした。

ウ 学校では、胸ぐらをつかまれたり、二階から落っことされそうになったり、ひっぱたかれたり、突き飛ばされたり、いろいろいじめられた。女の子はいなかったが、余計、遠慮なくやられた。

エ 勉強はだんだんできなくなった。父親が教育機器を買ったが、手を付けなかった。

オ 後半のころ、ビデオに熱中したが、気が安らぐからである。高三のころには、パズルやルービックキューブなどに熱中した。

カ 将来何になるかということを考えたことはなかった。

キ 台所にいすが四脚しかなかったことは分かっていた。両親とはほとんど会話をしなかった。両親のけんかはうるさくて嫌だった。

⑤ 短大生のころ

ア 父親が見付けた短期大学に進学した。大学では食堂は使わなかったが、その理由としては、自分の手の不自由に気付かれるのではないかということもあった。

イ Pと友だちになったが、Pは、ビデオカメラを持っていて、小学校から大学までのいろいろな学校の運動会、学芸会、文化祭、女子学生、テニス、スケート、公園で遊ぶ子供、露天風呂、外国とか国内の海水浴場、川、親せきの子供などいろいろなものを撮っていた。自分も同行したことがあり、Pが撮れる状態にしてカメラを渡してくれるので、催し物とか、テニスだとかのイベントを撮った。Pは、自宅へやって来て、自分の妹を撮ったり、妹の運動会へ行って撮ったり、川に行って撮ったりした。Pと付き合っていても、カメラでの撮影に興味は持たなかった。カメラの操作は苦手であり、自分のカメラとかビデオカメラとかは持っていないし、買いたいとも思わない。

ウ 大学の後半のころ、Pと一緒にテニスのパンチラ写真を撮るようになった。知人との付き合いの中で、はやっているものを撮って、はやっているものの分量を増やすことにした。

エ テレビの「YOU」という番組に誘われて出たことがある。

オ Pと一緒に、井の頭公園で、女子高校生の写真を撮ったことがあり、そのとき、Pが、その女子高校生をもう一度会おうと誘ったが、自分はその女子高校生には関心がなかった。その女子高校生と二度目に会ったとき、再び会う約束をしたが、結局約束の日にその女子高校生は来ず、そのとき、小学生の女の子と波長が合った感じで一緒に遊んだということがあった。

カ パズルが好きなのは一人遊びだからである。怪獣の絵を描いたりもしていた。

キ 成人式の時、紋付きはかま姿で親せきの家を回ったが、自分は回されているなというふうに思っていた。

ク 両親は、朝から大声で近所に聞こえるような声でけんかをしていて、うるさくて嫌だった。

⑥ 乙野印刷に勤務していたころ

ア 研修会の際、身を入れず、落書きをしていた。仕事は余りうまくいかなかった。わずらわしいので上司や同僚にあいさつをしなかった。会社に自分が描いた怪獣の絵や漫画本を持っていった。

イ 会社では、手の振り方でばかにされたり、手がぎことないことをからかわれたりした。

ウ 収集していたビデオテープの数は徐々に増えていき、ビデオレンタル店の会員にもなった。

エ 昭和五九年ころ、自分の部屋の床下に狸の親子が住んでいて、よく出て来て遊んでいた。

オ 昭和六一年一月、顔の左の自由が利かなくなり、病院に通院したことがあった。突然のことなので、もしかしたら治らないんじゃないかと思った。

カ 部屋の改造をすることになり、妹らの部屋は改装したが、自分の部屋については拒否した。社会に出されるので、何か危機感があったからである。

⑦ 家業に従事するようになってから

ア 車を使って外界をシャットアウトしながら、外界を移動するという利点から、運転免許を取ったが、免許を取るまでに時間がかかった。人に見られるのが嫌で、車の窓にシールを張った。自分では理由はよく分からないが、車を運転していると、左側に寄ってしまうことがあり、みんながそう言って、よく運転を替わった。友人の運転でドライブをしているときは、助手席でただ乗っているだけという気持ちである。

イ 昭和六二年の夏にアイドルスターCM集を作ったのは、はやっているからであり、その中に出ているタレントの中に特別に好きなタレントはいない。

ウ 昭和六二年一二月にビデオメイツというクラブを除名されたことがあるが、その分ビデオが集まりにくくなったのでショックだった。

⑧ 祖父の死亡について

ア おじいさんが倒れたとき、車で病院に運ばれたが、車に乗せるまで見ていた。朝早かったから、いつもやっている散歩中に倒れたなと思ったが、やっぱりそうだった。地面に頭を打ち付けたせいか、病気だったのかよく分からないが、ショックだった。

イ 病院に行ったところ、おじいさんが眠っていたので、目を覚まさせようと思い、苦労してペスの鳴き声を録音し、聞かせた。頭の中が混乱してよく覚えていないが、何かむしょうにおじいさんを撮りたくなり、短大時代の同級生にビデオカメラを持ってきておじいさんを撮って欲しいと頼んだ。

ウ 病院で、おじいさんが、「春夫」と呼びかけるのを二、三回聞いた。

「春夫」という名前はおじいさんが付けたことをおじいさんから聞いていた。

エ おじいさんが死んだ後、おじいさんのものはそのままにしなければいけないと思い、おじいさんの皿と骨とう品の一部を山の畑の方に隠した。盗まれていない限りは、今でもある。

オ おじいさんの葬儀が終わった後、車で走っているとき、大声を出して対向車が事故を起こせばいいとか、工事現場で大声で叫んで、工事の人が落ちればいいとか、そういうことを急に考え付いたことがある。おじいさんが死んだのはショックだった。

カ 火葬場で、おじいさんが焼かれて出てきた後、骨上げをしていたとき、下に落ちたおじいさんの骨(一センチメートルないし二センチメートルくらいの大きさ)を拾って、部屋に戻って食べた。また、夜間にペスを連れておじいさんの墓へ行き、墓の石のふたを横にずらして骨を取り出して食べた。骨を食べにいったのは、一年くらいの間に、三、四回はあると思う。食べた骨は薄べったく、少し曲がっていて、一回行く度に、二、三度つまんで食べた。骨を食べたときには、ざぎっというような感触があった。骨を食べたのは、おじいさんに「肉物体」を送るためで、おじいさんが見えないから、実体を現わすというか、見えるようにするためである。二つ目の方法というか、骨を全部食べておかないと戻ってきたとき二人分になってしまうからだぶってしまう。取調べの時にこのことを述べなかったのは、おじいさんのことを取っておきたかったからである。

キ おじいさんが亡くなる前からたまにビデオテープの万引きをやっていたがおじいさんが亡くなってから、回数が多くなった。子供のころ川で観光客からすいかやジュースを盗んだときの、何か懐かしいスリルという気持ちでやった。

⑨ 趣味

ア パンチラ写真や裸の女の子の写真や小さい女の子のパンツが見えるような写真を撮ることに興味があるわけではない。性というものは、うざったく、汚いと考えているが、ビデオ知人との付き合いのときに、はやっているものの分量を増やそうということで、パンチラ写真を撮った。子供のころ見た怪獣番組や子供番組の地方での再放送を自分に代わって録画してくれる人を紹介してもらうために、おごったり、パンチラ撮影に付き合ったりした。録画してもらったものは、交換のために持ち合わせておく。自分に代わって録画を頼むとき、相手の集めているジャンルがパンチラ類だったら、交換条件を成立させるためにパンチラ類を所有していないとできないので、何十種類といういろいろなジャンルを持ち合わせをして、それで交換する。もう一つは、はやっているものを集めないと落ち着かなかった。そっちの方が強い。

イ 友人のQから、分量を増やすために、録画済みのテープを一本三〇〇円くらいで何十本か買ったことがある。

ウ ジャケット付きレコードや箱入り怪獣カードは、乙野印刷に勤務するころから買って集めたが、子供のころから捨てずにあるものも少しある。怪獣カードとか漫画本は、集める人が結構いるから、はやっていると思った。

エ 自室にあった「血肉の華」というビデオは一度見たように思う。取調べで見たといわなかったのは、同じように見られるのが嫌だったからである。

オ ビデオを見ていると、夢が一人歩きするような、自分の中のもう一人の自分が歩いているような気持ちになる。好きなのは怪獣もので、ホラーものとかは余りたいしたことないが、以前は一般の人が見るのと同じ程度は見ていたと思うが、最近は余り見ていない。

カ テレビは、話しかけても答えないから、自分のように思える。

⑩ 乱暴な行動

ア 自宅台所で、入ってきた猫にお湯を掛けたかどうかは覚えていないが、おじいさんの鎌を使って、引っ掛けて出そうとしたことがある。

イ パチンコで鳥を取って焼いて食べたり、ペスにやったりしたことがある。

ウ おじいさんが死んだ後、車で道を走っているとき、犬をひいたことが二回くらいある。

エ 上の妹がしゃべったりして攻撃してくるので、やり返したことがある。

オ おじいさんのものはそのままにしておかなければいけないので、形見分けのとき、親せきの者に出て行けと言ったことがある。そのことに母親は関係ない。

カ おじいさんの四十九日に日に、家の窓ガラスを割ったことがあるが、どうしてそういうことをしたのか分からない。

キ 昭和六三年一二月、父の人に復しゅうされるので、怖くて、頭を車に強く打ち付けてやり返した。

ク こういうことは、おじいさんが死ぬ前はなかった。おじいさんが死んで、まとまらなくなった。心の支えがなくなった。

(2) A事件

① Aを連れ去ったこと等について

ア 昭和六三年八月下旬、小便がしたくなってわき道に入り、マンションの住宅地で、五歳くらいの独りぼっちの子と出会い、「涼しい所に寄らない。」と言葉を掛けた。もう、パッと波長が合って、その子に独りぼっちの自分を見て、共感を抱いたとき、自分の手に気付いていない悩みのない甘い世界に入り、幼い自分になって、何か感覚的にテレビの世界に入ったような気持ちになって、そこにドライブという筋書きのない物語があって、そこで自分が主人公の運転手で、その子が自分と同じ意思を持った親切なわき役。声を掛けて振り向かずに車まで歩いて行った。子供のころ、川遊び客からすいかだとかジュースを盗んだときの懐かしいスリルな感じと、隠れん坊気分もある。

イ 車を発進させ、ラジオをつけた。その子は、指をひざの上とか、椅子の上でちょこちょこ動かしたりしていた。子供のころピクニックをした山に行こうと思った。高尾町の方を通って行き、車ではこれ以上行けない行き止まりの所に駐車した。

ウ 車を止めた後、その子に「ピクニックに行こう。」と声を掛けると、その子は自分で降りた。その子を信頼してどんどんピクニックした。途中で用を足したとき、その子は後ろの方にいるんじゃないかと思った。斜面で座ったが、そこは、子供のころピクニックで弁当やおやつを食べた斜面であり、懐かしくて甘かったからである。その子も座った。

エ その場で、この子と、「楽しいね。」とか、「来てよかったね。」とか話したが、その後、その子がぐずり出した。裏切られた後、おっかなくなって、私を襲わせないでと強く求めたけど、どんどんおっかなくなって、どうしようもなくなって、あと分からない。ネズミのような顔をした一〇人くらいの大人大のものが周りを取り囲んだ。その後、周りが不気味だったので、すぐ帰った。帰宅後、いつものようにテレビやビデオの作業をした。

② Aの死体をビデオカメラで撮影したこと等について

ア 翌日ビデオカメラを借りに行った。どこへ借りに行ったかは覚えていない。前日のことが夢か本当か分からなかったので、行ってみれば分かるだろうけれど、もし本当のことで生き返っていなければ、「肉物体」があり、これを映像にできるというわけだから、一応ビデオカメラを借りて行けばいいと思った。

イ 紺色のバッグにビデオカメラを入れて持って行ったところ、その子は生き返っていなかったのでビデオカメラで撮影した。その子の性器にドライバーを入れたりしたのは、一つは、「肉物体」、要するに死がいの観察事である。もう一つは、解剖であり、解剖の医師が解剖するとき冷たい「肉物体」を触りながら動かしたりするんだろうなと突然思って、急に解剖みたいなことをしたくなって、前からバッグにあったドライバーを使ったりして、冷たい「肉物体」を動かして解剖行為になり切った。もう一つは、最近、読者が投稿したはしたないパンチラ写真とか、みっともない裸の写真とか、そういうのを取り扱った本などがはやっているので、小便がこびりついたような汚い部分がぶよぶよ動くみっともない姿を撮っておけば、人が余り持っていない宝を持つことができるということである。

ウ 死体を埋めなかったのは、そのままにしておいて、後で思い出したときに「肉物体」の変化を見る気でいたからである。また、落ちていた「肉物体」をその場所からおじいさんにささげることにしたから、ただそのままにしておいた。撮影後、二、三分間添い寝をした。どうして、その都度「肉物体」に執着したのかよく分からない。

エ 生き返らないようにするためと、よく物忘れをするので、自分とおじいさんとで大切がった場所が見つかりやすくするため、その子の衣類を周囲に投げた。また、子供のころ、ペットの「肉物体」をシーツに包んで大事がったことがあるので、それと同じように死体に白いシーツを掛けた。

オ その日、おじいさんをよみがえらせようというのと、それが無理なら会話したいと思い、わら人形とロープの周りをゆっくり歩いて回るという儀式をした。

③ Aの死体を確認に行ったとの供述

ア その後、五回くらい同じ場所に出向いた。「肉物体」が見たいというのと、おじいさんにささげているその場所から「肉物体」がなくなっていないかどうか見るためである。おじいさんの犬のペスと一緒に五日市の山の方から行った。

イ 一回目に行ったのは日曜日で、死体はしわっぽくなっていた。二回目に行ったのは九月になってからで、肉の部分が減っていた。三回目に行ったのは九月か一〇月で、ほとんど肉の部分がなかった。四回目に行ったのは一月上旬ころで、「肉物体」は「骨形態」をとっていた。五回目に行ったのは一月中旬ころで、「骨形態」になっていた。四回目に行ったときと五回目に行ったときに遺骨をなでたことがある。現場で死体のわきにあお向けになって一、二回、二、三分間添い寝をしたことがある。なぜその都度「肉物体」に執着したか分からない。ペスは死体のにおいをかいでいるふうだったので、なめる前に木に縛っておいた。

④ Aの親宛にはがきを出したことについて

その子の親にはがきを出したことがあるように思うが、いつころのことかは分からない。内容は覚えていない。自分が大事がっていること、大事に持っているということを言いたくなったからである。

⑤ Aの遺骨を焼き、遺骨入り段ボール箱をA宅へ届けたことについて

ア 山道を歩いて下りていき、小さい橋を二つ渡って、沢戸橋近くの川原へ行き、そこでその子の遺骨(一〇センチメートルくらいのもの)を三本くらい、木の葉、ごみ、草などと一緒に焼いたことがある。そのとき、頭がい骨は焼かなかった。焼いた遺骨三本くらいをかじった。焼いて食べ、心と体に残したいということと、おじいさんに送ってよみがえらせたいという考えからである。かじった後の骨は元の場所近くに置いた。

イ おじいさんの物置の二階のわら人形を作るのに使ったわらが入っている箱に移そうと思い立ち、遺骨の頭の部分を自宅に持ち帰って、物置の二階の箱に移した。その後、残りの骨も同じように持ち帰った。

ウ ぐずぐずの「骨形態」を見たくなり、二階の箱からバッグに移し、持って行って開ける前に一回くらいバッグをたたき、遺骨を焼いて食べた。

エ 段ボール箱に遺骨を入れてその子の親に届けたことがあるように思う。おじいさんの葬式がまた見られるという理由と、お坊さんらが自分と同じように大事がってくれるという理由からである。

⑥ 犯行声明文の送付について

犯行声明文を送ったことがあるように思う。送った理由は、葬式をしそうになかったからである。

⑦ 告白文の送付について

告白文を送ったことがあるように思う。早くおじいさんの葬式をまた見たかったからだある。告白文中に「一五年は捕まりたくない。」とある意味は覚えていないが、誰が見ても五+一五で二〇じゃないでしょうか。刑の時効は、分からない。

(3) B事件

① Bを連れ去ったこと等について

ア 昭和六三年一〇月上旬、「ロジャーズ」へ行こうとして、道の上で、五、六歳くらいの独りぼっちの子と出会い、「どっかドライブに行かない。」と声を掛けた。その子と出会ったときの気持ちは最初の子のときと同じである。声を掛けてから振り向かずに車まで行った。そのとき、隠れん坊気分と、子供のころ、すいかやジュースを川遊び客から盗んだときの懐かしい甘いスリルがあった。

イ 車を発進させ、ラジオをつけた。その子は、ひざの上で指を動かしていた。子供のころ遊んだ地元に行こうと思い、日の出町のサンマートのちょっと手前で、秋川街道を離れ、これ以上進めない車ではもう行き止まりの所に駐車した。

ウ その子に、「ピクニックしよう。」と声を掛けると、その子は自分で車を降りた。その子を信頼して、どんどんピクニックをし、斜面で座った。山林に入って行くのに、最初の子の遺体は関係がない。子供のころ、ピクニックのとき弁当やおやつを食べた斜面で、懐かしくて甘かった。

エ その場でその子と話をしたが、その後、その子がぐずり出した。その時の気持ちは最初の子のときと同じである。

オ 遺体の性器に指を入れたり、写真を撮ったりはしていない。周りが不気味だったので、すぐに帰った。帰宅後、いつものようにテレビかビデオの作業をした。

② Bの遺体を確認に行ったとの供述

翌日、また変な夢を見たが、同じ様な夢を繰り返し見ただけかなと、行ってみれば分かると思い立ち、ペスは連れず、車で同じ場所へ行き、大体の感覚で道から中に何回か入ったが、遺体は見当たらなかった。やっぱり夢だったのかなとか、それとも、生き返ってどこか行っちゃったのかなとか、もしそうだとしたらくやしいなとか、そういうふうに思った。

(4) C事件

① Cを連れ去ったこと等について

ア 昭和六三年一二月上旬に、仮眠する場所を探して走っていたら、マンションの住宅地にやって来て、五歳くらいの独りぼっちの子に出会い、「あったかいとこに寄ってかない。」と声を掛けた。その子に出会ったとき、自分が自分の手に気付いていない悩みのない甘い世界に入った。振り向かずに車まで行った。そのとき、子供のころ、すいかとかジュースを盗んだときの懐かしいスリルの感じと、隠れん坊気分もあった。

イ 車を発進させてから、ラジオをつけた。その子は、指をひざとか椅子の上で、ちょこちょこ動かしていた「サマーランド」へ行こうと思い、山田の方を通って館谷の川原に駐車した。

ウ 駐車した後、その子に対し、「夜の流れるお風呂に入ろう。」という言葉が口から出た。その子は、「ん」とか言って身を乗り出し、本当だという態度だった。自分は、車から降りて、川の中に行ったが、子供のころとほとんど変わらずにいて、浅くって、とても懐かしかった。川から上がって車まで戻ると、その子は、車の中で脱ぎ終わっていた。父の人のカメラで写真を撮った。その子は、最近はやっている読者が投稿したパンチラ写真とか、みっともない裸の写真とかを扱っている本そのもののようで、みっともなく座っていた。

エ 写真を撮ってからドライブをしたが、その子がぐずりだした。それから、動かずに、横たわっていた。

② Cの遺体を捨てたことについて

ア 「肉物体」と初めてドライブしようとそういう気になって、ドライブした。以前、知人らと釣りに寄った青梅市の釣堀のある方角を、太い道なりにどんどんドライブで進んだ。このとき脱輪したことはない。それ以前に五日市かその隣で脱輪したことがある。

イ ドライブ中に山道で、「春夫、ここへ置けよ。」というおじいさんの声が聞こえたので、言われたとおり、そこへ、斜面へ置いて、帰った。遺体をひもで縛ったかどうかは覚えていない。帰宅後、いつものように、テレビとかビデオの作業をした。このときおじいさん復活の儀式をしたかどうかは覚えていない。

③ Cの遺体を確認に行ったとの供述

一週間以内に一回だけペスを連れずに遺体を見に行った。「肉物体」自体を見るためと、おじいさんにささげている「肉物体」がなくなっていないかを見るためであるが、遺体は見当たらなかった。

(5) D事件

① Dを連れ去ったこと等について

ア 平成元年六月上旬に、コミックマーケットの道順を見付けておこうと走っていたら、道が分からなくなって、それから小便がしたくなり、わき道に入り、マンションの住宅で五歳くらいの独りぼっちの子と出会い、「車に乗っていかない。」と声を掛けた。その子に出会ったときの気持ちは最初の事件と同じ。車をどこに止めたか分からなくなり、探していたのでよく分からないが、子供のころ川で観光客からすいかとジュースなんかを盗んだときの懐かしいスリルと隠れん坊気分がいくらかあったような気がする。

イ 車を発進させた後、ラジオをつけた。その子は、いすの上だとか、ひざの上で指をちょこちょこ動かしていた。車でどこへ行こうか決めてなかった。広い道路へ出たが混んでいそうだったので、いったん引き返すことにし、休むことにしてマンションの住宅地付近の路上に駐車した。

ウ 子供のころのお出掛けのときに後部座席ではしゃいだのを思い出し、その子に「後ろへ行こう。」と声を掛けて、後ろに行った。その子は、後ろでボンボン何回か跳ねたり窓から外を見たりしていた。その子と話をしたかどうか覚えていない。その後、その子が「もう帰りたい。」というふうに言ってぐずりだした。その後、車の中で動かないで横たわっていた。「生き返らないでね。」と声を掛けた。

エ 道を探しながら、ドライブをしながら帰ろうとした。中野サンプラザ付近の店でビデオカメラを借りた。

② Dの遺体をビデオカメラで撮影したこと等について

その日の午後九時ころ、遺体を自分の部屋に運び込んだ。珍しい「肉物体」を映像にできると思ったことと、あと、映像にすればおじいさんにずっとささげていられると思ったから、ビデオカメラで撮影し、その後、朝まで添い寝をした。なぜ添い寝をしたのか分からない。

③ Dの遺体を切断したことについて

ア その翌日、子供のころに見た改造人間の改造手術になり切り、遺体をのこぎりで切断し、切るところを映像にした。そのビデオは六月中旬に消した。ビデオを消した後、(遺体の性器等を写したビデオテープの)爪を折った。

イ ホルマリン漬けにする気持ちは、これといってよく分からなかった。

ウ 遺体の血を飲み、裏庭を少し掘って周りに石を並べ、木と紙とかくべて手の部分を焼いて食べた。焼いて食べて体と心に残そうという理由とおじいさんに送ってよみがえらせようという理由の二つがある。取調べのときにこのことを述べなかったのは、述べると器械を使って体に何かされると思ったからである。

④ Dの遺体を捨てたことについて

ア おじいさんの葬式がまた見られるということと、お坊さんが自分と同じように大事にしてくれるということから、遺体をよそへ運んだ。おじいさんの葬式をまた見たいから埋めないでそのままにした。胴体は、お寺かお寺の類のような所に置こうとしたが、有名な芸能人の宮沢の名前と母の人の名前が似ているので、ちなみで宮沢湖霊園に置いた。

イ 「肉物体」と散歩したくなって、子供のころに遊んだ御嶽神社を思い出し、家から頭がい骨を持って歩いて行った。

ウ そのがい骨がおじいさんのがい骨になったので、おじいさんとドライブしたくなり、また、御嶽神社から持ってきた。おじいさんのがい骨に水を掛けて上げようと思い、水を通した。

エ 子供のころ、おじいさんから、御嶽の山から山道を降りると親せきのある養沢に出るという話を聞いたのを思い出したことと、五日市の御嶽と青梅の御岳のちなみもあり、頭がい骨を御岳の山の方に置いた。

オ 子供のころ、おじいさんと奥多摩湖をモデルにして作られた「ひょっこひょうたん島」という番組を見たのを思い出したことと、坂本の地名と親せきの坂本のちなみから、下あごを奥多摩の方の坂本トンネル付近に置いた。

カ 一回か二回、頭がい骨や下あごを見に行った。なくなっていないかを見に行くことと、あったらおじいさんをなでてやさしくしてあげようと思ったことからである。

(6) E事件

① 平成元年七月下旬、八王子で、六歳くらいの子供の写真を撮ったことがある。足を洗っていたので、足をバケツか何かから出したり入れたりするときにパンツのびろーんと見えるところが撮れるかも知れないと思った。

② 写真を撮った後、鳥が目に入って、子供のころに遊んだ御嶽神社を思い出し、あっちに行ってみようということになって一緒に散歩したら、金網みたいなものがあって、向こうが川だったから、暇だから下りようと思ったけれども、下りられそうになかった。そこで、やめて、今度は広い道路を散歩していたら、川がそこにあったので、行ってみようということになって、川原を散歩していた。そのときの気持ちは、探険気分とお散歩気分である。

③ 少し大きな岩があったとき、最近、読者が投稿したはしたないかっこうのパンチラ写真とかはしたない裸の写真とか、そういうのを扱った本がはやっていることを思い出し、片手にかっこう付けて持ったサマージャンパーに着替えているところを撮って、はやっている写真を持とうと思い立った。シャッターが切れなくて、「着替えたら水でも蹴って遊んでいて。」というように思い付いたことを構わず言いながらいろんな方向にカメラを向けていたので、その子の様子は余りよく分からなかった。

④ その後、男の太い声でかい怒鳴り声がして、おっかなくて、しょうがなくなって、夢中で逃げた。

(7) 取調べについて

① 平成元年八月九日付け上申書(図面三枚添付)はたぶん自分が書いた。

その一日か二日前から調べられたが、警察官から、机におっぺされて、息ができないようにされたり、髪の毛をつかんで引っ張られたり、おでこをつっこくられたり、胸ぐらをつかまれたりされ、怖かった。「人の死を何とも思わないか。」とか、いろいろ言って、机をたたいたりして、大声でにらみつけながら怒鳴ってきた。

② 最初の日が一番長く、夜中の二時くらいまで取り調べられた。その後の取調べは、朝早いときもあるし、終わるのが平均で一〇時くらいだと思う。

③ 警察官は、何度も、最初からわいせつ目的があったのではないかとか、殺意があったのではないかとか言ってきて、警察官の気に入らないことを言うと、胸ぐらをつかまれたり、机をたたいたり、拳を振り上げたり、急に立ち上がって迫ってきたりした。

④ 夜、看守が一人か二人、部屋の前でいすに座ってじっと私の方を見ていたし、狭山署の房には監視カメラがあったし、食事のために房に戻ったときも、いつも何人かが監視していたので、夜余り眠ることができず、取調べ中眠かった。

⑤ 相手に合わせるように言わないと、またひどい目に遭うと思って、気が気でなかった。疲れたり、眠かったり、相手に合わせないとおっかないから、早く終わらせたかった。早く終わって、ビデオを見たかった。

(三) 第一九回公判期日の被告人質問における供述(検察官から質問)

(1) F宛はがき等の証拠物について

① F宛はがき(物15)について

自分が作ったかどうか覚えていない。自分はそのようなパズル的発想をよくするから出しても不思議じゃないとというぐらいで、あるように思うとしか言いようがない。取調べでは警察に合わせて創作して述べた。

② 遺骨入り段ボール箱に入っていた「A 遺骨 焼 証拠 鑑定」と記された紙片(物1)について

最初の文字は「◎◎◎」と読むと思う。自分が作ったかどうかよく覚えていない。箱を送ったようなことはあるように思うが、自分がこんな面倒くさそうなことをするかなと思う。

③ 犯行声明文(物5)及びこれが封入されていた封筒(物6)について

工場でも見たことのない封筒である。Aちゃんの家に送ったかは余りよく思い出せない。冬場に何か物事に没頭して明け方何か心も体も疲れ切って、もう振り返るのも嫌だっていうことがあり、弁護人から盛んに八九年の二月ころの冬に何かこういうのを送ったんじゃないかと聞かれたんで、たぶんそうじゃないかと思って、それに合わせて、「あるように思う。」と答えたが、今は覚えていない。弁護人から、送った理由を質問されたとき、八九年の冬場におじいさんの葬式がまた見たいと思ったので、そう答えたが、Aちゃんの家に送ったかよく思い出せない。封筒の差出人の氏名は、「いまだいさこ」と読むと思うが、書いたかどうかよく覚えていない。朝日新聞社に送ったか覚えていない。取調べでは警察に合わせて創作して述べた。

④ 告白文(物11)及びこれを封入していた封筒(物12)について

自分が作ったものか分からない。Aちゃんの家に送ったか覚えていない。冬場に徹夜して何か没頭したことがあり、もしかしたらと思って、弁護人からの質問には、「あるように思う。」と答えた。八九年の冬はおじいさんの葬式がまた見たくなったということが頻繁にあったので、そういう趣旨なら何か出したことがあるんじゃないかと思ったから、「あるように思う。」と答えた。告白文中、「一五年は捕まりたくない。」とあるのは、子供の年齢が五歳で、テレビで大人になれなかった等と言っていて、その連想から、五+一五で二〇ということで、告白文を書いた人が書いたんじゃないかと思う。取調べでは警察に合わせて創作して述べた。

⑤ 取調べの際の供述について

取調べでは、F宛のはがき、犯行声明文、告白文について、警察に合わせるように言ったり、創作でつなげたりした。取調べを早く終わらせたかったからである。警察官は、どういう経路でこういうものが来たとアドバイスしてくれた。そのときは思い当たらなかったので、よく覚えていないと言ったが、取り合ってくれなかった。きめつけられ、怖かったので、合わせた。

(2) 幼児の性器等を撮影した写真等について

① 捜査報告書(甲74)添付の熊川駅近くの民家の庭先で撮影された少女の行水の写真について

子供が水で遊んでいるところを撮ったことがあるように思う。この写真かどうか具体的には分からない。パンチラや裸の写真がはやっているので、はやっているものの分量を増やすということでやっている。こういうたぐいのものは少ししか持っていない。自分が撮ったとき、陰部が写っていたかどうか覚えていない。おじいさんと関係があるかと聞かれても分からない。

② 写真接写撮影捜査報告書(甲85)添付の被告人が平成元年六月一日に昭島市立田中小学校の校庭で撮影した幼女の性器等の写真について

警察で初めて見せられたもので、六月ころの写真だと言われた。

「今年の五月か六月ころ、団地の近くの小学校の校庭で小さな女の子の性器の写真をとり、新宿のさくらやに現像をたのみました。」との記載のある図面(写真撮影報告書(甲95)添付のもの)は、自分が書いたものかどうか覚えていない。この図面に、「平成元年八月二十日、甲山春夫」とあるのが自分の字かどうか分からない。ああいう写真を撮ったかどうかさっぱり覚えていない。おじいさんと関係があるかと聞かれても、おじいさんのことは出したくない。

③ ネガフィルム焼増し捜査報告書(甲96)添付の被告人が平成元年六月一日に昭島市立田中小学校の校庭で撮影したザリガニを見ていたり、鉄棒をしたりしている少女らのパンティが見える写真や、テニスをしている女性の写真等について

ザリガニが関係したことで写真を撮った覚えはない。テニスをしている人の写真は複数回撮ったことがある(これらの写真とおじいさんと関係があるかとの質問には答えない。)。

(3) ネガフィルム焼増し捜査報告書(甲537)添付のCの性器の写真について

警察で見せられた。よくありがちな裸の写真だが、自分が撮ったかどうか覚えていない。どうしてこれらの写真とおじいさんとの関係を聞くの分からないし、コメントする気になれない。

(4) 押収物の必要処分捜査報告書(甲735)添付のDの遺体の性器の写真について

警察で見せられた以外に見たことはない(これらの写真とおじいさんと関係があるかとの質問には答えない。)。

(5) A、Dの遺体をビデオカメラで撮影したことについて

人にカメラを向けたというのは覚えているが、後のことは覚えていない。弁護人からの質問には、おじいさんにささげるのに使うのでそういう趣旨で言ったと思う。カメラを向け、ささげものを持とうという意思でやった。警察で見せられたときは、性器を触っているところが写っていたが、ビデオテープの映像内容は覚えていない。自分で撮ったものは余り見ないから、おじいさんと関係があるのか分からない。

(6) 「一、私は本年六月の頭頃の夕方頃、東京都江東区の団地で遊んでいたDちゃんを私の車(日産のラングレー・八王子55二九三)にのせ、後部座席の所で両手でDちゃんの首をしめて殺しました。二、遺体は、私の部屋で、ナイフのようなものと、両刄ののこぎりを使い、両手・両足・それと、頭を首から切って只今図面に書いた所に別々にすてました。胴体は、宮沢湖霊園に捨てました。右、甲山春夫 平成元年八月九日」と記載のある上申書(乙99)について

警察でこういう話が向こうから出た。切った道具も向こうで言った。自分が書いたかどうか思い出せない。添付の図面三枚のうち、紙袋の点については創作で言った。

(7) 「一、私は、本年六月の頭頃の夕方 東京都江東区の団地でDちゃんを私の車につれこみ殺して、手足、頭などをのこぎりで切って、捨てたことについては、すでに上申書で説明しておりますが、明朝(八月十日)私が、Dちゃんの手や足、それに、頭などをすてた場所を案内することを承諾します。私も、その場所にオセンコウをあげたいと思っております。右、甲山春夫 平成元年八月九日」と記載のある承諾書(乙100)について

警察官にお線香を上げたいだろうと言われたことは覚えているが、内容はよく思い出せない。書いたかどうかも覚えていない。ドライブに連れて行くからなと言われ、警察の車に乗って行っただけである。

(8) 写真撮影報告書(甲675)添付のDの両手足を遺棄した場所及び頭がい骨発見の写真について

子供のころよく遊んだ御嶽神社の階段が写っている。指させと言われたから指しただけであり、何を指したか分からない。ほとんど警察に指示されようにやっていた。

(9) 実況見分調書(甲676)添付のDの頭がい骨の発見場所の写真について

がい骨のようなものが写っている。黄金バットに見える。誰のものか、骨で分かるわけがない。弁護人からの質問に対し、いったん骨を捨てたことがあると答えたが、写真は写真だとしか言いようがない。

(10) 「一、私は、本日、私がDちゃんのあごの骨をすてた奥多摩湖の林の中に案内することを承諾します。平成元年九月一日 甲山春夫」と記載のある承諾書(乙154)について

警察官が、あごがなかったと言ってきた。どう答えたか詳しいことは思い出せない。九月一日の朝、ドライブに行くからなと言われて、奥多摩の方へ向かったが、雨だからと言って引き返した。

(11) 引き当たり捜査報告書(甲687)添付のDの下あごを遺棄した現場の写真について

指をさせと言われたから指した。耳のちょん切れたようなものにしか見えない。写真では分からない。

(12) 実況見分調書(甲691)添付のDの下あごを発見した現場の写真について

写っているものがなんであるか分からない。弁護人からの質問には、おじいさんの残りの骨を聞かれたと思うが、残りの骨をドライブを続けて別の場所にそっと置いたと答えた。写真に写っているものがおじいさんの骨だという説明をしないのかと聞かれても、自分が見たときは、どういうものだとか、明確というか、そういうのはない。警察官がなぜこういった骨を発見できたか分かるかと聞かれても、下あごが取れていたことも警察から聞いたし、下あごがどういう形態をしているかも分からないし、あんな黄色いのも見たことがない。

(13) 「Dちゃんの遺体をとったフィルムをかくした場所 平成元年八月二十四日 甲山春夫」とある図面(証拠品の捜索押収の必要性に関する報告書(甲786)添付のもの)について

このような図面を書いた覚えはない。フィルムを物置に置いたということはない。

(14) Cの写真(物42)及びネガフィルム(物43)について

この写真は警察で見せられた。自分が撮ったか覚えていない。

(15) 押収物の必要処分捜査報告書(甲735)添付のDの遺体の性器の写真について(再度の質問)

警察でビデオを見せられた。ありきたりな裸の写真だと思う。ドライブで自宅の裏の物置に連れて行ってもらったことはないから、どういう状況で発見になったのか見ていない。

(四) 第三五回公判期日の被告人質問における供述

(1) 生育状況等

① 高校時代のころから外界が怖くなり始めて、それ以来心がちくちくしている。心がちくちくしないでいられたころに戻りたいとか中学時代以前に戻りたいとか思う。なかでも子供のころが一番いい。

② おじいさんの骨を食べたことは狭山警察署での取調べのときに述べたが、警視庁の取調べのときに述べたかどうか思い出せない。話しても相手にされないと思ったかも知れない。おじいさんのことを取っておきたかったという気持ちもある。急に言い出したら何かまた威圧的な態度で来られるかも知れないと思った。

(2) 性的関心について

① (裁判所からの質問に対し)マスターベーションをしたことはなかったが、正常に見られたかったので、警察の取調べでは、マスターベーションをしたと述べた。簡易鑑定の問診の際にも、警察官が横にいたので、警察に合わせてマスターベーションをしたと言った。鑑定人もわいせつ的な方向に持って行こうとした。

(検察官からの質問に対し)警察の取調べでは、マスターベーションをしたことはないと言ったが、取り合ってくれなかったし、正常にみられたかったので、したことがあると自分から述べたこともたまにあるということである。

② 地方のビデオ知人に東京でやっていない子供のころの再放送の番組の録画を頼むときに、向こうの人の好きなジャンルがプロレスとか、パンチラとか、テニスとか、時代劇とか、分からなくて、いろいろなジャンルのものを手持ちにしておかないと交換条件を成立させることができないので、撮ったものは手持ちにしておくために捨てずに取っておいた。

③ Pは、パンチラ写真も撮っていた。家に来る度に真っ先に妹の部屋に行ってあいさすをするし、妹の運動会も撮ったし、文化祭のときのパンチラとか、海辺の写真とか、海外旅行の写真とか、川の写真も撮っていた。たまに小さい子供の裸の写真も撮っていた。ビデオ関係で知り合った人の方が学校で知り合った人よりパンチラとか今はやっているような裸の写真とか、そういうのを撮る人が多い。

④ 少女の写真を粘着テープで張り合わせたもの(物53)について

自分が張ったという記憶がないが、投稿雑誌のまねをして写真をつなぎ合わせるというまねをした可能性はある。はやっていることのまねをした可能性はある。警察の取調べで、マスターベーションをするのに刺激が受けやすいのでそのようにしたという供述をした記憶はない。

(3) 事件全般について

① 事件については、別の島のことのように思う。最初の公訴事実に対する認否の際に、さめない夢の中のようだと述べたが、今でも同じような気持ちである。事件について何も感じるところはない。どの事件もばく然としか認識していない。殺している状況は記憶がない。

② 子供と出会ってから一心同体になって、もうドライブの中にあったとしか言いようがない。

③ どの事件でも、同じ風体で、同じでかさで、だいたい一〇人ぐらいで同じ人数で、全身がネズミ色で、皮膚がネズミ色なんだか、ネズミ色のタイツを覆いてるのか、着てるのか、よく分からないが、ネズミ色一色で、顔がネズミで、人間の顔をしてなくて、周りの木の陰からぬうっと出てきた。信頼していた子が急に泣き出して裏切ってきたとき、おっかなくなって、そのとき出た。もう恐怖の中にたたき込まれて、わあっとなって、後は分からない。気が付くと自分が地面に倒れていた。逃げ帰るとき、その子も倒れていたような気がする。四つの事件を前半と後半に分けると後半の二つは、車の中に倒れていた。子供の首を絞めた覚えはない。日常のときは出てこない。「ネズミ人間」の話は警察でも取調べの早い時期から言っていたが、取り合ってくれなかった。

④ ビデオを撮ったり、写真に撮ったりしたのは、命令に従ってやった。おじいさんにささげるという気持ちも一部ちょっとあった。私をおっかない目に遭わせた張本人のこいつをおじいさんにささげちゃうぞという、せっかく信頼して大事にしていたのに平気でひとを裏切っておっかない目に遭わせてというふうに、だからそんなことをする人はおじいさんにささげちゃうぞとか、そういうものも考えたと思う。でも、やっぱり、恐怖の中でおっかないほうが先で、どうしょうもなくなってわあっとなった。

⑤ 子供を殺した後、ビデオで撮影したり、性器をいじったりしたのは、私の前に出てきたもう一人の私の姿をしたやつが直接触ったりしているようだった。私の視界にはそいつの背中が目に入って、前で何をやっているのか余りよく分からない。私がやったのではない。このことも取調べのときに話したが取り合ってくれなかった。

⑥ Dちゃんの頭を捨てた場所とかBちゃんの遺体を放置した場所に警察官を案内したことはない。ただ、車に乗せられて行っただけである。御嶽か三鷹の方に「肉物体」とドライブしたことがあると言ったことがあるだけである。Bちゃんの遺体が発見されて喜んだということはない。

(4) A事件

① マンション住宅地で独りぼっちでいる女の子に出会い、自分の子供のころのことを思い出させてくれるいい子だなと思った。急に子供のころが懐かしくなって、子供のころに帰ったような気持ちになった。

② その子の方に向かい、直接の言葉は出せないが、「ドライブに行こう。」とか「暑いね。」とか、ドライブに関係した話をした。この子を車でどこかに連れて行こうという気持ちはなかった。筋書のないドライブの中に自分もその子も入っていた。一心同体となって、その子は私の意思と同じような意思を持っているというか、そんな感覚になった。

③ ただドライブを楽しみたかった。できたら知っている道に出た方がいいなと思った。女の子が自分で車のドアを開けて乗ってきた。方向は決まっていない。ドライブがしたい気分で、もうドライブの中に入っていた。

④ 車を降りて山の中に入り、ピクニックをした。車でこれ以上進めないような場所まで行って、そこで車を降りたときから、ドライブ気分がピクニック気分とつながった。再び引き返すとか、どうするとか何も考えていなかった。女の子は後を付いてきているようであった。「ピクニックに行こうね。」とかそういうふうなことを言ったと思う。

⑤ 女の子は帰りたいとか言わなかった。なぜか分からないが、急に裏切って、不思議な力を持つ仲間を呼んで私を襲わせてきた。「ネズミ人間」が出た。「ネズミ人間」の話は最初の鑑定の問診の際にもした。

⑥ 翌日、命令が出て、「肉物体」があるかどうか見に行った。不思議な力を持つ者たちから「肉物体」を映像にするという命令が出た。自分では、夢だったのかどうか判然としなくて、一応行ってみれば分かると思っていた。命令に従って、ピクニックをした所へ行った。高円寺へ行ってレンタルビデオ店で撮影機器を借りた記憶はない。誰に借りたか、あるいは盗んだのか思い出せない。

⑦ 山へ行ったところ、「肉物体」が横たわっていた。前日の女の子かどうかよく分からなかった。ピンとくるものがなかった。私と同じ姿、かっこうをした者が出てきて、不思議な力を持つ者たちの命令に直接従って、行動していた。姿形は同じだが、私ではない。のそりのそりやってて、何も怖がっていないようで、冷静にやっていた。

⑧ 犯行声明文、告白文を書いて送った覚えはない。これらの字は自分の字ではない。作成の動機、内容、差出人の氏名等について警察の取調べで述べたことは、警察からそういう方向に持っていかれたものである。差出人の名前は、おっかない調べを早く終わらせたいと思い、創作して警察に合わせた。

(5) B事件

① 一番印象に薄い。この日は、安いビデオテープを売っている所へ行こうと思って、道で女の子に会い、ドライブ気分になった。このとき、最初の子と会ったときのことは思い出さなかった。

② 直接の言葉は覚えていないが、ドライブとかそういったことを言ったと思う。車に乗って、ドライブに出掛けた。五日市へ行き、車から降り、ピクニックをした。

③ また、泣いて裏切ってきた。おっかないと思ったとき、「ネズミ人間」が出た。おっかなくなり、あと分からなくなった。気が付いたとき、地面に倒れていて、女の子も倒れていた。今度は私の番だと思って、おっかなくてすぐに逃げ帰った。死体にわいせつな行為はしていない。警察にそのように述べたのは創作である。調べを早く終わらせようと思って、警察が言ってきたことに合わせた。

④ 翌日か翌々日命令が出て、また行った。道から林の中に何回か入ってみたが見当たらなかった。

⑤ その後、二つの事件を思い出したり、反省したりしたことはなかった。何か不思議な夢みたいなことがあったぐらいな感覚だと思う。

⑥ 警察の調べで、顔をそむけながらBちゃんの首を絞めた様子の図面を描いたり、そういう供述をしたのは、警察の指示に従ったものである。

(6) C事件

① マンションの住宅地で女の子と出会い、子供のころに帰ったような感覚になった。このとき、これまでの二人の女の子のことは思い出さなかった。

② ドライブ関係のことを話したと思う。車に入れたらどうなるか何も考えていなかった。また、「ネズミ人間」が出てくるとは考え付かなかった。急に裏切ってきて、ひゃっとした。まさかと思った。

③ 夜の川へ行こうとか夜の温泉へ行こうとか言ったことがあり、その子が自分で脱いだと思う。後部座席で脱いでいた。私が車へ戻ると、もう脱ぎ終わっていた。裸になっていたので、最近はやっている読者が投稿したパンチラとか裸の写真を扱った雑誌のことを思い出して、はやっているものは集めると命令されて、たまたまトランクの中にあった父の人のカメラを被写体に向けた。それから、急に泣き出してきて、急に裏切ってきて、この子が大勢を呼び出して私を襲わせると思って、どんどんおっかなくなってきて、後ろを振り向いたらやっぱり「ネズミ人間」が出てきていて、車たたかれたりとか、揺らされるとかして、私のことを信頼してるのが分からないのって求めるのに、こいつが私を襲わせるんだともう憎くてしょうがなくなって、どんどん近付いてきて、恐怖の中でわあっとなって、あと分からない。次に思い出すのは、気を失っているところから、気が付いて、起き上がるときである。その子が先にやられていた。おっかないから、その場を離れた。五日市を目指し、「肉物体」とドライブした。このとき脱輪した覚えはない。

④ 「C かぜ せき→のど→楽→死」というはがきを送った覚えはない。警察がそういう方向に持っていった。

(7) D事件

① 急に泣き出してきて平気で人を裏切ってきて、おっかなくなって、後ろを振り向いたら車の外に「ネズミ人間」が一〇人くらい出てきていて、おっかなくなってどうしようもなくなった。気が付いたら女の子が車の中に倒れていた。

② 知っている道を探しながらドライブをした。空中から、不思議な力を持つ者たちが不思議な力を使って、要するにおっかない力を使って、男の声で、「肉物体」と二回目のドライブをするという命令が出た。

③ 翌日か翌々日、遺体を切断するという命令が出たので、おっかないから命令に従った。私に嫌なことをさせたり、おっかないことをさせたり、不安がるようなことをして向こうは楽しんでいる。細かい命令はないので、適当な部位を切ったりした。改造人間の改造手術をするという命令と、「肉物体」を映像にするという命令である。私の目の前に私と同じかっこうをした者が出てきて直接やる。

④ 女性性器をホルマリン漬けにするという命令が出たときがある。

⑤ 現場検証とか言われたことをこなしていて、それ以外のことは余り考えていなかったので、血を飲んだとか手足を食べたとかは述べなかった。おじいさんの骨も食べているので、何かそのことの関連で、大事に取っておきたかったのではないかとも思う。裁判では、警察がいなくなったので話し出した。

(8) E事件

① 川を散歩していて、大きな岩があったが、そのときに読者が投稿したパンチラ写真とか、裸の写真を扱った投稿雑誌というのがあって、その雑誌に岩場で男の子とか、女の子の裸を撮った写真とかが写っていて、それを思い出したときに、突然はやっているものを集めるという命令が出て、それに従った。

② この事件のことは、ばく然とあったように思うとしか言いようがない。誰に押さえられたかはちょっと覚えていない。そのときは、リンチに遭わせられ、殴られた。おっかなかった。逃げなかったのは車の方が大事だということはあった。

③ それまで、これまでの事件のことは余り意識がなくて日々同じように過ごしていた。

四  被告人の取調べ状況について

被告人は、公判廷において、捜査段階では、警察官から長時間深夜に及ぶ取調べを受け、暴力を振るわれるなどしたため、警察官の意向に合わせた供述をした旨述べるので、警察官の取調べ状況について、取調べ官の証言及びこれに対する被告人の供述(第三五回公判期日における被告人質問)を中心にみておくことにする。

1 Y警部補の取調べ

(一) 取調べ時間等

Y警部補は、平成元年八月九日から同年九月六日までほぼ連日被告人の取調べ等の捜査に当たったが、同年八月九日の警視庁八王子警察署における取調べは、午前一〇時三分から午前一一時三二分まで、午後零時二二分から午後五時まで、午後五時四二分から翌一〇日午前零時二七分までであり、その後の警視庁深川警察署における取調べは、おおむね午前七時二〇分ころないし午前八時過ぎころに開始し、おおむね午後八時ないし午後九時ころ終了しており、最も遅い日が同年八月一三日の午後一〇時三〇分である。

(二) 証人Yの証言要旨(第二九回、第三〇回公判期日。以下「Y証言」という。)

(1) 平成元年八月九日の最初の取調べ(D事件の自供)について

① 被告人がE事件で起訴された日(平成元年八月七日)の後である同月九日、余罪及び同種犯罪の有無を調べるという観点で、被告人の取調べをした。午前中は、被告人の生育歴を中心に聞き、午後は被告人の行動半径を中心に聞いた。生育歴等については、被告人は、幼少のころの出来事とか、自分が非常に気にしている内容とかを素直に供述していた。父親の話は出ていたが、祖父のことは出ていなかった。雑談の中で、有明コロシアムというテニス場に二、三回、テニスのパンチラ写真を撮りに行ったという話があり、事件発生現場と非常に近接していること、被告人の使用車両の運転席シート下に血こん様付着の軍手とポリプロピレンテープが束ねてあったことから、もしかしたら関連を有しているのではないかと考え、夕食後、本格的な取調べに入った。

② 夕食後の調べにおいて、今までの生活の中でやった悪いことについて話すようにと言うと、交通事故を起こしたこと、ガス欠により交通渋滞を起こして迷惑を掛けたこと、立ち小便をしたことの三つを挙げたので、犯罪行為の話を聞きたいときっかけを作って調べ、君は有明テニスの森をよく知っているが、あの付近で起きた事件を聞きたいと水を向けた。有明コロシアムの話や被告人の車のトランク内に血こん様のものが付着していたことについて追及したところ、被告人が、いたずら半分に友人をトランクに乗せて走り回ったために友人がけがをした旨の弁解をした。そこで、その裏付けを取らせたが、その事実はなかったので、そのことを被告人にぶつけたり、ポリプロピレンテープや軍手の使い道等を追及していき、もうこれだけ分かっているんだからどうなんだとか、最終的に話すのか話さないのかとか言って、追及した。法律に情状酌量という条文があるとも話している。そうしたところ、午後一〇時半ころ、被告人が、「じゃ、刑事さん、私の話を黙って聞いて下さい。」と言い出したので、一時間半ほど質問を発さず、被告人の供述を聞いた。質問をはさむと待ってくれと言われるので、被告人が述べるところをそのまま聞いた。被告人は、手の障害のことを含め生い立ちについて話をし、その流れの中で、Dちゃんの殺害を自供するに至った。

③ 被告人は、自供に至るまでに、小鼻がぴくぴく動いたり、生つばを飲み込むような動作が何回かあったが、午後一〇時半ころになって、平静さを取り戻して供述を始めた(もっとも、弁護人からの質問に対しては、被告人がDちゃんの殺害を自供した後、矛盾点を何点か突いたところ、被告人の小鼻がぴくぴく動くなどしたのであり、自供に至るまでに被告人の小鼻がぴくぴく動いたりしたのはAちゃんの殺害を自供したときのことである旨述べる。)。

④ 被告人の手に障害があるということは知らなかったが、夕食後の調べで、午後六時近くころからぼちぼちその話をしており、自供をする前段階で、被告人は、非常に悩んでいることがあるとして、幼稚園ではしが持てなかったとか、逆上がりができなかったとか、悩みを父親に話したが聞いてくれなかったとか、手術もしてくれなかったとか、成人してからも悩みがあったとか、手の不自由さの苦労をとうとうと話した。そこで、その話は身上調書という供述調書の中に詳しく書いて上げようということで、身上調書を取るときに詳しく聞いた。

⑤ 取調べにおいて、被告人に暴行を加えたとか脅迫したとかということはない。

(2) A事件、B事件及びC事件の自供について

① A事件等を一連の事件としてみた場合には、早急に被告人に自供をさせなければ動機の解明ができないと考え、同年八月一三日、同じような事件を起こしているのではないかとか、すべてを話した方が君のためにもいいのではないかとかいった説得的な取調べをした。告白文の筆跡と被告人の筆跡が酷似しているとの観点からも追及し、同日、被告人は、Aちゃんの殺害を自供した。また、ラングレーを脱輪させたことがあるだろうと聞いたところ、被告人は、素直に脱輪させたことがあると認め、同日、Cちゃんの殺害を自供した。A事件とC事件について追及し出したら、AちゃんとCちゃんの殺害を自供する前に、被告人の右の小鼻が非常に動いた。その日は、Bちゃんの殺害の自供は得られなかった。

② その後、うそを言っても白昼に女の子を連れ去れば見られている可能性だってあるのではないかなどといろいろ事実を挙げて説得したところ、同年八月一五日、被告人は、Bちゃんの殺害を自供した。自供の段階では、小鼻を動かすといった表情はなかったが、声が小さくなり、言葉数が少なくなって、答えがしどろもどろになってきた。同月一三日に自供しなかった理由について、被告人は、死体を確認に行ったとき見当たらなかったので、警察に言わなくてもばれないだろうと思って話さなかったと述べている。

(3) D事件の取調べ全般について

① 被告人に質問をし、被告人がこれに答えるという取調べ状況であった。被告人は割合淡々と供述していた。泣いたとかわめいたとか謝ったとかいったことはなかった。

② 被告人が取調べ室に入って来たときには、「おはよう。」と声を掛けていたが、被告人も「おはようございます。」と返事をしていた。

③ 留置場の生活について聞いたところ、被告人は、格別不自由はないとの答えだった。眠れないということは言ってなかった。

④ 被告人は、一般的な雑談にも応じていた。被告人が、「お風呂に入って気持ちがいいですね。」と話したことがあったこと、被告人がパズルを二、三問出してきたので、それを解いたところ感心していたことがあったこと、被告人が立会いの警察官に「島倉千代子さんって知ってますか。」と話し掛けたことがあり、それに対して、被告人に「君はチョコレートが欲しかったんだろう。」と言うと、被告人が「よく分かりましたね。」と答えたことが記憶に残っている。笑いも出ていた。また、女性性器を見てどう思ったかと聞くと、被告人は、毛が生えていないほうが好きだと答えるなど、そういった話に乗ってくる状況があった。

⑤ 引き当たりの際、市販の弁当を買って食べさせたことがあるが、被告人は、非常においしいと言ってうれしそうに食べていた。

⑥ 被告人は、父親に対する敵がい心が強かったが、母親が心配だと話していた。

⑦ 被告人の経歴について、あらかじめ捜査の結果判明した事実を踏まえた質問をして供述調書に録取したということはなく、被告人の供述どおりに供述調書を録取した。また、被告人は、犯行状況等の図面は積極的に丁寧に描いていた。

⑧ 供述を録取し、被告人に読み聞かせたところ、言い回しについて訂正を求められたことが二、三度ある。

⑨ 平成元年八月一〇日に現場へ引き当たりに行ったが、被告人の述べる裏山からDちゃんの手足が出てこなかったので、うそを言ってるんじゃないのかと追及したところ、「うそは言っていません。早く見付けてやって下さい。」と言ったり、「頭の部分は必ずありますから頭の部分を案内します。」と言っていた。

⑩ 被告人作成の承諾書中にある被害者の冥福を祈って線香を上げたいという内容の記載は、被告人が自分の意思で書いたように記憶しているが、形式は教えた。被告人にDちゃんを殺害したことの罪悪感は多少はあったと思う。ただ、遺族に対する謝罪の言葉は少なかった。また、被告人に、早く遺族に遺骨を返してやりたいという気持ちは当然あったと思う。遺骨を探すために被告人が案内する場所についての被告人の説明は、非常に具体的で詳しく、被告人は遺骨を探して遺族に返すことに熱心だった。

⑪ 被告人は当初うそを織り混ぜて供述していたが、後に訂正した。被告人は、当初は、しゅうち心や悪く思われたくないとの気持ちからそういう供述をしたと述べていた。供述調書中にあるマスターベーションという言葉は被告人が述べたものである。被告人は、当初は、自分の子供にしたいとか、自由に連れ歩くとか、腕のことをばかにされたので殺してしまったとか述べていたが、その後、被告人がDちゃんを殺害した後ビデオカメラを借りていることを追及したり、犯行態様が明らかになっていくにつれておかしいじゃないかと追及していくと、性的欲求を満足させるために殺害したと述べた。

⑫ D事件の起訴後、被告人が、実は祖父の墓を移動して中にあった遺骨を食べたという話をしてきたので、なぜそういう話をし出すのかと聞いたところ、そういう話をしても相手にされないだろうと思ったから話さなかったと言っていた。また、起訴後、おじいさんへのいけにえにしたかったと述べたことがある。なお、D事件の起訴前後ころ、被告人は、自分が撮ったDちゃんのビデオを宝物だから返して欲しいと言っていた。

2 Z警部の取調べ

(一) 取調べ期間

Z警部は、平成元年九月五日、警視庁深川警察署に出向いて被告人に会い、被告人からA事件の自供内容を聞いた後、同月八日A事件で被告人を逮捕し、その後、平成元年一〇月中旬ころまで、埼玉県警察狭山警察署で、おおむね連日被告人の取調べを担当した。

(二) 証人Zの証言要旨(第三〇回、第三一回公判期日。以下、「Z証言」という。)

(1) 取調べ全般について

① 取調べにおいて、被告人の前の机で手をたたくとか、大声を出すとかしたことはない。全体として静かな取調べであった。犯行状況等の図面は、集中して一生懸命に早く上手に描いていた。被告人に対しては、こういう場面を描いて欲しいと言うだけで内容については何も言っていない。

② 被告人からは病気等の訴えもなく、被告人の体調は極めてよかったように記憶している。腹痛や頭痛の訴えもなく、不眠を訴えたようなこともなかった。食欲もあった。ただ、消灯時刻が深川警察署は午後八時なのに狭山警察署は午後九時で房内が明るく、房に向けられた事故防止のためのテレビカメラが気になって寝づらいとか、建物が新しく、静かで、しんとして余り気持ちがよくないとか言っていた。

③ 被告人には可能な限り入浴もさせていた。被告人が、朝に入浴をし、弁護人の接見も済ませ、さっぱりした明るい顔で、おはようございますとあいさつしたことがあった。洗髪もしていたと思う。みだしなみがだらしないとの印象を持ったことはない。

④ 被告人は、最初は、あいさつをしなかったが、こちらから努めて明るくおはようと声を掛けるようにしたので、まもなく、取調室に入ってくるとあいさつをするようになった。夜間の調べが終わって房に返すときはおやすみなさいというようなあいさつをしていた。

⑤ A事件の取調べを開始して何日も経過しないころ、事件の核心部分を聞いていて午後三時のおやつの時間になったとき、被告人からおやつの時間なので調べを中断して留置場に戻して欲しいとの申し出があり、びっくりして今日でなくてもいいんじゃないかと言ったが、被告人がこの時間でないと食べ損なうと言うので、休憩時間に被告人を帰房させたということがあった。

⑥ 被告人が自宅裏庭でAちゃんの頭がい骨を砕いたという供述をしたので、できるだけ近所等の目にさらさないように配慮して、夕方ころ被告人に右現場を案内させたことがあったが、そのとき、被告人が、自宅の立入禁止のための縄張りを見て、護送車のわきに立ちつくし、大きな涙をぼろぼろと流し始め、うちの人はどこにいるのかと聞くので、よそに借りて住んでいるという説明をしたところ、自分の家があるのに高い家賃を払っているのですねとか、このままここへ帰ってこないのだろうかとか、これではうちの者が村八分になってしまうとか心配していた。

⑦ 狭山警察署の車庫で被告人にラングレーを示して確認させたことがあったが、その後、被告人が乗ってもいいかと聞くので許したところ、被告人が運転席に乗り込み、喜々とした態度でハンドルを握ったりして無邪気に遊び、さらに、ほこりが一杯付いているから洗車してワックスを掛けておいて下さいと冗談気味に屈託なく言っていた。

⑧ 狭山警察署の小峯警部に現場検証を担当させることになり、取調室で同警部と被告人とを引き合わせたことがあったが、小峯警部が退出した後、被告人が、「Zさん、案内する場所も小峰峠で、小峯さんはあそこの峠、小峰峠の生まれじゃないでしょうね、そして、行った帰りは小峯さんの家へ寄ったりしてね。」などと冗談を言っていた。

⑨ 被告人の身柄を狭山警察署に移してから数日後、被告人が弁護人からうちのことを聞いたと言い、うちのことを心配して昨夜も実は留置場で涙を流したと言ったことがあった。また、被告人は、おばあさんは、風邪を引いたときなどに笹に梅干をくるんで食べさせてくれたが、もう会えないのかなと言ったり、父親については多少反発を感じさせる言動があったり、もうあそこで印刷屋はやっていけないでしょうねと言ったり、母親については、もし自分が死ぬようなことがあったら大きな声で自分のために助けを求める人だとか言ったりしていた。被告人がおじいさんを慕っていた様子はあった。

⑩ 被告人は、漫画が好きで、ビデオの収集等について積極的に知っていることを話していた。テレビのCMの話をしたり、「のらくろ」とか「赤胴鈴之助」とかいう古い漫画のこともよく知っていて、得意げに話したりしていた。また、紙と鉛筆があると漫画や絵を描いたりしていた。

⑪ 取調室(二階)の真下の道路は朝方女子高校生や短大生が大勢行き交うので、被告人の女性に対する関心の有無を確かめようと思い、「いい天気だから外の空気を吸わしてやるが、下を一杯通る女の子は見ていけないよ。」と言って、取調室の窓を開けたところ、被告人は、「空気がおいしい。空が澄んでいる。木の緑が綺麗だ。」などと言いながら、何度も視線が下を通る女の子に落ちるので、被告人に女の子を見ていないだろうねと聞くと、「見ていません。空を見ています。」などと答えていた。

(2) 被告人の罪責感について

① A事件で被告人を逮捕して弁解を録取したとき、被告人が、真剣な顔で、Aちゃんは骨を親元に送ったから葬式ができたし、Cちゃんは遺体が山中で発見されて親元に帰っているから葬式がやってあるが、Bちゃんは調べが進み、鑑定が進まないと葬式ができないから、Aちゃんの事件は後回しにしてBちゃんの事件を先に調べて欲しいなどと言っていた。

② その後、被告人の案内でAちゃんの殺害現場に行ってAちゃんの骨の一部が発見されたとき、被告人は、これで全部そろったと言ってあんどの表情を見せ、両手を合わせて拝むようなしぐさをしたり、これで自分が正直にAちゃんについて話していることが分かってもらえるでしょうなどと言っていたが、自分としては骨を残してきたつもりはなかったんだけれどもということも言っていた。

③ 被告人は、積極的に自分から後悔の言葉を出さなかったが、どう思っているのかと聞くと、被害者に対し悪いことをしたとか、すまないとか答えていた。

(3) 被告人の供述経過について

① Aちゃんの誘拐殺害の動機について、被告人は、当初、死んだおじいさんの話し相手として死んだ人をささげると、それがおじいさんと話をして、自分にその話が伝わるので、そのためにAちゃんを悪魔のいけにえにしたと述べていた。それに対し、その後BちゃんやCちゃんまで殺害しているのだからいけにえというのは当たらないのではないかとか、Aちゃんを殺害後、死体をいたぶっているのでいけにえにそういうことをしてはいけないのではないかとか言って、本当の話をするようにくどくど説得したところ、本当のことを言うと悪く取られるという意味のことを言っていた。そして、誘拐の動機として、スリルが味わいたかったという話に変わっていった。Bちゃん、Cちゃんの事件については、被告人は、いけにえにしたかったということは主張せず、殺した後に女性の体を深く知識として得たかったと述べていた。

② 被告人は、Aちゃん、Bちゃん、Cちゃんの三人とも、通りすがりに偶然見掛けて、その瞬間に、物を盗むときと同じスリルを味わいたいという気持ちから誘拐をしたもので、そのときは殺害のことは全く頭になかったとか、誘拐して誰にも追跡されない安全な場所まで子供を連れ出したときに初めて次にどうするかを考え、ここまで連れてきた以上は子供だけ帰すわけにはいかないから殺す気持ちになったとか、殺して女性の体を自分なりに深く知りたいと思ったとか述べるなどしていた。

③ 被告人は、祖父復活の儀式という言葉は言っていなかったが、被害者を撮影した写真が宝物だとは言っていた。

④ Aちゃんの殺害現場で骨を焼いていないかとか、自宅前の畑で焼いた骨を一部殺害現場に戻さなかったかとか聞いたが、被告人は否定した。また、被告人は、別の場所で骨を焼いたということも言っていなかった。

3 Y証言及びZ証言に対する被告人の公判廷における供述の要旨(第三五回公判期日)

(一) Y警部補の取調べについて

(1) Y警部補の取調べでは、質問に答える形であり、自分の方から聞いて下さいと言った覚えはない。威圧的な態度で、机におっぺしてきて、息ができないようにされた。苦しくて、これは警察に合わせるしかないなと思った。検察官の調べにおいて、Y警部補が自分のことをよく理解してくれた等と述べたことはない。

(2) 自分がY警部補にパズルを出したことはない。Y警部補の方から、マッチ棒とか積木のようなパズルを出してきた。

(3) 自分は、島倉千代子は知らないし、警察の取調べの中で、その名前を言った覚えもない。

(4) Y警部補の取調べにおいて、Bちゃん事件についてしゃべるのを渋ったということはない。余り聞かれなかったから余り答えていないということである。Bちゃんの遺骨がなかったからばれないと思ったと言ったことはない。

(二) Q警部の取調べについて

(1) Q警部の取調べは最初のころがすごく厳しく、おっかなかった。だんだんとその度合が低くなった。

(2) Q警部の取調べで、Bちゃんの事件を先に調べてくれと言ったことはない。

(3) Q警部の取調べ中に、おやつを食べることを願い出たことがある。おやつを購入できるシステムだから、食べられるわけで、当然願い出た。

(4) Q警部の取調べで、ラングレーのある所へ行ったとき、自分の車だから乗ってもいいと思い、願い出て乗せてもらった。いい感覚で、心地よかった。ふいておいてくれとかそんなふうなことを言ったと思う。

(5) Q警部の取調べで、自宅に連れて行かれたことがあり、家の様子を見たとき、おじいさんの部屋のわきとか、おじいさんの物置へ行って、うれしかった。暗かったので、誰もいないように思った。涙を流したとか、家の者が村八分になってしまうとか言ったこともない。出された弁当もうれしくて全部平らげた。

(三) 取調べ全般について

(1) E事件の取調べは威圧的なところがあったが、その後の事件の取調べと比較すると、やや聞いてくれたように思う。 (2) Y警部補もZ警部もどちらも話しにくかった。検察官の方がやや威圧的なところが少なかった (3) 供述調書の読み聞かせ後にいろいろ訂正申立てをしているが、これはささやかな抵抗といったニュアンスである。

(4) 供述調書添付の絵は警察官から内容や構図を言われて描かされたものである。

五  被告人の捜査官に対する供述と公判廷における供述の信用性の検討

1 前記第二、二において認定した各事実並びに同事実前から推認される本件各犯行の動機・目的・態様、計画性及び自己顕示・捜査かく乱の意図について

(一) 本件各犯行の動機・目的、態様、計画性及び自己顕示・捜査かく乱等の意図について

(1) 本件各犯行の動機・目的について

① 前記第二、二において認定したとおり、まず、本件各犯行について次の各事実が明らかである。

ア 被告人は、昭和六三年八月二二日から平成元年七月二三日までの間に、A(当時四歳)、B(当時七歳)、C(当時四歳)、D(当時五歳)を次々に誘拐して殺害したほか、E(当時六歳)を誘拐して全裸にするなどしたものであるが、これらの犯行は一年足らずという比較的短期間に連続して行われたものであり、被害者は、いずれも幼女らであること

イ 被告人は、A及びDに対し、その遺体の性器に指やドライバーを挿入した上、抽送、旋回等を繰り返すなどしており、右の行為は、被告人が女性性器に強い興味を持っているこを示すとともに疑似性交行為と解されること(〈証拠略〉)

ウ 被告人は、A及びDの遺体を陵辱した場面をビデオカメラ等で撮影してそのビデオテープや写真を隠匿所持し、Cを殺害の直前に全裸にした上、同女の性器を中心に写真撮影をしてその写真等を隠匿所持し、I(当時九歳)、E姉妹らにスカートの奥のパンティが見える姿勢をとらせてこれを写真撮影し、さらに、Eを誘い出して全裸にした上、同女にカメラを向けるなどしたものであり、これらは、被告人に被害者らの性器や被害者らに対するわいせつ行為を映像にして所持したいとの意図があったことを示すものであること

以上の各事実が明らかであり、これらによれば、被告人の本件各犯行は、幼女らを対象にした、かつ、同女らの性器を見たり触ったりしたい等のわいせつの意図に出た一連の誘拐殺人等事件であり、しかも、同女らに対するわいせつ行為の場面等を映像にして所持したいとの意図をも伴ったものであると推認するに十分である。

② さらに、前記第二、二において認定したとおり、本件各犯行の背景として、次の各事実が明らかである。

ア 被告人は、本件一連の犯行に至る前や本件一連の犯行の間にも、他の少女や幼女らに言葉巧みに近付き、行水をしている裸姿を性器を中心に写真撮影をしたり、水着姿を写真撮影しようとしたり、あるいは、パンティが見える姿勢をとらせ、更には性器を露出させるなどして、その写真撮影やビデオ撮影をしたり、また、テニスをしている若い女性のパンティが見える姿をねらって写真撮影やビデオ撮影をするなどし、これらの写真やビデオテープ等を所持していたものであり、これらは、こうした市販のものではない私的に撮影したわいせつ的な映像等に対する被告人の並々ならぬ関心の強さを示すとともに、被告人の性的な関心が幼女らに限られず発育した女性にも向けられていたことを示すものであること(なお、当時、若者らの間にこうしたわいせつ的な写真等を撮影して収集したり、これを雑誌に投稿したりするなどの下位文化が存在していて、被告人がこのような下位文化の影響を受けていたことがあったとしても、こうしたわいせつ的なものを撮影の対象として選択したことからすれば、被告人が撮影の対象に関心を持っていなかったとは到底思われない。)

イ 被告人は、ビデオテープ等の収集を趣味とし、テレビ番組を録画したものを中心に市販のものなど多数のビデオテープや漫画雑誌等を所持していたが、その中には、少女性愛的なものだけでなく発育した女性に対する性的興味を対象にしたものも少なからず含まれており、また、被告人は、男女の性交場面等がそのまま写っている写真を所持していたほか、ビデオレンタル店からアダルトビデオを借りるなどしていたものであって、これらは、被告人が、テレビで放映されているものや市販のものを含め、広く女性に対する性的興味を対象にしたものについても強い関心を持っていたのみならず男女の性交についても興味を持っていたことを示すものであること

ウ 被告人は、射精の跡を母親に見られたことがあり(〈証拠略〉当裁判所のL証人に対する平成二年一〇月三一日付け尋問調書によると、同人は、捜査官に対し被告人の敷き布団のカバーに精液が付いていた旨述べたのは間違いで、食べ物がこぼれていたんじゃないかと後になって考えている旨述べるのであるが、精液の付着と食べ物の付着とを取り違えるということは考え難く、後になって供述内容を変更したことも不自然であり、右員面の供述内容に照らし、信用できない。)、身体面における性的発育に特段の問題があったことをうかがわせるような事情は見当たらず、また、これまで異性との交流は乏しかったものの、中学生のころ同級生の女子にラブレターらしきはがきを出したり、大学生のころ友人と共に女子高校生との交際を試みるなどしたこともあって、同年代の異性に対する関心が欠如していたことをうかがわせるような事情は見当たらない。

以上の各事実が明らかであり、右①で検討したところをも併せ考慮すれば、被告人は、女性性器自体について興味を持ち、幼女及び少女らに対し強い性的関心を向けていたばかりでなく、発育した女性に対しても強い性的関心を向け、男女の性交についても興味を持っていたものということができるのであり、したがって、被告人の本件一連の犯行は、直接には幼女らを対象にしたものではあるが、被告人の右のような性的興味及び関心の総体に根ざす犯行であると認めるのが相当である。

そして、被告人がビデオテープ等の収集を趣味としており、日ごろ、若い女性や少女らの下半身等をねらってビデオ撮影や写真撮影をしてそのビデオテープ等を収集していたという中で本件各犯行を敢行し、しかも、A及びDの遺体の陵辱の場面をビデオ撮影したり、Cの性器を写真撮影したりしてそのビデオテープ等を隠匿所持していたことなどの事情をも併せ考慮すれば、被告人の本件一連の犯行は、幼女らの性器等を写真撮影ないしビデオ撮影するなどして収集したいとの気持ちに動機付けられた面もあったものと認めるのが相当である。

(2) 本件各犯行の態様について

① E事件については、被害者であるEとその姉であるI及び父親であるJの各供述が得られており、被告人の供述を待つことなく、これら被害者の供述から具体的な犯行態様が明らかである。すなわち、前記第二、二において認定したとおり、被告人は、カメラマンを装ってI、E姉妹に近付き、言葉巧みに話し掛けて同女らの警戒心を解き、同女らにパンティが見える姿勢をとらせてその姿を写真撮影した上、Eを言葉巧みに誘い出して連れ去り、全裸にするなどしたもので、一人残されたIが父親に知らせに行くまで他人に見とがめられた形跡はうかがわれない。このように、E事件は、被告人が、周囲の目に配慮しつつ、Eらの警戒心を解くことに心を砕いた冷静で巧妙な手口の犯行というべきである。

② これに対し、A事件、B事件、C事件及びD事件については、関係各証拠によれば、唯一A事件において、被告人がAを誘拐した現場で、被告人の後方を付いて歩いて行くAの姿を目撃した小学生と主婦の供述が得られているにとどまり、これらの事件自体を目撃したとする者の供述は得られておらず、被害者はいずれも殺害されているので、前記第二、二において認定したように被告人がAらをそれぞれ誘拐して殺害した等の大筋の事実を除き、具体的な犯行態様は、結局のところ被告人の供述を待つほかにない。

しかしながら、前記第二、二において認定したところ及び関係各証拠によれば、次の各事実が明らかである。

ア 右①に述べたとおり、E事件において、被告人は、周囲から見とがめられないように配慮しつつ、冷静に振る舞い、かつ、カメラマンを装うなどしてEらに言葉巧みに話し掛けるなど同女らの警戒心を解く手口も巧妙であること

イ 被告人は、本件一連の犯行の間にも、カメラマンを装うなどして他の少女や幼女らに近付き、言葉巧みに話し掛けるなどして同女らの警戒心を解いた上、同女らにパンティが見える姿勢をとらせてその姿を写真撮影やビデオ撮影したり、幼女を人目に付かない場所に誘い出して性器を露出させ、その写真撮影をするなどしていたこと

ウ 被告人は、A、B、C及びDをそれぞれ自分の車の中に誘い込み、A、B及びCについては、同女らを車に乗せた後長距離を走行し、さらに、A及びBについては、それぞれ同女らを伴って林道等を徒歩で約一・二キロメートル進んで殺害現場に至っていること

エ A事件において、被告人がAを誘拐した現場で、被告人の後方を付いて歩いて行くAの姿が目撃されていること

オ C事件において、被告人が同女を殺害する直前に撮影した同女の全裸の写真の中の同女の姿からは同女が泣いたり騒いだりしている様子がうかがわれないこと

カ 被告人が誘い掛けた際、Aは仲の良い友だちの家に遊びに行く途中であり、Cは門限の厳しい自宅への帰途であって、上手に同女らの関心をひいたりする等の誘い掛けがなければ、同女らがたやすく見知らぬ者の車に乗車するとは考え難いこと

以上の各事実が明らかであり、被告人が本件各犯行を遂行している間及びその他の幼女や少女らを写真撮影するなどしていた間、いずれも他人の不審を招いた形跡がうかがわれないことをも併せ考慮すれば、A事件、B事件、C事件及びD事件においても、被告人は、周囲から見とがめられないように配慮しつつ、あるいはカメラマンを装うなどしたりして同女らに近付き、言葉巧みに話し掛けて同女らの警戒心を解いた上、巧みに車内に誘い込み、あやすなどしながら人目に付かない山中等まで連れ去るなどして誘拐したものと推認するのが相当であり、E事件と同様、冷静で巧妙な手口の犯行というべきである。

(3) 本件各犯行の計画性について

① 前記第二、二において認定したところ及び関係各証拠によれば、本件各誘拐現場について、次の各事実が明らかである。

ア Aの誘拐現場は、高層アパート二棟を含む合計八棟のアパートで構成された「入間ビレッジ」と称する大規模団地で、入間市立黒須小学校に隣接した場所であること

イ Bの誘拐現場は、飯能市立原市場小学校付近の路上であること

ウ Cの誘拐現場は、川越グリーンパークと称する三〇棟余りのアパートで構成された大規模団地で、川越市立古谷東小学校に隣接した場所であること

エ Dの誘拐現場は、都営東雲二丁目アパートと称する四棟の高層アパートから構成された大規模団地で、江東区立東雲小学校、江東区立東雲公園等に隣接した場所であること

以上の各事実が明らかであり、これらによれば、A、B、C及びDの各誘拐現場は、いずれも、少女や幼女らが遊びに出ている可能性の高い場所といえる。そして、本件各犯行当時、被告人が右各現場に立ち寄らなければならないような格別の所用等があったことをうかがわせる証拠はない。

② 前記第二、二において認定したとおり、次の各事実が明らかである。 ア 被告人は、本件一連の犯行に至る前や本件一連の犯行の間にも、他の少女や幼女らに言葉巧みに近付き、行水をしている裸姿を性器を中心に写真撮影をしたり、水着姿を写真撮影しようとしたり、あるいは、パンティが見える姿勢をとらせ、更には性器を露出させるなどして、その写真撮影やビデオ撮影をしたりしていたが、D事件の直前に、同女の誘拐現場に隣接した東雲小学校の校庭内で少女らにパンティの見える姿勢をとらせてビデオ撮影や写真撮影したり、昭島市立田中小学校の校庭のすみに幼女を誘い込んで性器を露出させ写真撮影したりしていること

イ 被告人は、既に昭和六二年四月中旬にDの誘拐現場に近接した東京都江東区所在の東京都立有明テニスの森公園内テニス場で女子選手の下半身をねらって撮影した写真のネガフィルムを所持していたこと

ウ 被告人は日ごろ、車を乗り回して広範囲に行動していること

エ 被告人はCを誘拐して殺害した後、同女の死体の両手足をビニールひもで縛り、口をガムテープでふさいでおり、同女の誘拐、殺害に際しては、あらかじめビニールひもとガムテープを携帯していたものと推認されること

以上の各事実が明らかであり、右①で検討したところに加え、本件一連の犯行の動機が前述のようなわいせつ目的に出たものであり、冷静で巧妙な犯行であることをも併せ考慮すれば、少なくともA事件、B事件、C事件及びD事件については、被告人は、たまたま各犯行現場に行って被害者らに出会ったことから、そのとき初めてわいせつの意図を抱き、誘拐の犯行に及んだというのではなく、わいせつ目的で幼女や少女らを探し求めて、同女らが遊びに出ている可能性の高い団地や小学校、公園等の付近に行き、各犯行現場で被告人の望むような幼女らに巡り会う機会に恵まれたものと推認されるのであり、A事件については、当初から被告人に幼女を誘拐しようとの意図があったとまで認めることはできないものの、わいせつ目的で幼女らを探しているうちにAを見付け、周囲に人目がなかったことから誘拐の犯意を抱くに至ったもの、B事件、C事件及びD事件については、A事件の経験を踏まえ、わいせつ目的で幼女を誘拐しようとの意図で幼女らを探しているうちに、B、C及びDらを見付け、それぞれ、周囲に人目のない機会をとらえて各誘拐の犯行に及んだものと推認されるのであり、本件各犯行には計画的な面が認められる。

(4) 自己顕示と捜査かく乱等の意図

前記第二、二において認定したところ及び関係各証拠によれば、次の各事実が明らかである。

① 被告人は、本件一連の犯行のテレビ報道をつぶさに録画してそのビデオテープ多数を所持していたこと

② 被告人は、Cの遺体が発見された後、昭和六三年一二月一九日、Aの母親であるF宛に、「魔が居るわ」と記したはがきを郵送し、同月二〇日、Cの父親であるH宛に、「C かぜ せき→のど→楽→死」と記したはがきを郵送していること

③ 被告人は、その後、Aの遺骨を焼くなどして段ボール箱に入れ、「A 遺骨 焼 証明 鑑定」と記した紙片を一緒に入れた上、平成元年二月六日ころ、Aの父親であるG方玄関前に置いたこと

④ 被告人は、右段ボール箱に入っていた遺骨がAのものではないとの警察発表に接したことから、架空の人物である所沢市居住の子供の産めない女性「今田勇子」を装って、Aを誘拐して殺害し、遺骨を届けたとか、B事件及びC事件は自己の犯行ではないとか記載した犯行声明文を作成し、Aの顔写真を添えて、平成元年二月一〇日及び同月一一日、朝日新聞社東京本社社会部宛及びF宛にそれぞれ郵送したこと

⑤ その後、被告人は、再び、所沢市居住の「今田勇子」を装い、子供が産めないのではなく、自分の子供を亡くしたことから、自分の子供の遊び相手として送るためAを誘拐して殺害したとか、自分の子供の骨をAの骨に混ぜて届けたなどと記載した告白文を作成し、平成元年三月一一日、朝日新聞社東京本社社会部宛及びF宛にそれぞれ郵送したこと

⑥ 被告人は、これら犯行声明文等には指紋を残していないこと

⑦ 被告人は、Dの遺体から頭部、両手足部を切断し、平成元年六月一〇日ころ、右胴体部を埼玉県飯能市所在の宮沢湖霊園内の発見されやすい場所である簡易便所北側に捨て、右頭部はいったん自宅近くの杉林内に捨てたが、自宅に持ち帰って頭がい骨を水洗いするなどした上、頭がい骨と下顎骨等をそれぞれ東京都西多摩郡奥多摩町内の山林に捨てたこと

以上の各事実が明らかであり、これらによれば、被告人は、本件一連の犯行についてテレビ報道等を注視して捜査情報等の入手に心掛ける一方、報道内容に触発されて、なぞ掛けを交えたり物語を創作したりして犯行を遺族や更には報道機関に告知して自己を顕示するとともに捜査のかく乱を企図し、かつ、Dの死体を切断し、胴体部を埼玉県内の発見されやすい場所にこれ見よがしに捨てて捜査のかく乱を図るとともに自己を顕示し、他方、頭部を人に発見されにくい山中に捨てて犯跡の隠ぺいを図るなどしたものとみることができるのであって、被告人の冷静かつ冷酷で、自己顕示的かつ大胆な態度をうかがわせるものである。

(二) 本件各犯行の動機・目的、態様、計画性及び自己顕示・捜査かく乱等の意図と、被告人の捜査官に対する供述及び公判廷における供述との整合性

(1) 被告人の捜査官に対する供述との整合性について

① 本件一連の犯行経過等の中核をなす事実について

被告人の捜査官に対する供述につき、本件各犯行の動機・目的等との整合性についてみる前に、本件一連の犯行経過等の中核をなす事実との整合性について触れておくと、前記第二、二において認定したとおり、本件一連の犯行経過等の中核をなす事実は、被告人が、Aを誘拐して殺害し、その遺体を陵辱した上、その場面をビデオ撮影したこと、Bを誘拐して殺害したこと、Cを誘拐し、全裸にして性器を中心にして写真を撮った上、殺害し、遺体を車で運搬中に脱輪したことから山中に捨てたこと、これらの事件報道を注視し、F宛及びH宛に犯行を告知する旨のはがきを出したこと、Aの遺骨を持ち帰り、頭がい骨を破砕した上遺骨を焼き、段ボール箱に入れてG宅に届けたこと、F宛及び朝日新聞社東京本社社会部宛に犯行声明文と告白文を郵送したこと、Dを誘拐して殺害し、遺体を自室に運び込んで陵辱した上、その場面をビデオ撮影等し、さらに遺体から頭部、両手足部を切断して、胴体部、頭部等をバラバラに捨てたこと、Eを誘拐して全裸にしたことの各事実であるところ、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、右各事実を認めて具体的かつ詳細に供述しているのであり、被告人の捜査官に対する供述は、本件一連の犯行経過等の中核をなす事実について、前記第二、二において認定した各事実によく合致する。

② 本件各犯行の動機・目的について

ア 被告人の性的興味及び関心について

前記第二、五、1、(一)、(1)で検討したとおり、被告人は、女性性器自体に興味を持ち、幼女及び少女らに対し強い性的関心を向けていたばかりでなく、発育した女性に対しても強い性的関心を向け、男女の性交についても興味を持っていたものと推認することができるところ、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、手の障害に悩んで女性との交際や結婚をあきらめたが、性欲を満たすために、中学生のころから、雑誌の女性のビキニ姿などを見ながらマスターベーションをするようになったこと、その後、自分でもテニスをする女性のパンティが見える姿や小さい女の子らのパンティが見える姿を写真撮影するなどして、これを見ながらマスターベーションをするようになったこと、父親の部屋で男女の性交場面が写っている写真を見付けて自室に持ち込んだこと、昭和五九年夏ころ、行水をする小さい女の子の性器の写真撮影に成功してから、小さい女の子は恥じらいがないから、その性器を見たり触ったりできるかも知れないと思うようになったこと、本当は大人の女性の性器を見たり写真に撮りたいと思っていたが、それが難しいのは分かっていたことなどを詳細に述べ、また、被告人の自室から押収された女児のパンティが見える写真と女児の上半身の写真とを透明粘着テープで張り合わせたもの(D事件の直前に江東区立東雲小学校の校庭で被告人が撮影したもの)について、写真を張り合わせてより悩ましくしてマスターベーションに使った旨述べるなどしているのであって、被告人の捜査官に対する右供述は、被告人の性的興味及び関心についての前記推認の結果とよく合致する。

イ 本件各犯行の動機・目的について

前記第二、五、1、(一)、(1)で検討したとおり、本件各犯行は、被告人の前述した性的興味及び関心の総体に根ざすわいせつの意図に出た犯行であると推認できるところ、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、E事件について、同女の裸の写真を撮ってそのことで性欲を満足させようとするとともにその写真を見ながらマスターベーションをしたいとの意図に出た犯行である旨、D事件について、同女の性器を見たり触ったり、写真撮影をしたりしたいとの意図で同女を誘拐し、死体の性器に指やドライバーを入れるなどした上その場面をビデオ撮影等し、死体の性器や右のビデオテープを見ながらマスターベーションをした旨供述しており、右両事件についての被告人の捜査官に対する供述は、右各犯行がわいせつの意図に出た犯行であるとの前記推認の結果とよく合致する。

しかしながら、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、A事件について、警察官の調べにおいては、同女の性器を見たり触ったりしたいと思って同女を誘拐し、死体の性器に指やドライバーを入れるなどした上その場面をビデオ撮影し、右のビデオテープを見ながらマスターベーションをしたなどとも述べるのに対し、検察官の調べにおいては、いったんは警察官の調べにおける右供述と同様の供述をしながら、Aの性器を見たり触ったりしたいと思ったのは同女を殺害した翌日のことである旨供述の訂正を申し立て、B事件について、警察官の調べにおいては、Aの性器は冷たい感じがしたので今度はそうでない性器を見たり触ったりしたいと思っており、性器をいたずらしたいと思って同女を誘拐し、殺害した後、身体がまだ暖かいうちにその柔らかい性器を触ってみようと思い、指を性器の中に入れるなどしたところ、突然両足がビクビク動いたので、気味が悪くなりその場を離れたなどとも述べるのに対し、検察官の調べにおいては、性器をいたずらしようと思ったのはBを殺害した後である旨述べ、C事件について、警察官の調べにおいては、同女の性器をいじろうと思って同女を誘拐し、同女の性器を中心に写真を撮った後、同女を殺害し、遺体を運搬途中に脱輪したため遺体を山中に捨てたなどとも述べるのに対し、検察官の調べにおいては、同女を誘拐し、車に乗せて走行中、車内にカメラを入れていたことを思い出し、そのとき、生きている女の子の性器の写真を撮ってマスターベーションに使おうと思った旨述べるのである。このように、A事件、B事件及びC事件については、警察官の調べにおける被告人の右供述は、右各犯行がわいせつの意図に出た犯行であるとの前記推認の結果とよく合致するが、検察官の調べにおける被告人の右供述は、わいせつの意図の存在は認めるものの、その意図が生じた時期をいずれも同女らを誘拐した後であるなどとし、誘拐の際には万引きと同様のスリル感を味わったことのみを強調するものであって、右各犯行がわいせつの意図に出た犯行であるとの前記推認の結果にそぐわないものである。

なお、前記第二、五、1、(一)、(1)で検討したとおり、本件各犯行は幼女らに対するわいせつ行為の場面等を映像にして所持したいとの意図をも伴ったものであると推認できるところ、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、誰にも持てない宝物になると思い、Aの遺体を陵辱した場面をビデオ撮影したとか、Cの性器を写真撮影したとか、Dの遺体を陵辱した場面をビデオ撮影等したとか述べるのであり、被告人の捜査官に対する右供述は、右推認の結果に沿うものである。

③ 本件各犯行の態様について

前記第二、五、1、(一)、(2)で検討したとおり、本件各犯行は、被告人が、周囲から見とがめられないように配慮しつつ、例えばカメラマンを装うなどして幼女らに近付き、言葉巧みに話し掛けて同女らの警戒心を解き、同女らを誘拐した冷静で巧妙な手口の犯行であると推認できるところ、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、E事件につき、カメラマンを装ってI、E姉妹に近付き、言葉巧みに話し掛けて同女らの警戒心を解き、同女らにパンティが見える姿勢をとらせてその姿を写真撮影した上、Eを言葉巧みに誘い出して連れ去り、全裸にするなどした旨を供述しており、D事件につき、東雲団地内であらかじめ逃走経路を確認した後、カメラを携帯して団地内の公園等で適当な幼女らを探し、一人でいるDを見付けると、その後を付けて行って様子をうかがい、周囲に他人の目がなくなった機会をとらえて同女に近付くと、「写真を撮らせてね。」と言ってカメラを向けてシャッターを切ったこと、さらに、同女に、「向こうで撮ろうね。」と話し掛けて車の近くまで連れて行くと、「今度は車の中で撮ろうね。」と話し掛けるなどして車内に誘い込んだこと、車を発進させた後も同女にいろいろ話し掛けるなどし、周囲の様子をうかがいながら、同女を殺害現場まで連れ去ったことなどを具体的かつ詳細に述べており、E事件及びD事件についての被告人の捜査官に対する供述は、いずれも冷静で巧妙な手口の犯行であるとの前記推認の結果によく合致するものである。

しかしながら、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、A事件について、同女に「涼しい所に行かないかい。」などと話し掛けて車内に誘い込み、走行中の車内では、ラジオの選局ボタンを押させて遊ばせるなどし、東京電力株式会社新多摩変電所駐車場に至ると、「今度は電車に乗ろうね。」と声を掛けて、林道を歩いて殺害現場まで連れて行った旨、B事件について、同女に「道が分かんなくなったので教えてくれるかい。」などと話し掛けて車内に誘い込み、走行中の車内では、ラジオの選局ボタンを押させて遊ばせるなどし、東京電力株式会社新多摩変電所駐車場に至ると、「今度は電車に乗ろうね。」などと話し掛けて、林道を歩いて殺害現場まで連れて行った旨、C事件については、同女に「暖かい所に寄っていかない。」と話し掛けて車内に誘い込み、ラジオの選局ボタンを押させて遊ばせるなどしたり、「一回りして帰ろうね。」と話し掛けるなどして殺害現場まで連れ去った旨述べるのであり、同女らを誘拐した際の誘いの言葉や走行中の車内におけるあやし方等がやや単純であって、実際には、被告人が述べるところに加えて更に巧みな誘い掛け等がされたのではないかと疑われるのであり、A事件、B事件及びC事件についての被告人の捜査官に対する供述は、時の経過による被告人の記憶の希薄化の可能性を考慮しても、冷静で巧妙な手口の犯行であるとの前記推認の結果にややそぐわないものといえる。

④ 本件各犯行の計画性について

前記第二、五、1、(一)、(3)で検討したとおり、少なくともA事件、B事件、C事件及びD事件については、被告人は、わいせつ目的で幼女や少女らを探し求めて、同女らが遊びに出ている可能性の高い団地や小学校、公園等の付近に行き、同女らを見付けると、周囲に人目のない機会をとらえて各誘拐の犯行に及んだものと推認できるところ、前記第二、三、1に記載したとおり、D事件について、被告人は、捜査官に対し、東雲団地に行けば、少女のパンチラ写真や性器の写真を撮ることができるかも知れないし、うまくいけば、Aと同様小さい女の子を誘拐して殺害し、性器を見たり触ったり写真撮影したりすることができるかも知れないと思い、同団地に行った旨述べるのであり、D事件についての被告人の捜査官に対する供述は、被告人がわいせつ目的で幼女らを探し求めた上での計画的な犯行であるとの右推認の結果に合致するものといえる。

しかしながら、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、A事件、B事件、C事件について、わいせつ目的で幼女や少女らを探し求めて各誘拐現場へ行ったのではないとし、A事件については、「ロジャース川越店」でビデオテープを買った帰途、道に迷い、たまたま公衆便所を探して入間ビレッジに入ったところ、Aを見掛けたことから犯行に及んだ旨、B事件については、「ロジャース川越店」へ回り道して行く途中、たまたま原市場小学校の手前で車を止めて自宅から持参したジュースを飲んでいたところ、Bを見掛けたことから犯行に及んだ旨、C事件については「ロジャース川越店」でビデオテープを買った後、休憩しようと思ってたまたま川越グリーンパーク内に入り、仮眠した後、国道一六号線に抜ける道路を探したが見付からず、車を止めて自宅から持参したジュースを飲んでいたところ、Cを見掛けたことから犯行に及んだ旨述べるのであり、A事件、B事件及びC事件についての被告人の捜査官に対する供述は、右各犯行が、被告人がわいせつ目的で幼女らを探し求めた上での犯行であって計画的な面があるとの前記推認の結果に合致しないものである。

⑤ 自己顕示と捜査かく乱

前記第二、五、1、(一)、(4)で検討したとおり、被告人は、本件一連の犯行に関するテレビ報道等を注視して捜査情報等の入手に心掛ける一方、報道内容に触発されて、なぞ掛けを交えたり物語を創作したりして犯行を遺族や更には報道機関に告知して自己を顕示するとともに捜査のかく乱を企図し、かつ、Dの死体を切断し、胴体部を埼玉県内の発見されやすい場所に捨てて捜査のかく乱を図るとともに自己を顕示し、頭部を人に発見されにくい山中に捨てて犯跡の隠ぺいを図るなどしたものとみることができ、これらは、被告人の冷静かつ冷酷で、自己顕示的かつ大胆な態度をうかがわせるものであるところ、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、右一連の経過につき、捜査かく乱の意図を認めつつ、注視したテレビ報道の内容、なぞ掛け等の内容、犯行の告知の詳細、Dの遺体を捨てた状況等を含め、具体的かつ詳細に供述しており、右一連の経過をよく説明するものであるといえる。

しかしながら、前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、遺族らへの犯行の告知につき、遺族を慰め、悲しみを和らげる意図でしたことである旨強調しているのであって、被告人の右供述は、犯行の告知等が自己の顕示であり、被告人の冷酷な態度をうかがわせるものであるとの前記見方にそぐわないものといえる。

⑥ まとめ

以上のとおりであり、被告人の捜査官に対する供述は、まず、全体としてみたとき、本件一連の犯行経過等の中核をなす事実につき、前記第二、二において認定した各事実(被告人の捜査官に対する供述を離れた客観的な証拠等によって裏付けられる事実)とよく整合しているのであり、また、被告人が最初に警視庁八王子警察署で取調べを受けたE事件及び次いで警視庁深川警察署で取調べを受けたD事件についてみても、両事件がいずれもわいせつ目的等に出た冷静で巧妙な手口の犯行と推認されること、D事件が計画的な犯行であると推認されることとよく整合している。

これに対し、被告人がその後に埼玉県警察狭山警察署で取調べを受けたA事件、B事件及びC事件についてみると、被告人の捜査官に対する供述は、右各事件がわいせつ目的等に出た冷静で巧妙な手口の犯行で計画的な面があると推認されることやA事件等における遺族らへの犯行の告知が自己顕示の意図の現れと推認されることとの整合性に欠けるところがあるが、これは、わいせつ目的、冷静さ、計画性、自己顕示の意図等犯情において悪質とみられる要素をできる限り否定しようとする被告人の態度をうかがわせるものといえる。

(2) 被告人の公判廷における供述との整合性について

前記第二、三、2に記載したとおり、被告人の公判廷における供述は、本件一連の犯行に被告人が関わったこと自体を全面的に否定するものではないといえるが、A、B、C、D事件につき、いずれも、偶然出会った被害者と行動を共にして一緒にドライブ等したところ、被害者がぐずり出して「ネズミ人間」が現れ、あとは分からなくなったなどと述べるなど、誘拐及び殺害の犯意(更には誘拐及び殺害の事実自体)を否定するものであって、その内容自体極めて不合理である上、前記第二、二において認定した各事実とのかい離は著しい。そして、被告人は、A及びDの遺体の性器に指やドライバーを挿入するなどしてその場面をビデオ撮影したことやCの裸の写真を撮ったことなどビデオテープや写真が証拠として存在する事実は認めるものの、女性に対する性的興味や関心の存在を含め、本件一連の犯行につきわいせつの意図があったことを否定し、Dの遺体を切断して宮沢湖霊園等にバラバラに置いたことは認めるものの捜査かく乱、犯跡隠ぺいの意図は否定し、A宅へはがきを出したこと、遺骨入り段ボール箱を届けたこと、犯行声明文や告白文の郵送等についてはあいまいな供述に終始しているのであって、前記第二、五、1、(一)で推認した結果と著しく整合性に欠けるものである。

2 被告人の捜査官に対する供述と公判廷における供述の信用性について

前記第二、五、1で検討したとおり、被告人の捜査官に対する供述は、本件一連の犯行経過等の中核をなす事実につき、前記第二、二において認定した各事実(被告人の捜査官に対する供述を離れた客観的な証拠等によって裏付けられる事実)とよく合致しており、同事実等から推認される本件各犯行の動機・目的、態様、計画性、自己顕示と捜査かく乱の意図等との整合性に一部欠けるところもあるが、それは、犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定しようとの被告人の態度をうかがわせるにとどまるものであり、全体としては整合性が保たれていると認められるのであって、その意味において信用性も高いものということができる。そして、以下に述べるところをも併せ考慮すれば、被告人の捜査官に対する供述は、被告人が捜査官から厳しい取調べを受けて供述した面があることは否定し難いにしても、被告人が自ら体験し記憶している事実を基にし、その中で犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定して自己の刑事責任の軽減を図ろうとの意図をも交えつつ、自らの判断で述べたものと認められるのであって、基本的に、その信用性は極めて高いものと認められる。これに対し、被告人の公判廷における供述は、前記第二、二において認定した各事実とのかい離が著しく、同事実等から推認される本件各犯行の動機・目的、態様、計画性、自己顕示と捜査かく乱の意図等との整合性にも欠けるものである上、弁護人からの質問に対する供述と検察官からの質問に対する供述とで重要な事項につき一貫性に欠ける部分がみられ、かつ、検察官からの質問に対し殊更的を外した応答が見られる(例えば、「A 遺骨 焼 証明 鑑定」の最初の語を「A」と読まずに「◎◎◎」と読んだり、「今田勇子」を「いまだゆうこ」と読まずに「いまだいさこ」と読んだりしている。)など供述態度に率直さが欠けており、これをそのまま信用することは到底できないものである。

(一) 被告人の捜査官に対する供述によって本件被害者の遺骨等の証拠物が発見されていること

関係各証拠によれば、次の各事実が認められる。

(1) 被告人は、平成元年八月九日、Y警部補に対し、「Dを車に乗せて後部座席で殺害し、自室で遺体を切断した上、両手両足、頭をそれぞれ別の場所に捨て、胴体を宮沢湖霊園に捨てた。」旨自供して、各遺棄場所を図示し、同月一〇日、捜査官を、東京都西多摩郡五日市町小和田字御嶽山五二七番のイの杉林に案内し、御嶽神社に通ずる階段の中腹から右杉林内に手足首を投げ捨てた旨指示し、引き続き、捜査官を、東京都西多摩郡奥多摩町梅沢字石神一九八番一の杉林に案内し、がけを少し下ったところの大きめの木の下に頭を置いた旨指示した。捜査官が被告人の指示に基づき右各場所を捜索したところ、前者の場所において両手両足を発見するには至らなかったが、後者の場所においてDの頭がい骨を発見するに至った。

(2) 右発見された頭がい骨は、下あご部及び歯牙の一部が欠けていたところ、その後、被告人は、捜査官に対し、「Dの頭部はいったん両手両足と同じ場所に捨てたが、髪から身元が判明するとまずいと思い、頭部を持ち帰って髪をむしり取り、水洗いをしていたところ、下あごの骨が外れてしまった。歯から人が特定できるということを知っていたので、前歯を数本抜き取った。下あごの骨と歯は頭がい骨とは別の場所に捨てた。」などと供述し、平成元年八月二五日、あごの骨と歯を捨てた場所を図示し、同月二七日、捜査官を案内して、遺棄場所として、東京都西多摩郡奥多摩町河内字麦蒔戸四三三番地の一坂本園地駐車場又は同町川野字井戸ぼっち二六七番地の二大津久バス停前駐車場のいずれかから細い道を歩いて約二〇〇メートル進んだ地点である旨指示した(当日は他の引き当たり捜査の予定があった上、豪雨となったため、右遺棄場所の引き当たり捜査は中断された。)。被告人は、同年九月一日、再び捜査官を案内し、前記坂本園地駐車場に至り、同所先の遊歩道を約二〇メートル進むと、「この道に間違いない。向かって右側の木の根の所に捨てた。」などと述べ、前記坂本園地駐車場から約一八〇メートル進んだ同町河内字麦蒔戸三六四番の山林内のねむの木の根元を指示したので、捜査官が確認したところ、Dの下あごの骨、頚椎骨、歯牙等を発見するに至った。

(3) 被告人は、平成元年八月一五日ころ、Y警部補に対し、Bを誘拐して殺害した旨を自供し、同年九月六日、同女の殺害現場の検証に際し、捜査官を案内し、いったん現場手前のY字路で迷いながらも、東京都西多摩郡五日市町戸倉字日向峯二三一八番地の山林内に至り、Bの殺害場所を指示した。捜査官が、被告人の指示した地点周辺を捜索したところ、同女の靴、キーホルダー付き鍵、ピンク色長袖ブラウス、黄色半ズボン、白色パンツを発見し、さらに、同地点から約六〇メートル余南方の地点において、同女の頭がい骨等おおよそ一体分の人骨を発見するに至った。

(4) 被告人は、平成元年八月一三日、Y警部補に対し、「Aを誘拐し、自宅から車で五分くらいの所にある小峰峠と呼ぶ森の中で殺害した。その後、同女の骨を持ち帰り、自宅前の畑で焼いた。」旨を自供し、同年九月一三日、同女の殺害現場の検証に際し、捜査官を案内し、東京都西多摩郡五日市町戸倉字日向峯二三一一番ハの山林内に至り、Aの殺害場所を指示した。捜査官が、被告人の指示した地点周辺を捜索したところ、同女のものとみられる遺骨六二個、歯牙四個等を発見するに至った。また、捜査官は、同年八月一七日、被告人の父Kから被告人方前畑内の燃焼残さ物の任意提出を受けたが、その中から、Aのものとみられる四、五歳児の永久歯の歯冠や幼弱年齢層に属する人の長骨片等が発見されるに至った。

(5) 被告人は、平成元年八月二四日、幼女の裸体を撮影した写真やフィルムを自宅北側の物置内屋根裏板と瓦の間に隠している旨供述し、同月二五日、捜査官が被告人方北側物置屋根を捜索したところ、同所北面の波形トタンと野地板の間から、Dの遺体の性器を撮影したフィルム一本並びにCの性器を中心に撮影した写真七枚及びそのネガフィルム等六枚を発見するに至った。

以上の各事実が認められるのであり、被告人の捜査官に対する供述によって、Dの頭がい骨及び下あごの骨等が発見されて各遺棄現場が判明するに至り、Aの遺骨の一部及びBの遺骨が発見されて各殺害現場が特定されるに至り、被告人方前の畑から人骨等が発見されて同所でAの遺骨を焼いた事実が判明するに至り、また、Dの遺体及びCの性器等を撮影したフィルムや写真等が発見されてその隠匿場所が判明するに至ったものであって、被告人の捜査官に対する供述は、捜査官がは握していなかった右のような極めて重要な事実につき自ら真実を語ったものであることに照らし、その信用性が極めて高いものと認められる。そして、被告人は、捜査段階において、これらの事実を自らの体験として記憶していたからこそ、自ら供述することができたものということができる。

(二) 被告人の捜査官に対する供述には、体験した者でなければ語り難いと思われる内容が多く含まれていること

被告人の捜査官に対する供述内容は、前記第二、三、1に記載したとおり、具体的かつ詳細である上、被告人自らが多数の図面を作成して供述内容を丁寧に説明しており、とりわけ、A、B、C、Dらを殺害した際の状況、Aの遺体を陵辱しビデオ撮影した際の状況、F宛にはがきを出した経緯、Aの遺骨入り段ボール箱をG方に届けるに至った経緯、F宛及び朝日新聞社宛に犯行声明文や告白文を郵送した経緯、H宛にはがきを出した経緯、Cの死体を遺棄した状況、Dを誘拐した際の状況、同女の遺体を陵辱しビデオ撮影した状況、同女の遺体を切断して遺棄した状況等についての供述は、臨場感に富むものであるが、その中には、次に述べるとおり、体験した者でなければ語り難いと思われる内容のものが多く含まれている。

(1) A事件について

① Aの遺体のビデオ撮影と犯行声明文に添付した同女の顔写真の作成の経緯について

被告人は、捜査官に対し、「最初にノーマルビデオテープでAの全身を撮影し、その後ハイグレードビデオテープに入れ替えて撮影した。自室でビデオテープ二本を再生してみたところ、ノーマルのビデオテープに死に顔がほとんどアップで写っており、死体の下にシーツを敷いたとき、オートフォーカスのビデオカメラを録画状態のまま死体の顔に向け置いていたため写ってしまったと思いびっくりした。」旨、「その後、犯行声明文を作成した際、Aの遺体を撮影したビデオテープを再生し、その顔部分を静止画像にしてインスタントカメラで一枚撮影し、少しテープを送ってもう一枚撮影し、背景を切り落とした上、二部作成した犯行声明文の各一枚目にセロテープで張り付けた。このビデオテープは誰かに見られてはまずいと思い、その後消した。」旨述べているのであり、右供述は、体験した者でなければ語り難い内容といえる(なお、前記第二、二、5、(四)、(4)のとおり、捜査官が、犯行声明文に添付されたAの顔写真の作成方法に関する被告人の右供述に従って、これを再現する実験をしたところ、特徴が共通するなど被告人の右供述を裏付ける結果が得られている。〈証拠略〉)。

② Fに宛てたはがきの「魔が居るわ 香樓塘安觀」との記載の意味について

被告人は、捜査官に対し、「『魔』には、『Aちゃん』と『中国の人さらい』の意味を込め、『居るわ』には、『Aちゃんが中国で元気に暮らしている。』という意味と『中国人の人さらいが居る。』という意味を込めた。また、『魔が居るわ』の文字を並べ換えれば、『入間川』と読めるのでその意味も込めた。差出人を中国人と思わせるためにビデオ仲間の名簿から香港の人の住所の文字を拾って並べた。」などと供述し、さらに、中国残留孤児に関するテレビ番組を見たことに触れながら、『魔が居るわ』という文を考え付いた経緯を詳細に述べているのであり、右供述は、体験した者でなければ語り難い内容といえる(なお、右「香樓塘安觀」の印字が被告人が加入していた日本総合ビデオクラブ会員名簿中の印字と同種であるとの鑑定結果が得られ、被告人の供述が裏付けられている。〈証拠略〉)。

③ 遺骨入り段ボール箱をG方に届けるに至った経緯について

被告人は、捜査官に対し、F宛のはがきについて報道がなかったのでいたずらと思われたと思い、Aの半ズボン等の衣類を小包にして郵送しようと思った。」、「しかし、郵便局員に顔を見られるとまずいと思い、右衣類の写真を郵送しようと思った。」、「その際、『真が生るわ』と書いたものを一緒に郵送すれば、差出人がF宛のはがきと同じであることが分かるし、Aが生きているという意味にとってくれるかも知れないと思った。」、「そこで、父親のインスタントカメラを持ち出し、フィルム等を買って準備した。」、「テレビ報道でCの父親が『Cは死んでいても見付かってよかった。』と泣きながら話しているのを見たりしているうち、AとBの死亡を親に知らせた方がいいと思うようになり、遺骨を届けようと思った。」、「遺骨を拾いに行ったが、Bのものが見付からなかったため、Aの遺骨だけを持ち帰った。」、「同女の遺骨を持ち帰ったものの、遺骨を届けるのはどうかと考えてしまい、同女の衣類の写真を郵送しようと思い直し、インスタントカメラで同女の衣類の写真を撮った。」、「再び考えが変わり、報道が静かになったことから、Aの遺骨を焼くなどして段ボール箱に入れ、平成元年二月六日午前零時ころ、G方玄関ドア前に置いた。」、「右段ボール箱には辞書から文字をコピーするなどして作成した『A 遺骨 焼 証明 鑑定』と記した紙片にAの衣類の写真を張り付けたものを入れたが、右のうち、『遺骨』の語については、最初、『遺体』という文字をコピーしたが、死体を焼いたのではなく骨を焼いたので、『遺骨』にしなければいけないと思い、『骨』をコピーして、『遺体』の『遺』と組み合わせた。」などと述べるのであり、右供述は、体験した者でなければ語り難い内容といえる。

④ 犯行声明文及び告白文の作成方法等について

被告人は、捜査官に対し、「横けい線のノートを縦見開きにし、六ページを使って犯行声明文を書き、ノートの特徴が分からないようにするため左右の余白をカッターナイフで切り落とし、各ページの裏側に白紙を差し込んでコピーをし、さらに左右の余白等を切り落とした。告白文の作成方法も同様である。」旨述べるのであり、右供述は、体験した者でなければ語り難い内容といえる(被告人の自室から押収したノートの筆圧痕文字のうちに告白文中の文字と合致するものが検出され、被告人の右供述の裏付けが得られた。〈証拠略〉)。

⑤ 犯行声明文及び告白文の差出人を「今田勇子」としたことについて被告人は、捜査官に対し、「『今田勇子』は、『今だから言う。』というごろ合わせと、『勇子』という名前が女の名前に読めること、『勇』の『マ』を取れば『男』になること、『今田』の『今』が『A』の『今』と同じであること、『勇』から取った『マ』を『今田』の『田』の右側に付ければ『A』の『野』に似た字になることから考え付いた。」旨述べるのであり、右供述は、体験した者でなければ語り難い内容といえる。

(2) B事件について

被告人は、捜査官に対し、「Bを殺害した後、同女の身体がまだ暖かいうちにその柔らかい性器を触ってみようと思い、右手中指を性器の中に入れて三〇秒くらい触っていると、死体の両足が突然ビクビクと動いたので、気味が悪くなり、これ以上性器を触る気がしなくなって、シーツを死体にかぶせるなどしてその場を離れた。」旨述べるのであり、右供述は、体験した者でなければ語り難い、臨場感に富む内容である(第七回公判調書中の証人渡辺博司(埼玉医科大学法医学教室)の供述部分によれば、窒息、首絞めの場合にはときによるとけいれんを起こすということは法医学の書物にも書いてあるし、急激な酸素不足のときにけいれんがおこるのはおかしくないというのである。)。

(3) C事件について

被告人は、捜査官に対し、「Cの首を絞め続け、同女がぐったりして動かなくなったころ、プーンと大便のにおいがしてきたので、同女のお尻の方を見たところ、大便を漏らしており、少しおしっこを漏らした跡もあった。汚いと思い、助手席ドアと後部座席左側ドアの窓ガラスを開けて空気を入れ換え、同女の衣類とポケットティッシュでシート上の大便とお尻の肛門辺りの大便をふきとるなどした。死体を捨てようと考えたが、生き返っては困ると思い、同女の両手足を縛り、同女の口に布製のガムテープを張り付けたが、そのとき、口から少し灰色の液が出ているのに気が付いた。死体を捨てに行くことが心配であったことや同女が大便を漏らしたことから死体の性器を触ったりしなかった。」などと述べるのであり、被告人がCについてのみ大便等を漏らしていた旨を述べていること、被告人がCの遺体の両手足を縛るなどの行為に出たのは、被告人がBを殺害して性器をいたずらした際同女の両足がけいれんした旨の供述に対応するものと思われることに照らすと、被告人の右供述は、体験した者でなければ語り難い内容といえる。

(4) D事件について

① Dを殺害するまでの経緯について

被告人は、捜査官に対し、「Dを車に乗せた後、Aを殺害した山まで連れて行こうかとも思ったが、遠いし、渋滞にかかるし、途中で泣き出されたら他人に怪しまれると思い、前に行ったことのある東雲団地の南の少し離れたところにある駐車場に行った。同所で車を止め、車内で同女に話し掛けたりしていると、車が一台入ってきて駐車し、三〇歳くらいの夫婦のような男女が降りてきて駐車場の入り口から出て行ったので、ここでは人に見られると思い、車を発進させ、駐車場を出て、団地内の小学校の南側道路に出たとき、左手にプレハブの物置のような建物があり、その前に車が二台駐車していて、左端に車が一台止められるスペースがあるのに気付き、車を乗り入れて止め、車の後部座席でDを殺害した。」旨述べるのであり、右供述は、体験した者でなければ語り難い内容といえる。

② Dの遺体を自宅へ運搬した際の心理状態について

被告人は、捜査官に対し、「以前、自分の車がいたずらで傷付けられて、駐在所に犯人を捕まえてくれと頼んだとき、まず破損届けを出すように言われたことがあるので、Dについても、所在不明の届けが先で、事件としての捜査はその後であろうから、自動車検問を受けないだろうと思った。」旨述べているのであり、右供述は、体験した者でなければ語り難い内容といえる。

③ Dの遺体を陵辱した際の状況について

被告人は、捜査官に対し、「Dの死に顔を見ないで済むように、シーツを頭からかぶせて、てるてる坊主のようにビニールひもで首のところを縛った上、頭の上にたくし上げた。」旨述べており、これは、被告人がAを絞殺した際、同女からびっくりしたような恐れたような表情で見られたので目をそらして首を絞めたとか、同女の遺体をビデオ撮影したとき思いがけず死に顔が写ってしまったとか述べていることに対応するものと思われるのであり、体験した者でなければ語り難い内容といえる。

④ Dの遺体のにおいを消そうとしたことについて

被告人は、捜査官に対し、Dの死体のにおいを消すため妹Nの部屋の籐かごの中からヘアースプレーを持ち出して自室内で噴霧した旨述べており、右供述は、体験した者でなければ語り難い内容といえるところ、右ヘアースプレー持ち出しの事実は、N(〈証拠略〉)及びM(〈証拠略〉)の各供述により裏付けが得られている。

⑤ Dの遺体を切断してバラバラに捨てた理由について

被告人は、捜査官に対し、「遺体を埼玉県に捨てれば、犯人が埼玉の方の人間だと思われるのではないかと思った。Aの殺害犯人は、死体を焼いて両親の元に届けるなど非情と言われていたので、その犯人に似せるため遺体を切断して捨てようと思った。胴体を簡単に発見できる場所に捨てて捜査を埼玉県に引き付け、顔や指紋等で身元の判明する頭部や両手足を発見できない場所に捨てようと考えた。以前に友人とドライブしたとき、宮沢湖霊園入口という看板を見掛け、好きなタレントの宮沢りえと同じ名前であったことから、印象に残っており、母親がRでタレントの名前も宮沢りえであるとのパズル的の発想から、胴体を宮沢湖霊園に捨てた。」などと述べるのであり、右供述は、体験した者でなければ述べ難い内容といえる。

⑥ Dの遺体の頭部を捨て直した理由について

被告人は、捜査官に対し、「捨てた林の草や小さな木が刈られて頭が発見され、DNN(DNAが正しいのかも知れないが、自分はDNNと記憶していた。)の研究が進み、髪の毛から両親が分かるということを思い出し、心配になって、頭を拾ってきて髪の毛をむしり取り、頭の骨を洗って奥多摩に捨て直した。」旨述べるのであり、右供述は、体験した者でなければ、語り難い内容といえる。

(三) 本件各犯行の自供の経緯が自然であること

(1) 関係各証拠によれば、① 被告人は、E事件については、同女の父親Jに犯行を現認され、いったん逃げ出したが、同人から「車のナンバーを覚えているからだめだ。」と言われるなどして、ラングレーの駐車場所まで戻り、同人に対し、「許してください。」「警察だけは勘弁してください。」と許しを請い(前記第二、二、5、(六)、(2)参照。)、逮捕された当初の二日間は、わいせつの意図があったことを否認するような態度もあったものの、まもなくわいせつの意図を含め事実を認めるに至ったこと(〈証拠略〉)、② 被告人は、E事件で起訴された後の平成元年八月九日、Y警部補から、D事件について取調べを受け、被告人が犯行現場である東雲団地付近を知っていることやラングレー内の血こん等の証拠に基づく追及を受けた結果、約一時間半にわたり、自分の手の障害の悩みを含め生い立ちについて話をし、その流れの中でD事件を自供するに至ったこと(〈証拠略〉)、③ 被告人は、平成元年八月一三日、Y警部補から、A事件については告白文の筆跡と被告人の筆跡が似ていること等に基づき追及を受け、C事件については遺体発見現場近くで被告人がラングレーを脱輪させたことに基づき追及を受け、両事件について自供したが、B事件については自供しなかったこと(〈証拠略〉)、④ 被告人は、平成元年八月一五日、Y警部補から、B事件について目撃者がいる可能性があるなどと追及を受け、同事件を自供したが、その際、同警部補に対し、犯行現場にBの遺体を確認に行ったとき遺体が見当たらなかったので、警察に言わなくてもばれないと思い、前には自供しなかった旨述べたこと(〈証拠略〉)の各事実が認められる。

(2) 被告人がD事件を自供するに至った経過は、重大事件の犯人が、捜査官から証拠に基づき追及を受け、その追及に抗し難くなり、ついに手の障害等自分の生い立ちの悩みを強調して、犯行に出るに至った経緯について取調官の理解を求めようとしつつ自供に至ったものとみられるのであって、誠に自然な経過といえるものである。

(3) 被告人は、現行犯人として逮捕され客観的証拠のそろっているE事件については、当初、わいせつの意図という主観的な事実のみを否認したが、まもなくわいせつの意図を含め事実を認めるに至ったものであり、遺体や遺骨が発見され、遺体等を撮影したビデオテープや写真等客観的証拠のあるA事件、C事件、D事件については早期に自供したものの、右のような証拠のないB事件については当初は自供せず、目撃者の可能性に言及した取調べを受けて同事件を自供するに至ったものであり、犯行を自供する犯人の心理状態に照らしてごく自然な経過といえる。

(四) 被告人の捜査官に対する供述内容、供述経過等から、被告人が捜査官の意向に合わせるままに供述したのではなく、自らの判断で供述したことをうかがい知ることができること

(1) 被告人の捜査官に対する供述には、当初、事実を否定したり、殊更事実と異なる旨を述べたりし、その後に追及されて供述を修正するに至るという態度や、追及を受けてもなお不自然な供述に終始して犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定しようとする態度が現れている。すなわち、

① 前記第二、五、1においてみたとおり、A事件、B事件及びC事件についての被告人の捜査官に対する供述は、右各事件がわいせつ目的等に出た冷静で巧妙な手口の犯行であって計画的な面があると推認されることやA事件等における遺族らへの犯行の告知が自己顕示の意図の現れと推認されることとの整合性に欠けるところがあり、これは、わいせつ目的、冷静さ、計画性、自己顕示の意図等犯情において悪質とみられる要素をできる限り否定しようとする被告人の態度をうかがわせるものといえるが、とりわけ、本件各犯行の動機・目的に関する供述状況は、次のとおりであり、被告人の右のような態度が端的に現れたものと認められる。

ア E事件で逮捕された当初の調べでは、「女の子を裸にしたことはなく、女の子が自分から裸になったとか、性的な興奮を覚えて裸の写真を撮ろうとしたのではない。」などとわいせつ意図を否定し、その後わいせつの意図を認めるに至っている(7・29員面に右逮捕当初の供述内容に触れた記載がある。)。

イ E事件の取調べにおいて、「小さな女の子の写真を撮るようになったのは今年の五月ころからで、吉祥寺か調布の公園で鉄棒の逆上がりをやっている女の子の写真を一度撮ったが、小さな女の子を撮影したのは今度の事件で二度目である。」などと、幼女等の写真を撮り始めた時期を遅らせて供述し、また、幼女等の写真を撮影した回数についても事実と異なる供述をしており、これと関連して、友人と写真撮影に行ったことがあることは認めるものの、友人の名前は言えないと供述を拒否している(〈証拠略〉)。

ウ D事件の取調べにおいては、被告人は、犯行目的について、当初は、自分の子供にしたいと思ったとか、自由に連れ歩きたいと思ったとか、腕のことをばかにされたので殺してしまったとか述べていたが、その後、Y警部補から、被告人がDを殺害した後にビデオカメラを借りていることを追及されたり、犯行態様からおかしいと追及されて、性的欲求を満足させるためであることを認めるに至った。また、D事件で起訴された後、被告人は、Y警部補に対し、犯行目的について、死んだおじいさんのいけにえにしたかった旨述べるなどした(〈証拠略〉)。

エ A事件の取調べにおいては、被告人は、犯行目的について、当初、死んだおじいさんと話しをするためのいけにえとしてささげる目的であった旨述べ、Z警部から、B、Cまで殺害しているし、Aの遺体をいたぶっているのだからいけにえというのはおかしいと追及されると、誘拐の動機は、スリルを味わいたいということである旨供述を変更し、B事件及びC事件の取調べにおいては、被告人は、おじいさんへのいけにえという供述はしなかった(〈証拠略〉)。

オ A事件について、Z警部の調べでは、誘拐の動機の一つとして性器を見たり触ったりすることができると思ったことを認め、検察官の調べにおいても、いったん同様の供述をしたが、供述調書を読み聞かされた際、「読んでもらった中に私が入間ビレジ団地の横断歩道の所でAちゃんが一人でいるのを見てこの子を連れ去ればこの子の性器を見たり触ったりできると思ったという部分と日の出町辺りを走っている時Aちゃんを殺してその性器を見たり触ったりしてやろうと思ったという部分がありました。確かに私は検事にそのように申し上げましたが、今読んで聞かせてもらい当時の状況をよく考えてみるとAちゃんの性器を見たり触ったりしたいという気持ちが起きたのはAちゃんを殺した翌日の朝起きて前の日のドキドキしていたのが収まっているのに気がついた後でしたのでそのように訂正してください。」と申し立てている(〈証拠略〉)。

カ 被告人は、B事件について、Z警部の取調べでは、同女を見たとき連れ出して山の中で殺して性器をいたずらしたいという気持ちになったなどと述べながら、検察官の取調べでは、殺害後に性器を触ってみようという気持ちになった旨述べ、C事件については、Z警部の取調べでは、同女の性器をいじろうと思って誘拐した旨述べながら、検察官の調べでは、同女を誘拐した後、車の中にカメラを入れていたことを思い出して、同女の性器の写真を撮ろうと思ったなどと述べ、検察官の取調べにおいては、わいせつの意図が生じた時期について供述を後退させている。

② 前記第二、三、1に記載したとおり、被告人は、犯行声明文に添付したAの顔写真の作成方法(同九、(7)参照。)、東雲団地へ行った経緯、Dを見付けた状況、同女を車に乗せた後殺害場所まで行った経緯、同女の遺体を自室に運び込んだ経緯、同女の遺体の頭部を捨て直した経緯や頭部を洗ったこと(同二、(9)参照。)等につき、後に捜査官の追及を受けて供述を修正しており、これらは、犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定したいとの被告人の態度の現れといえる。

③ 被告人の捜査官に対する供述は、前記のとおり、A事件、B事件及びC事件につき、これらが冷静で巧妙な手口の犯行であって計画的な面があると推認されることと相容れない不自然なものに終始しているが、そのほかにも、犯行声明文に「一五年は捕まりたくない」と書いた理由につき、「死んだ子を五歳と設定したので、一五年後つまり成人までは捕まりたくないという意味であり、殺人の時効の一五年と一致することは知らなかった。」旨の不自然な供述を維持している。

(2) 被告人の捜査官に対する供述調書には、特異と思われる供述がそのまま録取されている。すなわち、

① 被告人の8・20員面には、Dを誘拐する直前の状況として、「東雲団地内の公園の便所に入るとき、便所の東側には公衆電話ボックスが三個位あったと記憶している。この電話ボックス内に、二〇歳位のメガネをかけた女の人が一人入って電話をかけており、私が便所から出て来た時もまだ電話していた。この時私の目と女の人の目が合い、私は、同業者かなと一瞬思ったことも事実である。この女の人が公園の方を電話をかけるふりをして様子をうかがっているように見えたからである。同業者とは私と同じ気持ちの人、つまり誘拐か、写真を撮る人かなという意味である。」旨特異と思われる供述がそのまま録取されている。

② 被告人の9・28検面には、「祖父死亡後まもなく叔父叔母らが骨とう品を分けようとしていたことがあり、祖父がかわいそうだと思っていたので、祖父が遺産をどのように分けようと考えていたのかを知りたいと思い、子供のころに読んだ本に悪魔に頼みごとをするときいけにえの代りに死体の写真を飾ってもよいと書いてあったことをヒントに、Aの遺体のビデオテープを部屋に飾って呪文を唱えたが、祖父の声は聞こえなかった。」旨特異と思われる供述がそのまま録取されている(前記第二、三、1、(六)、(8)参照。)。

(3) 被告人の捜査官に対する供述調書には、被告人がその心境を吐露したところがそのまま録取されている。

前記第二、三、1、(一四)に記載したとおり、被告人は、捜査官に対し、逮捕前の捜査の進展状況に対する不安感、家族や親せきに対する気持ちを述べるほか、特異な理由を付して、AやDの遺体を撮影したビデオテープ等の返還を求める気持ちを述べ、これがそのまま供述調書に録取されている(〈証拠略〉)。

(4) 被告人の捜査官に対する供述調書には、身上経歴に関し、被告人がその心情を交え詳細に供述するところがそのまま録取されている。

前記第二、三、1、(一)のとおり、被告人は、E事件の取調べにおいては、「男で一番上でかわいがってもらい、特に不自由なく育てられ、不満を感じたこともないし、性格は明るい方で、友達付き合いも普通にある。」旨述べて、自分や家庭に問題がないことを強調し、他方、D事件を自白した後においては、手の障害の悩みや両親への不満等その心情を交えつつ身上経歴につき具体的かつ詳細に供述し、とりわけ、Y警部補の取調べにおいては、手の障害について、「こんな手にしたのは親のせいだと純粋に親を恨み、幼稚園や小学校で手の障害を理由にいじめられるなど地獄の苦しみであったが、自分をいじめた者の名前は言いたくない。」などと訴え、これがそのまま供述調書に録取されている(Y証言によれば、身上経歴につきあらかじめ捜査の結果判明した事実を踏まえた質問をして供述調書に録取したのではなく、被告人の言うとおりに供述調書に録取したというのである。)。

(5) 被告人は、当初供述調書の指印を拒否したことがあり、また、捜査官に対する供述調書の録取内容につき供述の細かい表現等にまでこだわって訂正申立てをするなどの態度がみられるが、いくつか具体的に例を挙げれば次のとおりである。

① E事件で逮捕された翌日の員面に録取された供述は、被告人の身上経歴に関するもので、家庭には格別不満がないなどと自分に問題がないことを述べたものであるが、供述調書に署名はしたものの、後で実印を押すからと言って指印を拒否している(〈証拠略〉)。

② E事件の取調べにおいて、「調書の三枚目に私がプロのカメラマンのように思わせてその子達の写真を撮った上とありますが、その時撮った写真は服を着たままの写真なのでそのことを正確に表現しておいて欲しいと思います。」と訂正申立てをしている(〈証拠略〉)。

③ D事件の取調べにおいて、「最初私が脅かし半分でDちゃんの首を絞めたとなっていますが、最初は絞めたというより座席に仰向きに倒れたDちゃんの首ののどの所を私の両手の親指で軽く押さえたというのが正しいので、そのように訂正して下さい。」と訂正申立てをしている(〈証拠略〉)。

④ D事件の取調べにおいて、「読んで貰った中に私が公園の端にある便所で小便をした部分がありましたが、よく思い出してみると大便もしましたのでそのように訂正してください。また、読んで貰った中に保育園の玄関の前でDちゃんに声を掛けたとき、私がおじちゃんに写真撮らせてねと言ったという部分がありましたが、このとき私は、おじちゃんということを言わずに、ただ、写真撮らせてねと言ったように思いますのでそのように訂正してください。」旨訂正申立てをしている(〈証拠略〉)。

⑤ C事件の取調べにおいて、「読んでもらった中にCちゃんに騒がれるとまずいと思ってその首を絞めて殺したという部分がありましたが、騒がれたのでまずいと思って絞め殺したのですからそのように訂正して下さい。またCちゃんの死体を道路からできるだけ遠くに投げ棄てたという部分がありましたが、道路から投げ棄てたのではなく、死体をかかえて行って棄てたのでそのように訂正して下さい。そのほかの部分は読んでもらった通りで間違いはありません。」と訂正申立てをしている(〈証拠略〉)。

⑥ A事件の取調べにおいて、「只今読んでもらった中で四の項の「そこはAちゃんを連れて森の中に入ったときの逆を行った所です。」というところを、そこはAちゃんの死体の所から、山道の方にまっすぐ上がったところです。と訂正して下さい。その次に、六の項の二三桁目の「大人は汚らしいので小さい子供の方がきれいだから」というところは、大人の女性の生きている性器を見ることがむずかしいので恥らいのない子供のと訂正して下さい。」と訂正申立てをしている(〈証拠略〉)。

⑦ A事件の取調べにおいて、「ただ今読んで頂いた中で私がしていた腕時計は母から買って貰ったと言いましたが、お金は、私が出したかも知れませんのでその様に訂正して下さい。」と訂正申立てをしている(〈証拠略〉)。

(五) 警察における取調べ状況について

被告人は、公判廷において、捜査段階では、警察官から長時間深夜に及ぶ取調べを受け、暴力を振るわれるなどしたため、警察官の意向に合わせた供述をした旨述べるところ、本件各犯行の重大性や被告人が犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定しようとする供述態度であったことからすると、警察において、厳しい取調べがされた可能性は否定し難いが、被告人の捜査官に対する供述内容やY証言及びZ証言等の関係証拠に照らして検討してみても、取調官が被告人に暴行を加えるなど、被告人の意思を制圧して一方的に供述を押し付けるなどした疑いがあるとは認られない。

(六) まとめ

以上の述べたとおりであり、被告人の捜査官に対する供述は、被告人が捜査官から厳しい取調べを受けて供述した面があることは否定し難いにしても、被告人が自ら体験し記憶している事実を基にし、その中で犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定して自己の刑事責任の軽減を図ろうとの意図をも交えつつ、自らの判断で述べたものと認められるのであって、基本的に、その信用性は極めて高いものと認められる。

六  罪となるべき事実の認定について

1 被告人の捜査官に対する供述以外の関係各証拠によれば、前記第二、二のとおりの各事実が認められ、前記第二、五で検討したとおり、右各事実等から、本件一連の犯行がいずれもわいせつ目的に出た冷静で巧妙な手口の犯行であり、計画的な面があることが推認される。そして、以上に検討してきたとおり、その信用性を肯定できる被告人の捜査官に対する供述(右各事実及び右推認の結果に合致しない部分を除く。)をも併せれば、A事件、B事件、C事件、D事件の各誘拐の犯意及び殺意、Dの死体の両手部及び両足部の投棄の事実並びにE事件のわいせつ目的誘拐の犯意を含め、判示「罪となるべき事実」の各事実は、これを優に認定することができるのであり、これに反する被告人の公判廷における供述は到底信用できない。

2 なお、被告人のA、B、C、Dに対する各殺意の発生時期について補足すると、A事件については、被告人は、Aを、入間ビレッジ内で誘拐して車に乗せた後、約三五キロメートルの長距離を車で走行し、更に山道を約一・二キロメートル歩いて、自宅近くの山林内に連れ去り、同所で殺害したものであって、右の経過を照らすと、被告人が右山林内に至って初めてAに対する殺意を抱いたとみることは、いかにも不自然である。他方、被告人については、かねてから女性性器に強い興味があって性器に指を入れたいとの気持ちがありながら幼女の性器に指を入れれば痛がって泣き叫ぶであろうから生きている幼女の性器に指を入れることまではできないと思っていたということがあったにしても、A事件が被告人にとって最初の誘拐殺人事件であることに照らすと、被告人の警察官に対する供述(〈証拠略〉)にあるように、被告人がAの誘拐を決意した時点で既に同女に対する殺意を抱いていたと断ずるのも、いささか疑問があるというべきである。そこで、被告人がAに対する殺意を抱いた時期については、被告人がAを車に乗せて殺害現場に向けて走行途中のある時点であるとみるのが合理的であるが、被告人の検察官に対する供述によれば、「日の出町辺りを走っている時、Aちゃんに顔を見られているのでこのまま帰すわけにはいかないから、Aちゃんを五日市と八王子市の境辺りの山中に連れて行って、殺して性器を見たり触ったりしようと思った。Aちゃんが生きているときに性器をいじったり見たりしたかったが、騒がれるのでだめだろうと思った。」というのであり(〈証拠略〉ただし、性器を見たり触ったりしようと思ったとの供述部分についてはAを殺害した翌日にそのような気持ちが生じた旨、同供述調書において供述の訂正申立てがされている。なお、9・21員面には殺意の発生時期につき右検面に近い内容の供述が録取されている。)、殺意の発生時期については、被告の検察官に対する右供述に依拠するのが相当と認められる。

B事件、C事件及びD事件については、被告人が既にA事件を敢行し、その遺体を陵辱するなどした経験を有していることに照らすと、いずれも誘拐を決意した時点で殺意を抱いたものとみるのが合理的であり、B事件及びC事件については、右と同旨の被告人の警察官に対する供述に依拠し、D事件については、右と同旨の被告人の警察官及び検察官に対する各供述に依拠するのが相当と認められる。

3 また、被告人は、公判廷において、切断したDの手と足につき、手を食べ、足は猫か狸が持っていったなどと弁解して、同女の両手両足部を投棄したことを否定するので、右投棄の事実について補足すると、① 前記第二、四、2、(一)のとおり、被告人は、平成元年八月九日、Y警備補の取調べに対し、Dの殺害を自供するに至り、頭部、胴体部、両手両足部をバラバラに捨てた旨述べるとともに、各遺棄場所を自ら図示した上、翌一〇日、各遺棄現場に捜査官を案内して遺棄場所を指示し、その際、Dの両手両足部は発見されなかったが、被告人の指示どおり同女の頭がい骨が発見され、その後も、被告人の案内により、Dの下あごの骨等、Aの遺骨の一部、Bの衣類や遺骨等が発見されていること、② 被告人がDの両手両足部の遺棄場所として指示したところは、被告人宅からほど近い東京都西多摩郡五日市町小和田字御獄山五二七番のイの杉林内でところどころに竹が生い茂った場所であり(〈証拠略〉)、被告人は、御獄神社に通ずる階段の中腹から崖下になっている右杉林内に投げ捨てたというのであって、右両手両足部が五歳児の小さなものであることや、被告人がこれらを遺棄したとして述べる日から約二か月が経過しており、付近に生息する小動物等がこれを他所に搬送した可能性も否定できないことに照らすと、被告人が右遺棄場所に捜査官を案内した際、Dの両手両足部の遺骨が発見されなかったとしても、直ちに右両手両足部の遺棄についての被告の右供述に疑問があるとすることはできないこと、③ Dの両手両足部の遺棄についての被告人の捜査官に対する供述は、指紋や足紋から身元が判明することを恐れ両手両足部を切断して胴体部とは別に遺棄したというものであって、その理由が合理的である上、遺棄場所の選定、遺棄状況につき具体的かつ詳細で、捜査段階を通じて一貫しており、被告人は、捜査官に対し、祖父の死亡後に祖父の遺骨を食べた旨述べたことがあったものの、Dの両手部を食べたなどと述べた形跡はみられないこと、④ 被告人は、公判廷において、捜査官に対しDの両手部を食べた旨供述しなかった理由として、当初は、述べると器械を使って体に何かされると思ったからである旨述べるが、その後(第三五回公判)、現場検証等をこなしていて余り考えなかったとか、おじいさんのことで大事にとっておきたかったかも知れないとか述べるなど、一貫しないこと、⑤ 被告人は、公判廷において、Dの手を食べた理由として、心と体に残そうという理由とおじいさんに送ってよみがえらせようという理由の二つを挙げるが、なぜ頭部や胴体部(腕や脚を含む。)ではなく手首から先の手部だけを食したのかその理由が判然とせず、また、いかに幼女の手とはいえ、両手とも手の骨まで全部食したとする供述自体不自然であること、⑥ 被告人の捜査官に対する供述と公判廷における供述とを対比すると、これまで検討してきたとおり、全体として、前者の信用性は高いものと認められるのに対し、後者は到底信用し難いものであることに照らすと、Dの両手両足部の投棄についての被告人の捜査官に対する供述はこれを十分信用することができ、判示認定のとおり、被告人がDの両手両足部を遺棄した事実はこれを優に認めることができるのであって、これに反する被告人の前記弁解は、同女の両手両足部が発見されていないことに乗じて虚偽を述べたとの疑いが濃厚であり(被告人が足を食べたと述べないのは、手に比べ骨が大きく足の骨まで食べ切るのはさすがに不可能と考えたからではないかと疑われる。)、信用できない。

4 被告人がDの遺体を切断して損壊した日時について

弁護人は、被告人がDの遺体を切断したのは、平成元年六月七日昼ころである旨主張し、被告人も、同月六日午後九時ころ、同女の遺体を自室に運び込み、ビデオカメラで撮影した後、翌朝まで添い寝をし、その後、遺体を切断してビデオカメラで撮影し、血を飲み、裏庭で手を焼いて食べた旨述べる(〈証拠略〉もっとも、被告人は、第三五回公判においては、遺体を持ち帰った日の翌日か翌々日遺体を切断するという命令が出た旨あいまいな供述をしている。)。

しかし、① 弁護人が主張するとおり、被告人がDの遺体を切断したのが同月七日昼ころであるなら、被告人にとって殊更その事実を隠さなければならない理由は見当たらないから、捜査官に対しても当然その旨を述べてしかるべきであるのに、被告人は、捜査官に対しては、一貫して、Dの遺体を切断したのは同月八日午後一一時ころである旨を述べていること、② 被告人は、捜査官に対しては、同月八日に遺体を切断するに至った経過として、同月七日夜ころから遺体から臭いにおいがするようになったため、妹Nの部屋からヘアースプレーを持ち出して死体の周り等にまき散らしたが、これ以上部屋に置いておいてはにおいが強くなり、家人に気付かれるので、捜査かく乱の目的でバラバラに切断して捨てようと考え、同月八日に切断することにし、同日午前中に、のこぎり、刃物、シーツ、ビニール袋等を自室に持ち込んで準備した旨述べるところ、その経過は自然である上、前述のとおり、被告人が妹Nの部屋からヘアースプレーを持ち出したことにつき、妹N及び同Mの供述の裏付けも得られていること、③ 被告人は、同月一〇日午前零時ころ、胴体部を宮沢湖霊園に捨てたというのであるところ、弁護人が主張するように同月七日昼ころに遺体を切断したとすると、被告人は切断後の胴体部を二日間以上も自室に置いておいたことになりいかにも不自然であるのに対し、被告人の捜査官に対する供述によれば、切断した日の翌日深夜に胴体部を捨てたというのであって、経過として自然であることに照らすと、Dの遺体を切断した日時に関する被告人の捜査官に対する供述の信用性は否定できず、これに反する被告人の公判廷における前記供述は、遺体が臭くなってから切断してその両手部を食べたというのは不自然と考えて切断の日時を遡らせた疑いが濃厚であり、信用できない。なお、弁護人は、同月八日の午後一一時過ぎころは妹らが在室しており、その夜は父親が午前二時まで起きていたから、被告人がDの遺体を切断するのは家族に気付かれる恐れがあって考え難い旨主張するが、当時被告人の家族が被告人の部屋に立ち入ることはほとんどなかったことからすると、同月八日午後一一時過ぎころに被告人が自室で遺体を切断したとしても不自然とはいえず、弁護人の主張は当たらない。また、弁護人は、法医学的見地からすれば、遺体の切断は同月七日昼ころに行われたと考えられる旨主張するが、第七回公判調書中の証人渡辺博司の供述部分によれば、Dの遺体は死後二、三日以内での切断と考えられ、遺体の四肢の切断面の骨が飛び出しているのは、雨に濡れた後の皮膚の乾燥、収縮によると考えるというのであるところ、宮沢湖霊園のある飯能地方は、Dの遺体が遺棄された同月一〇日午前零時から発見された同月一一日午前一一時ころまでの間、雨が降ったりやんだりしていたこと等にも照らすと、右渡辺博司証言に疑問はなく、したがって、同月八日午後一一時過ぎころDの遺体を切断した旨の被告人の捜査官に対する供述に法医学的見地から疑問があるとする弁護人の右主張も当たらない。

七  被告人の刑事責任能力について

1 精神鑑定の内容

前記のとおり、被告人の本件各犯行時の精神状態については、捜査段階で、① 医師徳井達司による精神衛生診断(簡易鑑定)結果(医師徳井達司作成の平成元年八月二四日付け精神衛生診断書参照。以下「簡易鑑定」という。)、公判段階で、② 慶應義塾大学医学部教授保崎秀夫ら六名の共同鑑定意見(右鑑定人六名連名の平成四年三月三一日付け「甲山春夫精神鑑定書」と題する書面(以下「保崎ら鑑定書」という。)並びに第一〇回ないし第一二回各公判調書中の証人保崎秀夫の供述部分及び当公判廷(第三二回及び第三三回公判)における証人保崎秀夫の供述(以下「保崎証言」という。)、第一三回公判調書中の証人馬場礼子の供述部分、保崎秀夫作成の平成八年四月六日付け「誘拐、殺人、死体損壊、死体損壊・遺棄、猥褻誘拐、強制猥褻被告事件被告人甲山春夫の内沼幸雄、関根義夫、中安信夫鑑定人による精神鑑定書についての意見書」と題する書面(以下「保崎意見書」という。)参照。以下「保崎ら共同鑑定」という。)、③ 帝京大学文学部教授内沼幸雄及び東京大学医学部助教授関根義夫の共同鑑定意見(右鑑定人二名連名の平成六年一一月三〇日付け「被告人甲山春夫精神鑑定書」と題する書面並びに第二一回ないし第二五回公判調書中の証人内沼幸雄の供述部分(以下「内沼証言」という。)、証人関根義夫の当公判廷(第三四回公判)における供述(以下「関根証言」という。)、内沼幸雄作成の平成七年二月二四日付け「中安信夫鑑定人」で始まる書面、同年七月二〇日付け「私は思いも寄らない」で始まるメモ(写し)、平成八年四月二六日付け意見書及び関根義夫作成の「保崎秀夫鑑定人の意見書に対する私の考え」と題する書面参照。以下「内沼・関根鑑定」という。)、④ 東京大学医学部助教授中安信夫の鑑定意見(同鑑定人の平成六年一一月三〇日付け「中安信夫鑑定人の意見」と題する書面並びに第二六回ないし第二八回各公判調書中の証人中安信夫の供述部分(以下「中安証言」という。)参照。以下「中安鑑定」という。)がそれぞれ得られているところ、各鑑定結果及び理由等の要旨は以下のとおりであるが、本件各犯行時における被告人の精神状態については、簡易鑑定及び保崎ら共同鑑定は、いずれも人格障害であるとの見解であるのに対し、内沼・関根鑑定は、反応性精神病状態であるとの見解であり、中安鑑定は、精神分裂病(破瓜型)であるとの見解であって、一致しない。

(一) 簡易鑑定(診察日は平成元年八月二四日)

(1) 診断結果

精神分裂病の可能性は全く否定はできないが、現在の段階では人格障害の範囲と思われる。

(2) 理由の要旨

① 被告人は、表情が乏しく、応答が寡言で遅滞するが、話題によっては比較的円滑に応答し、自ら説明するときは雄弁となるところもある。この点は質問によって反撃するとか、考えながら応答する。また、同一内容の質問に対して応答内容が全く変化するなどから、極めて防衛的であるとともに攻撃性が著しいと解される。

② 問診の過程で、当初異性に対する性的な興味は全くないとし、犯行後の被害者に対する性器のいたずらも、女性性器に関する知識を得るためと一見異質と思われる理由を述べたが、再質問では成人女性の性器に興味があること、正常な性行為を欲求する気持ちのあることを述べ、思考伝播体験については、再質問では否定した。また、注察関係妄想に相当する体験は小学校当時から不変であると述べるが、分裂病では通常その年代では起こり難いこと、結果的には上肢の運動障害に起因する精神的外傷、劣等感に帰着し、了解可能性が感じられること等から、仮にその体験が真実であったとしても、分裂病を直ちに診定するのは相当でないと思われる。

③ 被告人は、生後両上肢に運動障害が認められ、幼児より深刻な精神的苦痛を伴い、精神的外傷となっており、このことが交友や生活態度にも影響を与え、非社交的、自閉的傾向を持つ人格を形成するとともに、深い劣等感、対人不信感から攻撃性も醸成されている。これらは、発達上、性的成熟にも重大な影響を与え、女性との通常の異性関係を断念して映像や雑誌に関心を集中させているが、成長するに及び次第に実際の女体に触れることを求め、本件の動因を形成したと思われる。本質的な性倒錯は認められず、性的処理は自慰に集約され、自己愛的であり、このような性的関心の中で、成人女性の代替として相手にしやすい幼児を自己の性的欲動を達成するために殺害していると思われ、その後の行為も極めて非情なものとなっている。この点は、前記成育史上の人格の発達障害として情性の著しい未熟が挙げられる。被告人は、小動物に残酷と思われる行為が年少時から指摘されており、本件についても簡単にそれらの行為を重ね、深刻な悔悟、内省もみられない。

④ 以上により、被告人につき敏感関係妄想様の態様は否定し得ず、分裂病を最終的に否定することもできないが、現在認め得る所見からは、人格障害の域にあるものと思料される。

(二) 保崎ら共同鑑定(鑑定期間は平成二年一二月二〇日から平成四年三月三一日まで)

(1) 鑑定結果

被告人は、本件各犯行時、極端な性格的偏り(人格障害)はあったが、精神分裂病を含む精神病様状態にはなかった。

(2) 理由等の要旨

① 被告人は、元来知的には問題なく、性格はクレッチマーのいう極端な分裂気質ないし分裂病質に相当し、非社交性、自己中心性、空想性、顕示性、未熟、過敏性、易怒性、情性欠如の傾向が目立っていた。さらに生来性の両側橈尺骨癒合症に関する劣等感が強く被害的になりやすく、そのために成人女性に対する興味はあるものの交際はあきらめていた。

② 犯行当時は、右①の状態に加えて性的興味が幼女に向けられ、収集癖と相まって犯行に及んだものと思われる。

③ 右②の状態は、極端な性格的偏り(人格障害)によるもので、精神分裂病を含む精神病様状態にはなかった。したがって、本件犯行当時、被告人は物事の善し悪しを判断し、その判断に従って行動する能力は保たれていたと思われる。

④ 現在の被告人の精神状態は、右①の状態に加えて、拘禁の影響が強く現れている状態で、無表情、無愛想で、簡単なことも分からず、一見退行したように見える面と、事態をかなりは握しているように見える面が混在し、家族や犯行の動機、態様について、独自で奇妙な説明を行っているが、これらの供述は逮捕後になされたものである。この状態は、精神分裂病も疑うものであるが、総合的に見れば拘禁反応によるものと考えるのが妥当であり、現時点では精神分裂病は否定されよう。したがって、被告人の現在の精神状態は、物事の善し悪しを判断し、その判断に従って行動する能力に多少の問題はあるとしても、著しく障害されている程度には至っていない。

(三) 内沼・関根鑑定(鑑定期間は平成四年一二月一八日から平成六年一一月二二日まで)

(1) 鑑定結果

被告人は、犯行時、手の奇型をめぐる人格発達の重篤な障害のもとに敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展を背景にし、祖父死亡を契機に離人症及びヒステリー性解離症状を主体とする反応性精神病を呈していた。

(2) 理由等の要旨

① 被告人は、乳児期から神経質な子であったが、手の奇型をめぐる恥辱的体験から地元の中間が集まる狭い環境の中で著しい被害関係妄想を発展させており、敏感関係妄想の概念規定に当てはまる。

② 家族は解離状態にあり、孤独な被告人の心の支えにはならず、唯一の支えは解離性家族から浮き上がっていた祖父であった。被告人は、高校以後、分離・自立への要請が求められていくが、新たな社会環境に適応していくために不可欠な、安定した人間関係を形成するための人格発達の基礎固めができていなかったため、かえって退行を促し、かつての不安のない懐かしい早期の生育史の時期に戻りたいという願望を強く抱かせるとともに、分離・自立への不安を背景にして極めて幼児的な収集強迫が強まっていき、ますます真の人間関係の形成から遠ざけられることとなったのであり、敏感パラノイア、願望パラノイア、好訴パラノイアと同じ傾向が認められ、人格反応的な妄想発展の流れが認められる。また、被告人はもともと解離症状を起こしやすく、長い生活史の間に分割の機制が培われた。

③ このような長い生活史にわたる人格の異常発展の中で、一心同体幻想で自らの心の支えにした祖父を失ったとき、潜在していながらも徐々に高まる迫害的不安が一気に噴出したもので、被告人は、祖父の死を契機として、迫害妄想、幻視、幻聴を急激に顕在化させており、反応性精神病と診断でき、その病像は、迫害妄想、幻視、幻聴を伴うが、なによりも目立つのは、離人症、二重身、フーグ(遁走)、生活史健忘、人格変換、解離性同一性障害(多重人格)、ガンゼル症候群といった多彩な解離症状である。

④ 被告人が他人にさまざまな顔を見せていること、人格変換を起こしやすいこと、別人の存在を認めていることなどから、被告人に解離症状としての解離性同一性障害(多重人格)を認め得る。A、B、C、Dの誘拐殺害は、被告人の供述を額面どおり受け取れば、夢幻様の意識変容化における被害者との「一心同体」、「相手性のなさ」とその破綻による憎しみの噴出に基づく衝動的殺人ということになるが、右各犯行には、被告人の別人格である、ペドフィリア的・ネクロフィリア的な倒錯的嗜癖を持った「今田勇子」が関与したと思われるのであり、被告人の場合、一つの人格は衝動的殺人犯であり、他の人格「今田勇子」は計画的殺人犯である。

⑤ 被告人は、解離性家族を背景にして四歳から始まる敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展の流れが歴然として認められ、唯一の支えであった祖父の死を契機として、さらに別種の反応性の精神病状態に陥り、自由な自己決定の可能性が制約されるに至ったことは明らかであり、被告人は犯行時善悪是非の弁識能力もその弁識に従って行為する能力もともに若干減弱していて、完全責任能力を求めるのは無理ではないか(心神耗弱)と考えられる。

⑥ 被告人は、鑑定時、引き続き同様の精神状態にあると診断される。

(四) 中安鑑定(鑑定期間は平成四年一二月一八日から平成六年一二月一九日まで)

(1) 鑑定結果

被告人は、本件各犯行時、精神分裂病(破瓜型)にり患していた。

(2) 理由等の要旨

① 現在における被告人の精神状態は、本件各犯行以前に発する精神分裂病(破瓜型)、収集癖と、本件各犯行以後に生じた拘禁反応の三者によって構成されたものである。

ア 第一の精神分裂病(破瓜型)は、高校時代かどんなに遅く見積もっても乙野印刷退職以前に極めて潜勢的に発病したものであり、その後は、一方では集中力及び意欲の低下、感情鈍麻(殊に情性欠如の形で)、易怒性ないし攻撃性のこう進が徐々に進展するとともに、他方では注察念慮、関係・被害念慮、被注察感が断続的に出没していた。昭和六三年五月の祖父の突然の死は、被告人にいささかの心理的動揺を与え、この時期には易怒性ないし攻撃性のこう進が強まり、これは家族・親せきに対する暴言・暴行となって現れ、また、情性欠如と相まって動物虐待が頻発するようになった。しかし、分裂病が明確に増悪したのは、前鑑定終了後から本鑑定開始前の間であり、この時期になって初めて、家族並びに不明の他者に対する被害妄想(家族に対するものは妄想追想として)、被注察感(様相が変化し、持続的)、幻声(迫害的内容・対話傍聴型)などからなる幻覚妄想状態が顕現するに至ったものである。

イ 第二の収集癖は正確な時期は不詳ながら祖父死亡の数年前に発し、祖父死亡後にこう進したものであるが、それは祖父や父と同様の生来型の性癖と考えられた。

ウ 第三の拘禁反応は、簡易鑑定終了後より前鑑定初期の間(平成元年八月二四日ないし平成三年二月一三日)に発病したものであり、本件犯行の認否ばかりでなく、祖父の死の認否、両親の認否にも及ぶ現実否認・願望充足性の妄想追想(本件犯行に関して)及び妄想と幻覚(祖父の死の認否、両親の認否に関して)を呈したものである。

エ 以上のうち、収集癖は、拘置所という限定された状況においてもなお持続しており、また、精神分裂病(破瓜型)と拘禁反応はなお増悪・進展しつつある。拘禁反応はそれ自体として妄想・幻覚化したものであるが、基底にある精神分裂病(破瓜型)の増悪に伴って、より一層の妄想・幻覚化が促進されていると判断される。

② 本件各犯行は、各々どの段階まで進展したのかという点で互いに異なるとはいえ、誘拐、殺害、死体損壊・遺棄へと段階的に犯罪行為が付け加えられて成立したもので、主要な犯行のすべてが、「女性性器を観察したい。」という性的欲求と、「自分だけが所有するビデオテープを持ちたい。」という(収集癖に基づく)収集欲求を動因とし、情性欠如を抑止力低下の原因として成立したものと考えられた。

ア 「女性性器を観察したい。」という性的欲求は、すべての事件に共通する誘拐行為の動因と判断されたが、殺害行為の動因とも考えられ、B事件(少なくともC事件)以降の殺害は、右性的欲求を容易かつ十分に行うために誘拐の当初より計画されていたものと判断された(Aの殺害のみは、易怒性ないし攻撃性のこう進によって突発的になされたものと判断された。)。

イ 「自分だけが所有するビデオテープを持ちたい。」という収集欲求は、突発的に行われたAの殺害の後に生じてきたものと判断され、これはB事件(少なくともC事件)以降の誘拐、殺害に対しては、右性的欲求に重なって動因として作用したものと思われる。

「自分だけが所有するビデオテープ」の内容についての被告人の関心は、A事件においてはいまだわいせつ行為のみであったが、D事件においてはそれに死体の切断行為あるいは切断された死体が付け加わり、よって死体損壊が行われたものと判断された。

ウ 一方、情性欠如は、当該行為が倫理的に許されることか否かという情的判断に障害をもたらし、各動因の行為化に抗する抑止力の低下をもたらしたものと判断された。ただし、抑止力の一方である、当該行為が社会的に許されることか否か(犯罪行為に該当するか否か)という知的判断は保たれており、この知的判断の残存ゆえに、後に、「犯行に対する自己の不関知」をその具体的内容とする現実否認・願望充足性の妄想追想が生じてきたものと思われる。

エ 本件各犯行時には、被告人は既に精神分裂病(破瓜型)にり患していたと考えられたが、当時存在した分裂病症状の本件各犯行への関与は、易怒性ないし攻撃性のこう進が動因のごく一部として、また、情性欠如が抑止力を低下させたものとして認められたに過ぎない。動因のほとんどを占める前記性的欲求と収集欲求は、分裂病に関するものでも、また、他のいかなる精神疾患に関連するものでもなく、それ自体は正常の心性に属するものであると判断された。

オ 以上の考察を通して、鑑定人は、被告人は本件各犯行当時において是非善悪を弁別する能力はほとんど完全に保れていたが、行為に対する制御能力の一半に欠けるところがあったと判断する。司法精神医学的にいえば、これは広く心神耗弱に相当するものであるが、免責される部分は少ないと考えられる。

2 検察官及び弁護人の意見

(一) 検察官の意見

検察官は、簡易鑑定及び保崎ら共同鑑定の結果を正当とした上、本件犯行の動機及び行為は、被告人に固有の人格に基づく人格相応のものとして了解できるものであり、各犯行当時、被告人には、思考障害、感情障害、人格の荒廃は認められず、規範意識が保持されていたことも明らかであって、被告人が行為の是非善悪を弁識し、その弁識に従って行動する能力を有していた旨主張している。

(二) 弁護人の意見

弁護人は、本件各犯行当時、被告人は、高校時代(どんなにおそく見積っても乙野印刷退職前)に発病した精神分裂病(単純型)にり患しており、事物に対する弁識能力は相当程度に存していたが、その弁別に従って行動(あるいは行動を抑止)する能力を全く失っていたか、あるいはその弁識したところに従って行動する能力において、通常人に比して著しく減退した状態であったから、心神喪失ないし心神耗弱である旨主張している。

3 検討

(一) 内沼・関根鑑定と他の精神鑑定との基本的な立場の相違について

(1) 前記のとおり、各精神鑑定の結果には一致しないところがあるが、その中でも、内沼・関根鑑定は、他の精神鑑定と基本的に異なる立場に立っている。すなわち、被告人は、公判段階に至り、本件各犯行等に関し、前記のとおり、捜査段階とは大きく異なる供述をするに至り、各鑑定人の問診においても、公判廷における供述とおおよそ同趣旨の、捜査段階とは大きく異なる供述をするに至っているところ、保崎ら共同鑑定及び中安鑑定は、いずれも、本件各犯行等に関する被告人の公判段階における供述内容は本件各犯行当時に体験として存在したものではなく、拘禁後に生じたものであるとするのに対し(簡易鑑定の問診においては、被告人は、公判段階における供述のような内容を述べてはいない。)、内沼・関根鑑定は、右被告人の公判段階における供述をそのまま犯行時の体験として理解する立場に立っているのである。そして、そのような立場に立ったときには、現実に行われた犯行と被告人が公判段階に至って犯行時の体験として述べる内容との間に著しいかい離が生ずることとなり、そのことから被告人には解離性同一障害(多重人格)の症状が認められるとする内沼・関根鑑定の見解が導かれたものといえる。すなわち、内沼証言によれば、「被告人は、余りにもとぼけた応答が多いので、本当に虚言や詐病じゃないかなと考えたが、最後までそう断定する決め手は得られなかった。それで、膨大な文献を見たところ、すべて被告人の体験は間違いないというようなことで、やはり被告人の供述を信じるよりほかにないと考えたが、今度は、検察官の冒頭陳述と余りにも矛盾してしまうことになる。そのとき、被告人にはさまざまな解離症状があったことから、解離性同一性障害ということを想定せざるを得ないとの結論に到達した。」というのである。

(2) しかし、前記第二、五で検討したとおり、被告人の捜査官に対する供述は、被告人が捜査官から厳しい取調べを受けて供述した面があることは否定し難いにしても、被告人が自ら体験し記憶している事実を基にし、その中で犯情が悪質とみられる要素をできる限り否定して自己の刑事責任の軽減を図ろうとの意図をも交えつつ、自らの判断で述べたものと認められるのであって、被告人の右意図に出た部分を除き、被告人がその体験した事実を語ったものというべきであり、これに反する被告人の公判段階における供述は、被告人が犯行当時の体験を語ったものとは到底思われないのである。

(3) また、このことは、被告人の公判段階における供述が、自己の刑事責任を否定する方向に向け、合目的的に変化していっていることなどからも明らかである。

右の点を明らかにするため、以下においては、被告人の捜査官に対する供述及び公判廷における供述(前記第二、三、1、2参照。)に加え、第一回公判期日における弁護人の意見、各鑑定の問診における被告人の供述内容を参照しつつ、被告人の公判段階における供述の変化をみることにする。なお、これら被告人の供述、各鑑定の問診等の時系列は次のとおりである。

捜査官に対する供述 平元・七・二四~一〇・一八

簡易鑑定の問診 平元・八・二四

第一回公判期日 平二・三・三〇

保崎ら共同鑑定の問診 平二・一二・二〇~平四・三・九

第一五回~第一九回公判期日 平四・一一・一一~平五・三・二

内沼、関根、中安鑑定の問診 平五・一・二二~平六・一〇・七

第三五回公判期日 平八・七・一七

① 捜査官に対する供述及び簡易鑑定の問診と第一回公判期日における被告人の認否

被告人は、捜査官に対する供述及び簡易鑑定の問診(B、E事件については質問がない。)では、個々の被害者を明確に認識し、いずれも本件各犯行を認める旨の供述をしているが、第一回公判期日における被告人の認否では、各誘拐の犯意、殺意、わいせつ目的等を否定するとともに、Dの手を食べたなどと述べ、全体として、さめない夢を見てその夢の中でやったような気がする旨述べるに至った(〈証拠略〉)。

② 第一回公判期日における弁護人の意見について

右弁護人の意見は、第一回公判期日当時における被告人の主張の具体的な内容をうかがわせるものといえるから、参考として、ここでみておくことにする。

ア 被告人は、たった一人でいる被害者と出会ったとき、被害者と一体となって母胎の中にいるような甘い世界に浸ろうとした。被告人は、被害者と二人で行動を共にする中で、母胎の中にいるような甘い感じに浸り切っていたが、被害者が泣き出したりするなどしたため、浸っていた世界が破られようとし、加えて、自分を大勢の人間が取り囲んで襲ってくるという恐怖心に捕らわれ、「救いの願望」と愛情表現の中で被害者にすがりついた。気が付いたら、被害者は横たわっていた。この心理状態は、四人の被害者にほぼ共通している。

イ 被告人は、本件各犯行の後に、自分の部屋の中にロープで円を作り、その真ん中にわら人形(約五〇センチメートルくらいで悪魔の象徴)を置き、これに撮ったビデオがある場合にはこれを供え、部屋を真っ暗にして、頭にはちまきをしてろうそくを数本つけ、黒っぽい服装をして、約一分間、手を上げたり下げたり、円の周りを回ったりし、「祈りを聞き届けたまえ。」(じいさまを生き返らせる。じいさまと話しをする。)と祈った。

ウ 被告人は、祖父の遺体を焼いた際、遺骨の一部を自室に持ち帰り、食べているが、心と体に残り、自分が一番祖父を可愛がることができるからである。猫等の殺傷も、悪魔に頼んで祖父と対話するためのいけにえである。

エ 被告人は、平成元年一月ころ、Aの遺骨を取りに行ったが、寒い思いをして骨になったので暖かい思いをさせたい、祖父と同じように焼いてやろうと考え、焼いたが、その際一部を食べている。その動機は、祖父と同じである。

オ 被告人は、遺体の変化を観察するため、Aの遺体を見に数回現場へ赴き、Cの遺体を見に一回現場へ赴いている。

カ 被告人は、Dの遺体と添い寝した後、遺体を切断したが、動機は、テレビで見た「改造人間」の改造手術をしてみたい、手の中を見たいということにあった。また、両手首、両足首を焼き、両足首は猫等の動物に持って行かれたようであるが、両手首を食べた。その際、血も飲んでいる。心と体に残して永遠に可愛がりたかったからだと述べている。頭部を再投棄したのは、いつでも見に行って可愛がれる場所に捨てたものである。あごも同様である。

③ 保崎ら共同鑑定の問診における被告人の供述について

ア 保崎ら鑑定書には、大部の面接記録が添付されているが、保崎証言によれば、問診の際に被告人からメモの破棄を求められたりしたことがあり、面接記録には問診内容はすべて記録したわけではないというので、まず、問診における被告人の供述経過の概要を保崎証言(以下、「保崎証言」には保崎意見書を含む。)によってみておくことにする。保崎証言の要旨は次のとおりである。

[1] 当初は、私の面接では、被告人は、犯行自体を全く否定していたわけではなく、「やったけど実感がない。」、「夢の中でやったようだ。」、「ひとごとのようだ。」、「言ったんだからそうだろう。」、「夢の中で考えていたことをそのまましゃべった。」、「やったことはやったかも知れないけれども、実感がない。」などと述べていた。被告人に、「それでは否定にならぬ。」と言うと、被告人は、「では実感のない病気だ。これは精神病に入るか。うちにはおかしい人がいるが。」と述べるので、「その程度では精神病とはいえない。」と言うと、被告人が、「手を食べ、血を飲んだ。」と言うので、「自分でそれを強調するのは変だ。だいたい臭くて不潔で汚いと言っていたのではないか。」と言うと、「でもインパクトが強いからだ。」と答えた。そこで、被告人に、「インパクトが強ければ前になぜ話をしなかったか。」と言うと、被告人は、「そのときはちょっとなぜ述べなかったかよく分からん。」と答えた。被告人に、「犯行事実より動機の方が問題になっているのではないか。」と言うと、被告人は、「事実は医者が決めるのではなく裁判官が決めると聞いた。弁護士はちゃんとやってくれぬ。」と顔を赤らめて怒り、「今書いたことを見せてくれ。」と言い、「今言ったことは全部忘れたから。ぼっーとして言ったんだから捨てろ。」と言うので、やむなくメモを破棄して新たにその話をしたら、覚えていないと答えた。そこで、「これからはこちらが書いていることで、気になることがあったら、そのときに言ってくれ。言い忘れたら他の鑑定人に言ってくれ。」と話し、「この話は一応なかったことにする。」と伝えた。その後は、被告人は、「忘れた。」、「知らない。」、「相手に合わせた。」、「怖いから想像して述べたもの。」などと述べ、そして、別の鑑定人に「ネズミ人間」の話をしたり、「肉物体」とか、「おじいさんに戻って欲しい。」という話をするようになった。

[2] 被告人は、E事件で逮捕されたのが大変なショックで、「準備(特にビデオを盗られぬようにする)ができなかった。前の犯行とは違うし、両親に連れられて必ず帰れるものと思ったのに。」と述べていたが、「これも人がそう思うだろうと考えて言ったので、今言ったことは消してくれ。」と言い、メモを消したこともあった。メモを消したり、破ったりしたのは、二、三回で、後はそういう状況にならないように記載のない問診の方法をとって、それからそれが終わると被告人の了解のもとにメモを書き始めるということをしていた。

[3] 被告人は、残虐性、殺意、記憶があったかなかったかを非常に気にしていた。残虐性については、被告人から、自分が精神病であるかどうかという質問があり、その過程で、被告人が、「残虐なことをするとそうだというけれどもどうだ。」と聞くので、「そういうこともあるだろう。」と答えると、被告人が動物に対する残酷な行為をだあーっと述べた。被告人に、「本当にそうか。時期的にそうか。」などと聞いたが、一部だけで後は忘れたという話になって立ち消えになった。殺意については、最後の問診の時、被告人は、「想像して言うので殺意があるように鑑定人に答えたかも知れないが、あくまで想像であるから訂正して欲しい。」と言っていた。これは、簡易鑑定の問診のときの供述を訂正したものと思われるが、被告人は、簡易鑑定から連続的に状況をいろいろ分かって話をすると同時に、全くそうではない話を並行してしていたという印象である。記憶については、被告人が「事件のことは覚えていない。」と言うに対し、「他に人はいないし、物が見付かったし。」と言うと、被告人は、「実感がない。」と答えるので、「行動したけど実感がないという意味か。」と聞くと、被告人は、「夢の中でやったような気がする。」と言う。そこで、被告人に、「夢の部分は覚えているのか。」と聞くと、被告人が「覚えている。」と言うので、「そうすると、覚えていないという話は。」と聞くと、「いやそれは。」と、答えがなかなかかえってこない。しかし、メモには、被告人の答えとしては、「前のことは覚えていない」ということだけを書いていた。犯行時、山で擦れ違った人のこと、脱輪を手伝った人のこと、骨を持ち帰ったとき畑にいた人に会ったことについて、被告人に覚えているかと聞くと、被告人は、「知らない。」と答えるので、「だけど、脱輪は。」と聞くと、被告人は、「あれは持ち上げただけだ。脱輪ではない。」と言う。そこで、被告人に、「じゃ、脱輪を持ち上げたのは覚えているじゃないか。」と言うと、被告人は、「いや、知らない。」と言うので、「これはちょっと。」と言うと、話がストップしてしまう。

[4] 被害者の血を飲み、手指を食べたことについて、被告人に、「どの段階で血を飲んだのか」、「どこで食べたのか」と聞いても、被告人は、「食べた。」と答えるだけであり、「ささげるために食べたから、においとか味とか歯ごたえを聞かれても困る。」と答えたり、「このことは弁護人に初めて話したから分からない。」と言ったりする。また、被告人に、「他のことはあいまいなのにこのことだけ前面に出てくるのはなぜか。」と聞くと、被告人は、「インパクトが強かったからだ。」と言うので、「その前にいろいろな犯行や行為があって、その方がインパクトが強く、その連続線上でのことなのだから、前のことが薄れてしまって、これだけ残るのはどうも解せない。」というと、被告人は、「ささげるために食べたから食べた。」としか言わない。そこで、被告人に、「飲んだり食べたりしたかも知れないが、ばりばりかじったというのはちょっと。」と言うと、被告人は、「ささげるためだからあれこれ言わないでくれ。」と言う。被告人に、「どの件とどの件で。」と聞くと、被告人は、「二回あったかも知れないし、そこは今ちょっとはっきりしない。」という返事であった。

[5] 捜査段階の供述について、被告人は、最初は、不明事件をテレビで見て自分でストーリーを考えたと述べていながら、その後は、警察がストーリーをぶつけてきたので合わせたと説明を変化させている。

[6] 被告人は、最初、「母胎回帰」という言葉を使ったが、説明を求めたら分からないということで、それから言わなくなった。

[7] 被告人がビデオテープをおじいさんに供えたとの供述について聞いたところ、被告人は、「おじいさんの遺産分けの趣旨を聞いただけで、聞けなかった。」と言って笑ったので、「どうして。」と言ったら、被告人は、「出るはずがない。」という言葉であった。それで、被告人に、「なぜそんなにしつこく聞きたいんだ。」と言ったところ、被告人は、「おじいさんがいたらみんなに分ける分を言っているはずだ。」と答えた。

イ 面接記録による問診経過の概要

【A事件】

[1] Aの誘拐、殺害について

最初のころは、事件を特定していないものの、「独りぼっちと独りぼっちが出会って、手のことを知らない甘い状態に戻ったみたい。」(3・1・29)旨述べ、誘拐したことを前提にした質問に対し、これを否定せずにそのまま応答し、「(連れて行く子は)独りぼっちでいる子。顔かたちや性別は関係ない。(掛けた)言葉は覚えていない。(近付く気持ちは)自分が手のことを知らないころの甘い安心できる気持ち。(付いてきたのは)自然にそうなった。当たり前。」(3・2・6)旨述べていたが、その翌日の問診で、Aについて、「(車に)乗ったと思う。車走って、子供のころに行っていた甘い山の部屋に行った。休んだと思うが、木の陰から、子供のころ見えた「ネズミ人間」が出てきて、怖かった。襲ってくるようで、おっかなくて、あと分かんない。(死体を見たのは)覚えていない。」(3・2・7)旨述べ、「ネズミ人間」の出現を幻視の形で述べるに至る(なお、前記第一回公判期日の弁護人の意見では、「ネズミ人間」ではなく、「大勢の人間が取り囲んで襲ってくるという恐怖心」と述べられていたものである。)。そして、以後、「ネズミ人間の恐怖」は、その余の事件についても、一貫して語られるのであり(もっとも、B事件については判然としないところもある。)、たとえば、事件を特定せず、「(誘った)言葉は分からないが、独りぼっちの子と一緒に乗った。甘くなれる。」「(ネズミ人間」に取り囲まれる。車を取り囲まれる。自分は中にいる。(乗っている子は)分かんない。そばにいるかも知れない。私が、怖い」「グッタリなる。おじいさんがなったのと同じ。人形みたいな感じ。(女の子は車の中の)後ろのときもある。(「ネズミ人間」が)バンバンて(車を押すまね)。山や木の陰から出てくる。」「子供のころ、一回、洋間のそばで「ネズミ人間」がじっとこちらを見ていた。」(3・2・20)などと述べる。

また、事件を特定していないが、殺害したことを前提にした質問に対し、これを否定せずにそのまま応答し、「(甘い気持ちになって、殺さずに返した子はいる?)分かんないな。いないんじゃないかな。返すとか返さないとか、気にしたことない。」「(殺さずにすんで事件に至らなかったことは?)独りぼっちに出会ったのは何回もない。」(3・2・13)旨述べていた。

その後、Aにつき、「自分が小さいころ楽しく遊んだ森へ行った。(絞めたか)分からない。人形みたいに倒れた。森の中に行ったんだから付いてきたに決まっている。分からないところも言わないと寝かせてくれないから想像して言った。」(3・2・22)、同女の誘拐につき、「想像して言った。覚えていない。もし、話したとしても誘うようには話していない。関係したとしても向こうの意思で付いてきたとしか言いようがない。弁護士も誘うという犯意がないと言ってるから、(仲村鑑定人に)聞かれて分からないと言った。」、同女の殺害につき、「本当は、子供のころに見た「ネズミ人間」に囲まれて、怖くて気が付いたら、マネキンみたいに倒れていた。後、分からなくなった。」(3・3・18)旨述べ、Aの誘拐殺害について一層供述が後退していき、同女が「人形みたいに倒れた。」と動きを伴った表現をしていたのが、「マネキンみたいに倒れていた。」と更に後退した表現に変化している。

そして、問診の後半段階では、被害者を見た際の状況として、「独りぼっちの姿を見て自分の姿を見た。手のことに気付いていない自分の甘い感じになった。男女は関係ない。」(3・10・15)旨述べるが、事件を特定しないで、「(女の子)そんなの乗せたことない。降ろしたこともない。シクシクしたかも知れないし分かんない。急におっかなくなる。木のわきからヌーと出てきて取り囲んだり。(抱きついたの?)覚えていない。自分がおっかなくてわーっとなって。」(3・11・11)、「山の中で二人で……二人じゃない。私一人だ。いたとしても相手はいない。私が甘いんだ。「ネズミ人間」が出てきた。後は知らない。」(4・2・10)旨述べるなど、ますますあいまいな供述となり、被害者の存在さえも否定するかのように述べるに至る。なお、被害者にすがりついたということ(前記第一回公判期日における弁護人の意見参照。)は、述べられた形跡がない。

[2] Aの遺体の陵辱とビデオ撮影について

当初は、事件を特定せず、「人間の「肉物体」の写っているもののビデオを置いて悪魔に頼む。その後、肉や骨を食って、おじいさんに肉付けて、よみがえらせる。」(3・1・22)旨述べ、Aにつき、ビデオ撮影の目的は、「おじいさんにささげる。「肉物体」をおじいさんに見せる。」ことであると述べるが、同時に、「誰も持っていないから貴重。」と、収集の意図をも述べていた(3・2・7)。

次いで、事件を特定せず、「肉物体」のビデオ撮影につき、「死んでる」、「人間だか人形だか。撮ったことがあるんだから、行ったことがあるんじゃないかと。」と述べて、「肉物体」と「死」を結び付けながらも、ささげるビデオは「肉物体」が写っているかどうかは関係ないとか、ささげる「肉物体」は猫でもいいとか述べ(3・2・13)、前には「人間の「肉物体」の写っているもの」をささげると述べていたのが変更される。なお、ビデオカメラを借りた場所について、「高円寺だか阿佐ヶ谷だか」(3・2・13)旨述べて、記憶があることをうかがわせる。

そして、「(次の日)行ってみたら「肉物体」があった。(カメラを借りたのは)Pのところじゃなければ、(高円寺)だと思う。他人の持っていないものを所有できるし、おじいさんに送るために「肉物体」をビデオ撮影した。(陰部を触ったのは)はやっているから。血が出るかと思った。ビデオは撮れていた。」(3・2・22)旨述べ、遺体の陵辱につき、流行に従っただけでわいせつ目的はなかったかのように述べながらも、Aの遺体のビデオ撮影をしたこと自体は、収集の意図をも含めて認めていたが、「ビデオカメラを借りた実感がない。(警察が)あると言うからあるとしか言いようがない。」(3・3・5)などと、ビデオ撮影をしたこと自体があいまいになったりもする。

その後は、「おじいさんに「肉物体」をささげたいと思い、また、前日のことが不思議だったので、行ったら、おじいさんが火葬場でいなくなって、あったから、撮った。「肉物体」をささげると肉が付くので撮った。」(3・3・18)旨述べ、ビデオ撮影をした「肉物体」がおじいさんであるかのように述べるとともに収集の意図を語らなくなり、「(ビデオは)調書で「らしき」とあるので、ビデオに写っているかも知れない。」(3・4・3)と、実際に写っていたかどうかもあいまいとなり、さらには、「山で死んでいるのが落っこっていれば、あんまり重そうだからビデオに撮ったり。たまたまあったから。」(3・5・28)、「山に落っこっていた奴を拾っておじいさんにささげようとしたが、重かったのでテープに撮ってささげようとしたと思う。」(3・10・15)「(股に手を入れたか)分かんない。はやっているようにした。おじいさんにささげる「肉物体」を写しているんだ。」(3・11・11)旨述べて、たまたま山に落ちていた「肉物体」を、「おじいさんにささげる」目的でビデオ撮影したなどと強調するに至っている。

問診の終わりころは、「単に「肉物体」があるという感覚。ビデオはおじいさんにささげるため。甘い場所に昨日行ったぐらいにしか覚えていない。」(4・2・10)と一層あいまいな供述になっている。

[3] A殺害後の経緯について

当初は、「(骨を送れば葬式ができるというのは)話を作った。想像で言った。」(3・1・22)旨述べ、Aの頭がい骨を持ち帰ったことは認めつつ、「頭がい骨は、おじいさんの物置のわらの中に入れ、わら人形を作って、おじいさんがよみがえるように踊った。ビデオは腐らない映像だから、失ったおじいさんの「肉物体」をくっつけるためにささげ、骨を食べた。」と神秘的なことを述べるが、同時に、「(こういう儀式は)本で読んだか見たかして知った。生きてる死んでる関係なく、「肉物体」をささげるなら映像でもいい。」とも述べる(3・2・7)ので、被告人の少年のころからの空想的傾向の影響をうかがい知ることができる(なお、この点については、前記ア[7]に記載した保崎鑑定人の問診における被告人の供述を参照。)。

また、Aへのはがきの郵送につき、「パズル好きだから出したような気がする。」、A宅へ遺骨を届けたことにつき、「(骨を焼いたのは)おじいさんにあったかい骨を送ってあげたいと思った。友達のQと一緒に(骨を届けに)行ったかな。」と述べておおむね認めるが、犯行声明文や告白文の送付については、「余り感覚がない。(今田勇子は)「今だから言う。」じゃないの。そういうこと作ってもおかしくない。(送ったとして目的は)分からない。」と述べていたが(3・2・7)、その後、文書を送ったことについては「実感がない。」(3・2・13)とあいまいになる。

次いで、「ペスを連れて(現場へ)あるのかどうか見に行った。おじいさんのために動かせないから。ミイラみたい。」と述べ、Aの遺骨を持ち帰って、自宅前の畑で焼き、箱に詰めたことなどを認めつつ、「ニュースでやってたから。」と述べ、犯行声明文等につき、「よく覚えていない。やったとしたら、おじいさんの葬式を見たかったのかも知れないし、理由なんかないかも知れない。」「ニュースでやってたから、そういうのやったって分かる。」などと述べる(3・2・22)。

そして、「(「魔が居るわ」のはがきを郵送したことは)覚えていない。がい骨を山から持ってきて、おじいさんの物置の二階にささげたと思う。頭の骨格を送れば、おじいさんの顔の骨格が見えるように思うのでささげた。燃やしたのはよく覚えていない。(骨をA宅へ届けたことは)よく覚えていない。(犯行声明文と告白文の郵送は)よく覚えていない。」(3・3・18)、「(犯行声明文は)覚えていない。」(3・7・16)などと述べ、更に、右はがきの郵送、骨を持ち帰り納屋に隠した後焼いてA宅に届けたこと、犯行声明文と告白文の郵送のすべてについて覚えていない旨述べるに至った(3・10・15)が、その後、「骨も「肉物体」。持ってきて二階に置いた。」(4・2・10)とも述べる。

【B事件】

当初、「一番印象に薄い。夢の中とニュースがごっちゃになっている。」(3・2・7)旨述べ、「印象ない。怖かったから覚えていない、囲まれたときに。外の部屋だ。(Aと)距離は分からない。(「ネズミ人間」が)出てきた。(見に行ったら)何もなかった。誰かが連れて行ったと思った。」(3・2・22)旨若干具体的な供述をすることもあったが、その後は、「分かんない。」(3・3・5)、Bの誘拐につき、「想像で言っている。もし、乗ったとすれば、付いてきた。よく覚えていない。」、同女の殺害につき、「想像である。」、同女の遺体に対するわいせつ行為につき、「早く寝たいので作ったと思う。Bというのが、たとえ関係していたとしても一番印象がない。」(3・3・18)、「全部よく分からないが、その中でも極端に印象がない。」(3・4・3)、すべてにつき、「覚えていない。」(3・10・15)、「(ネズミは?)分かんねえよ。」(4・2・10)旨述べている。このような被告人の供述態度は、A事件、C事件、D事件においては、被告人の具体的な行為につき、遺体や裸を撮影したビデオテープや写真等の動かし難い客観的な証拠があるのに、B事件ではそうした証拠がないことが影響しているのではないかと思われる。

【C事件】

[1] Cの誘拐、殺害等について

当初は、「(写真は)集めるために撮ったとしかいいようがない。(調書の内容は)早く寝るために想像で言った。」(3・2・7)、「(写真は)見付かって出てきたから撮ったということになる。自分で物語を作る。ごっちゃになっちゃう。」、「(車の中で首に触ったの?)分からない。怖いから。お人形さんみたいだから。」(3・2・22)、「写真を警察に見せられたことはある。分かんない。」(3・3・5)旨述べ、同女の誘拐につき、「想像で作った。」旨、同女の性器の写真を撮ったことにつき、「覚えていない。妹のカメラがダッシュボードに入っていたものを気が付いたとしても、はやったものを撮りたいということしかない。本当は覚えがない。」(3・3・18)旨述べて、記憶がないことを強調しているが、同時に「ネズミ人間」の出現は明確に述べ、「車の周りを「ネズミ人間」に取り囲まれて怖かった。気が付いたときにはマネキンみたいな死体が転がっていた。」旨述べている(3・3・18)。なお、このときは、「肉物体」ではなく、「死体」と言っている。

その後、同女の誘拐につき、「独りぼっちの姿を見て、自分の姿を見てしまう。自分の手に気付いていない甘いころになってしまう。男女は関係ない。」(3・10・15)、「(一人の姿を見て独りぼっちの自分を見たというのは?)自分の手に気付いていない自分の姿をみる。(そう感じたのはこの子だけ?)みんなそうなんだ。」(4・2・10)などと述べる。

[2] Cの死体遺棄について

当初は、「なつかしい山の斜面にそのまんま。(裸の)まま。」(3・2・22)旨、自分の意思で遺棄したかのように述べていたが、次いで、「ひもで縛ったかどうか覚えていない。縛ったとしても怖かった以外にはない。なぜ縛ったか分からない。怖かったというのは間違いで、「ネズミ人間」以外に怖いものはない。脱輪の感覚はない。急におじいさんが呼び止めたように思って。山の斜面は甘いお部屋で、ささげなさいというような感覚で。」(3・3・18)旨述べて、おじいさんを持ち出し、更に、「おじいさんに呼び止められ、車がガクンとなって止まった。外のお部屋に置きなさいというような意味のことを言った。その時、山の斜面にいたと思う。」(3・4・3)、「おじいさんが呼んでくれたと確信している。自分が乗っていてがくっとなったような。」(3・5・28)旨、おじいさんの指示であることを明確に述べるに至る。

また、「どぶか溝か分からないががくっとなって、近くに斜面があって、甘い斜面でおじいさんが呼び止めて」(3・10・15)旨述べ、脱輪の認識があることをうかがわせるような「どぶか溝」との表現を用いたが、その後、「車で走っていたら甘い斜面があった。ああ、おじいさんが呼び止めたんだと思った。それでそこに置いたんだと思う。(脱輪、手伝ってもらったこと)そんなの覚えていない。」(3・11・25)、「(脱輪は)覚えていない。おじいさんが呼び止めて車を止めたかも知れない。」(4・2・10)などと述べて、脱輪につながるような状況は一切述べなくなっている。

[3] C殺害後の経緯について

当初、「「肉物体」を取りに行ったが、暗くて探せなかった。」(3・2・7)旨述べる。また、C宅にはがきを郵送したことについては、「家に材料があって作れるからやったんだと思う。」と述べた(3・2・22)が、その後は、「覚えていない。」(3・3・18)と述べている。

【D事件】

[1] Dの誘拐、殺害について

当初は、「自然に走っててどこか車が止まったところで、草むらがあった。(車の中でグッタリした?)人形みたいに。(手のこと)気付かれた。言葉は忘れた。平気で言った。急に怖くなって、もうどうしようもない。なんだか分からない。」(3・2・22)と述べ、次いで、「想像だが、手のことを気付かれたのは確かだ。自分が「ネズミ人間」に襲われるのが怖くて、後は何が何だが分からない。また、マネキン人形みたいのが倒れていた。」(3・3・18)旨述べ、その後、「独りぼっちを見ると自分の姿を見る。自分の手に気付いていない甘い世界を見る。」「男女は関係ない。手のことを何か言ってきた。「ネズミ人間」が急に出てきて窓をたたいたり、揺らしてきて、あとさっぱり分からない。」、「車の下に落っこっていたのを持ち帰った。」(3・10・15)とか、あるいは、「車の中で甘くなった。「ネズミ人間」が急に出てきた。(被害者を車に乗せたのは)覚えていない。」(3・10・28)と述べる。そして、「偶然落っこってたから拾っていくんだよ。場所が甘いんだ。(落ちる前は)分かんない。(そうすると、また「ネズミ人間」?)ああそうそう。「ネズミ人間」ていうか、すぐ帰っちゃった。帰る瞬間も覚えてないんだから。」(3・12・16)と述べ、Dの遺体を持ち帰ったのはたまたま落ちていたからだと強調して、「ネズミ人間」とのつながりが欠けるような供述をすることもあるが、その後は、再び、「たくさんの「ネズミ人間」が現れて覚えていない。覚えているのは、大人数の「ネズミ人間」にやられたということだ。」(4・2・4)、「(手のことを言われてかっとして、それから?)わあっとなった。怒ることはあり得ない。そのとき「ネズミ人間」が瞬間的に出てきた。」(4・3・2)などと述べる。

[2] Dの遺体の損壊等について

当初、遺体の切断の目的につき、「手のことが知りたかった。食べて、おじいさんに送って手足をくっつけさせたかった。」、「「肉物体」をビデオに撮っておじいさんにささげて踊った。」(3・2・7)旨述べ、「手の中が見たい」との前記第一回公判期日における弁護人の意見と同旨の内容も述べたが、その後は、「(事件のことは)分かんない。私の部屋から「肉物体」のビデオが出たから、そういうのがあるんだなということが分かる。(「肉物体」の本物は)一回あったかもしんないが、誰のだかは分かんない。警察が部屋を調べて出てきたっていうから、あるんだなと。想像で作って。」(3・2・13)と、遺体を自室に持ち込んだこと自体が極めてあいまいになる。

次いで、「おじいさんのためになると思い、切ってるところを撮ったけど、間違って消して惜しいことをした。」(3・2・20)と述べた上、同女の遺体を持ち帰って切断したことを認めつつ、「おじいさんにささげるためにビデオに撮った。横にしたら(陰部が)写っちゃうわけだよ。はやっているようなやり方で(触った)。(道具は)使ったかも知れない。(顔は)隠してない。こたつが小さいから後ろにひっくり返った。」、「(切ったのは)工場の昼休みにやった。(後片付けが大変だったでしょ?)うん。」(3・2・22)などと述べ、陰部の撮影が意図的ではないこと、遺体の陵辱は流行に従っただけでわいせつ目的はないこと、意図的に被害者の顔を隠したのではないことを強調するとともに、工場の昼休みという仕事の合間の短時間に、Dの頭部、両手部、両足部を切断し、かつ、その様子をビデオカメラで撮影し、しかも、大変な思いで後片付けをしたという不合理な内容を述べている。

その後、「「肉物体」は落っこっているから持って帰ったと思う。おじいちゃんのためにはビデオ捨てないと思う。警察が言うから、あるんだなと思って。」(3・3・5)、「おじいさんに送るために食べようとして切った。」(3・3・18)、「映像に撮っておけば腐らないので撮ったと思う。」、「おじいさんにささげるために切ったあたりはまだ印象があるが、他は覚えていない。」(3・10・15)、「ビデオ撮ったかも知れない。おぼろげだ。写真は覚えていない。」(4・2・10)などと次第にビデオ撮影をしたことがあいまいになっていく。なお、「改造人間の改造手術」(前記第一回公判期日における弁護人の意見参照。)ということを述べた形跡はない。

[3] Dの遺体の遺棄について

当初は、「実感がないが、もし置いたとすれば、五日市の御嶽神社に一部頭部を捨てて、そして青梅の御岳山の方に捨てに行った。あごとか歯を坂本トンネルに置いたと思う。」(3・2・7)、「(宮沢湖霊園に捨てたのは)理由が分からないが、おじいさんの葬式が見たい。母の人とタレントの宮沢りえの(ちなみ)。(頭部の捨て場所を変えたのは)やっぱり斜面。」(3・2・13)と述べる。

次いで、「(胴体は)おじいさんの葬式が見たかったと思う。おじいさんが昔畑のくみ取りをやっててなつかしい。置いた場所がトイレに近かったのはそういう理由しかない。家の母の親せきの「L′」とタレントの宮沢りえがくっついて、宮沢湖霊園。(首は)最初小和田の御嶽に置いて、それから奥多摩の御岳に移した。斜面で甘いところ。」(3・2・22)旨述べるが、「芸能人宮沢りえと私の母のLが一字違いで、そういうちなみで決め、ぽんと捨てた。思い付きで行動したとしか思えない。」「首は、五日市の御嶽神社の斜面に置いた。おじいさんに髪の毛をやろうと思ったかも知れない。ちなみに行動する癖があり、青梅の御岳の甘い場所に移し替えた。」(3・3・18)と述べ、Dの遺体の胴体部の遺棄につき、「置いた。」から「捨てた。」と変わり、宮沢湖霊園に遺棄することを思い付いたきっかけとなった、親せきの「L′」が母の「L」に変わる。

その後、「五日市の御嶽山の斜面から、がい骨を持って、青梅の御岳山の斜面に置いた。がい骨を助手席に置いて、おじいさんとドライブをした。歯だかあごだか分からないが、がい骨を置いて、歯だけ助手席に残っていたから、ドライブを続けて走っていたと思う。親せきに坂本というのがいて、走っていたら坂本トンネルというのが目の前にあって、ちなみで、ここの斜面に置いた。」(3・4・3)、「(胴体を置いたこと)覚えていない。」(3・11・25)、「おじいさんを乗せてドライブをした。(女の子は)あれはおじいさんだったんだ。おじいさんの頭を山の斜面に置いた。おじいさんを送るために手を焼いて食べた。(切ったのは)おじいさんを送るためだ。白骨を切ったんじゃない。」(3・12・16)旨述べ、切断し遺棄したものがDの遺体であることを否定するに至る。

さらに、胴体部の遺棄について、前記のとおり「覚えていない。」と述べていたが、「(宮沢湖霊園を選んだのは?Lだからとか?)ちなみ的なことが私にはある。たまたま頭に浮かんだんじゃないか。」(4・2・10)などとも述べる。

【被害者の骨や手を食べ、血を飲んだとの供述】

最初のころは、「腐敗しているときかどうか分からんが、(Aの)骨を食った覚えがある。(Dは)両手首を指からもいでみな食ったと思う。(焼いて?)そのまま。焼かないうちに少し食ったかも。においは関係ない。血は、袋にたまったものをぐっと飲んだ。手を食べれば、おじいさんに手がついてよみがえる。悪魔に頼む。いけにえをささげたことが分かればいい。ビデオを部屋に供える。」(3・1・9)、「人間の「肉物体」の写っているもののビデオを置いて悪魔に頼む。その後、肉や骨を食って、おじいさんに肉付けて、よみがえらせる。」(3・1・22)などと述べ、祖父再生を願い、被害者の肉や骨を食べたと述べるが、Aの骨は焼いたものを食べたのかどうか判然とせず、Dの手は焼かないで、においには関係なく食べたかのように述べる。また、「今回の事件はみな想像してしゃべったことで間違っている。(血と肉や骨のことは)本当。」(3・2・4)と述べ、犯行経過の中で、被害者の血を飲み肉や骨を食べたことだけを強調し、それ以外は想像したことと述べる。

次いで、「(ささげる「肉物体」は)偶然あればいい。人間かどうか関係ない。」として、ささげる「肉物体」を入手するために人を殺害することはない旨を強調し、「昼飯食い終わってすぐかも知れない。裏でいっぺんに焼いた。何かをつけて全部食べた。爪も食べた。焼いているとき、ビニール袋が猫に破られて、足だけ持っていかれた。」(3・2・20)旨述べて、焼いて何か(調味料)をつけて食べたと変わり、その直後、「焼いて、しょうゆを付けて、冷まして、最初指をもぎってガリガリかじった。足は、バケツに水を汲みにいったときか、しょうゆを取りにいったときか、冷ましているときに、狸か猫に引きちぎってもってかれた。」(3・2・22)旨述べるが、その後、「(血を飲んだというのは?黒いシーツを敷いてその上で切ったとき?)弁護士にしか言ってないことがあるので。よく覚えていない。(血のことだけ覚えているのは?)これだけ夢の中の印象が強いので。弁護士さんに、「裏の庭で飲んだ。袋かコップか分かんないが。」と言ったような、よく分かんないが。」(3・8・20)旨あいまいとなり、さらに、「手を焼いて食べたが、誰の手かよく覚えていない。骨を食ったが、(誰のか)分かんない。(血を飲んだのは)誰か分かんない。鼻血をよく飲み込むので、血を飲み込むのは慣れている。」(3・11・15)、「(しょうゆは)つけたかも知れない。」(3・11・25)、「(指は)上からかじってもいだか、もいだ後食ったかよく分かんない。かまわず食っちゃう。固くてもとんがっても関係ない。血のことも指のことも細かいことは覚えていない。」(4・2・4)、「(指を食べたというのは?)強いイメージだから。インパクト、イメージが強く残っている。肉も骨もいっぺんに食っちゃった。(なにかをつけて?)どうだったかなあ。警察では骨のことも指のことも言っていない。相手に合わせるため。」(4・3・9)などとあいまいである。

【E事件】

覚えていないということで終始しており、「(どうして捕まったか)分かんねえ。」(3・2・4)、「おっかない男に追っかけられた。」、「記憶が……、考えがよくまとまらない。」(3・2・20)、「余り覚えていない。道が分からなくなって、車を止めて休んだくらいしか覚えていない。その日のうちに帰れると思ったが、誰も迎えに来ないので、違う親だと思った。」(3・4・3)、「全然知らない。覚えていない。」(3・10・15)、「覚えていない。すぐ帰れると思っていた。留置場に入ったのは、入ったとしか分からない。パトカーに乗った。他は覚えてないよ。」(3・11・25)、「警察の部屋にいたことは覚えているが、建物の中に居たというくらいで、後は覚えていない。」(4・3・2)などと述べる。

以上のとおりであり、保崎ら共同鑑定の問診における被告人の供述は、全般的に、覚えていないとか想像であるとか実感がないとかの内容が基調となっており、あいまいで、変遷や前後矛盾するところがあって、場当たり的な印象を与えるが、殺害については、途中から、暗に、被害者の殺害は「ネズミ人間」の仕業であるかのように述べ、また、遺体の陵辱とビデオ撮影については、わいせつ目的を否定し、はやっているからだと述べるとともに、当初は、収集の意図も述べるが、その後は、「おじいさんにささげる目的」が強調されていき、Dの遺体をおじいさんだとして否定するに至るなど、自己の犯行であることや犯情が悪質とみられる事情を否認していく傾向がみられる。なお、個々の被害者に対する認識があいまいであるかのように述べ、この傾向はこの後強まっていく。

④ 第一五回ないし第一九回公判期日における被告人の供述について

右供述の要旨は、前記第二、二、2、(二)、(三)に記載したとおりであるが、事項ごとにその骨子を述べると、次のとおりである。

ア A、B、C、Dの各誘拐、殺害については、要するに、「独りぼっちの子と出会って波長が合い、その子を見たときその子に独りぼっちの自分を見て、自分の手に気付いていない悩みのない甘い世界に入った。幼い自分になって、感覚的にテレビの世界に入ったような気持ちになった。そこにドライブという筋書のない物語があって、私が主人公の運転手で、その子が同じ意思を持った親切なわき役。声をかけ、車まで歩いていった。子供のころ、川遊び客からすいかやジュースを盗んだときの懐かしいスリルな感じ。かくれん坊気分もある。一緒にドライブをした(また、一緒にピクニックをした。)。その後、その子がぐずり出し、裏切られ、おっかなくなって、私を襲わせないでと強く求めたけれど、どんどんおっかなくなって、あと分からない。ねずみのような顔をした者に取り囲まれた。」などと述べ、誘拐について、保崎ら共同鑑定の問診では、覚えていないなどと述べていたのが、一緒のドライブやピクニックであって誘拐ではないと積極的に否定するようになり、他方、被害者らの殺害を暗に「ネズミ人間」の仕業であるかのように述べるところは、保崎ら共同鑑定の問診における供述と同様である。

イ A及びDの遺体の陵辱とビデオ撮影やCの性器の写真撮影については、弁護人からの質問の場合と検察官からの質問の場合とでは供述内容が異なる。すなわち、弁護人からの質問に対しては、Aの遺体の陵辱につき、「肉物体」の観察と解剖行為であるなどとして、わいせつ行為であることを否定するための新たな理由付けをする一方で、ビデオ撮影につき、はしたない写真等がはやっているので撮影しておけば人が余り持たない宝を持つことができるとして、収集の意図を述べるとともに、おじいさんには「肉物体」をそのままささげることにした旨述べ、Cの性器の写真の撮影につき、(同女が)はやっているみっともない裸の写真のように座っていた旨述べて、収集の意図があったことをうかがわせる供述をするが、Dの遺体の陵辱とビデオ撮影については、珍しい「肉物体」を映像にできると思った旨収集の意図を述べるとともに、映像にすればおじいさんにずっとささげていられると思った旨述べる。これに対し、検察官からの質問に対しては、被害者らのビデオ撮影等につき、人にカメラを向けたのは覚えているが後は覚えていないとか、弁護人からの質問に対する答えは、おじいさんにささげるのに使うのでそういう趣旨で答えたなどと述べるのであって、一貫しない。

ウ Cの死体遺棄については、「肉物体」とのドライブであると述べ、このとき脱輪はしていないと明確に否定し、おじいさんの「春夫、ここへ置けよ。」という声が聞こえたので斜面に置いたとし、遺体を縛ったかどうかは覚えていない旨述べる。

エ Dの死体損壊等については、改造人間の改造手術になり切り、切断の場面を映像にした旨述べ、前記第一回公判期日の弁護人の意見と同旨の内容を強調する。また、御嶽神社に置いたがい骨がおじいさんのがい骨になった旨述べて、Dの遺体をおじいさんにすり替えて述べる時期に変化がみられるほか、これまであいまいであった、Aの遺体を見に行ったことや同女の骨を食べたことにつき、その状況を具体的に述べるに至っている。

オ A宅にはがきを出したこと、遺骨を届けたこと、犯行声明文及び告白文を郵送したことについては、弁護人からの質問に対しては、あったように思う旨述べながら、検察官からの質問に対しては、よく覚えていないなどと述べて、一貫しない。

カ E事件については、「パンツの見えるところが撮れるかも知れないと思って、写真を撮った後、一緒に散歩をした。探検気分とお散歩気分。川原を散歩していたら、少し大きな岩があって、はしたない裸の写真を扱った本がはやっているのを思い出し、サマージャンパーに着替えているところを撮って、はやっている写真を持とうと思い立った。シャッターが切れず、「着替えたら水でも蹴って遊んでいて」と言いながら、いろんな方向にカメラを向けていたところ、男の太いでかい怒鳴り声がして、夢中で逃げた。」などと述べ、誘拐の犯意やわいせつ目的を否定するものの、外形的な行為はごくおおまかではあるが認めているといえる。

以上のとおり、被告人の供述は、場当たり的な印象を与えるところがあるほか、空想的な物語性を帯びたり、積極的な否定やこれまでより具体的な説明が目立つようになっている。

⑤ 内沼、関根、中安鑑定の問診における被告人の供述について

右供述の骨子は、前記第一五回ないし第一九回公判期日における被告人の供述とおおよそ同様の経過、内容を述べるものであるが、これと異なる内容のものとして、特に次のような供述が注目される。

まず、被告人の分身の出現を述べるに至ったことであり、被害者と出会ったとき、「その子と同じ身長の自分の分身が現れて自分の前を歩いていき、車まで行って、その子も自動車に乗り込むが、車に乗ると分身が消える。」旨述べ、「肉物体」や「骨形態」の際にも分身が出現すると述べる。たとえば、Aの遺体の陵辱とビデオ撮影の際、「もう一人の自分が解剖行為のようなことをしていた。」、被害者の骨を食べることにつき、「骨を食べるという考えが出ると、新しい自分が出て、平然とやっている。そいつの食べている感覚がわずかに伝わってくる。」、Dの遺体を自室に運び込む際、分身が出現し、「運び込むという事柄をした。」、同女の遺体陵辱の際も、「(もう一人の自分が)たぶん触れている。みっともないところを撮ったかも知れない。」、「改造人間の改造手術」の際も分身が出現し、「もう一人の自分は冷静にやっていた。」等である。

次に、どこからか「肉物体」を映像にするなどといった考えが急に出てくるとか、考えが飛び込んでくるとか述べた後、「不思議な力を持つもの」の指示が出たと述べるに至っている。

また、殺害について、当初は、これまでと同様、「ネズミ人間」が出てあと分からないと述べていたが、その後、「(被害者が)「ネズミ人間」を裏切ったので、「ネズミ人間」にやられて倒された。ピンときた。」旨述べ、被害者らの殺害は「ネズミ人間」の仕業である旨明確に述べるに至っている。

そして、A宅へのはがきの郵送、Aの遺骨をA宅へ送ったこと、犯行声明文、告白文を郵送したことを明確に否定し、Dの胴体部を宮沢湖霊園に捨てたことも、はっきり記憶がないと述べたり、否定したりしている。

なお、E事件については、「ぐぁーおー」という声が急にして、これは見えない不思議な力を持ったものが急に出てきたんだなと思って逃げたとか、「ネズミ人間」は出ていないとか述べる。

以上のとおり、「自分の分身」や「不思議な力を持つものの指示」を持ち出したり、「ネズミ人間」が被害者を倒した旨述べるなど、自分がやったことではないということを具体的に主張する傾向が一層目立つようになっている。

⑥ 第三五回公判期日における被告人の供述について

右供述の要旨は、前記第二、二、2、(四)に記載したとおりであり、内沼、関根、中安鑑定の問診における供述とおおむね同内容を述べるが、Aらの遺体の陵辱については、「不思議な力を持ったもの」の命令が出て、「もう一人の自分」がやったということを強調している。また、E事件については、ばく然とあったように思うとしか言いようがないとか、突然はやっているものを集めろという命令が出て、それに従ったとか、リンチに遭わされたとか述べるのであって、あいまいになる。

⑦ まとめ

以上のとおり、被告人の公判段階における供述内容が著しく事実とかい離し、自己の刑事責任を否定しようとの方向に向け、合目的的に変化していっていることに加え、保崎ら共同鑑定の問診における被告人の不自然な供述態度等に照らすと、被告人の公判段階における供述内容は意図的な詐言ではないかとの疑いが生ずるが、その点は別論としても、少なくとも、保崎鑑定人が、「被告人の公判段階における供述は、問診の過程で徐々に合目的的に変化していったものであり、態度や供述内容の変化を見ている者としては、犯行当時の体験を語ったものとする見方は受け入れられない。」旨指摘するところ(保崎証言及び保崎意見書参照。)は、十分納得できる。

また、中安鑑定人も、中安鑑定の問診における被告人の供述だけからすると、誘拐には体外離脱体験もしくは自己像幻視、被害者と被告人の心性の同一視、被害者との心的融合感、体験の時間的断絶、既定-未定体験が、殺害には妄想知覚(被害妄想)、「ネズミ人間」の幻視、健忘と否認、着想妄想が、死体損壊・遺棄には、自生内言~考想吹入~心声未分化、対外離脱体験、感情反応の欠如が対応しているとしながら、これを客観証拠及び供述経緯等に基づき詳細に検討し、感情反応の欠如を除く右すべての症状が、犯行時には一切なかったもので、事後的に(どんなにさかのぼっても簡易鑑定終了後に)形成され、漸次付加されてきたものである旨指摘しているのである。

(4) 内沼・関根鑑定は、捜査段階では本件各犯行に関与した被告人の別人格が出現して供述をした旨指摘する。しかし、前記第二、三、2に記載したとおり、被告人は、公判廷において、捜査官から厳しい取調べを受けてやむなく捜査官の追及に合わせて供述したなどと取調べ状況や供述状況を具体的に述べているのであり、公判段階における被告人の供述は、捜査段階における取調べ状況の認識を前提とした上での供述と認められるから、捜査段階では公判段階における被告人とは別の人格が出現して供述をしていたとの同鑑定の指摘は採用できない。

(5) 以上のとおりであり、本件犯行等に関する被告人の公判段階における供述をそのまま犯行時の体験として理解している内沼・関根鑑定の基本的な立場は採用できない。したがって、右被告人の公判段階における供述内容は、拘禁後に生じたものとする保崎ら共同鑑定及び中安鑑定の立場が正当であり、以下においては、この立場から、被告人の本件各犯行時の精神状態を検討することにする。

(二) 本件一連の犯行における被告人の行動の了解可能性について

本件一連の犯行における被告人の行動は、極めて残酷かつ非情なものであって、その意味では異常なものであり、被告人の著しい情性欠如が基調にあるこるから。血が出るかと思った。ビデオは撮れていた。」(3・2・22)旨述べ、遺体の陵辱につき、流行に従っただけでわいせつ目的はなかったかのように述べながらも、Aの遺体のビデオ撮影をしたこと自体は、収集の意図をも含めて認めりしたい等のわいせつの意図に出た一連の誘拐殺人等事件であり、また、同女らに対するわいせつ行為の場面等を映像にして所持したいとの意図をも伴ったものであることが認められる。そして、判示「認定した事実」に明らかなとおり、被告人は、両手の障害を原因とする強い劣等感から自ら女性との交際を求めることは余りなかったが、女性に対する性的関心は強く、当初は雑誌の水着姿の女性の写真等を見ながらの自慰に始まり、次第に自らカメラやビデオカメラを用いて、テニスをする女性のパンティが見える姿や少女らのパンティが見える姿を撮影するようになり、民家の庭先で行水をしている幼女の性器等の写真撮影に成功すると、小さい女の子は恥じらいがないからその性器を見たり触ったりすることができるのではないかと思うようになり、ついに、本件一連の犯行に出るに至ったものであり、また、被告人にはビデオテープ等の収集癖があったところから、Aらの遺体の性器を陵辱した場面等をビデオカメラで撮影するなどしたものであって、保崎ら共同鑑定が指摘するように、両手の障害を原因とする強い劣等感から成人女性との交際をあきらめた被告人が性的興味を幼女に向け、収集癖と相まって本件犯行に及んだものとみることができ、被告人の本件各犯行は、犯行に至る経過、犯行の動機・目的等に照らし、十分に了解できるものというべきである。このことは、中安鑑定においても、主要な犯行のすべてが、「女性性器を観察したい」という性的欲求と、「自分だけが所有するビデオテープを持ちたい」という(収集癖)に基づく収集欲求を動因としたものであり、動因のごく一部をなした易怒性ないし攻撃性のこう進を除き、右各欲求は分裂病に関するものでも、また他のいかなる精神疾患に関連するものでもなく、それ自体は正常の心性に属するものであると指摘されており、簡易鑑定においても、被告人は、両手の障害から女性との通常の異性関係を断念し、代替として相手にしやすい幼児を自らの性的欲動を達成するために殺害していると思われる旨指摘されているところである。

なお、以上に述べたところからしても、被告人の性的欲求の存在に疑問を投げ掛け、被告人の別人格である、ペドフィリア的・ネクロフィリア的な倒錯的嗜癖を持った「今田勇子」の犯行への関与を想定する内沼・関根鑑定の見解は採用できない。

(2) 前記第二、五、1、(一)のとおり、本件各犯行の態様は、① 被告人が、わいせつ目的で幼女や少女らを探し求めて、同女らが遊びに出ている可能性の高い団地や小学校、公園の付近に行き、周囲に人目のない機会をとらえて各誘拐の犯行に及んだもので、計画的な面があり、② 誘拐に際しては、被告人が、周囲から見とがめられないように配慮しつつ、カメラマンを装うなどして幼女らに近付き、言葉巧みに話し掛けて同女らの警戒心を解き、同女らをあやしながら連れ去った冷静で巧妙な手口のものと認められる。そして、被告人は、Aを誘拐して殺害し、遺体を陵辱してその場面をビデオ撮影することができたことに味を占めると、B、Cを相次いで誘拐、殺害して犯行を反復し、他方では、本件一連の犯行に関するテレビ報道等をつぶさに注視して捜査情報等の入手に心掛ける一方、報道内容に触発されて、なぞ掛けを交えたり、物語を創作したりして犯行を遺族やさらには報道機関に告知して自己を顕示するとともに、自己の犯行であることが発覚しないように細心の注意を払いつつ捜査のかく乱を企図し、その後、ますます大胆となって、Dを誘拐して殺害すると、その遺体を自室に持ち込んで陵辱した上、遺体を切断して胴体部を埼玉県内の発見されやすい場所に捨てて、自己を顕示し、捜査のかく乱を図るとともに、頭部を発見されにくい山中に捨てて犯跡の隠ぺいを図ったものである。こうした本件各犯行の態様及び経過からすると、被告人に思考障害等の病的な面があるとは思われないし、本件一連の犯行の経過は、被告人が、まずAの誘拐殺害等に成功したことから、それに味を占めるとともに犯行に対する抵抗感を弱め、更に犯行を反復しつつますます抵抗感、罪悪感を失っていき、他方では犯行が発覚しないことに自信を深めると同時に自己の趣味であるパズル的な遊びの気持ちが頭をもたげてきて自己顕示の行動に出るようになり、大々的にマスコミに取り上げられ、社会を震かんさせたことに満足感を覚えつつ、一層大胆かつ非情で扇情的な行動に出るようになっていったものと解されるのであって、それなりに了解できるものであり、それ自体病的とは思われないのである。

(3) 弁護人は、被告人の異常な精神病理を表す事実として、① 四人の幼女を連続的に誘拐し、しかも殺害した遺体の性器をビデオカメラや写真機で撮影して保存したこと、② 被害者の頭がい骨を砕いた上で、他の遺骨と共にわざわざ焼いて遺族の元に送りつけたこと、③ 犯行声明文を送り、引き続いて、物語性のある告白文を遺族及びマスコミに送り付けたこと、④ 被害者の頭がい骨を水できれいに洗った上、頭がい骨と下顎骨を道端に別々に遺棄したことが挙げられると主張する。

しかし、①は、被告人は、A事件の成功に味を占め、犯行を反復し、次第に大胆になっていくとともに、犯行に対する抵抗感、罪悪感を失っていったものと思われるのであり、本件一連の犯行が被告人の性的関心と収集癖に基づくものであることに照らせば、了解可能である。②及び③は、被告人は、当時、既にA、B、Cの誘拐、殺害に成功して罪悪感は極めて希薄となっており、かつ、本件一連の犯行に関する報道を注視して、犯行発覚の恐れがないものと自信を深め、大胆になっていたものと思われる上、被告人が右報道の内容に触発されてしたものであること、捜査かく乱の意図も交えられていること、保崎ら共同鑑定にも指摘されているとおり被告人の性格傾向は自己顕示性や空想性が目立つこと、被告人がパズル等を趣味としていたことにも照らせば、了解可能である。④は、被告人が遺体の頭髪等から身元が発覚することをおそれて犯跡隠ぺいの意図に出た行為であり、遺棄した場所も特に発見されやすい場所とは認められず、了解可能である。したがって、弁護人の右主張は、いずれも採用できない。

(4) 弁護人は、被告人の自白調書を前提にすると、A事件において、被告人の異常な精神病理を表すものとして、① 大小の石が存在し、木の根が至る所に張り出している幅員の狭く険しい山道をサンダル履きの幼女を連れて歩いたこと、② 生き返らないために衣類を脱がせ、その衣類等を投げ捨てて現場を立ち去ったこと、③ 死体にシーツを掛け、その後もそのまま死体を現場に放置し続けたこと、④ 二七歳の青年が死体となった女児の性器をドライバーでもてあそび、その行為の様子を自らビデオカメラで撮影したこと、⑤ 被害者の半ズボン、パンツ、サンダルを物置の木箱の中に隠していたこと、⑥ 死体のビデオテープを飾り、呪文を唱えて祖父復活のための儀式をしたこと、⑦ 殺害現場に残された死体を何回も見に行ったこと、⑧ 「魔が居るわ」という第三者には意味不明のはがきを遺族に送ったこと、⑨ 頭がい骨を砕き、他の遺骨と共に自宅前の畑で焼いたことが挙げられると主張する。

しかし、④及び⑧は、前述のとおりいずれも了解可能であるし(特に⑧は、被告人のパズル好きと自己顕示的、空想的な性格傾向が如実に現れているものといえる。)、その他弁護人が右に指摘するところは、いずれも被告人の異常な精神病理を表すものとは言い難い。一見特異と思われる⑥についても、被告人は以前から悪魔等の神秘的、空想的な話に関心を持っていたものであり、捜査官に対し、祖父が遺産をどのように分けようと考えていたかを知りたいと思い、子供のころに読んだ本に悪魔に頼みごとをするときいけにえの代りに死体の写真を飾ってもよいと書いてあったことにヒントを得て、Aの遺体のビデオテープを飾って呪文を唱えたりした旨述べるのであって、それなりに了解できるものである。前述のとおり、保崎証言によれば、「被告人がビデオテープをおじいさんに供えたとの供述について聞いたところ、被告人は、「おじいさんの遺産分けの趣旨を聞いただけで、聞けなかった。」と言って笑ったので、「どうして」と言ったら、被告人は、「出るはずがない。」という言葉であった。それで、被告人に、「なぜそんなにしつこく聞きたいんだ。」と言ったところ、被告人は、「おじいさんがいたらみんなに分ける分を言っているはずだ。」と答えた。」というのであって、保崎鑑定人の問診における被告人に応答内容に照らしても、⑥が、被告人の異常な精神病理を表すものということはできない。

なお、②の被告人がAの衣服を脱がした行為は、実際には、被告人がAを殺害直後にその遺体に性的ないたずらをしようとの意図に出たものであるのにそれを隠した供述ではないかと思われるのであり、⑦は、被告人の捜査官に対する最終的な供述によれば、Aの遺体をビデオ撮影した後は一度見に行っただけであるというのであるが、いずれにしても殊更に異常な行為とはいえない。したがって、弁護人の右主張は、いずれも採用できない。

(5) 弁護人は、被告人の自白調書を前提にすると、B事件について、被告人の異常な精神病理を表すものとして、① Aの遺体が放置されていた場所の近くを通って殺害現場に行ったこと、② 殺害後に足が動いたというだけで、衣類等を投げ捨てながら逃げ帰ったこと、③ 翌日に現場に行くが遺体が見当たらないことから、生き返ったと思ってそのままにしたことが挙げられると主張する。

しかし、①は、被告人は、Aの死体のある場所を避けて進んだというのであって、殊更に異常な行動とはいえないし、②も、不自然な行動と思われない。③は、なるほど、被告人の員面(8・21)には、「Bちゃんを殺してから後日、死体を見に行ったところ、死体がなくなったと思い、生き返ったのかと不思議に思い、それ以降はビニールひも等で縛り生き返らないようにしたのです。」旨の供述が録取されているが、その後の被告人の員面(10・2)では、平成元年一月中旬ころ、Aの遺体を拾いに行くまでBの殺害現場には行かなかった旨供述が訂正されており、果たして被告人がB殺害後、Aの遺骨を拾いに行くまでの間に、B殺害現場に行ったことがあるのかどうか疑問であるし、かりに、被告人が、Bの遺体にわいせつ行為をした際に遺体の両足がけいれんした体験があったため、同女の殺害現場に行って死体が見当たらなかったときに同女が生き返ったのかと不思議に思ったことがあったとしても、それまでの間に、本件犯行に関する報道を注視して同女が行方不明のままであることを知っていたはずの被告人が、Bが真実生き返ったものと心配したとは思われず、そのままにしたからといって殊更に不自然な行動であるとはいえない。したがって、弁護人の右主張は、いずれも採用できない。

(6) 弁護人は、被告人の自白調書を前提にすれば、C事件において、被告人の精神病理を表すものとして、① 夜間で周囲から目立つのに、車内を明るくして被害者の裸の写真を撮ったこと、② 長時間首を絞め、脱ふんまでした状態なのに、生き返らないためと考え、手足を縛ったこと、③ 被害者の衣服等を極めて無造作に殺害現場付近にバラバラに投げ捨てたこと、④ 脱輪したというだけでトランクに入れていた遺体を急な斜面に放置したこと、⑤ 遺族の元に言葉を羅列した意味不明のはがきを送ったことが挙げられると主張する。

しかし、①は、犯行現場は埼玉県入間群名栗村の山中にある駐車場で、被告人は他に駐車車両のない同駐車場の奥に車を止めたというのであること、被告人の車両の後部座席の左右窓ガラス及び後部窓ガラスには目隠しのためのフィルムが張ってあること、同駐車場に接する道路は車の往来もほとんどないことからすれば、不自然な行動とはいえない。②は、被告人はBを殺害し、その遺体にわいせつ行為をした際、遺体の両足がけいれんして驚いた体験があったことから、Cの遺体を車のトランクに入れて運搬中に息を吹き返すことを心配して念のため手足を縛ったものと思われ、不自然とまではいえない。

また、③も、被告人は、殺害現場である駐車場は、周囲が林で自然公園のようになっており、普通は人が入っていかないだろうと考え、また、死体を別の場所に捨てることにすればよいと考えて、Cの衣服等を駐車場の外に投げ捨てたというのであり、不自然な行動とまではいえない。④は、被告人は、死体をトランクに入れて運搬中に脱輪して走行不能となり、あわてて死体を捨てようと道路わきの山林に入ったが、急斜面で奥まで行けなかったためその場に死体を遺棄したというのであり、不自然な行動と思われない。⑤は、犯行時、Cが風邪を引いてせきをしていたという犯人及び遺族以外に知り得ない事実を交えた内容のはがきであり、パズル好きで自己顕示性の強い被告人の性格傾向が如実に現れたものといえる。したがって、弁護人の右主張は、いずれも採用できない。

(7) 弁護人は、被告人の自白調書を前提にすれば、D事件において、被告人の精神病理を表すものとして、① 遺体を家族と共に暮らしている自宅の自室で切断したこと、② 胴体のみを宮沢湖霊園に無造作に遺棄したこと、③ 切断した頭部、手足を自宅近くの山中に無造作に投げ捨てたこと、④ 拾ってきた頭がい骨を昼間の仕事場で洗っていること、⑤ 性器をホルマリンで保存したいと思ったことが挙げられると主張する。

しかし、①は、日常、家族が被告人に自室に入ることがほとんどない生活状況の下での行動であることに照らすと、異常な精神病理を表す行動とまではいえない。②及び③は、捜査かく乱と犯跡隠ぺいの意図に出たものであり(②は自己顕示の現れでもある。)、被告人の員面(8・26)によれば、「(問)胴体と別々に棄てた理由は。(答)胴体だけが発見されれば世間に対して大きなインパクトが与えられるし、何度も話しているように埼玉の事件と同一犯人と思わせたかったのです。(問)五日市それも君の自宅の近くの林じゃ見付かったとき大変だと思わなかった。(答)途中でそれに気付いたから頭だけ棄て直してますよ。頭が見付かれば警察が動くし、身元が判明したらそれこそ私が思っていたことと反対のことになりますから。胴体を棄てたことで安心し、そこまで深く考えることができなかったから、私の自宅近くに棄ててしまったんです。」と説明しているのであって、了解できるものである。

また、④は、工場に他の者が誰もおらず、工場長のSや父Kの車もなく両名が不在である時間帯を見計らって作業をしているのであり、母Lらが工場に来る危険が全くないではないとはいえ、不自然な行動とまではいえない。⑤は、なるほど、被告人の員面(9・5)には、被告人が熊川駅近くの民家の庭先で撮影した行水をしている幼女らの写真を示された上での供述として、「成人の女性性器を見たくても当時も今も見ることは私自身不可能と思ってます。大人は見せてくれと言ってお願いしてもそう簡単には見せてくれませんし、そのように声を掛けることなんかとんでもないことです。ですから、写真に撮って後で自分一人で楽しむという方法しかなかったわけです。写真に撮っておけば後でいくらでも楽しむことができるからです。陰部の写っていない裸の写真では満足できなくなっていたころだったと思います。私だけじゃないと思うのですが、究極、女性の性器を見たいとか触ってみたいというのが目的じゃないのかと思います。当時じゃなくて今現在の私の気持ちとしては、女性性器をホルマリンにでもつけておいて、一日でも又好きな時に自由に眺めることができたらいいなと思ってます。」旨の供述が録取されているが、右は、被告人が、女性性器を自由に見たいとの気持ちを願望的な言葉で表現したものと解され、異様ではあるが、被告人の性的関心と収集癖に照らせば、それなりに了解できるものである。

(8) 弁護人は、被告人の自白調書の内容以外に、被告人の精神病理を表すものとして、① 火葬場や墓から持ち出した祖父の遺骨を食べたこと、② A及びDの死体を添い寝をしていること、③ 殺害現場に残されていた被害者の骨を焼いてかじっていること、④ 死体切断の場面を自らビデオで撮影していること、⑤ 切断した遺体の手指を食べ、血を飲んでいること、⑥ 反省悔悟の情や罪責感が全く存在していないことが挙げられると主張する。

右のうち、①は、D事件の起訴後、捜査段階で被告人が述べていた内容であるが、②ないし⑤は、公判段階で被告人が述べるに至った内容である。

まず、①についてみると、そうした事実があったかどうかは判然としないが、かりに事実としてあったとしても、保崎証言によれば、「具体的な状況についての被告人の説明がはっきりしないが、亡くなった人と一体感を持ちたいなどということで骨を食べるということはときたまある。祖父のお骨を食べるということはあってもいいし、特にどうということはない印象である。」、「焼いたお骨を食べるということは年とった人にはよくあることで、奇妙だからといって精神障害とは別である。」というのであり、被告人の精神病理を表すものとはいえない。

次に、⑤は、これについての被告人の公判廷における供述が信用できないことは、既に検討したとおりである。③は、⑤と類似の内容のもので、かつ、被告人は、その理由につき、⑤と同様、「焼いて食べ、心と体に残したい。」、「おじいさんに送ってよみがえらせたい。」という被告人の気持ちと関連付けて述べていることからすると、⑤と一体をなす被告人の主張として、公判段階において初めて述べられるに至ったものということができ、⑤についての被告人の公判廷における供述が信用できないのと同様に、③についての被告人の公判廷における供述も信用できないものである。被告人は、公判廷において、「(Aの)遺骨を三本くらい、沢戸橋近くの川原で、木の葉、ごみ、草などと一緒に焼き、焼いた遺骨三本くらいをかじった。かじった後の骨は元の場所近くに置いた。」旨述べるところ、なるほど、関係各証拠によれば、Aの殺害現場から発見押収された骨のうち、左肩甲骨、左上腕骨遠位端部、右腓骨の各一部にそれぞれ焼焦部が認められるが、そのうち左上腕骨遠位端部の焼焦部、右腓骨の焼けていない部位にそれぞれ人ではない肉食動物と思われる動物の咬痕が認められるものの、これらの骨には人のかじった痕跡は認められないのであって、この点からしても、③についての被告人の公判廷における供述は信用できない(なお、保崎証言によれば、「血を飲むとか肉を食べるということは、狭義の精神病者がそういうことをするというのは余りなく、むしろ、味わってみたいとか、たまたま食べてしまったとかいうことであれば、性格的な問題が中心になった場合にそういう行為が現れる。このことだけで、診断が変わるということはない。しかし、被告人は、ささげることや食べることに問題があると言うので、確認のしようがない。」というのである。)。

また、②は、犯情にほとんど影響のない内容のものであって、被告人において隠す必要がなく、そうした事実があったならば、被告人が捜査段階で犯行状況や犯行経過を詳細に述べる過程で当然述べてよいと考えられるのであり、公判段階に至って初めて述べられた②についての被告人の供述は信用できない。④は、犯情に影響のある内容であって、その点からすれば、被告人が捜査段階でこのことを隠して述べなかったということもあり得ないではない。しかし、被告人は、公判廷で、Dの遺体を切断した場面を撮影したビデオテープを平成元年六月中旬ころに消した旨述べるものの(保崎ら共同鑑定の問診では誤って消したと述べる。)、被告人にとって極めて重要なものであるはずのビデオテープをなぜ誤って消したのかその経緯が明確ではないこと、切断の場面をビデオ撮影するときは、AやDの遺体陵辱の場面をビデオ撮影したときと同様に被告人の顔や身体等が写らないように工夫することになると思われるが、そのような工夫をしつつDの遺体を切断することは容易ではないと思われるのであり、そうした工夫をしてまで同女の遺体の切断の場面をビデオカメラで撮影するだけの余裕が被告人にあったとは思われ難いこと、同女の遺体の切断の目的は自己顕示、捜査かく乱と犯跡隠ぺいにあったと認められることからすると、果たして④のような事実があったかどうかには疑問がある。また、仮にそのような事実があったとしても、被告人の収集癖に照らせば、了解は可能である。

ところで、⑥については、被告人がA宅に郵送した告白文に一五年は捕まりたくないと書いていること(死刑に当たる罪の公訴時効が一五年であることを認識した上での記述と思われる。)、被告人の捜査段階における供述態度・内容や公判段階における供述態度・内容等からすると、被告人には自己の犯行の刑事責任が極めて重いとの認識はあると思われるが、本件一連の冷酷かつ非情な犯行態様及び犯行経過、取調べの際に見せた被告人の態度並びに公判段階における被告人の態度等に照らせば、被告人の情性欠如の傾向は著しく、反省悔悟の情は全くなかったとまではいえないかも知れないが、少なくとも極めて乏しいものであることは、弁護人指摘のとおりであると思われる。しかし、被告人は、もともとあった情性欠如の傾向を土台として、本件各犯行を反復していくとともにますます罪悪感を失い、更に非情になっていったものと思われることにも照らせば、弁護人が指摘するところは、直ちに被告人の異常な精神病理を表すものとまではいえない。したがって、弁護人の右主張は、いずれも採用できない。

(9) 以上のとおり、本件一連の犯行における被告人の行動は、極めて冷酷かつ非情なものであって、その意味では異常なものであるが、それなりに了解可能なものであり、被告人は、E事件で現行犯人として逮捕されるまでの間、自己が犯人であることに直接結びつくような証拠を残すことなく、四回もの誘拐・殺人等の犯行を反復するとともに、大胆にもAらの遺族に犯行を告知する行為を繰り返し、かつ、この間、家族等周囲の者らにも、自己の犯行に気付かれることがなく、捜査の網をかいくぐって立ち回ってきたものであって、結局、そこには、被告人が本件各犯行当時病的な精神状態にあったことをうかがわせるような事情は見受けられないのである。

(三) 本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等について

(1) 本件各犯行当時ころに至るまでの被告人の生活状況等は前記第二、二、1ないし4記載のとおりであり、被告人は地元の小、中学校を卒業後、××大学付属△△高等学校、※※大学短期大学部画像技術科を経て、乙野印刷で約三年間働き、昭和六一年二月に同社を退社すると、その後、家業である新五日市社で働くようになったものであって、その間、非社交性、他者との協調性の欠如、自己中心的な態度、学業意欲の低下や仕事の熱意不足等は見られたものの、日常の生活等において、周囲の者に被告人の病的異常を疑わせるような破錠があったとは認められない。学業意欲の低下や仕事の熱意不足についても、少なくとも、高校受験勉強の反動や通学に長時間を要して疲労したこと、パズルやビデオテープの収集等趣味に関心が振り向けられたこと、乙野印刷では昼夜交代勤務で疲労したことが原因となっているであろうことは否定できず、それ自体直ちに被告人の病的異常を疑わせるものとはいえない。

(2) 本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等も前記第二、二、1ないし4記載のとおりであり、被告人は、テレビ番組のビデオ録画やビデオサークルクラブ等を通じてのビデオテープの収集等に熱中し、そのため仕事に対する熱意に乏しかったが、新五日市社で印刷した新聞の折り込み広告を新聞販売店に配達するなど与えられた仕事にはそれなりに従事しており、また、乙野印刷を退職して時間に余裕ができ、交友範囲は狭いものの、友人との交際を復活させて、一緒にドライブをしたり、被告人自らが編集した「アイドルスターCM集602」と題するパンフレットを友人に手伝わせてコミックマーケットで販売したりしていたもので、他者との協調性の欠如、自己中心的な態度や仕事の熱意不足等はこれまでと同様見られたものの、日常の生活等において、周囲の者に被告人の病的異常を疑わせるような破錠があったとは認められない。このころ、新五日市社の従業員や家族、親せきらに対する暴言、暴行等が目立ち、それらは、被告人の自己中心的な態度や易怒性等を示すものといえるが、自分のわがままをぶつけられる相手や自分より弱い立場の相手に向けられたもので、個々にそれなりの原因・理由があって、了解ができるものであり、また、飼い犬や猫等に対する残虐な行為もあったが、被告人には幼少時のころにも乱暴な行動や動物の虐待等類似の行為が認められ、いずれも本件各犯行当時初めて出現したものではなく、直ちに被告人の病的異常を疑わせるものとはいえない。

(3) 弁護人は、昭和六三年五月一一日に被告人の祖父が倒れた前後に、被告人の異常な精神病理を推測させる行動として、① 乙野印刷に行っているころ、身なりも構わなくなり、水道の水も直接蛇口から飲むようになったこと、② 昭和六二年八月、妹Mに対し、風呂場で殴り、更に部屋まで追い掛けてきて殴るという暴行を加えたこと、③ 昭和六三年五月一三日、妹Nの髪の毛を引っ張るなどの暴行を加えたこと、④ 同月一六日、祖父の枕元でペスの鳴き声を録音したテープを聞かせたこと、⑤ 同月二二日、集まった親せきに対して暴言を吐いたこと、⑥ 同年一一月八日、親せきの者に対して暴言を吐いたこと、⑦同年一二月一八日、父親に暴行を加えたこと、⑧ 平成元年二月、母親にも暴行を加えたこと、⑨ 猫や犬を殺したこと、⑩ 鳥を焼いて食べようとしたこと、⑪ 道路の真ん中にガス欠した車を放置したこと、⑫ 対向車や工事現場に向かって大声を出して事故が起こることを願ったこと、⑬ 夜中に家の中を大きな音を立てて歩いたこと、⑭ 一年間に四〇〇〇本のビデオテープが貯められたことが挙げられると主張する。

そこで、まず、①、⑬についてみると、なるほど、父Kは、「被告人が乙野印刷に勤めて半年もたたないうちに、身なりがだらしなくなり、頭をぼさぼさにして、足のにおいのする靴を履いていた。」旨述べ(〈証拠略〉。)、母Lは、「被告人は、乙野印刷を辞めた後、コップで水を飲まないで、蛇口の下に口を持っていって水を飲んでいた。祖父が亡くなったころから、夜トイレに行くのにドタンドタンと力を入れて歩いた。」旨述べ、(〈証拠略〉。)、友人のPは、「昭和六一年に、三年ぶりに再会した時の被告人の印象は、大学時代と比べて何か近寄り難い雰囲気を持っており、大学時代はきれいに分けていた髪もぼさぼさにしていて目付きも少し変わっていた。歯もほとんど虫歯になっていて顔もむくんだように丸くなっていた。」旨述べる(〈証拠略〉。)。しかし、被告人が乙野印刷に就職後、大学時代に比較して身なりや髪に注意を払わなくなったようなことはあったとしても、その程度は、被告人の病的な異常を疑わせるほどのものとは思われない。すなわち、乙野印刷の上司、新五日市社の従業員、隣人、被告人が当時交際していた他の友人らからは、被告人の身なり、容ぼう等につき殊更に特異な供述は得られておらず、本件一連の犯行の間に、被告人が少女らに言葉巧みに近付いて同女らのパンティが見える姿を写真撮影する等していた際にも、少女らが被告人の風体を怪しんだような様子はうかがわれないのである。また、母Lが右に述べるところは、それ自体、特に異常な行動とも思われない。

次に、前記第二、二、3、(三)に記載したとおり、②は、被告人が妹Mから風呂をのぞいたと言われたこと、③は、被告人が妹Nから車の運転が下手だなどと言われたこと、⑤は、自宅で父Kを中心にして父方叔父叔母らが祖父の形見分けをしていた際、母Lが形見分けから除外されているなどと被告人に愚痴をこぼしたこと、⑦は、父Kが、集金して置き忘れた金の所在を被告人の言に従ってすぐに確かめなかったこと(被告人は、父Kから、集金した金をとったと疑われたものと思い、立腹したのではないかと思われる。)、⑧は、母Lから、知恵遅れと言われると困るなどと言われたことにそれぞれ原因するものであり、また、⑥は、⑤以来、被告人が親せきに敵意を抱いていたことに原因するものと思われ、被告人の自己中心的で攻撃的な態度を示すものではあるが、異常な精神病理を推測させる行動とまでは思われない。

また、④は、祖父が入院先の病院で息を引き取り、家族らが祖父の身体をふくなどした後、帰宅しようとした際、被告人が携帯していたバッグからテープレコーダーを取り出して、録音した飼い犬のペスの鳴き声を聞かせたというものであり(〈証拠略〉)、やや特異ではあるが、被告人の祖父をしのぶ気持ちから出た行動として、了解可能である。

⑨、⑩については、既に述べたとおりであり、⑪は、被告人の自己中心的で無責任な態度を示すものとはいえるが、異常な行動とまではいえず、⑫は、果たしてそのような事実があったかどうか疑問であるし、⑭は、量的には過大といえるが、収集癖として通常のものと理解していいといえる(中安証言参照。)。

そして、弁護人が主張するような各事実を集積させてみても、被告人の病的な異常を疑わせるほどのものとはいえず、したがって、弁護人の右主張はいずれも採用できない。

(4) 以上のとおり、本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等からは、被告人の、他者との協調性の欠如、自己中心的な態度、易怒性等を認めることができるが、それ以上に、被告人が病的な精神状態にあったことをうかがわせるような事情は見受けられないのである。

(四) 被告人の犯行当時及び現在における精神状態について

これまで検討してきたとおり、本件一連の犯行における被告人の行動、本件各犯行当時ころに至るまでの間及び本件各犯行当時ころの被告人の生活状況等からは、本件各犯行当時被告人が病的な精神状態にあったことはうかがわれないのであるが、そのことだけから、本件各犯行当時の被告人の精神状態を断ずることができないこともまた当然である。被告人は、公判段階に至って本件各犯行等につき事実と著しくかい離した不自然かつ不合理な供述をするほか、幻覚様のさまざまな症状を訴えているのであるから、本件一連の犯行における被告人の行動等これまで検討してきたところを踏まえつつ、被告人の現在症についても検討を加え、総合的に判断する必要がある。

すなわち、保崎鑑定人は、「被告人の現在のような状態の場合、被告人の訴える異常な体験を中心にして問題にする場合と、事件そのものが非常に残酷で冷情的であるということから出てくる場合と、いろいろあると思われるが、鑑別するところは、人格障害か分裂病かということであり、そのもととなるのが、分裂病者の極端に冷情的な犯行という見方と、冷情的な人格障害者の犯行という見方であって、これが一番対立するところである。あともう一つは、その内容的に、妙なことを言ってるから病気であるかどうかという観点もある。病的な状態から人格異常の状態まで、いろいろ考えた上、拘禁反応を思わせる要素というのが非常に強く、しかも、それが重大なところに出ているから、拘禁反応と考えざるを得ないと判断した。ただし、もともとある魔術的思考や手を気にしての周囲に対する過敏な反応とかは前からのことであり、全部が拘禁反応だというわけではない。」と述べ(保崎証言参照。)、これに対し、中安鑑定人は、「精神分裂病の発病時期を特定化するのはなかなか難しく、高校時代、殊に高校三年あたりから乙野印刷退職という結構長い範囲内と判断する。」、「この時点だけだと、分裂病をどういうふうに定義するかということにかなりかかわってくると思うが、現在、精神医学の領域では診断基準が提示されており、アメリカのほうではDSM-4、WHOではICD-10がある。その国際診断基準に基づいてこの時点だけを取り上げれば、精神分裂病という診断は与えられないと思う。ただし、重要なのは、前鑑定終了後、本鑑定までの間に明らかな陽性症状が出て、感情鈍麻もますます顕著になって、現在の状態は国際診断基準に照らして分裂病といえる状態で、そうなると、それがいつの時点から始まったのか、さかのぼっていくならば、高校時代のこの変化を分裂病の発病と見るべきだということである。前鑑定あるいは簡易鑑定で、分裂病が強く疑われながらも、結論として採用されなかったのは、今回の鑑定時には認められた分裂病症状の増悪がその時点ではまだなかった、国際的な診断基準に照らし合わせれば、分裂病と診断できる状態ではなかったことが非常に大きな要因であろうと思う。今回の鑑定で、我々により長い経過が見えたからこそ、そう診断できるのであって、前鑑定ではいささかやむを得ないと私は判断している。」旨述べる(中安証言参照。)のであり、本件各犯行当時被告人が精神分裂病(破瓜型)にり患していたとする中安鑑定の当否も、つきつめれば、被告人の現在症状から精神分裂病を認めることができるかどうかに帰着するともいえるのである。

そこで、以下、被告人の公判段階における供述が拘禁後に生じてきたものであるとの正当な理解に立つ保崎ら共同鑑定と中安鑑定を中心に、順次、検討を加えることにする。

(1) 保崎ら共同鑑定について

保崎ら共同鑑定の結果は、要するに、被告人の本件各犯行は、冷情的な人格障害者の犯行であるとするものであり、同鑑定当時の被告人の現在症は、主として拘禁反応によるもので、精神分裂病は否定されるというのである。すなわち、保崎ら共同鑑定は、まず、被告人の家族歴、生育歴、行動傾向、性格傾向、知的な面、本件各犯行の動機、犯行についての記憶等について検討を加え、被告人につき人格障害者である可能性を示唆しつつ、同鑑定当時の被告人の現在症に拘禁の影響を考慮する一方で、精神分裂病を疑わせる要素もあるとして、その疑いにつき拘禁反応と対比しつつ検討し、結局精神分裂病の疑いを否定して、同鑑定の結果を導いているのであり、同鑑定がその理由とするところは、以下のとおり、疑問とすべき点はなく、その結果も十分納得できるものといえる。

① 被告人の家族歴、生育歴、行動傾向等について

保崎ら共同鑑定は、被告人の家族歴として、父方祖母の兄の妹が、「自閉性精神遅滞」の病名で養護学校に通っている以外に狭義の精神病者等は知られていないことを指摘するほか、被告人の生育歴や行動傾向等として、被告人に両手の先天的障害があったが治療されないまま経過したこと、被告人の生育環境が精神的に必ずしも恵まれたものではなかったこと、被告人がビデオやパズルに熱中して学業意欲や仕事に対する意欲の低下を招いたこと、ビデオテープ等の収集癖があること、小学生のころまで及び乙野印刷退職後に乱暴な行為や動物に対する残酷な行為が目立ったこと、家人も本件一連の犯行の前後での被告人の変化に気付いていないことなどを指摘する。

同鑑定が、被告人の家族歴として右に指摘するところは、関係証拠に照らし正当と認められ、また、被告人の生育歴や行動傾向等について右に指摘するところも、被告人の乱暴な行為や動物に対する残酷な行為の細部の相違点を除き、既に検討したところに照らし正当と思われる。

② 被告人の性格傾向と人格障害について

保崎ら共同鑑定は、被告人の性格傾向として、内向的、非社交的で、一人での行動を好み、考えていることを周りに打ち明けることがなかったこと、犯行前の被告人は、目上の者にははっきりした意思表示をしないが、家族や友人には、自己中心的でわがままな行動が目立ったようであり、言い出したら聞かないようであったこと、動物などに対する残酷な行動が目立ったこと、被告人が、手の運動制限を気にして、擦れ違う人が自分のことを言っているのではないかと思うことがしばしばであった旨述べていることなどを挙げている。

そして、同鑑定は、被告人のこれらの性格傾向は、クレッチマーによる気質類型に従えば、極端な分裂気質あるいは分裂病質に属すると思われるとし、分裂気質の特徴として、[1] 非社交的、静か、内気、生真面目、変わり者、[2] 臆病、はにかみ、敏感、感じやすい、神経質、興奮しやすい、自然な書物に親しむ、[3] 従順、おひとよし、温和、無関心、鈍感、愚鈍を挙げ、[1]は、分裂気質の一般的な特徴で、周囲の人との接触がうまくいかず、冷ややか、頑固・形式主義というような印象を与え、[2]は、精神の過敏さを示し、優雅で貴族的な繊細さを持ち、現実を超えた夢幻的、神秘的なものに憧れるという特徴から、ときに激しく興奮する傾向のあるところまでを示し、[3]は、鈍感さを示したもので、不決断、服装に対する無頓着、情緒の表出が乏しいことなどが含まれるとした上、[2]と[3]の特徴は、互いに相反するものであるが、両者が混ざり合い、それをともに持っているところに分裂気質の特徴があり、被告人の性格傾向の特徴をかなり示していると思われるとする。

さらに、同鑑定は、本件各犯行が情性欠如の犯行であることを踏まえて(前述のとおり、保崎証言によれば、本件においては、分裂病者の極端に冷情的な犯行という見方と、冷情的な人格障害者の犯行という見方が一番対立するところであるというのである。)、分裂病質型人格障害の国際診断基準等に言及し、被告人が人格障害者である可能性を示唆する。すなわち、ICD-10(国際疾病分類第10版。臨床的記述と診断ガイドライン一九八八年)では、分裂病質性人格障害の特徴として、「[1] 楽しみを体験する能力の欠如、[2] 情動の冷たさ。無関心な態度、あるいは平板化した感情表出性と、他者への暖かいやさしい情緒、怒りを表現する能力の欠如、[3] 称賛や批判に対する乏しい反応、[4] 他者との性的関係を持つことにほとんど興味を示さないこと(年齢を考慮すること、)、[5] 空想、一人だけでする活動、内省だけを過剰に好むこと、[6] 親密で信頼できる対人関係の欠如、[7] 社会的慣習を見分け、それに従うことに著しい困難があり、その結果、常軌を逸した行動が見られること」が挙げられていると指摘し、また、DSM-[3]-R(精神障害の診断・統計マニュアル修正第三版)では、「分裂病質型人格障害の特徴は、全般的に、対人関係への無関心と、情緒体験と表出の範囲が限定されるもので、成人早期に始まり、種々の状況で明らかになり、以下のうちの四項目によって示される。すなわち、[1] 家族の一員であることを含めて、親密な関係を持とうとし、それを楽しんだりする気持ちがない、[2] ほとんどいつも孤立した行動を選択する、[3] 怒りや喜びなどの強い感情を体験したと主張したり、そうみえたりすることはめったにない、[4] 他人との性体験を持とうとする欲求をほとんど示さない(年齢を考慮して)、[5] 他者の称賛や批判に対して無関心である、[6] 親兄弟以外には、親しい友人や信頼できる友人が全くいない(又は一人だけ)、[7] 狭く限られた感情を示す。たとえば、冷淡で、よそよそしく、ほほえんだり、うなずいたりなど、顔の表情や身振りを返すことがめったにない。」とされていることを指摘する。なお、同鑑定は、被告人の人格障害の背景に脳器質障害が存在しているかどうかにつき、これを否定し、神経学的検索、脳波検査、頭部CT検査、頭部MRI検査、染色体検査などいずれも異常を認めないとする。

被告人の性格傾向についての保崎ら共同鑑定の右見解は、被告人の生育歴や対人関係等について既に検討したところにも合致しており、疑問とすべき点があるとは思われない。また、同鑑定が、被告人につき分裂病質型人格障害者の可能性を示唆するところも、同鑑定が言及する右国際診断基準等に照らし、疑問とすべき点があるとは思われない。

③ 被告人の知的な面について

保崎ら共同鑑定は、被告人の知的な面につき、心理検査では知能低下の所見がみられているが、少なくとも犯行当時は、被告人の供述や犯行の態様、最後に逮捕されるまで被告人の犯行が露見していないことや、被害者宅に出した手紙の内容などから、知的に問題があったとは考えられないこと、また、鑑定時には無表情で簡単な質問にも答えず、一見するとぼーっとしているかのごとき状態でありながら、状況はかなりは握しており、鑑定人に反論したり、被告人の主張したいことをきちんと述べるなど、精神内界はかなり活発であること、拘置所内の動静によると、読書や書き物をしているということであることを指摘し、知的には問題ないものと考えるとする。

まず、本件一連の犯行における被告人の行動からすると、犯行当時被告人に知的に問題があったとは到底考えられず、これと同旨の同鑑定の見解は正当と思われる。

次に、同鑑定は、診察所見として、被告人が、一見了解が悪く、知的に低下しているか、注意の集中が悪いように見えたが、反面、皆川鑑定人とのやりとりの後で、同鑑定人に反発する手紙を書いたり、面接の際に、言葉尻をとらえて反論したり、被告人自身及び家族関係の病気については詳しく説明し、両親が実の親ではないとか、「ネズミ人間」の出現とか、祖父の遺骨を食べたとか、被害者の血を飲み指を食べたとかいったことははっきり主張したりしたことなどの状況から、被告人の精神内界はかなり活発と思われること、平成四年三月九日の保崎鑑定人の面接において被告人自身が同鑑定人に書いて示したメモの内容(保崎ら鑑定書添付の面接記録参照。)を見ても、被告人の状況をかなりは握していることがうかがわれること、被告人は、複数の鑑定人に対し、誰が誰だか分からないと言いながら、皆川鑑定人に反発する手紙を書いたり、仲村鑑定人の名前を口にしたり、平成四年二月ころになって面接も終わりに近付き、面接回数が増えたところ、面接がわずらわしいから一人か二人にしてくれと要求し、一部鑑定人の面接を拒否するなど、鑑定人についてもかなり判断していたようであること、被告人の話し方は、断片的で、独特の表現を使い、独特な言葉のこだわりを示したが、言葉にひっかかるとしても、そのほとんどが、殺意、犯行の態様、善悪の判断などの重要な点に関する問題を巡っての内容であったり、被告人が傷付けられたりしたと感じたときであり、事態を認識しないで、でまかせに応答を繰り返しているようには見えず、かなり事態については認識しているように思われることなどを指摘しているのであり、同鑑定の右指摘に疑問とすべき点があるとは思われない。

また、被告人の拘置所内における動静は、東京拘置所長作成の平成四年二月二五日付け「照会書に対する回答」と題する書面によれば、「房内においては指定されている場所に座り、一日中静かに読書又は筆記をして過ごしており、苦情や不服等の申立てもなく、変調的な言動は見受けられない。」というのであり、東京拘置所長作成の平成八年七月一二日付け「捜査関係事項照会書に対する回答」と題する書面によれば、「当所での生活においては、特に異状は見受けられない。」というのである。そして、右各書面によれば、被告人は多数の書籍の差入れを受け、又は自ら購入しており、その書籍のうちには、漫画本等以外に、例えば、「ぼくらとコウヤマ君 Mの世代」、「君は甲山春夫をどう見るか」、「倒錯」、「犯罪と家族のあいだ」、「無意識と精神分析」、「犯罪の昭和史1・2・3」、「佐川君からの手紙」、「平成元年の殺人」、「監獄日記」、「パリ留学生人肉食事件」、「事件ブック」、「殺人百科」、「定本 犯罪紳士録」、「甲山春夫裁判」、「Mの世界」、「蜃気楼」等(以上、平成四年二月四日まで)、「理解できない悲惨な事件」、「日本の狂気誌」、「犯罪報道と精神医学」、「性と犯罪の心理」、「ドキュメント精神鑑定」、「幼女連続殺人事件を読む」、「醒めない夢」、「成熟できない若者たち」、「甲山春夫裁判」、「夢遊裁判」、「人と人とのあいだの病理」、「マザコン少年の末路」、「平成事件ブック」、「きずなの心理」、「ボーダーラインの心の病理」、「犯罪と刑罰の定石」、「バラバラ殺人の系譜」、「逸脱の精神誌」等(以上、平成八年五月二九日まで)、本件を題材としたもののほか精神病理や犯罪等に関連する書籍が多数含まれていることが認められる(右に掲記したのは一部である。)。被告人は、漫画は見ることがあっても、これらの書籍は読まないとか、はやっていると分かると集めろという命令が出て購入したりする旨述べるが(第三五回公判)、信用し難い(保崎意見書によれば、一部については被告人が読んだと供述しており、一部説明していたこともあり、その内容と思われる話も出たという。)。

以上のとおりであり、被告人が現在、知的に問題があるとは思われないとの保崎ら共同鑑定の見解に、疑問とすべき点があるとは思われない。

④ 本件各犯行の動機・目的について

保崎ら共同鑑定は、本件一連の犯行につき、被告人は、成人女性に興味はあるものの、あきらめて、その代償として幼女を対象としたものであり、殺害した後に性器をもてあそんだり、見ながら自慰を行ったというが、いわゆる小児愛、死体性愛の傾向が前からあったというわけではないようであるとし、被告人の収集癖による、貴重な自分だけのものを集めたいという欲望も加わって、ビデオテープに収めたものであろうとする。

同鑑定の右見解は、本件一連の犯行の動機・目的等につき既に検討したところに照らし、正当と思われる。

⑤ 被告人の本件各犯行に対する記憶について

保崎ら共同鑑定は、被告人は、少なくとも逮捕直後には犯行に対する記憶はほぼ保たれていたと推測されるとした上、公判段階に至り、犯行に対する実感がなくなってきたような説明をし、ニュースを聞いていろいろ想像したとか、覚えがないなどと主張していく一方で、「ネズミ人間」が現れたこと、おじいさんに「肉物体」をささげるために、ビデオ撮影したり、切断したりしたこと、血を飲み指を食べたこと、両親は他人であることなどは、はっきり主張しているが、これらの訴えは、逮捕後に出てきたものであり、被告人に迷信的、神秘的、魔術的なものを信じやすい傾向がもともとあったとしても、収集した雑誌やビデオの影響と、特に拘禁の影響が強く現れているものと考えられるとする。

被告人の捜査官に対する供述が基本的に信用できることは、既に検討したとおりであり、逮捕直後に犯行に対する被告人の記憶がほぼ保たれていたとの同鑑定の見解は正当と思われる。そして、同鑑定の問診における右のような被告人の主張は、既に検討したとおり、拘禁後に生じてきたものであることが明らかであるから、その点において、まず、拘禁の影響を考慮する同鑑定の見解も正当と思われる。また、関係証拠によれば、被告人が少年のころから、悪魔などといった神秘的、空想的なものに興味を持っていて、そうした事柄に関連する書籍やビデオテープを所持していたことも認められるから、同鑑定がその影響を指摘しているところも正当と思われる。

⑥ 精神分裂病の疑いについて

以上のとおり、保崎ら共同鑑定は、被告人につき人格障害者である可能性を示唆しつつ、同鑑定当時の被告人の現在症に拘禁の影響を考慮するが、その一方で、被告人の性格傾向として、分裂気質、分裂病質が疑われ、非社交的で一人を好むこと、また、学業成績が高校時代から落ちてきたこと、被告人が二三歳時に三年ぶりに会った友人のPが、被告人につき「なにか近寄り難い雰囲気で目付きも変わっていた。」旨の印象を持ったこと、被告人が、手の障害が原因で人からなにか言われているのではないかと気にしていたこと、鑑定時の無表情で愛想の悪い応対、簡単なことも分からないようにみえる状態、奇妙な説明や考え、心理検査の一部の結果などからは、精神分裂病が疑われるとして、精神分裂病と拘禁反応の症状を対比させつつ、更に考察を加え、以下に述べるとおり、精神分裂病を否定している。

なお、右心理検査の一部の結果とは、「[1] 性格は、極端な分裂気質(分裂病質といえるレベル)であり、元来自分の殼に閉じこもる傾向が強い。そればかりでなく、極めて幼児的な自己中心性が認められる。社会性、協調性に欠けること、手段を選ばず即時的に自分の願望を満たそうとすること(衝動的行為)、場違いな自己主張を試みるような自己顕示性、責任感が乏しい(ほとんど欠如している)こと、成人男女への恐怖感が強いことなどは、こうした性格の現れとして理解できる。[2] 現在、激しい敵対感情に支配され続けており、この感情のコントロールが非常に困難である。それゆえに、周り中の人々に敵対心やさいぎ心を抱き、周囲の状況を、自分に不利な、自分を陥れるものとしてとらえる傾向が著しい。ここから、推論、判断、思考過程のわい曲が生じ、現実状況への対応が不適切になるばかりでなく、被害念虜や関係念虜が生じてくる。[3] しかし、各心理検査に示された特異な現象は、[1]、[2]に述べたような性格的未熟さや弱さのみでは理解できない。現実判断の混乱ぶりや、妄想的思考、情緒的反応性の欠如、言語の構成能力の低さなどが、精神分裂病を疑うほどのものだからである。しかし、精神分裂病については、例えばPFスタディでの応答のように、これを否定する現象もみられ、元来の分裂病質者が、拘禁などによって著しく退行した状態という見方も十分可能である。」(馬場鑑定人の総合判定の一部)というものである。

ア 精神分裂病についての記述

保崎ら共同鑑定は、精神分裂病につき、「精神分裂病は、主として青春期に発病する現在まだ原因のはっきりしない精神病であり、徐々に性格変化や生活様式の変化で始まるものや、突然の興奮などで始まるものがある。徐々に始まるものでは、神経症様の心身の不調を訴えたり、性格が以前と変わってきたり、だらしない生活を送るようになり、身なりを構わなくなるような変化があり、やがて、幻覚(幻聴、幻触など)、妄想(関係、被害、心気、誇大妄想など)、させられ(作為)体験(影響症侯群)などを訴えるようになり、思考奪取、思考吹入、考想伝播などを訴える。また、それに伴った行動の変化も見られる。放置すれば、社会から離れて自己の世界に沈潜するようになることが多い。急に発病するときとは、激しい興奮や錯乱状態、反対に急に動かなくなる昏迷状態の形をとる。時間の経過とともに、刺激にそぐわない感情反応、更に感情の鈍麻といわれる状態や、自発性、やる気のなさが目立つ無為の状態となる。話の筋も乱れたり、中断したり、独語、空笑が見られ、表情に乏しく、感情的交流が難しくなり(流通性欠如)、病気であるとの認識(病識)がなくなってくる。また、拒否症(かん黙、拒食など)、常同症、衒奇症、反響症、カタレプシー、命令自動症、造語症などもみられる。早期に治療すれば回復し得るし、進行を食い止めることができる。精神分裂病は、破瓜型、緊張型、妄想型の三つの型が基本型であり、破瓜型は、青春期に徐々に始まり、幻覚・妄想などを訴えるが、やがて感情や意欲の変化が目立ち、社会から離れていくようになるもので、緊張型は、青春期に突然発病するもので、興奮や昏迷が目立つが、おさまりやすいもので、妄想型は、中年以降に発病するもので、幻覚や妄想が目立ち、人格の崩れの少ないものといわれる。その他、単純型、偽(仮性)神経症(性格異常)型、分裂-情動型、類破瓜病などの分類がある。」とし、ICD-10及びDSM-[3]-Rによる精神分裂病の診断基準にも言及している。

イ 拘禁反応についての記述

また、保崎ら共同鑑定は、拘禁状況においては、拘禁による行動の制限や将来に対する不安からさまざまの心因反応性の精神状態の変化が見られ、これらは拘禁反応としてまとめられるとし、拘禁時の精神障害の分類として、[1] 神経症・異常体験反応、拘禁神経症、[2] 心身症、[3] 抑うつ状態、うつ病、[4] 反応性興奮状態、昏迷状態、[5] 反応性もうろう状態、ヒステリー性反応、[6] 反応性妄想 [7] 反応性幻覚妄想状態を挙げ(ただし、状態像の移行や重複がしばしばあるとする。)、各症状につき、次のとおりの説明を加える。

[1] 神経症・異常体験反応、拘禁神経症

最も多く見られるもので、さまざまな神経症様の訴えがあり、程度もまちまちである。身体的には、頭痛、めまい、心悸こう進、食欲不振、身体各部の痛み、疲労感、倦怠感を訴える。精神的には、不安、焦燥、抑うつ、不機嫌、いらいらなどがあり、不眠、多夢などの症状がある。心気傾向を中心に、好訴傾向、攻撃傾向を持ちやすいといわれる。

[2] 心身症

右[1]との重複があり、心身的訴えとともに、高血圧、消化性潰瘍などの身体疾患を認め、拘禁の影響が強いと思われるものである。

[3] 抑うつ状態、うつ病

拘禁によって、うつ状態、反応性うつ状態になることも少なくない。口数が減り、抑うつ気分、焦燥感、絶望感、自殺念虜、自殺企図がみられる。

[4] 反応性興奮状態、昏迷状態

原始反応にみられる暴発、昏迷に当たる状態で、人格の介入なしに現れるもので、突然の憤怒から、錯乱性興奮、暴行、ときにはけいれん性発作、泣き叫び、自殺企図がみられたり、反対に昏迷状態になると、精神的無運動状態になり、かん黙状態で全く動かなくなってしまい、外部の刺激に応ぜず、拒食、かん黙、ときには大、小便の失禁もみられる。

[5] 反応性もうろう状態、ヒステリー反応

右[4]の錯乱性興奮状態の一部は、これに属し、暴行、自傷行為、ときにはろう便などがみられる。よく知られているのは、ガンゼルのもうろう状態で、子供っぽくなって、ごく簡単な問題にも答えられず(しかし、内容は分かっているかのごとくかすった回答、たとえば、1+1=3のように)、でまかせ(的外れ)応答がある(偽痴ほう)。ヒステリー性もうろう状態ともいう。その他夢幻状態もある。なお、ヒステリーによる失立、失歩、感覚脱失、けいれんなども生じることがある。これらの状態では後述の詐病との関係が問題となる。

[6] 反応性妄想

心因妄想の形で、被害、迫害妄想、好訴妄想、さらには赦免妄想が知られている。被害妄想は、裁判官、検察、看守や共犯者などが対象となり、好訴妄想では、無罪を主張する形をとる。赦免妄想は、多くは突然恩赦によって釈放されるという妄想である。

[7] 反応性幻覚妄想状態

右[6]に幻覚が加わることもまれではないが、幻覚・妄想が前景に出てくるもので、精神分裂病との鑑別が問題になる。

なお、拘禁状況では、詐病がみられやすいことも知られており、詐病で困難な状況を回避する傾向は、特に慣習犯で知られている。さらに、精神病が拘禁によって引き起こされることも当然考えられるし、一方、既に発病していた精神病が拘禁の影響を受け、拘禁着色があることも知られており、拘禁による精神病状態では、詐病や内因性精神病との鑑別が重要である。

ウ 祖父に関する幻覚様体験について

保崎ら共同鑑定は、被告人が訴えている体験の中で、祖父が傍らにいるとか、話し掛けてくるとかという体験(「おじいさんが、私に、祈る力が足んねんだと言う。」、「見えるようになる。帰ってこいと祈ると、もうすぐ来るからなとおじいさんの声がする。他の人の声は分からない。」等)は、被告人が祖父を慕っていたという関係や、祖父に現れてもらいたいという被告人の願望からみて、通常の精神分裂病の幻覚、幻視とは異なるようであり、質問すれば、いつもいると答える程度であって、犯行当時の前後に祖父の声が聞こえたという訴えはない(ただ、脱輪した際に祖父が呼んだか、働き掛けたかも知れないと、鑑定時に述べたことはある。)とする。また、保崎証言によれば、「分裂病者の場合の幻聴は、自分を責めたり、批判したりする内容すなわち悪口が多い。病気が進むとはっきりとうるさいくらいに聞こえてきて、考えていることが伝わってくるということも言ったりし、愉快な状態ではないものであり、一般的には自分の意思で左右できないものである。また、幻視は、分裂病では一般的に少ない。被告人の場合は、頭の中に描いたものと一緒になったような、ときどき聞けばここにいるというようなもので、本人と密接に結びついた本人の願望も含めた内容で、被告人を悩ますものではないし、不規則に出現するというものでもない。あたかも、配偶者を亡くした年寄りが亡くなった人がそばにきているとか、話し掛けているとか、迎えにきているという感じに近く、通常の精神分裂病の妄想とは異なる。」というのである。

被告人は、祖父に対し乱暴な行為に出たことがあり、捜査官に対しても、祖父はどちらかというと身勝手な人であった旨述べるが、おじいさんを慕っていた様子は見せていた(〈証拠略〉)のであり、祖父死亡時に被告人が祖父の耳元で録音したペスの鳴き声を再生したりしたことなどに照らしても、被告人が祖父をしのび、現れてもらいたいとの願望を持つに至ることは理解できるのであって、保崎ら共同鑑定の右見解に疑問とすべき点があるとは思われない。

エ 両親を否定する主張について

保崎ら共同鑑定は、両親が実の親ではないとの被告人の訴えにつき、当初、「手の問題のある自分をわざと幼稚園にやってひどい目に遭わせる。本当の親ならそんなことをするはずがない。」との趣旨であったのが、時間とともに、「実の親ではない。」「本当の親は別にいる。」、「やがて迎えにくる。」、「母は単なる従業員」、「父は仕事人」と述べ、両親に対する敵意をあらわに述べており、被告人のこだわる手の問題に十分に対応してくれなかった両親、被告人の過去について気に食わない供述をする両親、被告人の最も頼っていた祖父に対する両親の否定的な説明などに強く反発しているようであって、非実子妄想とか、家族を否認する妄想というような感じではないし、家族関係の中における病人の有無について、被告人自身が、被告人を妊娠中に母親が病気になったと主張するなど矛盾した面があり、完全に両親を否定しているのか問題であるとする。また、保崎証言によれば、「分裂病の非実子妄想は、突然確信を持ち、そのまま継続するということが多く、徐々に変わってくるという経過は余りない。被告人の場合は、徐々に変化するという経過であること、ちょっと間違えて「母が被告人を妊娠中に病気だった。」と矛盾することを言ったりすること、両親の面会を拒否していないことから、分裂病の非実子妄想とは異なると判断した。」というのである。

前記のとおり、被告人は、乙野印刷退職後ころから、家族らに対する乱暴な行為が目立ち、捜査段階においても、手の障害を放置したことにつき両親に対する不満を述べ、特に父親に対し反発をみせていたのであり、本件各犯行の発覚と拘禁を契機とし、現在の自分の苦境は結局のところ手の障害を放置した両親のせいだなどとして、両親に対する敵意を強めていくことは十分に考えられることである(なお、被告人は、保崎鑑定人の問診(4・2・10)において、「奇形は遺伝すると聞いたが、両親に(手の)奇形がないから、親じゃない。」旨述べるなどしており(保崎ら鑑定書添付の面接記録参照。)、両親を否定する発想につき、被告人なりのヒントがあるようである。)。他方、東京拘置所長作成の平成八年七月一二日付け「捜査関係事項照会書に対する回答」と題する書面によれば、被告人は、平成元年一〇月二三日以降平成八年五月二九日まで合計二六五回(保崎ら共同鑑定の鑑定期間中は、合計八九回)、両親あるいは父親又は母親(平成六年一一月二一日に父親が自殺した後は、母親のみ)との接見に応じていることが認められる。以上のとおりであり、同鑑定のその余の指摘を含め、精神分裂病の非実子妄想とは異なるとの見解に疑問とすべき点があるとは思われない。

オ 犯行等に関する被告人の供述について

保崎ら共同鑑定は、犯行等に関する被告人の供述は、要するに覚えのない犯行という主張であって、自己の責任を否定しようとするものであり、奇妙な説明をするが、これらは、右の主張に関連する合目的的な内容のものであって、拘禁による影響が考えられ、精神分裂病によるものではないとする。

[1] 「ネズミ人間」が現れたとの供述について

保崎ら共同鑑定は、被告人が、被害者を殺害する直前に、いつも「ネズミ人間」が現れ、恐ろしくて分からなくなったと述べることにつき、奇妙な説明で、鑑定以前は話さなかったことであり、覚えのない犯行という被告人の主張に合目的的に関連するもので、幻覚とか妄想というものよりも、そのようなことがあったと被告人は述べているというほかはないとし、内容的には、被告人自身がかつて雑誌やビデオ等から見聞きした内容が影響しているのであろうとする。保崎証言によれば、「空想的な内容であること、発作性に現れる症状とは異なり、四回の犯行のときだけきちんと出てきて、毎回気を失ってしまったというようなこと、当初、人間がたくさん現れて怖くなったと述べていたのが(弁護人の意見書)、鑑定段階になってから「ネズミ人間」に変化していることから、分裂病の妄想とは異なる。」というのである。

[2] 「肉物体」をささげ、手指を食べた等の供述について

保崎ら共同鑑定は、被告人が、「世界は一杯あって、こっちのおじいさんをなくしておかないと向こうとダブッちゃうから、おじいさんの骨を食べなければいけない。」とか、「おじいさんを生き返らせることを悪魔に頼むために、いけにえとして「肉物体」を送る。」などと、迷信的、神秘的、魔術的な考えを繰り返し述べるが、被告人には以前からこのような傾向があったのかも知れず、被告人が収集した各種の雑誌や、ビデオテープなどの影響も受けているものと思われるとする(なお、同鑑定は、被告人が祖父の骨を食べたと述べることにつき、事実かどうか判然としないとするが、前述のとおり、保崎証言によれば、その事実があったとしても、精神障害とは別であるというのである。)。そして、同鑑定は、被告人が、祖父に姿を現してもらいたいと思い、たまたま落ちていた「肉物体」(被害者の死体)を拾ってささげたに過ぎず、被害者の血を飲んだり、手指をもいで食べたのもそのためだと述べることにつき、逮捕後に述べられたものであり、覚えのない犯行という被告人の主張に合目的的に関連するもので、被告人が以前から魔術的、神秘的、迷信的傾向を持っていたとすれば、ある程度は理解できるが、やはり奇妙な説明というほかはないとし、被告人が血を飲み手指をもいで食べたとの点は、にわかに信じ難いとする(なお、同鑑定は、血を飲み手指を食べた行為の有無が全体の判断に大きく影響するものではないとするのであり、前述のとおり、保崎証言によれば、「血を飲むとか肉を食べるということは、狭義の精神病者がそういうことをするというのは余りなく、むしろ、味わってみたいとか、たまたま食べてしまったということであれば、性格的な問題が中心になった場合にそういう行為が現れる。このことだけで、診断が変わるということはない。」というのである。)。

[3] 「甘い場所」等に関する供述について

保崎ら共同鑑定は、被告人は、祖父に関連して「甘い場所」という表現を使い、祖父のいた部屋、畑、自分の部屋、山の斜面、車の中等を、気分の休まるところ、他人に邪魔されぬ安全なところと言い(当初は、「母胎への回帰」とも言っていたが、その後、意味が分からないと言って「母胎への回帰」とは言わなくなっており、供述に変化がある。)、犯行時、山の中に行ったのは、「甘い場所」に行きたかったからだとか、祖父と同じことをすれば甘いとか、「独りぼっちの姿を見た途端自分の手に気付いていないころの独りぼっちの自分の姿を見て甘い世界に入っちゃうんだ。」とか、独自の説明をするが、その前後のつながりがはっきりせず、「ネズミ人間」の出現という奇妙な説明に移ってしまうのであり、要するに、覚えのない犯行という被告人の主張に合目的的に関連するものであるとする。

[4] 覚えのない犯行との被告人の主張について

保崎ら共同鑑定は、被告人の犯行についての供述は、実感がないという説明から、最終的には、創作、想像で勝手に説明したもので覚えがない、ひとごとだなどと変化し、鑑定の終わりころには、他人がやったというのかとの質問にうなずいたりしていること、被害者の遺体をいたずらした場面を撮影したビデオテープの説明に困り、撮ったのは自分だがいたずらはよく覚えていないと述べるなど被告人の供述に矛盾が生じていること、善悪の判断について、被告人は、テレビでは物語の筋書の上で善悪が決められるが実際にそうかどうかは分からないなどと述べ、一般的に人を殺すのは悪いことでしょうと聞くと、うなずくが言葉に出しては表現しないこと、殺意についても、被告人は、生まれてから殺意を持ったことはないと述べ、虫を殺したのは良いものに生まれ変わってもらいたいからで、殺したのではなくつぶしたなどと述べることなどを指摘し、被告人が、殺意を抱いたことはいままで一度もないとか、殺害行為だけ全く覚えがないとか、ひとごとであるとか言うこと自体、事の重大さを当然知っているからだと思われても仕方がないとする。

犯行等に関する被告人の供述についての保崎ら共同鑑定の見解は以上のとおりであるところ、同見解に疑問とすべき点があるとは思われない。すなわち、被告人がDの血を飲み、遺体の手指を食べた旨の供述が信用できないことは、既に検討したとおりである。また、前記のとおり、被告人は、公判段階に至り、本件各犯行につき、夢の中のことのようだとか、覚えがないとか述べて犯行を否認していき、殺害の犯行の直前に、しかもそのときだけ、「ネズミ人間」が現れて怖くて分からなくなったとか、被害者の遺体につき、たまたま落ちていた「肉物体」を拾っただけで、祖父へのささげものとして、ビデオカメラで撮影したとか、祖父に送るために、切断して手指を食べ、血を飲んだとか、遺棄した被害者の遺骨につき、あれはおじいさんだとか、妄想的、神秘的な説明をするが、いずれも、拘禁後にされた説明であり、自己の犯行を否認する被告人の主張に関連する合目的的な内容で、その目的に沿って、説明が徐々に変化していっているのである。こうした経過は、被告人が、自己の刑事責任が重大であることを認識していて、そこから逃れようとしていることの現れとみることができ、こうした妄想的な説明の内容には、被告人が少年のころから、悪魔などといった神秘的、空想的なものに興味を持っていたことの影響が現れていると思われるのである。したがって、被告人の右のような説明は、意図的な詐言であるとの疑いを禁じ得ない。しかし、保崎証言によれば、「鑑定人間で疑問はしばしば出たが、子供っぽくなった状態でうそを言っているので、表に出た意図的なものではないととっている。」というのであるので、意図的な詐言ではないかとの疑いはひとまずおくことにしても、少なくとも、こうした妄想的な説明は、精神分裂病にみられる妄想ではなく、拘禁の影響が考えられるとする保崎ら共同鑑定の右見解に疑問とすべき点があるとは思われない。

カ 手の障害等に関連する被害的な面について

保崎ら共同鑑定は、被告人は、当初、「人が話していると自分のことを言っているんじゃないかと思った。」とか、親せきが襲ってくるのではないかとおびえたりしていたが、被告人には、当初から、級友に手のことでうわさされるという関係念虜が見られ、また、祖父の形見分けのことで親せきとやり合ったことがあるというそれまでのいきさつからみて、了解可能なものであり、精神病的というほどではないとするが、右見解に疑問とすべき点があるとは思われない。

キ 精神分裂病を特徴付ける他の症状の有無について

保崎ら共同鑑定は、被告人には、強迫症状、させられ体験、考想伝播、思考奪取、思考吹入などの症状は認められないとするが、右見解に疑問とすべき点があるとは思われない。

ク 被告人の鑑定の状況認識について

保崎ら共同鑑定は、被告人は、鑑定の状況については、ほぼ認識しているようであり、被告人の既往歴や家族関係の病人などについては詳しく述べていたとする。保崎証言によれば、「被告人は、少なくとも最初のうちは認識していた。動機を聞いたりすると、それは先生のする仕事じゃないとか、先生は状態だけを聞けばいいとか言っていた。精神病の状態とはどういう状態かとか、実感のないのは精神病かとか、自分がお母さんのお腹にいたときにお母さんが病気になった、親類に多少具合いの悪い人がいるがそれはどうかと言っていた。父親がおまえは病気だと言ったということを盛んに本人が言っていた。また、分裂病という名前を出したりした。本人は、病気かどうかと聞きながら、病気は嫌だと。自分でも困っている様子で、どっちと言われても困る感じであった。」というのであり、問診の終了時期についても、「被告人に対し、もうこれで全部打ち切りにしようと言うと、被告人がまた話すからと言って問診の続行を求めるということが何回かあり、平成四年三月九日に被告人の方から終わりにしようと書いたメモを見せてきた。」というのである。

被告人の知的な面について既に検討したところにも照らせば、同鑑定の右見解に疑問とすべき点があるとは思われない。

ケ 被告人の現在症と拘禁反応について

保崎ら共同鑑定は、以上のとおりの考察を通して、被告人につき精神分裂病を否定しているが、被告人の現在症を主として拘禁反応とみることにつき、保崎証言は、「被告人は、身体の調子が悪いということをまず最初に言っていたこと、年齢より子供っぽくなって応答しており、典型的なものではないが、広い意味で反応性もうろう状態に含まれること、「ネズミ人間」の出現は反応性の妄想に近いことから、前記拘禁反応の分類の[1][2][5][6][7]に該当する。」、「被告人は、全体が下がったようになっていて、いろんな面が少しずつ出ていること、すなわち、外見が表情がなくなって元気がないような状況に見えていて、内容的にこうであるという(拘置所内で読書、書き物)、部分的な症状が出ていて、ある部分はそうじゃない面があるというところが、拘禁的な状態になっている。」、「一番の特徴は、全体的に子供っぽくなっているという退行したような状態、表情や態度が普通でないということ、犯行に関することなど一切につき、初めは否定しないでばく然とした印象を持っているという形から、行為ははっきり分からないと言って、「ネズミ人間」が現れたとか、おじいさんにささげるためのいろいろな行為であったとか、裏返しのような説明になっていることである。」とする。なお、保崎証言によれば、「被告人はビデオテープは宝物で返して欲しいと言っているが、ビデオは本人にとって命みたいなもので、子供っぽい状態になって固執している。大事なものに固執しているところだけが残っている。」というのである。

⑦ そううつ病について

保崎ら共同鑑定は、犯行の一部が約二か月おきに行われていて一見周期性を思わせるが、被告人が、犯行前及び犯行時に、気分の高揚や落ち込みや意欲の低下を示した形跡はなく、被告人も周囲も気分や意欲について特別な変化は述べておらず、鑑定時にも、被告人は、時に机をたたいて怒ったり、涙ぐんだこともあったが、全般的には感情の起伏を表に出すことはなかったとし、犯行前後を通じて、また現在もそううつ病は否定されるとするが、右見解に疑問とすべき点があるとは思われない。

⑧ 結論

以上のような考察を経た上、保崎ら共同鑑定は、被告人は、少なくとも、逮捕前は、奇妙な説明はしておらず、逮捕時になされた犯行に関する説明は、了解できるものであって、記憶はほぼ保たれていたと思われ、性格の極端な偏り(人格障害(保崎証言によれば分裂病質型人格障害))以外に特に精神病的な状態にあったとは思われないとし、簡単なことも分からないと言ったり、年齢よりも子供っぽく感ぜられたり、矛盾することを述べて追及されると分からないと言ったり、一見すると退行しているように見えても、結構周囲の状況はは握しているようであり、合目的的な内容が多いことから、現時点では拘禁の影響が強く現れている状態であって、精神分裂病の状態にはないと考えると結論付ける。保崎証言によれば、「こういう犯罪を犯せば、結果的に罪責感は薄れていると思うし、強烈に罪悪感を持っているという感じではない。しかし、ある程度はある。そのために大事なことを否定していると考える。拘禁反応になってからは言を左右にして答えない。最初はおっかなびっくりやって逃げ帰った。思いがけない結果になったことから始まって最後は割合大胆にやっているので、罪悪感が希薄になっている。罪責感は乏しかったが全くなかったとはいえない。情性欠如の犯行が行われたときは、情性欠如を中心とした性格異常者か、精神分裂者を考えるが、冷情にも段階があり、いろんな人に一方的であっても愛情を向けたり、日常生活では目だたないことが多く、部分的にそういう傾向を持っているということである。被告人の供述内容が了解でき不思議なことはなく、枠を超えたといっても段々大胆になってこういうふうになったということで被告人の説明で納得できる範囲である。」とする。

保崎ら共同鑑定の結論に疑問とすべき点はないと思われる。

(2) 中安鑑定について

中安鑑定の結果は、要するに、被告人は、本件各犯行当時、精神分裂病(破瓜型)にり患しており、分裂病症状の易怒性ないし攻撃性のこう進が動因のごく一部として、情性欠如が抑止力の低下として関与したというのである(もっとも、被告人の本件各犯行の動因のほとんどを占める性的欲求と収集欲求はそれ自体正常な心性に属するものであるとする。)が、以下のとおり、中安鑑定の結果は、保崎ら共同鑑定の結果等に照らし、採用できない。

① 中安鑑定の要旨

中安鑑定は、まず、被告人の現在における精神状態(精神的現在症)について考察した上、被告人の本件各犯行時の精神状態に関する供述について検討を加え、前記のとおりの本件各犯行時の被告人の精神状態について結論を導いている。

ア 被告人の精神的現在症についての見解

中安鑑定は、まず、被告人の精神的現在症を以下の四つの症状群に分類する。

[1] 第一の症状群 正常な精神機能の減退(欠損性)

【症状】 集中力及び意欲の低下、感情鈍麻ないし情性欠如

【発現時期】 高校時代(遅くとも乙野印刷退職以前)

[2] 第二の症状群 正常な精神機能には認められないもの(産出性)で、内容が迫害性を帯びたもの

【症状1】 注察念虜、関係・被害念虜、被注察感

【症状2】 家族並びに不明の他者に対する被害妄想、被注察感(様相が変化し、持続的)、幻声(迫害的内容・対話傍聴型)

【発現時期】 症状1 高校時代から短大時代

症状2 前鑑定終了後から本鑑定開始前(症状1から症状2へ)

[3] 第三の症状群 正常状態においても見られないわけではないが、その程度がこう進し、量的に過大になったもの(こう進性)

【症状1】 易怒性ないし攻撃性のこう進(家族・親せきに対する暴言・暴行あるいは動物虐待となって顕現)

【症状2】 収集癖

【発現時期】 症状1 祖父死亡のおおよそ一年前から(祖父死亡後に増悪)

症状2 やや不明ながら祖父死亡の数年前(祖父死亡後に増悪)

[4] 第四の症状群 正常の精神機能には認められず(産出性)、現実否認・願望充足性

【症状】 両親の否認、本当の両親が別にいるという願望妄想、祖父の幻視・幻聴

【発現時期】 簡易鑑定終了後より前鑑定初期

中安鑑定は、次いで、前記各症状群がいかなる精神疾患に基づくものであるかについて、第一の症状群は、精神分裂病の陰性症状、第二の症状群は、精神分裂病の陽性症状、第三の症状群のうち、症状1はある蓋然性のもとでたぶん精神分裂病性(他に原因を求め得ないという除外診断のレベル)、症状2は分裂病との関係は否定され、第四の症状群は拘禁反応であるとする。

イ 被告人の本件各犯行時の精神状態に関する供述についての見解

この点に関する中安鑑定の見解は前述のとおりであるが、要するに、被告人が述べる本件各犯行時の精神症状は、感情反応の欠如を除き、いずれも事後的(どんなにさかのぼっても簡易鑑定終了後)に形成され、漸次付加されてきたものであり、これらは、拘禁反応に基づく現実否認・願望充足性の妄想追想であるというものである。

ウ 結論

中安鑑定は、以上の考察を経て、被告人は、本件各犯行当時既に分裂病が発病しており、Aの殺害につき、分裂病による易怒性、攻撃性が動因のごく一部として関与し、本件各犯行のすべてにつき、分裂病による情性欠如が抑止力の低下として関与したが、本件各犯行の動因のほとんどを占める性的欲求と収集欲求は正常な心性に属するものであるとの結論を導いている。

② 中安鑑定の問診における被告人の本件各犯行時の精神状態に関する供述について

本件各犯行等に関する被告人の公判段階における供述内容は、著しく事実とかい離し、自己の刑事責任を否定しようとの方向に向け、合目的的に変化していっているものであり、本件各犯行当時に体験として存在したものではなく、拘禁後に生じたものであること、保崎ら共同鑑定がその問診における被告人の供述を拘禁反応によるものと理解した点に疑問とすべき点がないことは、いずれも既に検討したとおりである。したがって、保崎ら共同鑑定の問診における被告人の供述の延長線上に発展していったものといえる中安鑑定の問診における被告人の本件各犯行時の精神状態に関する供述もまた拘禁反応によるものと理解されるのであり、これと同旨の中安鑑定の見解は、妄想追想と理解するのが適当かどうかは別論として(保崎証言によれば、追想妄想というより妄想的に説明していると言いたいというのである。)、基本的に疑問とすべき点があるとは思われない。

③ 中安鑑定の指摘する分裂病の陽性症状について

中安鑑定は、被告人は、高校時代ころに分裂病が発病し、集中力及び意欲の低下、感情鈍麻などの陰性症状が持続的に徐々に進展するとともに、他方では、注察念慮、関係・被害念慮、被注察感などの軽微な陽性症状が断続的に出没していたが、発病後一〇年前後を経た、保崎ら共同鑑定終了後から中安鑑定開始前の間(平成四年三月九日~平成五年一月二二日)に、被害妄想(家族並びに不明の他者に対する)、被注察感(様相が一変し、持続的)、幻声(迫害的内容・対話傍聴型)などの明らかな陽性症状を示すに至り、分裂病が顕在化したとし、簡易鑑定並びに保崎ら共同鑑定において、ともに分裂病が疑われながらも結局のところ否定されてきたのも、同鑑定終了時までにはいまだ明確な陽性症状が発現していなかったからであり、いささかやむを得ないものであったと判断されるというのであり、右陽性症状が中安鑑定に当たって重要視されているといえるので、まず、この点について検討することにする。

ア 被害妄想について

中安鑑定は、まず、その問診における被告人の供述を次のとおり整理する。

[1] 被告人は、現在、拘置所の独居房内において書物や書類を積み上げて自分の周囲を囲っているが、これは、一部には自らを社会から隔離したいという欲求に根ざすものであると同時に、「(この拘置所にいても怖い?)うん、私を狙って大きな音を立てる。」「(ここ〈拘置所〉では自由にできない?)私を観察している。(誰が?)不思議な力を持つ奴。その一派」との供述にみるように、明確な被害妄想(妄想対象は「不思議な力を持つ奴(とその一派)」とされている)に基づくものとも判断される。

[2] 被告人は、高校時代ころからのこととして、被告人が道路をあるいている際に車がエンジンを掛ける、クラクションを鳴らす、歩いているのと同じ方向に車が走る、他人がドアーを閉めるといった偶発的な事象につき、「私が通るから」、「私に鳴らされたかと思って」、「(私を)付けようとしてる」、「私に他人が戸をバタンとやってから」というふうに自己に関係付けて述べるが、自己関係付けは半信半疑で、念慮の段階にあったものと思われる。

[3] この関係・被害念慮が、一気に被害妄想の域に達したのは祖父死亡後であり、被告人は、「おじいさん倒れてから私を脅かすために誰かやっている。明確に分かった。なぜか分かった。」、「おじいさんが倒れてから玄関に人が来ただけでも怖くなった。その前はそんなことはなかった。部屋の中にいても怖い。」などと述べ、この段階では、妄想対象者は見ず知らずの他人ばかりでなく、被告人の身辺にいる家族、親せき、近所の人々にも及んでおり、それらの人々が「攻撃してきた」、「復しゅうされるような」(以上、父)、「迫害の競争してきた」、「迫害のような顔」(以上、母)、「襲ってくる」、「道路歩いている人もすごい形相していく」(近所の人、もしくは見ず知らずの他人)と、被告人に対して迫害の意図を持って接近してきたとされ、被告人が「先にやり返した」と述べており、これが、家族らに対する暴行や、形見分けの席で親せきに対する暴言である。

次いで、中安鑑定は、被告人の右供述の信頼性につき検討を加え、簡易鑑定の問診では、手の障害とは関係のない注察念慮、関係・被害念慮が述べられていたが、保崎ら共同鑑定の問診では、被害妄想(関係・被害念慮を含む。)、注察念慮、手の障害に基づく注察念慮の三者が混然一体となっていて、内容は、手の障害・女性に関連したものと親せきに関連したものとの二種に限定されており、中安鑑定の問診では、前半には、関係・被害念慮と注察念慮、家族・親せきあるいは不明の他者に対する被害妄想が述べられ、後半には、迫害者は「不思議な力を持つ奴。その一派」と述べられているとし、保崎ら共同鑑定の問診における供述は、実際に存在したと考えられる関係・被害念慮、注察念慮、手の障害に基づく注察念慮が素材とされ、それに大幅に修飾が加えられたもので信頼性が低いとする。そして、不明の他者に対する被害妄想は、保崎ら共同鑑定の問診においては語られておらず(むしろ、怖いことはない旨述べられていた。)、同鑑定終了後に発現したものであり、祖父死亡後に発現したと述べられた家族に対する被害妄想は、保崎ら共同鑑定の問診においては親せきが怖いと述べられ、両親に対する被害妄想が述べられておらず、同鑑定終了後に妄想追想として形成されたものであるとし、同時期に生じたとされる見ず知らずの他人、親せき、近所の人々に対する被害妄想の発現も大いに疑わしいとする。

中安鑑定は、以上のような検討を経た上、高校時代ころからの関係・被害念慮、注察念慮は、そのころ発病した分裂病の軽微な陽性症状であり、保崎ら共同鑑定終了後に発現した家族並びに不明の他者に対する被害妄想は、正常の精神機能には認められず(産出性)、その内容が迫害性を帯びたもので、分裂病の明らかな陽性症状であるとする。

しかし、まず、中安鑑定が、高校時代ころから存在したとする関係・被害念慮、注察念慮についてみると、これらを手の障害に起因する被害感や劣等感と明確に区別して、分裂病の陽性症状とみてしまうのには疑問がある。中安鑑定は、簡易鑑定の問診記録から、手の障害とは関係のない注察念慮、関係・被害念慮が明確に区別されるとするが、簡易鑑定の問診記録によれば、被告人は、手の障害に悩み、被害妄想みたいな恐怖を味わったと述べ、手の障害に起因する強い劣等感を持っていることが随所に現われており、中安鑑定が指摘する問答部分中にも、「(知らない人でしょ?)でも知っている人もいるから……知っている人が私のことを話して、それで知ってるんじゃないかと思ってしまう……。(そういう時はどうする?)嫌ですね……。(何を言われていると思う?)一人前の社会人じゃねえとか欠陥持ちだとか……。(周囲の不特定多数の人が自分のことを知っているとか、悪口を言っていると思うの?)思う……ほとんど全部……。(全部の人が知っているということ?)ええ……だから被害妄想と言う……。」旨、被告人が手の障害を理由に被害的になっていることをうかがわせる問答が含まれているのである。また、右の問答の後には、「(被害妄想と言ったけど、昔から感じた?)感じたのは……確か……。(幾つから)一〇歳ころから……」「(一五年間ずっとあった。変わってきた?)ほとんど同じ……。(一〇歳から同じ受けとめかたが続いている?)最近だと……思っている人だとか……。(ヒソヒソ話の中身がそれら?)同じ、ほとんど……。」との問答部分があって、被告人の述べる体験は、その発現時期が一〇歳ころかどうかはともかく、体験の内容が大きく変わっていないことをうかがわせる問答が含まれていて、被告人がヒソヒソ話の内容として思ったことも、「内気、欠陥持ち、女性と付き合ったことがない、けんかもしたことがない、漫画ばかりみている」というようなことであって、被告人が手の障害から劣等感を持ち、内面的になり女性との交際にも消極的になっていることに結び付く内容と考えられるのである。簡易鑑定も、仮に注察関係妄想に相当する体験が真実だとしても、結果的には上肢の運動障害に起因する精神的外傷、劣等感に帰着し、了解可能性が感じられること等から、直ちに分裂病を診定するのは相当でないとしている。そして、保崎ら共同鑑定の問診においては、被告人は、高校時代以降についても、手の障害と関係付けて被害感、恐怖感を語っているのであり、これと明確に区別される関係・被害念慮等が存在したことはうかがわれない。なお、被告人は、高校時代以降も、破綻することなくそれなりの日常生活を送っているのであって、「周囲を気にしたり、被害的にとっただけでは分裂病と診断するわけにいかない。まともと思われる行動が同時に併存しているところが問題である。」(保崎証言参照。)とされるのである。

次に、家族に対する被害妄想についてみると、前述のとおり、被告人は両親に対し、手の障害に起因する強い敵意を抱くに至っており、これが、基調となって、保崎ら共同鑑定の問診において、家族を否定する供述をするに至ったものと解されるが、家族に対する被害妄想もその延長上にあるものとみるのが自然である。被告人は、祖父の形見分けをしていた親せきに敵意を抱いて自分の方から暴言を吐きながら、その後、親せきが怖いと言っており、こうした変化はある程度理解できる面があるとされるのである(保崎証言参照。)が、被告人は、また、家族に再三暴行を加えながら、その後、家族が怖いと言うに至っているのであって、親せきに対する右の態度と共通するところがある。そして、被告人は、右被害妄想の発現を「おじいさん倒れてから」などと祖父の死亡に結び付けて述べており、祖父に現われてもらいたいとの願望の裏返しのものといえるのであり、分裂病性の症状とみるには疑問がある。

また、不明の他者に対する被害妄想についてみると、被告人は、元来、手の障害から被害的になりやすい傾向にあり、拘禁されて以後、次第に、親せき、家族その他の者へと被害感を向ける対象を広げていっているのであって、不明の他者に対する被害妄想も、そうした拘禁状態の下で被害的な心情を拡大しているその延長上にあるものと解される上、被告人がその発現時期を祖父の死亡に結び付けていることからすると、祖父に現われてもらいたいとの願望の裏返しのものともいえる。しかも、中安鑑定の問診において、被告人は、本件犯行時に「不思議な力を持つもの」の指示が出た旨述べており、これが拘禁反応によるものと解されることは前述のとおりであるところ、不明の他者に対する被害妄想も、結局のところ、「不思議な力を持つ奴。その一派」に対する被害妄想として述べられるに至っているのであり、右と共通性があることに照らすと、同様、拘禁反応に基づくものと解するのが自然と思われる。

イ 被注察感について

中安鑑定は、被告人は、短大在学時代に始まり(街頭・大学キャンパスで時折)、祖父死亡後に顕著となり(自宅の部屋の中で)、現在は、一週間に三回以上、一回が一時間以上(一日中のときもある)にわたって拘置所の独房の中で感じられる被注察感の存在を述べていること及び注察主体につき「人間以外か、不思議な力を持った人間」と述べて二次的な妄想形成をなしていることを指摘し、当初断続的に出没していた被注察感は、分裂病の軽微な陽性症状であり、保崎ら共同鑑定の終了後に発現した、様相が一変し、持続的な被注察感は、分裂病の明らかな陽性症状であるとする。

しかし、この点についても、前記のとおり、被告人が拘禁状態の下で被害的な心情を次第に拡大していっていることと密接に関連すると思われるし、被告人は、視線が送られるようになったのは祖父死亡後であると述べるのであって、家族及び不明の他者に対する被害妄想と同様、祖父に現われてもらいたいとの願望の裏返しのものともいえる。保崎証言によれば、中安鑑定のいう不明の他者から見られている感覚(超越的他者)は、臨床的には、分裂病的とも拘禁反応的ともとれるというのであり、前述のとおり、拘禁反応の影響が強く現われている被告人の場合、右感覚を殊更区別して分裂病性のものとみてしまうことには疑問がある。

ウ 幻声(迫害的内容・対話傍聴型)について

中安鑑定は、被告人は、祖父の死亡後から現在に至るまで、一週間に四日以上、一回一時間程度、複数の不明な他者が話し合っていて、その中に「春夫」、「リンチ」という明瞭な声を含む、全体としては不明瞭な「さわさわ」とした声が聞こえる旨述べているが、保崎ら共同鑑定の問診では、声を含め、おじいさん以外出るものはないとか、分からないとか述べられていたことから、右幻声は、同鑑定終了後に発現したもので、迫害性を帯びており、祖父の幻視幻聴とは区別される、分裂病の明らかな陽性症状であるとする。

しかし、被告人は、右幻声の発現時期を祖父の死亡に結び付けて述べているのであり、前記被害妄想や被注察感と同様、祖父に現われてもらいたいとの願望の裏返しのものともいえる。そして、保崎証言によれば、「幻聴は、前もおじいさんの声のようなことがあったが、その後の経過をみても幻聴そのものはそんなに多いわけではないようで、その面からは分裂病が否定されるという見解が出ていたと思う。数が非常に少なく判断しにくい。」、「中安鑑定は、「ハルオ」「リンチ」という幻声は迫害性の内容で、拘禁反応ではないというが、全体の状況の判断の中で断片的に入ってくる声の内容の解釈であり、分けにくい。分裂病的でも拘禁反応的でもあり、それだけでは判断できない。分裂病性の幻聴というのは、一般的にははっきりした声で自分の悪口を言ったり、自分の行動を批判したりするような形で外からくる場合が多いが、断片的な場合は余り取り上げることはない。」というのであり、内沼・関根鑑定書によれば、「被告人の病像を検討してみると、幻聴よりも幻視が主体であるが、分裂病に幻視がみられることは、どちらかといえば珍しく、また、被告人が現在持続的な精神病状態にあるにもかかわらず、数少ない断片的幻聴を示すにとどまっていることは、分裂病の可能性を強く否定する根拠となる。」というのである。いずれにしても、拘禁反応と区別して、分裂病性の症状とみるには疑問がある(なお、被告人は、保崎ら共同鑑定の問診において、小学校三年生の時、手のことで「リンチ」に遭った、親せきを怖れて、襲われる、「リンチ」などと、「リンチ」という言葉を使っており、そこからの連想も考えられる。)。

エ 分裂病の陽性症状が発現したとの見解に対する基本的な疑問

中安鑑定は、保崎ら共同鑑定の終了後、分裂病が増悪したとして前記のような陽性症状を指摘するのであるが、関根証言によれば、「大体患者が精神症状が増悪するとき、特に幻覚妄想状態で増悪するときには、周りから見て明らかに変化がある。つまり、今までなかった妄想、幻覚が出てくるわけだから、世界が変り、今までと同じような対応ではできなくなる。だから、周りから見ていると、いままでの世界とは違った行動が出てくる。もし、幻覚妄想状態が急激に悪化したならば、当然刑務官がその異状に気付き、日常生活の行動が変化してくるのが当然である。四十数回、会ったが、そこで彼の中に幻覚妄想状態が今活発に動いているというようなことは感じたことがない。少なくとも、拘置以後に急激に幻覚妄想が悪化したというふうな考え方は、私の分裂病臨床の経験から言えば、ほとんど例がない。」というのであり、保崎証言によっても、保崎ら共同鑑定終了後、被告人の状態が大きく変わっているようには思えず、前の供述を否定しながら徐々に変化し、新たな供述が広がってきているというのである。被告人の述べる被害妄想、被注察感、幻声は、迫害性を帯びているといっても、実際のところは、被告人にとって大きな変化ではないと思われるのであり、保崎ら共同鑑定の段階で既に被告人に現われていた拘禁反応の延長上にあるに過ぎないものと解される。そして、中安鑑定の問診における被告人の供述のうち、その重要な部分を占める本件各犯行時の精神状態に関する供述が拘禁反応によるものであってみれば、中安鑑定が分裂病の陽性症状として指摘する各症状についても、拘禁の影響を考えるのが自然と思われるのである。

④ 中安鑑定の指摘する分裂病の陰性症状について

中安鑑定は、被告人は、高校時代に分裂病が発病し、集中力及び意欲の低下、感情鈍麻(殊に情性欠如の形で)などの陰性症状が持続的に徐々に進展した(中安証言によれば、感情鈍麻の進展は著しいとする。)とするので、以下、右陰性症状につき検討する。

ア 集中力及び意欲の低下について

中安鑑定は、被告人は、××大学付属△△高等学校入学後、学業成績が低下したこと、※※大学短期大学部への入学、乙野印刷への就職及び家業への従事につき父親の言うがままになっており、自ら希望を述べたふしが全く見当たらないこと、乙野印刷において仕事の意欲に乏しかったこと、乙野印刷退職後も自動車の教習所通いとビデオ作業に熱中して半年近く仕事をしなかったこと、家業に従事後も仕事の意欲に乏しかったことなどを指摘し、集中力及び意欲の低下の現われであるとする。

しかし、前記第二、七、3、(三)、(1)、(2)で述べたところに照らし、中安鑑定が右に指摘するところから、分裂病の陰性症状としての集中力及び意欲の低下の発現を認めるには疑問がある。なお、被告人は、新五日市社の社長の長男として家業を継ぐことを周囲から期待されるような環境に置かれており、高校入学後学業成績が低下して××大学への進学も望めない状態となり、その上、関心が趣味に向けられるとなれば、家業を継ぐことを前提とした進路に抵抗感なく進むことはむしろ自然のなりゆきとも思われるし、乙野印刷での研修最終日に、「工場や現場で汗にまみれて仕事をしたくない。芸術的な仕事や企画立案の仕事をしたい。」と発表し、作文にも同様のことを書いた(〈証拠略〉)というのであって、自分の将来に無関心であったとも思われないのである。

イ 感情鈍麻について

中安鑑定は、祖父死亡前の感情鈍麻の現れを裏付けるものとして、身だしなみのだらしなさと他者への一方的態度を挙げる。

[1] 身だしなみのだらしなさについて

中安鑑定は、被告人の友人Pが、「三年ぶりに再会したとき(昭和六一年)の甲山の印象ですが、大学時代と比べて何か近よりがたい雰囲気を持っていました。大学時代はきれいに分けていた髪もぼさぼさしていて、目つきも少し変わっていました。歯もほとんどむし歯になっていて、顔もむくんだようにまるくなっていました。そんな甲山を見て、正直なところ私は余り付き合いたくないなと思いました。」と述べるところ(〈証拠略〉)を引用し、中安鑑定の診察所見に見られた、「髪を梳ることもなくフケを浮かべ、歯を磨くこともないのか、虫歯だらけで欠けた歯ばかりの、身だしなみに対するだらしなさ、無関心さ」が、昭和六一年当時に既に見られていたこと、また、少なくとも短大を卒業した昭和五八年当時には見られていなかったこと、すなわちその三年間に大きく変化したことを示しているとする。

しかし、前記第二、七、3、(三)、(3)のとおり、被告人が乙野印刷に就職後、大学時代に比較して身なり等に注意を払わなくなったとしても、病的な異常を疑わせるほどのものとは思われない。乙野印刷勤務中は昼夜交代勤務で疲労していたし、被告人が家業に従事するようになった以後は、仕事も私生活の延長のような甘やかされた状態にあって、身なり等に対する注意がおろそかになることは十分あり得る。また、被告人はビデオテープの収集に熱中しており、身なり等を含め趣味以外のことに対する関心が低下することも怪しむに足りないと思われるのであり、中安鑑定が右に指摘するところをもって、感情鈍麻の現れとにみるには疑問がある。

[2] 友人らに対する一方的な態度について

中安鑑定は、被告人は、友人とドライブ等に出掛けたいときには事前の連絡もなく突然に訪ねて行って、相手の都合を聞くことなく、また聞いたとしても配慮することなく、執ように誘い出そうとし、逆に友人が訪ねて来た際には、自らの都合であっさりとそれを断ることが常で、相手からおごられても自分はおごらず、ほとんど常に自分は助手席に座って相手に運転させるなどしており、同様の面は家族らに対しても頻繁に見られており、こうした一方性、自己中心性は、他者への共感性、すなわち相手の気持ちを思いやる心性の欠如に基づくものと思われ、これもまた感情鈍麻の一つの現れと判断されるとする。

しかし、被告人が友人や家族らに対し一方的な態度を示したことは中安鑑定が指摘するとおりであるが、前記第二、二、2に記載したとおり、被告人は、小さいころから非社交的で、グループ内での協力性に欠けていたことに照らすと、右友人等に対する被告の一方的な態度は、むしろ被告人の性格傾向の現れとみるのが自然と思われるのであり、感情鈍麻の現れとみるのには疑問がある。

[3] その他感情鈍麻とは相容れない事情について

前記第二、二、2に記載したところから明らかなように、被告人は、元来、内向的、非社交的で、喜怒哀楽を余り外に出さない性格傾向が認められたのであるが、そうした友人との交際の中でも、例えば、昭和六三年六月ごろ、友人のQを誘って所沢市のデパートへ行き、金がたまったら行きたいと言って海外旅行のパンフレットを持っていたこと(〈証拠略〉)、平成元年七月一日、友人のRと一緒にドライブをした帰りの車中で、「ウインクの左で歌っている子がいいなあ。」と言ったこと(〈証拠略〉)、Pが体調を崩したとき、「きれいな空気を吸うといい。」と言って、わざわざ車でP宅へ同人を迎えに行き、五日市の方へドライブに連れて行ったこと(〈証拠略〉)などの出来事があったり、母Lに対し、乙野印刷からもらったクリスマスケーキを持ち帰って、「お母さん。食べなさい。印刷屋さんからもらってきたよ。」と言ったり、鮭を持ち帰って、「お母さん。これをお母さんが前にいたところで包丁で切ってもらってみんなで食べるといいよ。」と言ったりしたこと(〈証拠略〉)などに感情の表出や他人に情を向ける態度が見られるし、被告人が熱中していたビデオテープの収集に関しては、例えば、被告人が加盟しているビデオサークルの会員に出した手紙中に、「そうそう、僕の名前は「はるお」です。年齢は二四歳。代録者には女性も多く、「仮面ライダー」という作品は今主婦の方に撮ってもらっています。その人なんかデッキを二台も持ってダビングなんかお手のものですよ。……今回、本当に福島に代録者ができてよかった。」などとある(〈証拠略〉)ように、生き生きとした感情表出がみられる。また、捜査段階における被告人の態度も、全般的には、淡々とした様子であったが、前述のとおり、被告人がY警部補にパズルを出したこと、同警部補の立会いの警察官に「島倉千代子って知ってますか。」と言って、チョコレートが欲しいという気持ちを示したこと、被告人宅に引き当たりに行った際、被告人が涙を流してうちの者が村八分になってしまうと心配していたこと、被告人にラングレーを示して確認を取った際、被告人の希望で運転席に乗ることを許可したところ、喜々として態度でハンドルを握って遊んだことなど、感情表出が見られる。以上の諸事情は、被告人に感情鈍麻の進展が著しいとの中安鑑定の見解に疑問を抱かせるものといえる。

また、関根証言によれば、「最初、感情表出が非常に少ないという印象が強くあり、欠陥性の分裂病(慢性で、分裂病を長く患っており、感情鈍麻が固定して周りのことに余り関心を持たないで自分の世界に閉じこもっている。表情が固定した状態。)ではないかというふうな印象を持っていた。しかし、面接を重ねていくうちに、分裂病の患者はこちらに対する構えというのは余りしないで自分のことで一杯なのに、被告人の場合は、こちらの動静をうかがっていること、こちらの動きを見ていて、こちらの問い掛けを注意深くうかがっていることがあるという印象が強くなった。また、時にはあるテーマになると自分の方からもうばあっとあふれ出るように自分の感情を吐露するというところがあり、固定した病状ではなく、いろいろ動く面があるということがだんだん分かってきた。そして、初めの印象が非常に浅かったというふうに後ほど思うようになった。」というのであり、被告人の診察所見につき分裂病者と異なる旨の指摘がされているのである。

なお、第三五回公判における被告人質問の際の被告人の態度も、質問の趣旨を理解して速やかに応答するなどしており、その内容に照らしても、今自分が被告人質問を受けている状況にあることをは握していることがうかがわれ、周囲に対する関心を示さないような感情鈍麻が著しい様子は見受けられない。

⑤ 中安鑑定の指摘する易怒性ないし攻撃性のこう進について

中安鑑定は、易怒性、攻撃性のこう進は、具体的には、家族・親せきに対する暴言・暴行あるいは動物虐待となって現れたものであり、対象や暴行の程度こそ異なるとはいえ、本件犯行における被害者の殺害と共通する部分も認められるとする。そして、分裂病の始まりの時期に、「理由の定かでない」暴力行為を見ることは臨床的にままあることではあるが、かと言ってそれだけで分裂病と診断できるほどの特異性があるわけでもなく、またそもそも常に見られるものでもなく、実際は、往々事後的、遡向的に「あれが分裂病の始まりだったのかな」ということが、それもある蓋然性をもって判断できるにすぎないとし、本被告人においても同様であり、鑑定人としては、他に原因を求め得ないという除外診断のレベルで、被告人にこの時期認められた易怒性ないし攻撃性のこう進を分裂病であろうと判断しておくとする。

しかし、前記第二、七、(三)、(2)、(3)に述べたとおり、中安鑑定の指摘する家族・親せきに対する暴言・暴行には、個々にそれなりの理由・原因があって、了解できるものであり、「理由の定かでない」暴力行為と同視することには疑問がある上、被告人には小さいころから乱暴なところや猫を含む動物虐待が見受けられるから、被告人にみられる易怒性が分裂病以外に原因を求め得ないものとは思われない。

⑥ 中安鑑定に対する基本的な疑問

これまで、中安鑑定が分裂病の陽性症状及び陰性症状として指摘する個々の症状について検討を加えてきたが、中安鑑定には更に次のような基本的な疑問がある。

すなわち、前述のとおり、本件一連の犯行における被告人の行動は、それなりに了解可能なものであり、被告はE事件で、現行犯人として逮捕されるまで、約一年間のうちに四回もの誘拐・殺人等の同種犯行を反復し、その間、周囲の者らにも不審を抱かれることなく、捜査の網をかいくぐって立ち回ってきたものである上、拘禁されると、捜査段階ではおおむね犯行を認めたものの、公判段階に至り、次第に「夢の中のことのようだ。」、「覚えていない。」、「知らない。」と犯行を否定していき、拘禁反応を起こして妄想的な説明を漸次付加し、発展させていっているのであって(そこには自己の刑事責任の重大さの認識とこれを免れたいとの強い願望が潜んでいる。)、こうした経過は、通常人としてよく理解できるものであり、精神分裂者が凶悪な犯行を犯し、かつ、拘禁されている状態とは思い難いのである。

中安鑑定は、被告人は、本件犯行当時、思考障害は極めて軽微であったが、感情障害は著しかったとして右の経過を説明する。しかし、関根証言によれば、「知情意というふうに分けて症状を考えることができるが、分裂病というのは、そういう一部分だけが冒されて、ほかの部分がほとんど障害を受けないということはないとは言わないが、分裂病というのはそもそも人格全体の障害であるというふうなとらえ方からすれば、ある一部分の精神機能だけが冒されて、ほかが正常だということは考えにくい。理性が障害を受ければ、感情の面にも障害が及ぶ。」というのであり、保崎証言によれば、「情、意の面が犯されてくると、テスト、応答なんかを含めてやはり知的な面で以前よりはレベルが下がってきたのではないかと考える点が多い。ただし、高等感情は障害されているけれども、知的な部分は保たれていると言い換えればそういうことはあってもいい。」、「分裂病と診断するならさかのぼっていつごろということは分かるが、それと同時に了解できる部分は並行してかなりある。それを、こういう傾向は正常な心性のものであるとか、分裂病のものであるという形は、病気が進んだときの性質上からみるとちょっと考えられない。拘禁の影響があるというのは、病気にしても、かなりいろんなことが判断できて分かっている状況じゃないとそういう影響を受けない。精神分裂病が増悪していると、余り拘禁反応というのは生じにくい。」というのであり、中安鑑定の説明には疑問を抱かざるを得ないのである。

以上のとおり、被告人につき精神分裂病のり患を認める中安鑑定の結果には多くの疑問があり、保崎ら共同鑑定の結果に照らし、採用できない。

(3) 内沼・関根鑑定について

内沼・関根鑑定の結果は、前記のとおり、被告人は、犯行時、手の奇型をめぐる人格発達の重篤な障害のもとに敏感関係妄想に続く人格反応性の妄想発展を背景にし、祖父死亡を契機に離人症及びヒステリー性解離症状を主体とする反応性精神病を呈していたというものである。

① 内沼・関根鑑定の指摘する被告人の反応性精神病の病像

内沼・関根鑑定の指摘する被告人の病像の主要なものについての説明は、おおむね次のとおりである。

ア 離人症(感情消失)

被告人は、祖父の昏睡状態をみて、「わあーっ」という激しい気持ちの動揺を経て、その日かその翌日、気が付いてみたら、感情がすっぽり抜け落ちてしまい、現在もその状態が続いている。被告人には、喜怒哀楽の感情を喪失した感情疎隔感、自己疎隔感(自己所属性喪失感)、自己同一性喪失(本来の感じがしない。)、実行意識喪失感(自分の意思で行動しているという実感を伴わない。)、自己身体自己所属感喪失(自分の体が自分のものでないといった感じ。)、身体感情喪失感(体の感じが分からない。)、外界疎隔感(周囲が薄ぼんやりする。)、親和性喪失感、自己身体喪失感(手足がないみたいな感じ。)、体感異常、時間体験異常(時間が止まった感じ。)、空間体験異常(周囲の物が九割くらい小さく見える。)、満腹感・空腹感の喪失がみられ、重症離人症であったといえる。

イ 二重身(自己像視)

被告人は、ビデオテープの大量万引きの際、もう一人の自分が前方に現れて万引きをし、本来の自分は「どっきんどっきん」しながら見ているとの二重身体験があり、本件各犯行時に頻繁に二重身体験が出現している。たとえば、独りぼっちの子と出会った際にもう一人の自分が現れて前を歩いて行くとか、A及びDの遺体を陵辱した際、もう一人の自分が現れて解剖行為をやったりビデオ撮影をしたりしたとか、Dの遺体を切断した際、もう一人の自分が冷静にやっていたとか、被告人のいう「肉物体」や「骨形態」に関連して二重身体験がある。

ウ 祖父再生と「真」の両親への願望妄想、もらい子妄想、祖父の幻視と幻聴、黒い影の幻視

被告人は、火葬場で祖父が灰のような燃え殻となって出てきたのを見て衝撃を受け、「おじいさんが見えなくなっただけで、姿を隠しているんだ。」という強い思いにとらわれるようになり、それと同時に「真」の両親がどこかにいるのだという想念が浮上し、自分はもらわれたか拾われたに違いないと直証的確信を抱くに至っている。祖父の死を否認し、ある日、こつぜんと祖父の姿と黒い影の幻視が出現し、祖父が「もうすぐ見えるようになるからな」などと言うという幻聴を伴っている。被告人は、昭和六三年の後半から逮捕されるまでに四回くらい「おじいさんが戻ってきたら骨がダブってしまう」との考えのもとに、祖父の墓から祖父の遺骨を取り出して食べており、祖父再生への願望妄想を抱いていた。

エ 被害関係妄想と幻聴

被告人には、祖父死亡を契機として、家族否認に伴う被害者意識、親せきからの迫害、見知らぬ人たちに対する被害関係妄想、「不思議な力を持った人たち」による迫害(「さわさわ」という音と、それに混じって「リンチ」という声が聞こえる幻聴)といった被害関係妄想が噴出している。

オ 収集強迫

被告人には既に祖父死亡前から収集強迫(そう的防衛が加わって快楽性を帯び、嗜癖に近いが、根底に喜びの実感のなさがあった。)がみられたが、祖父の死亡後、逮捕されるまでの間に被告人が収集したビデオテープの量は四〇〇〇本に達しており、空しい快楽性の根底に流れる実感の乏しさが祖父の死を契機に顕在化したもので、被告人は、強迫症状に対する抵抗をほとんど失った状態に陥っている。

カ フーグ(健忘を伴う遁走行為)

被告人は、祖父死亡後、どこで入手したか分からないビデオテープがどっさり自動車のトランクにあるのを知って驚いたとか、値札の付いた目新しいビデオテープが知らないうちに自室にずらりと並んでいるのに気付いて意外の思いに襲われたとか、親せきが来訪するとリンチに遭うと怖れ、気が付いたら街中にいたとか、本件各犯行時も「ネズミ人間」が出現後、はっとしたらに家の玄関に車でついていたとか、フーグが頻繁に見られる。

キ 人格変換(多重人格)

被告人は人格変換を起こしやすく、例えば被害者の幼女に出会った瞬間に人格変換を起こして、自ら幼児に変ぼうしている。被告人が、他人にさまざまな顔を見せていること、人格変換を起こしやすいこと、「自分が自分であったころを懐かしく思う自分」と「冷静な奴」の二つの別人の存在を認めていることから、被告人に解離症状としての多重人格を認めることができる。そして、被告人は、この二人の別人格を自分に入れたのは「不思議な力を持った奴」で自分の中にいると言って、第四の人格の存在をばく然と感じており、その第四の人格とは、本件各犯行に関与したペドフィリア的・ネクロフィリア的な倒錯的嗜癖を持った「今田勇子」である(ただし、関根証言によれば、犯罪に直接関係した人格、鑑定面接のときに出会った被告人、幼児のときに帰りたいと願望している人格の三つの人格を考えているという。)。

ク 家族否認(生活史健忘)、ガンゼル症侯群

被告人は、祖父死亡後、家族を同居人とみなし、祖父死亡前、どうして本当の両親や妹と思っていたのか不思議だと語っているが、生活史健忘の回復過程の病像とそっくりであって、生活史健忘の特殊型ととらえられる。

また、被告人にはガンゼル症侯群の的外れ応答がみられ、自宅近くの御嶽神社付近に捨てたDの頭がい骨を見に行き、白骨を祖父だと「ぴーん」と感じ、白骨(祖父)と一緒にドライブして吉野街道わき山林などに置いて、「またドライブしようね。」と別れの言葉を告げており、祖父の白骨を火葬場で見ることができなかった無念の思いが白骨と祖父を同一視させたものと理解し得るが、これはガンゼル症侯群の的外れ応答と等価とみなすことができる。

② 内沼・関根鑑定の基本的な立場に対する疑問

前述のとおり、内沼証言によれば、「被告人は、余りにもとぼけた応答が多いので、本当に虚言や詐病じゃないかなと考えたが、最後までそう断定する決め手は得られなかった。それで、膨大な文献を見たところ、すべて被告人の体験は間違いないというようなことで、やはり被告人の供述を信じるよりほかにないと考えたが、今度は、検察官の冒頭陳述と余りにも矛盾してしまうことになる。そのとき、被告人はさまざまな解離症状があったことから、解離性同一性障害ということを想定せざるを得ないとの結論に到達した。」というのであり、また、関根証言によれば、「鑑定面接で聞いた精神医学的な症状は、拘禁される前に既に起こっているから拘禁反応ではないととらえた。」というのであって、内沼・関根鑑定は、被告人の公判段階における供述をそのまま犯行時の体験として理解したことによる所見である。しかし、既に検討したとおり、本件犯行等に関する被告人の公判段階における供述は、拘禁の影響による妄想的説明であって、これらの症状は、真実犯行時の体験として被告人に存在したものではなく、また、その他被告人が本件犯行当時にあった旨述べる精神的諸症状も、そのほとんどは、中安鑑定が正当に指摘するとおり、犯行時に存在したものとは思われないから、内沼・関根鑑定の右所見はその基本的立場に疑問があって採用できないのである。

③ 祖父の死亡を契機として反応性精神病を呈したとの見解に対する疑問

内沼・関根鑑定は、被告人は、祖父の死亡を契機として、迫害妄想、幻視、幻聴を急激に顕在化させ、離人症、二重身、フーグ(遁走)、生活史健忘、人格変換、多重人格、ガンゼル症侯群といった多彩な解離症状を示したとするが、かりにそうであるならば、被告人の日常生活において、祖父の死亡後、それ以前には見られなかった病的に異常な言動が容易に観察されてしかるべきであろう。

しかし、祖父の死亡に接着して見られた被告人の動揺としては、[1] 祖父の死亡直前に友人のPに電話をし、「死にそうだから来てくれ。病院のおじいちゃんをビデオに撮りたい。死ぬ前の姿を写して欲しい。」と、気が動転した様子で依頼したこと(〈証拠略〉)、[2] 前記のとおり、祖父が入院先の病院で息を引き取り、家族らが祖父の身体をふくなどした後、帰宅しようとした際、被告人が携帯していたバッグからテープレコーダーを取り出して、録音した飼い犬の鳴き声を聞かせたこと、[3] 祖父の死後、生前の祖父の姿を撮影したビデオテープを集った親せきに見せたこと(〈証拠略〉)が指摘される程度であり、右のうち[1]、[2]は、やや特異ではあるが、いずれも被告人の祖父に対する愛着を示すものであって、了解可能である。また、家族等に対する暴言、暴行や動物虐待もみられるが、これらは、前述のとおり、祖父の死亡後に発現したものではなく、もとからあった被告人の性格傾向の現れとみられるのであり、いずれも、病的に異常な言動とは思われない。したがって、被告人が祖父の死によって影響を受けたことは否定し難いが、反応性の精神病を呈するほどの精神的衝撃を受けたとは思われないのであり、この点からも、内沼・関根鑑定の結果は採用できないのである。中安鑑定も、右[1]、[2]、[3]の出来事を指摘し、祖父が脳いっ血で倒れた昭和六三年五月一一日以後、死亡した五月一六日を含んで前後一、二か月間に認められた行動異常はそれしかなく、祖父の突然の死は被告人にいささかの心理的動揺を与えた程度のものであり、被告人が述べ立てているような大きな精神内界の変化があったということではないとしている。

④ 内沼・関根鑑定の指摘する主要な症状について

まず、同鑑定の指摘する症状のうち、祖父再生と「真」の両親への願望妄想、もらい子妄想、祖父の幻視と幻聴については、保崎ら共同鑑定の検討において述べたとおりであり、被害関係妄想と幻聴については、中安鑑定の検討において述べたとおりである。前記家族否認(生活史健忘)を含め、こうした妄想等が祖父の死後に生じていたとするならば、被告人は家族らに対し、自分は他人であるとの態度や言動を示すのではないかと思われるが、そのような形跡は見られない。例えば、平成二年一〇月三一日に当裁判所が実施した被告人の母親に対する証人尋問において、被告人が母親に対し、「私は別にピアノのけいことか行きたくないのに、……自慢したがって、私を行かせたと思うんですよ。だから、春夫、今日もよく行ってきてうれしいねとか、……自分だけ楽しんでいるんです。この人は。あと私が洋服とか別に欲しいとも思わないときに、急に買って、人を着せ替え人形のように着物を着せて、自分だけ喜んでいるんですよ。この人は。……自分がえもん掛けとか、着せ替え人形のような扱いを受けているような気がして、親とは思えないというんじゃなくて、親じゃないんじゃないかと、そういうふうに思うんですよ。私は。」などと述べたのに対し、母親は、「家では、パパとか私のことをチャーチャンとか小さいころから言っていた。被告人から「この人」と言われたのは今日が初めてである。」旨証言しており(〈証拠略〉)、右の問答からも、被告人が祖父の死亡後も両親に対し親子として接していながら、拘禁後に次第に両親を否定していく過程を見てとることができるのである。なお、被告人は、E事件で逮捕された平成元年七月二三日の朝、友人のPを誘いに行ったとき、「妹に車を教えてくれ。」等と言っていたというのであり(〈証拠略〉)、当時被告人が妹を否定していた形跡もみられない。

次に、内沼・関根鑑定がフーグとして指摘するものの多くは、被告人が一定の目的に沿ったひとまとまりの行為の一部について記憶がないと述べるところをいうもので、フーグとみるには疑問がある。例えば、同鑑定は、被告人は、「ネズミ人間」の出現後おっかなくなって飛んで帰り、気が付いたら家の玄関にいて、この間の行動についてわずかに断片的な記憶しかなく、右症状はフーグであるとするが、被告人は、はDを殺害後遺体を縛って車で運搬し、途中、レンタルビデオ店に立ち寄り、ビデオカメラを借りて帰宅し、自室で同女の遺体を陵辱してその場面をビデオカメラで撮影し、その翌日、レンタルビデオ店にビデオカメラを返却したものであるところ、そのうち、被告人がDの遺体を自宅に持ち帰ったのも、その途中でビデオカメラを借りたのも、いずれもその後に同女の遺体を陵辱してビデオカメラで撮影したことに向けての行為であって、前後の行為と断絶する部分は全くなく、被告人がそのような一連の行為の一部分を覚えていないと述べたからと言って健忘を伴う遁走とみるのは疑問である(しかも、被告人は、第一八回公判においては、D殺害後の経緯につき、道を探しながら帰ったが、途中、中野サンプラザ付近の店でビデオカメラを借りたとか、遺体を部屋に運び込んだとか述べており、被告人の右供述自体、少なくとも、D殺害後の経緯の大筋につき記憶があったことをうかがわせるものである。)し、被告人は、「ネズミ人間」が出現して恐ろしくなり分からなくなったと述べたため、その後の行動が分からない旨述べているに過ぎないのではないかと思われるのであって、フーグとして理解するには疑問がある。なお、同鑑定は、フーグを示す事実として、被告人がCの遺体をラングレーで運搬中、側溝に脱輪させたにも関わらず、その事実を覚えていないことを強調するが、被告人は、捜査段階では右脱輪の事実を供述していたし、公判段階に至っては、全般にわたって覚えていないとの主張が基調となっているのであって、鑑定の問診において被告人が覚えていないと述べたからといってそのまま信用することはできないのであり、前述のとおり、保崎ら共同鑑定の問診においては、被告人は、「車がガクンとなって止まった。」、「どぶか溝か分からないががくっとなって」と述べており、脱輪の認識があることがうかがわれるのであるから、内沼・関根鑑定の右指摘には疑問がある。

また、同鑑定の指摘するガンゼル症侯群については、保崎証言にれば、被告人は、的を外しながら、大事なことは否定しながら、合目的的な方向に持っていく傾向があり、意図的な感じがあって、素直にガンゼル状態とは言い切れないというのである(前述のとおり、被告人は、公判廷においても、例えば、「A 遺骨 焼 証明 鑑定」の最初の語を「A」と読まずに「◎◎◎」と読んだり、「今田勇子」を「いまだゆうこ」と読まずに「いまだいさこ」と読んだりするなど、検察官からの質問に対し殊更的を外した応答が見られる。)し、Dの頭がい骨を祖父のものと思ったなどの被告人の供述は、被告人がDの殺害及び死体遺棄を否定していく合目的的な変化の延長上にある説明であって、ガンゼル症侯群と等価と解することには疑問がある。

そして、内沼・関根鑑定の指摘する人格変換(多重人格)については、これを本件各犯行に即してみたとき、そもそも同鑑定が前提とする本件各犯行等に関する被告人の公判段階における供述が真実犯行時の体験として存在したものではないことは前述のとおりであって、同鑑定はその前提を欠く上、本件各犯行はいずれも性的欲求の充足という目的に沿った性犯罪であって、被告人のかねてからの性的関心に照らして矛盾はなく、犯行の経過にも一貫した流れがあり、被告人に人格変換が生じていることをうかがわせる形跡は見当たらないのであり、同様の事態が四度も繰り返されているということにも照らすと、本件各犯行時に被告人に人格変換が生じていたとは到底思われない。また、祖父死亡後、被告人の日常生活において、周囲が被告人につき別人格の出現に気付いてこれを指摘したような形跡は見られないし、本件捜査段階及び公判段階においても、被告人につき別人格の出現が気付かれた形跡があるとは認められないのである。内沼・関根鑑定は、被告人が、保崎ら共同鑑定の鑑定人の一人である皆川鑑定人に激しい調子の鑑定拒否文を書き、その後これを覚えていない旨述べていることを指摘して、右鑑定拒否文を書いた際に別人格が出現した可能性を示唆するが、被告人は、同鑑定人の問診において、同鑑定人が被告人の供述内容に疑問を呈したことに反発し、平成三年二月二二日、右鑑定拒否文を書いたことがうかがわれるところ、保崎証言によれば、被告人は、その後、保崎鑑定人に対し、皆川鑑定人らの除外を申し入れたが、その際には同鑑定人に鑑定拒否文を書いたことを述べており、同鑑定人に鑑定拒否文を書いた被告人の人格と保崎鑑定人の問診に応じていた被告人の人格が別人格とは考えられないというのであり、実際にも被告人はその後皆川鑑定人の問診を拒否していて、その態度は保崎ら共同鑑定の間を通じて一貫しているのであって、被告人が皆川鑑定人に対し鑑定拒否文を書いたときに別人格が出現していたとは思われない。

その他、内沼・関根鑑定の指摘する離人症については、被告人が祖父死亡後、殊更呆然とした生活状況であったことはうかがわれず、重症離人症であったことには疑問があるし、二重身体験や「不思議な力を持った奴」の存在の訴えについては、前述のとおり、保崎ら共同鑑定の後になって述べられたことであり、被告人が公判段階に至り自己の犯行を否定していく合目的的な変化の延長上にある説明といえる。

⑤ 結論

以上のとおりであり、保崎ら共同鑑定の結果にも照らせば、内沼・関根鑑定の結果は、採用できないといわざるを得ない。

(4) 簡易鑑定について

簡易鑑定は、被告人がE事件で逮捕されてから約一か月後(D事件を自供してから約二週間後)に実施された最初の熟練した専門家による診察結果であるが、被告人に対する拘禁の影響も比較的少ない状態での所見と思われるところ、午前九時から午後五時まで、途中四〇分間の休憩をはさんで診断が行なわれ、簡易鑑定としてはかなりの時間が当てられたものであり、その問診内容からは、被告人が精神科医の診察を受けていることを認識して、時には反論するなど、自己の考えをそのまま主張していることが見てとれるのである。そして、その診察結果は、問診内容に照らして検討しても、特に疑問とすべき点があるとは思われないのであり、保崎ら共同鑑定の結果にも沿うものといえる。

(5) 弁護人の意見について

弁護人は、被告人は本件犯行時、高校時代遅くても乙野印刷退職以前に発病した単純型分裂病にり患していた旨主張する。

弁護人の主張する単純型分裂病はICD-10によれば、「これは行動の奇妙さ、社会的な要求に応じる能力のなさ、そして全般的な遂行能力の低下が、潜行性だが進行性に発展するまれな障害である。妄想と幻覚がはっきりせず、破瓜型、妄想型及び緊張型の分裂病よりも、精神病的な面が明瞭でない。明らかな精神病性症状の先行をみることなく、残遺型分裂病に特有な「陰性」症状(たとえば、感情鈍麻、意欲低下)が少なくとも一年以上にわたって進行する。社会性の機能低下が増大するにつれ、放浪することがあり、自分のことだけに没頭したり、怠惰で無目的になる。」とされ、同診断ガイドラインによれば、「単純型分裂病は、確信をもって診断することが困難である。なぜなら、先行する精神病性エピソードとしての幻覚、妄想、あるいは他の症状の病歴がなく、残遺型分裂病に特有な「陰性」症状が緩徐に進行性に発展することを確認しなければならないからである。」とされている。

しかし、被告人が精神分裂病にり患しているとの見解が採用し難いことは、既に保崎ら共同鑑定及び中安鑑定についての検討において述べたとおりであり、このことは、陰性症状に特徴を有する単純型分裂病を想定したとしても、基本的には同様であるから、弁護人の右主張も採用できない。

(6) 結論

以上のとおりであり、被告人の本件各犯行当時及び現在の精神状態については、保崎ら共同鑑定(及び簡易鑑定)の結果を採用すべきである。すなわち、被告人は、本件各犯行当時、性格の極端な偏り(人格障害)以外に反応性精神病、精神分裂病等を含む精神病様状態にはなく、また、現在は、拘禁による影響が強く現れていると認められる。

4 被告人の刑事責任能力について(結論)

以上に検討してきた被告人の本件各犯行当時の精神状態に照らして被告人の刑事責任能力を考えると、被告人は、本件各犯行当時、性格の極端な偏り(人格障害)以外に反応性精神病、精神分裂病等を含む精神病様状態にはなく、したがって、事物の理非善悪を弁別する能力及びその弁別に従って行動する能力を有していたと認められるのであり、被告人については完全責任能力を認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示第三、二、1、判示第四、二、1、判示第五、二、1、判示第六、二、1の各所為は、いずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法二二四条に、判示第三、二、2、判示第四、二、2、判示第五、二、2、判示第六、二、2の各所為は、いずれも同法一九九条に、判示第三、二、3、判示第五、二、3、判示第六、二、3(包括して)の各所為は、いずれも同法一九〇条に、判示第七、二の所為中、わいせつ目的でEを誘拐した点は同法二二五条に、当時六歳の同女にわいせつな行為をした点は同法一七六条後段にそれぞれ該当するところ、判示第七、二のわいせつ目的誘拐と幼女に対するわいせつ行為との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として重いわいせつ目的誘拐罪の刑で処断することとし、後記量刑の事情を考慮して、判示第三、二、2、判示第四、二、2、判示第五、二、2、判示第六、二、2の各罪につき各所定刑中いずれも死刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるところ、同法四六条一項本文、一〇条により、犯情に照らして最も重いと認める判示第六、二、2の罪につき被告人を死刑に処して他の刑を科さないことにし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、昭和六三年八月から翌平成元年六月までのわずか一年足らずの間に、埼玉県内及び東京都内において、当時四歳ないし七歳の四人の女児を、わいせつ目的で次々と誘拐してその命を奪った上、うち三人の死体を損壊あるいは遺棄し、更に同年七月、当時六歳の女児を誘い出して全裸にし、カメラを向けていたところをその父親に見とがめられて逮捕されるに至ったというもので、幼女らを対象にしたまれにみる凶悪非道な連続犯行である。

本件一連の犯行の動機・目的は、主として、女性性器を見たい、触りたいなどといった強い性的欲求に基づいており、これに遺体陵辱の場面等を撮影した他人が持っていない珍しいビデオ等を所持したいという収集欲が伴ったもので、浅ましいというほかなく、同情の余地は全くない。成人女性の代わりに、無邪気で人を疑うことを知らず抵抗する力のない幼女らを自己の欲望充足の対象にした被告人の心底はまことに卑劣である。

本件犯行の経緯、態様をみると、計画的な面が強くうかがわれ、誘拐の手口は巧妙、大胆で、殺害の方法も残忍であり、死体損壊の態様を含め、冷酷非情極まりない。すなわち、被告人は、車を駆使して広範囲に移動し、遊びに出ている幼女らを求めて団地や小学校付近に赴き、ある時はあらかじめ被害者を縛るためのひもやガムテープを車内に用意するなどし、団地内の路上等で一人でいる被害者を見付けると、周囲に人目がないか細心の注意を払いつつ言葉巧みに車に誘い込んだ上、遠く離れた山中まで連れ去って殺害しており、犯行を重ねるにつれて大胆になり、ついには被害者を車に誘い込むやすぐ殺害し、遺体を自宅に持ち帰るに至っている。殺害の態様も、およそ命を奪われるとは夢にも思わなかった幼い被害者に、いきなり馬乗りになるなどして両手でその首を力一杯締め続け、抗うすべもない幼女らを一気に絶命させているのであって、まことに無慈悲かつ残忍といわなければならない。しかも、殺害前には被害者を全裸にして陰部を中心に写真撮影をしたり、遺体を陵辱してその場面をビデオカメラで撮影するなど、欲望をむき出しにした姿を見せている。加えて、遺体をひもで縛ったまま山中に遺棄したり、あるいは被害者の頭がい骨をたたき割って損壊し、また、こともあろうに遺体をバラバラに切断して遺棄するなど、人としての尊厳を踏みにじる態度には目を覆うものがある。

被告人の手によって命を奪われた四人の幼子は、いずれも両親ら家族に囲まれ慈しまれて育ち、その将来に多くの夢、希望を秘めていたのであり、無邪気にも被告人を信じて付いて行ったばかりに、すべてを絶たれてしまったもので、被告人の浅ましい欲望の犠牲となり無惨にも幼い命を散らした被害者に対しては、これを慰める言葉も知らない。そして、子供を失った遺族の悲嘆、衝撃がいかに甚大であったかは言うに及ばず、その精神的苦痛は到底いやされようもない。遺族のうちには、その後心身に変調を来し家庭崩壊にまで追い込まれるなどまことに悲惨な状況にある者もおり、被告人に対し極刑を希求しているのも当然である。

更に、本件一連の犯行は、犯行の場となった地域、周辺だけでなく、被害者らと同様の年齢の子供を擁する家庭に多大の恐怖を与え、犯行の結果の悲惨さや犯行態様の冷酷非情さは世人を震かんさせたものであり、これら社会に与えた影響も重大である。しかも、被告人は、自己の犯行に関する報道に対応して、これを遊びの題材にしつつ、子供の安否を気遣う遺族の元に遺骨を焼いて届けたり、犯行声明文や告白文等を郵送してあと一五年は捕まりたくないなどとうそぶき、遺体を切断してその一部をこれ見よがしに遺棄したりして、遺族や社会をちょう笑するなどしており、こうした被告人の反社会的な人格態度、遺族の心情を思いやることのない非情さも、決して看過することができない。

なお、被告人は、捜査段階では一応事実を認めていたものの、公判段階では夢の中のようなことだと思うと言って自己の刑事責任を逃れようとする態度に終始するに至り、現在拘禁の影響が強く現れ、被告人の口から被害者及び遺族らに対する一片の謝罪の言葉も聞くことができない。

他方、被告人は、両手に生来の障害があり、これに対する両親の適切でない対応もあって、幼少時から一人で悩みを抱え込み、同居する祖父母や両親の不和など情緒的に恵まれず、同胞三人の長男として甘やかされ適切なしつけを受けずに成長したため、元来の性格傾向に加重して、人格のゆがみを形成するに至ったもので、これが本件犯行の背景にあると認められるとともに、被告人の手の障害やその境遇に対しては同情を覚える面があることを否定できないこと、残忍さや性的興味を売りものにした映像や出版物が巷間にあふれ、これが被告人の本件犯行に幾ばくか影響を与えた面もあること、被告人の母親が、被害者の氏名を紙に書いて、日々祈りを捧げ謝罪しながらそのめい福を祈っていること、長期間にわたる本件審理の過程で骨身を砕いて弁護活動に当たった国選弁護人が被告人及び家族の支えとなり、被害弁償のために奔走した結果、被告人宅の敷地を引き当てにするなどして合計八〇〇万円を工面し、遺族らに対する慰謝の措置の一部として各二〇〇万円ずつ送金し受領されていること(ただ、返還したい旨述べている遺族もある。)、被告人の家族も、世間から厳しい非難の目を向けられ、父親がその重圧に耐えかねて自ら命を絶つに至り、今は母親と妹二人がひっそりと身を寄せて生活していること、被告人には前科前歴がないことなど被告人のために酌むべき事情もある。しかし、これまで述べてきたとおり、本件罪質、犯行の回数、その動機・目的、経緯、態様、結果の重大性、社会に与えた影響、被害感情等にかんがみると、被告人の刑事責任はまことに重大というほかなく、右に指摘した被告人に有利な一切の事情をできるかぎり考慮し、かつ、極刑を選択するに当たっては最大限慎重な態度で臨むべきであることを考慮しても、なお、被告人に対しては、死刑を選択する以外に刑の量定をすべき途はないといわざるを得ない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田尾健二郎 裁判官 小川正持 裁判官 杉原奈奈は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 田尾健二郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例